知恵と神を求める(Ⅰ列王記3:9-13)

Scripture(聖書の言葉)

9 どうか、民を正しく治め、善悪をはっきり見分けるために、すぐれた判断力と聞き分ける心とをお与えください。いったいだれが、自分の力でこれほどの重い責任を果たせるでしょう。」

10 ソロモンが知恵を願い求めたので、主はことのほか喜びました。 11 そこで、こう答えました。「あなたは民を正しく治める知恵を求め、長生きすることや財産、または敵に勝つことを願わなかった。 12 したがって、望んだものを与えよう。しかも、ずば抜けた知恵を。 13 また、望まなかった財産と名誉も与えよう。あなたが生きている間、財産と名声であなたにかなう者はだれもいないだろう。

Observation(観察)

ソロモンがギブオンの丘で生け贄を捧げたとき、主が幻のうちに現れ、ソロモンに何を望むか尋ねられた。その問いにソロモンは王として民を治める知恵を主に求めた。その答えに主は喜ばれたとある。
知恵を求めることは、神の真理を求めることに等しい。神の英知を知ることはこの世の理を理解する事と同義だ。箴言3章に「主は知恵をもって地の基を定め、英知をもって天を堅く立てられた。」とあるとおりだ。
ソロモンは最終的に神への信仰を歪めてしまったが、私たちは知恵を求めると同時に、愚直に神を求め続ける者でありたい。知恵によって辿り着ける境地は確かにあると思うが、そこで誰に会うのか、そこが誰の物なのかを見失ってはならない。


Prayer(祈り)

イエス様、ソロモンのように知恵ある物となりたいですが、それ以上にあなたに従う者でありたいです。パウロが敢えて愚かさを選ぶと言ったように、神に従うという一点においては愚直でありたいです。
イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。

迫害の中でも神は働かれる(Ⅱテサロニケ6:6-7)

Scripture(聖書の言葉)

6 あなたがたを迫害する者たちには、その報いとして、さばきが下されます。 7 そういうわけで、苦難のただ中にある、あなたがたに言っておきます。主イエス・キリストが力ある天使たちを従えて、燃え立つ炎の中に天から姿を現される時、神はあなたがたにも私たちにも、休息を与えてくださるのです。

Observation(観察)

クリスチャンになった私たちには、多かれ少なかれの迫害がある。他宗教を信じる人からの攻撃もあれば、歴史的な誤解、偏見も理由にあるだろう。しかしそれでも二千年間キリスト教人口は増え続けている。科学技術が発達し、人々の心が神から離れると予測した学者が居たが、現実はその反対だ。世の中の複雑さが増すほど人々は神の介入を求めている。神に創られた人間の心の根底に神を求める心が植え付けられているのであれば、時代も場所も変わっても私たちは神を必要とし続けるだろう。また人間の原罪が変わらない以上救いを求める思いもあり続けるだろう。数千年後、想像も付かないところに人類の生存環境は変わっているかもしれない。それでも神と人の関係は変わらない。


Prayer(祈り)

イエス様、二千年間世の中は激しく変わってきました。これからも更に変わってゆくかもしれません。勿論その前に再臨があるかもしれませんが、どのような時代にも神の救いがあることを信じ感謝します。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。

善意の人(Ⅰテサロニケ5:12-13)

Scripture(聖書の言葉)

12 皆さん。あなたがたの間で一生懸命働き、何かまちがいがあれば親身になって忠告してくれる人たちを尊敬しなさい。 13 その人たちは、何とかしてあなたがたの手助けをしようとしているのですから、彼らを認め、心から愛しなさい。くれぐれも言っておきますが、争いなど起こさないようにしてください。

Observation(観察)

パウロは人を助けようと一生懸命になっている人を尊敬し、大事にしなさいと言っている。世の中には自己本位な人もいれば、利害が一致するときだけ協力的な人も居る。極まれに、本当に人を案じ、手を差し伸べてくれる人が居る。その様な人こそ本当に大事にしなければならない人だ。厳しい世の中で表面だけの冷たい人間関係の中に生きている私たちは、時に人の善意が理解できない事がある。何故私を助けてくれようとするのか、理解が追いつかないのだ。
これは心の傷とも認知の歪みとも言われる物なのかもしれない。出来れば教会という群れがその歪みを回復して下さる場であってほしい。


Prayer(祈り)

イエス様、本当にまれですが善意の人というのは存在することを知りました。裏切りと嘲笑を浴びる生涯でしたが、神様の遣わされる人を見極め、大事にしたいと思います。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。

召された場所(Ⅰ歴代誌25:4-7)

Scripture(聖書の言葉)

4-5 王の側近の祭司ヘマンの指揮下に置かれたのは、彼の子ブキヤ、マタヌヤ、ウジエル、シェブエル、エリモテ、ハナヌヤ、ハナニ、エリヤタ、ギダルティ、ロマムティ・エゼル、ヨシュベカシャ、マロティ、ホティル、マハジオテ。神はヘマンに、この十四人の息子のほかに三人の娘を与えました。 6-7 彼らの務めは、シンバルや竪琴や琴の伴奏で歌って主に仕えることでした。彼らの神殿での奉仕は、王と彼らの父の指導のもとでなされました。彼らとその家族はみな、主にささげる賛美の訓練を受け、全部で二百八十八人になる彼らの一人一人が音楽の達人でした。

Observation(観察)

賛美という奉仕は教会の中でも特殊な物だ。歌や奏楽という技術は一朝一夕に身につくものでは無いし、鍛錬が必ずしも実を結ぶというものでも無い。また理論的な部分とその状況に応じて演奏を変えてゆく臨機応変さが必要だ。神殿での奏楽者二百八十八人は皆音楽の達人であった、と書かれている。奏楽に限ったことではないが、善意や努力だけではどうしようもない世界がある。だからこそ自分が置かれている場所を大事にしたい。

Application(適用)

現在ギターを弾かせていただいているが、自分の実力の足り無さを感じることが多い。本当にここに居て良いのか今も疑問に思っている。だからといっていい加減な演奏を捧げるわけにはいかない。最大限の準備と努力を持って日曜日に臨もう。

Prayer(祈り)

イエス様、もう奏楽で失敗したくありません。助けて下さい。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。

悔い改めた跡に神の神殿を建てる(Ⅰ歴代誌22:1)

Scripture(聖書の言葉)

そこで、ダビデ王は言いました。「このオルナンの打穀場こそ、主の神殿を建て、イスラエルの焼き尽くすいけにえをささげる祭壇を築くのにふさわしい場所だ。」

Observation(観察)

ダビデが神の望まれない人口調査を行い、神の裁きがイスラエルに及んだ後、悔い改めたダビデに対し、神は預言者ガドを通し、オルナンの打穀場で祭壇を築き生け贄を捧げるよう命じられた。

ダビデはこの場所を買い取り、祭壇を築き生け贄を捧げたとき、神の裁きは止んだ。

ダビデはこの地に神殿を建てることを決意する。ダビデの最大の罪に対しての購いがなされた場所を、神の住まう場所にしようと考えたのだ。

罪の悔い改めから新しい働きが始まるときがある。たとえ今が焼け野原のような状況であっても、神に向かうならば新たな芽吹きが起こるのだ。

Prayer(祈り)

イエス様、ダビデの罪は彼の人生にとって大きなマイナスでしたが、そこから新しい働きが始められ、プラスに転じることを見ました。今の状況が厳しくても、神の恵みを見つけ出せるようなへりくだった思いを下さい。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。

仲間を迫害する(Ⅰテサロニケ2:14-16)

Scripture(聖書の言葉)

14 皆さん。あなたがたはユダヤの諸教会と同じ苦しみを味わっています。つまり、彼らが同胞のユダヤ人に苦しめられたように、あなたがたも同国人に迫害されているからです。 15 ユダヤ人たちは、自分たちの預言者を殺したばかりか、主イエスさえも手にかけてしまいました。そして今は、私たちにも激しい迫害の手を伸ばし、追い出してしまったのです。その上、神にも人間にも敵対して、 16 外国人への伝道を妨害しています。彼らは、外国人はだれも救われてほしくないのです。このようにして罪に罪を重ねた彼らに対して、神の怒りがついに爆発しました。

Observation(観察)

パウロは同胞への迫害について述べている。かつてユダヤ人がイエス様に、そして弟子達に対して行った迫害と同様、テサロニケの人々も同国人に迫害されている、とある。

組織が一定以上に成長すると、同時に腐敗が始まる。組織内の各部門が一定期間成立し続けると、特定の人々を排除して組織を維持しようとする。会社であっても教会内の組織にも似たような事が起きる。人間の原罪の醜い側面と言っても良いかもしれない。これが始まったなら、組織の管理者は全力で組織の回復に努めなければならない。とくに教会においては、互いに和することが原動力だ。反目は神の臨在を失い、組織全体の自己崩壊を招いてしまう。

Prayer(祈り)

イエス様、これまで沢山の組織を見てきましたが、平和に維持されている群れはまれでした、今居るところが願わくば平和でありますように。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。

福音を聞き流さない(Ⅰテサロニケ1:4-5)

Scripture(聖書の言葉)

4 愛する皆さん。あなたがたが神に選ばれ、愛されていることを、私たちはよく知っています。 5 それは、私たちが伝えた福音(イエス・キリストによる救いの知らせ)を聞き流さず、非常な関心をもって迎え入れた態度から明らかです。私たちが語った教えは、あなたがたの人生に重大な影響を与えました。聖霊によって、これこそ真理だという確信があなたがたに与えられたからです。

Observation(観察)

世の中には膨大な情報が流れている。テレビ、書籍、そしてインターネット。とくにインターネットの登場は爆発的な情報量の増大をもたらした。同時にそれは真実と嘘が入り交じった者である。私たちに求められるのは膨大な情報の渦から真実を見つけ出すこと、私たちにとって必要な情報を受け取ること。そして不必要な情報を受け流すことである。

パウロは、福音についてテサロニケの人々に対し、「私たちが伝えた福音を聞き流さず、非常な関心をもって迎え入れた」と賞賛している。彼らが福音を受け入れることが出来た秘訣は何であったのだろうか、それは「聖霊によって、これこそ真理だという確信があなたがたに与えられたからです。」とパウロは語っている。これだ!と人生の選択をする背後には聖霊様の促しがある。私たちがイエス様を信じようとした背後にも、聖霊様のお働きがあったのだ。そしてこれからの人生に於いても、沢山の取捨択一をしてゆかなければ成らない。人間の知恵だけではそれを正しく行うことは不可能だ。聖霊様の助けをいつも求めて行こう。

Prayer(祈り)

イエス様、この数十年で世の中は大きく変わり、情報が本当にあふれる世の中になりました。そのなかで神様が喜ばれる選択が出来ますように、聖霊様の助けを求めます。どうぞ私の心に働きかけて下さい。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。

嘆くダビデ(Ⅱサムエル19:1-4)

Scripture(聖書の言葉)

王がアブシャロムのために悲嘆にくれているという知らせが、やがてヨアブのもとにも届きました。 2 王が息子のために嘆き悲しんでいると知って、その日の勝利の喜びはどこかに消え、みな深い悲しみに包まれました。 3 兵士たちは、まるで負け戦のようにすごすごと町へ引き揚げました。 4 王は手で顔を覆い、「ああ、アブシャロム! ああ、アブシャロム、息子よ、息子よ!」と泣き叫んでいます。

Observation(観察)

ダビデの嘆きは、納得できる部分もある。単に息子に反旗を翻され、それを討った、という話ではなく、長年の行き違いと確執の果てに、十分にコミュニケーションを取れず、悲劇的な死を息子に与えたのだ。

どうしようもない二者択一を迫られる時が、人生には何度もある。その様な時の唯一の判断基準は神の使命に沿っているかどうかだ。

情に流されることは人間的には正しいことのように思うが、時には厳しい判断もしなければならない。その痛みは負わねばならない、が、同時に神の計画にあるのなら慰めも必ずあると信じたい。

Application(適用)

情に流されて、あるいは自分かわいさの選択をして失敗したことが何度もある。その様な時は神を見上げることをしなかった。神の御心は何かを求めて決断をしよう。

Prayer(祈り)

イエス様、人間的な弱さもあなたは愛されますが時には厳しさも求められます。苦しい決断でも神の前に正しい行動を取るとき、全てがうまくゆく事を信じます。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。

すれ違いの結末(Ⅱサムエル18:32-33)

Scripture(聖書の言葉)

32 「それで無事なのか!? 息子のアブシャロムは。」

「あなたに敵する者に、あの方の姿はよい見せしめとなりました。」

33 すると王の目から涙があふれ、彼は門の屋上に上り、そこで泣き叫びました。「ああ、アブシャロムよ。わが子、アブシャロム! こんなことなら、私が代わって死ねばよかった。ああ、アブシャロム。ああ、わが子よ!」

Observation(観察)

ダビデとアブシャロムのすれ違いは単なる親子関係の問題では終わらず、アブシャロムの反乱と多くの国民の血が流れる事態となった。この原因をダビデ親子の関係の問題という人もあれば、アブシャロムの野心と父にこちらに向いてほしいという願いが入り交じったという解釈の人も居る。

いずれにしても正しいコミュニケーションが取れなければ人間関係はヒビが入り、やがて取り返しの付かないことが起きるということだ。

Application(適用)

私だったらどうなるか・・多分黙って身をひいて、その人の前にはもう姿を現さないであろう。これまでもそうだった。イエス様に変えて下さいと随分願っているがこの弱さはなかなか解消されない。自分で自分を変えることは不可能だ。イエス様に変えていただきたい。そして、出来ることならば誤解や痛みのない人間関係の中に置いてほしい。

Prayer(祈り)

イエス様、いまも人間関係の苦しさの中にいます。助けて下さい。きれい事は言えません。ただ助けて下さい。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。

いつも祈ろう(マタイ25:36-40)

Scripture(聖書の言葉)

36 それからイエスは、弟子たちを連れて、木の茂ったゲツセマネの園に行かれました。そして弟子たちに、「わたしが向こうで祈っている間、ここに座って待っていなさい」と言い残し、 37 ペテロと、ゼベダイの子ヤコブとヨハネだけを連れて、さらに奥のほうへ行かれました。その時です。激しい苦悩と絶望がイエスを襲い、苦しみもだえ始められました。
38 「ああ、恐れと悲しみのあまり、今にも死にそうです。ここを離れずに、わたしといっしょに目を覚ましていなさい。」
39 三人にこう頼むと、イエスは少し離れた所に行き、地面にひれ伏して必死に祈られました。「父よ。もしできることなら、この杯を取り除いてください。しかし、わたしの思いどおりにではなく、あなたのお心のままになさってください!」
40 それから、弟子たちのところへ戻って来られると、なんと、三人ともぐっすり眠り込んでいるではありませんか。そこで、ペテロを呼び起こされました。「起きなさい、ペテロ。たったの一時間も、わたしといっしょに目を覚ましていられなかったのですか。 41 油断しないで、いつも祈っていなさい。さもないと誘惑に負けてしまいます。あなたがたの心は燃えていても、肉体はとても弱いのですから。」

Observation(観察)

十字架での死を前にし、イエス様は苦悶しながらその使命を果たすべくゲツセマネの園で祈られた。弟子達には離れたところで待つように言い残された。また「目を覚ましていなさい」と言い残された。そのような大事な時にもかかわらず弟子達は極度の睡魔に襲われる。イエス様は二度彼らを起こしたが、結局彼らは起きていることが出来なかった。ペテロに対しイエス様は「 41 油断しないで、いつも祈っていなさい。さもないと誘惑に負けてしまいます。あなたがたの心は燃えていても、肉体はとても弱いのですから。」

私にも経験があるが、極度のストレスに追い込まれると、人間は眠ること以外出来なくなる。体の活動を最小限にして事態をやり過ごすことを選んでいるのかもしれない。しかしイエス様は「いつも祈っていなさい。さもないと誘惑に負けてしまいます」と教えられた。現実は眠っていても改善しないことがほとんどだ。ならば積極的に神に介入していただくよう、祈りを選択すべきなのではないだろうか。

「あなたがたの心は燃えていても、肉体はとても弱いのですから。」ともイエス様は言われた。例え眠り込んだり失敗したとしても。いまだ私たちの心が燃えていることをイエス様は否定されなかった。祈りによって肉体は奮い立たせることが出来、誘惑に打ち勝つことが出来るのだ。

Prayer(祈り)

イエス様、肉体の弱さを数多く体験してきました。弱さを覚えるとき、祈りを選択できるようにこの御言葉を心に刻みたいです。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。