Scripture(聖書の言葉)
29-30 刑場のそばを通りかかった人たちは、大げさな身ぶりで、「神殿を打ちこわして三日で建て直すんだってなあ。そんなに偉いなら、たった今、十字架から降りて来いよ。自分を救ったらどうなんだ!」と、口ぎたなくイエスをののしりました。 31 祭司長やユダヤ人の指導者たちも、同じようにあざけりました。「人を救っても、自分は救えないというわけか。」 32 「キリスト様。イスラエルの王様。十字架から降りてみろ。そうしたら信じてやろうじゃないか。」イエスの両側で十字架につけられていた強盗までが、悪口をあびせました。
Observation(観察)
十字架にかかったイエス様はあざけりを受けた。なかでも「人を救っても、自分は救えないというわけか。」という言葉は印象的だ。イエス様の救いは自分のためではなかった。自己が犠牲となり神との和解を人々ができるようになるためであった。ここでイエス様が神の予定に従うのを止め、十字架を降りたらどうなるだろう。救いの計画は中断され、何百億あるいはそれ以上の人々の魂は失われてしまう。イエス様の十字架にはそれだけの数の命が架かっていたのだ。
Application(適用)
福音のために困難や迫害を受けることは必ず受ける。しかしその代償は多くの人々のたましいだ。困難をこえて使命を果たそう。
Prayer(祈り)
イエス様、あなたの十字架の重さを思い知らされます。そこには私の命が架かっていたと分かりました。あなたに感謝します。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。