罪人と共に過ごす(ルカ15:1-7)

Scripture(聖書の言葉)


イエスの教えを聞きに来る人たちの中には、あくどい取り立てをする取税人や罪人といわれる者たちがかなりいました。 2 ユダヤ教の指導者や律法の専門家は、イエスがそういう問題の多い人々とつきあい、時には食事までいっしょにするのを見て、批判しました。

3 そこでイエスは、次のようなたとえ話をなさいました。 4 「羊を百匹持っているとします。そのうちの一匹が迷い出て、荒野で行方がわからなくなったらどうしますか。ほかの九十九匹は放っておいて、いなくなった一匹が見つかるまで捜し歩くでしょう。 5 そして、見つかったら、大喜びで羊を肩にかつぎ上げ、 6 家に帰ると、さっそく友達や近所の人たちを呼び集めて、いっしょに喜んでもらうでしょう。 7 それと同じことです。迷い出た一人の罪人が神のもとに帰った時は、迷ったことのない九十九人を合わせたよりも大きな喜びが、天にあふれるのです。

Observation(観察)


イエス様は、当時のユダヤで罪人とされた職業や収税人といった蔑まれる職業の人々と共に過ごされた。宗教的で格式の高い人々とではなく、弱い立場、低い立場の人々と一緒におられた。キリスト教はハイソな人々のための者では無い。弱い人、虐げられている人の為なのだ。時として私もそれを忘れそうになる。自分もイエス様に見つけ出して頂いた羊の一匹であることを忘れないようにしよう。

Prayer(祈り)


イエス様、弱い私は、豊かな人々と共にいると自分まで豊かになった気分になり尊大な気持ちになってしまいます。そうでなく、謙遜になる道を選びたいです。これからの道のりを導いて下さい。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。

イエス様に従うことと(ルカ14:26-27)

Scripture(聖書の言葉)


26 「だれでも、わたしに従いたければ、父、母、妻、子、兄弟、姉妹以上に、いや、自分のいのち以上にわたしを愛しなさい。 27 また、自分の十字架を負い、わたしに従って来なければ、わたしの弟子になることはできせん。

Observation(観察)


イエス様の弟子になるためには、何よりも彼を愛し、自分の負うべき重荷を負ってついてきなさいと言われた。シンプルな表現だが実際に行うのは本当に難しい。妻よりも自分よりも見たことのないイエス様を愛することは簡単なことではないし、自分に架せられた重荷も出来ることなら投げ出してしまいたい。
それでも神の国はそれに値する物と書かれている。信じて従うか、疑って遠目に眺めるか、いつも選択は私自身にかかっている。

Prayer(祈り)


イエス様、あなたに従うことは簡単なことではありません、出来ないことも沢山有ります。けれどもせめて御言葉には真摯に向き合おうと思います。少しずつ私を変えて、あなたに従う物にして下さい。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。

人の復興(ゼカリヤ5:16-19)

Scripture(聖書の言葉)


16 これがあなたがたの果たすべき役割だ。真実を語り、公平であれ。すべての人と平和に暮らしなさい。 17 人を傷つけることをたくらんではならない。ほんとうではないのに、ほんとうだと誓ってはいけない。わたしはそのようなことを憎むからだ。」

18 さらに次のようなことばが、主から私に示されました。 19 「第四の月、第五の月、第七の月、第十の月に守ってきた断食はもう終わりだ。あなたがたが真実と平和を愛するなら、それは喜びの祝祭に変わる。

Observation(観察)


エルサレムの復興について、神は城壁や神殿の回復だけでなく、イスラエル人の心の復興について述べている。「真実を語り、公平であれ。すべての人と平和に暮らしなさい。 17 人を傷つけることをたくらんではならない。」私の心を点検するなら、欠けているところが沢山有ることが分かる。努めて平和を求めるものとなりたい。また、断食が終わり、祝祭に換わる、とある。悲しみと悔い改めの象徴である断食が、神を喜ぶ祝いに変えられるのだ。今私の中にある悲しみも、祝祭に変えられることを期待し、待とう。

Prayer(祈り)


イエス様、あなたの喜ばれる人格に心の底から変わりたいです。善人の振りをして生きることはもう意味を見いだせません。私を変えて下さい。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。

神様の喜ぶ働き(ゼカリヤ4:8-10)

Scripture(聖書の言葉)


8 私は主から次のような別のことばを示されました。 9 「ゼルバベルは神殿の土台を据え、それを完成させる。その時あなたは、これらのことばが全能の主である神からのものであったことを知る。 10 これを小さなことと考えてはならない。主はその仕事が始まり、ゼルバベルの手に重りをつけた糸があるの見て喜んでいる。七つのともしびは、世界中を見渡す主の目を表すからだ。」

Observation(観察)


ゼカリヤに語られたゼルバベルの働きについて、その神殿再建の働きの第一歩を神は喜ばれた。小さな一歩であっても神の目には重要なことがある。私たちにとって小さく見える事柄も、神が大きく用いて下さるのかもしれない。大事なことは誠実に、愚直に続けることだ。

Prayer(祈り)


イエス様、人間の目には小さな働きでも、神様の目には重大な一歩がある。ただ人間の目にはどれがそれであるかは分からない。ただ一つ一つを誠実に進めます。助けて下さい。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。

御言葉を実行する難しさ(ルカ11:27-28)

Scripture(聖書の言葉)


27 こう話しておられると、群衆の中から、一人の女が感きわまって叫びました。「あなたのお母様はなんと幸せな方でしょう! あなたを宿したお腹、あなたの吸った乳房はなんと祝福されているでしょう!」 28 しかしイエスは、「そのとおりです。でも、神のことばを聞いて、そのとおり実行する人のほうが、もっと祝福されているのです」と言われました。

Observation(観察)


祈りについて、悪霊の追い出しについてのお話しをされるイエス様に対し、感動した女性がイエス様を産み育てられたマリアが如何に祝福された存在かと感銘を宣べた。イエス様はそれを否定はせず、続けて「でも、神のことばを聞いて、そのとおり実行する人のほうが、もっと祝福されているのです」と言われた。神の言葉をそのまま実行すること、すなわち、神を愛し、(往々にして関係がうまくいっていない)隣人を愛することは時として困難だ。それでも愛する事は第一の命令だ。どのようにすれば実現できるであろうか。

Application(適用)


上っ面の愛情などは簡単に表現できる(そして簡単に剥げる)。イエス様が求めているのは心から(気に入らない人でも)愛する事だ。正直難しいことだが、トライし続けよう。

Prayer(祈り)


イエス様、人を愛することは本当に難しいです。それでも第一の命令として下さったのですから精一杯トライしてゆこうと思います。人間の力では無理と心の底から悟った時に、神様が代わりにやって下さるのかもしれません。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。

隣人とは誰か(ルカ10:25-29)

Scripture(聖書の言葉)

25 ある日、律法の専門家がやって来て、イエスを試そうとしました。「先生。お聞きしたいのですが、永遠のいのちを受けるには、何をしたらよろしいでしょうか。」 26 「モーセの律法には、何と書いてありますか。」 27 「『心を尽くし、たましいを尽くし、力を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい』(申命6・5)、それに、『自分自身を愛するように、あなたの隣人を愛しなさい』(レビ19・18)とありますが。」 28 「そう、そのとおりにすればいいのです。そうすれば、永遠のいのちを得られます。」 29 しかし律法の専門家は、自分がある人々を愛していないことを正当化しようと、「隣人とはだれのことですか?」と聞き返しました。

Observation(観察)

律法の専門家はイエス様を試そうとして問いを発したが、その問いは知恵の有る物であった。「永遠の命を受ける方法」であり、自らその答えを宣べている。「神を愛すること」「自分自身の様に隣人を愛する事」しかし彼はこの答えを100%飲み込めない。隣人の対象を限定しようとしたのだ。

私たちも全ての人々を愛することは出来ない。これは大きな問題だ。全てのクリスチャンが全ての人を本当に愛していたら、天の御国はとっくにきていただろう。だからこそチャレンジがある。気に入らない人にでも少しだけ近づいてみよう。

Prayer(祈り)

イエス様、正直に言えば苦手な人は教会の中にも外にもいます。そのような人にも謙遜な物になって少しずつ近づけますように。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。

イエス様について行く(ルカ9:23-25)

Scripture(聖書の言葉)


23 それから、一同に言われました。「いいですか。わたしについて来たい人はだれでも、自分のつごうや利益を考えてはいけません。日々自分の十字架を背負い、わたしのあとについて来なさい。 24 自分のいのちを救おうとする者は、かえってそれを失います。ですが、わたしのために自分のいのちを捨てる者は、それを救うのです。 25 人はたとえ全世界を手に入れても、自分自身を失ってしまったら何にもなりません。

Observation(観察)


何故クリスチャンを長年続けているかを考える。教会に居ることが何かの利益になっているからだろうか?居心地が良いからだろうか?そうではない、イエス様について行く生き方を自分の生きる道と決めたからだ。教会にどのように関わるかは二次的なものだ。自分の負うべき十字架、くびきをよく考え、それを追ってキリストに倣って生きてゆこう。

Prayer(祈り)


イエス様、あなたに従うことをいつも選びたいです。見失ってしまうことも多いのですが、それでも精一杯お従いします。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。

定まらない心(ルカ8:11-15)

Scripture(聖書の言葉)


11 さて、このたとえの意味を説明しましょう。種とは神の教えのことです。 12 ある種が落ちた道ばたとは、神のことばを聞いても、受け入れない頑固な心を表します。やがて悪魔が来て、それを持ち去り、信じて救われるのをじゃまするのです。 13 次に、土の浅い石地とは、喜んで教えは聞くものの、ほんとうの意味で心に根を張らない状態のことです。教えられたことはいちいちもっともだと納得し、しばらくの間は信じているのですが、迫害の嵐がやってくると、すぐにぐらついてしまうのです。 14 いばらの中の種とは、聞いて信じても、その後、いろいろな心配事や金銭欲、また人生のさまざまな重荷や快楽などに、信仰を妨げられてしまう人のことです。これでは、せっかく教えを聞いても、実を結びません。 15 良い土壌とは、素直で正直な心の人を表します。こういう人は、神のことばを聞くと、それをしっかり守り、実を結びます。」

Observation(観察)


四種類の地に落ちた種についての例えについて、弟子の求めに応じてイエス様は説明をなさっている。神の言葉を受け入れない頑なな心、浅い信仰しか持てない心、心配事や欲望で信仰を妨げられてしまう心、最期に素直で正直に御言葉を受け入れる心だ。人間の心は揺れ動く。四種類の心をいつも入れ替わって生きているのではないだろうか。心を定めてイエス様に従う人々を何人も見てきた。困難な状況においても挫けず御言葉を血が出るほど握りしめて前進してきた人たちだ。このような人々を心から尊敬する。後に続く者になりたい。

Prayer(祈り)


イエス様、心を定めないままイエス様の後をだらだらとついてきたように思います。もう心を定める時が近いようにも思います。決心とコミットメントは自分に課せられています。この選択を助けて下さい。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。

泣く女と共に(ルカ7:36-38)

Scripture(聖書の言葉)


36 あるパリサイ人から食事に招待されたので、イエスはその家に入りました。一同が食卓に着いていると、 37 町の女が一人、高価な香油の入った美しいつぼを持ってやって来ました。この女は不道徳な生活をしていました。 38 女は部屋に入るなり、イエスのうしろにひざまずき、さめざめと泣きました。あまり泣いたので、イエスの足が涙でぬれるほどでした。女はていねいに自分の髪でイエスの足の涙をぬぐい、心を込めて足に口づけしてから、その上に香油を注ぎかけました。

Observation(観察)


この箇所は高価な香油をイエス様に注いだ女の話として有名だが、その前に彼女が取った行動に目を向けたい。「女は部屋に入るなり、イエスのうしろにひざまずき、さめざめと泣きました。」とある。
何故彼女は泣いたのか。どうしようもなく犯していた罪の解決を求めて泣いたのであろうか。私はこう考える。圧倒的な神の臨在に触れる時、人間の罪も善行もなく、ただ感動に泣くばかりなのではないだろうか。少なくとも私がその場に居たら、一緒に跪いて泣くだろう。イエス様と自分との聖さのあまりの違い、霊的な距離と、にもかかわらず人間として近づくことの出来る恵みは、もはや人間の普通の感情表現では表せないものでは無いだろうか。

Prayer(祈り)


イエス様、何か出来ると高慢になっているより、この女と一緒になって泣く方を選びます。神を神とすることを忘れず、その神が人となって下さった事を忘れず、神に感動する者として下さい。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。

悔い改める心を(ルカ6:41-42)

Scripture(聖書の言葉)


41 また、自分の目に大きなごみが入っているのに、どうしてほかの人の目の中にある、小さなちりを気にするのでしょう。 42 自分の目の大きなごみで、よく見えもしないのに、どうして、『あなたの目にごみが入ってるから、取ってあげよう』などと言うのでしょう。偽善者よ。まず自分の目のごみを取り除きなさい。そうすれば、はっきり見えるようになって、ほかの人の小さなごみを取ってあげることもできるのです。

Observation(観察)


大きなごみが目に入っている人が、他の人の目に入っているちりを気にしてしまう。他人の言動をさばきたくなるのは、自分の中の罪を直視することを避けているからではないだろうか。私はそうなりがちな癖を持っている。人の言動の背後にある思想や経験をいつも想像してしまう。この性質をなんとかしたい。人の言動が気になったら自分が悔い改める機会と考えよう。

Prayer(祈り)


イエス様、他人に文句ばかりを言っていた私ですが、自分の罪に向き合うことを見失っていました。これからは誰かが気になる言動をしたら自分が悔い改める機会としたいです。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。