肉の古い性質に死ぬ(ローマ6:6-8)

Scripture(聖書の言葉)

6 私たちの中にある古い性質の自分が、キリストと共に十字架につけられたのは、罪を愛する体が砕かれ、もはや罪の支配を受けず、二度と罪の奴隷にならないためです。 7 罪に対して死んだ者は、どんな罪の誘惑や力からも自由にされるのです。 8 罪を愛する古い性質がキリストと共に死んだのですから、確かに私たちは、キリストの新しいいのちを共有しているのです。

Observation(観察)

私たちが信仰を告白した瞬間、イエス様の十字架に、私たちの古い性質がともにつけられたことが霊の世界で、信仰の世界で事実となる。肉の古い性質、罪を愛する性質はもはや死んだと信仰を持とう。代わりに私たちはイエス様の新しいいのちを頂いているのだ。罪よりも神を愛する生活をしよう。

Prayer(祈り)

イエス様、古い性質がまだ生きていると思わせられるときがあります。その惑わしにまけず信仰の選択をし、イエス様の新しいいのち、性質を頂いていると告白しそのように生きたいです。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。

神の愛(ローマ5:3-5)

Scripture(聖書の言葉)

3 ですから私たちは、さまざまの苦しみや困難に直面した時も喜ぶことができます。それによって忍耐を学ぶからです。 4 忍耐によって私たちの品性が磨かれ、さらに、それによって希望が与えられるのです。こうして、私たちの希望と信仰は強められ、どんなことにも動じなくなるのです。 5 この希望は失望に終わることはありません。それは、神が聖霊を与えてくださり、その聖霊が私たちの心に神の愛を満たしてくださっているからです。

Observation(観察)

苦しみや困難をパウロは喜ぶことができる、と言っている。それによって忍耐を学び、品性が磨かれ、そこから希望が与えられる。この希望を支えているのが聖霊様だ。聖霊様は私たちの心に神の愛を満たして下さっている、とも書かれている。満たすようになる、ではなく完了形で、満たして下さっている、なのだ。私はこの事に信仰を持とう。

Application(適用)

神の愛が私のうちにあるということは考えたことがなかった。しかし聖霊様を受け入れるなら、それは神の愛を内に宿すことと同義なのだ。この事を信仰を持って受け入れ、喜ぼう。

Prayer(祈り)

イエス様、聖霊様によって神の愛が私の内にあることを知りました。これからは私ではなく神の御愛が私の人生の表面に表れますように。また内面も深く変えて下さいますように。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。

信仰義認(ローマ4:21-24)

Scripture(聖書の言葉)

21 彼は、神の約束はどんなことでも実現すると堅く信じました。 22 この信仰のゆえに、神は彼を義と認められたのです。 23 しかし、「彼は信仰によって神に義と認められた」と書かれたのは、ただアブラハムのためだけでなく、 24 私たちのためでもあったのです。それは、主イエスを死者の中から復活させた神の救いの約束を信じるなら、アブラハムと同様に、神は私たちも受け入れてくださることを保証しています。

Observation(観察)

アブラハムの信仰は「神の約束はどんなことでも実現する」と言う物であった。この信仰を神は喜び彼を義とされた。私たちは福音をどのように信じているだろう。救われているかもしれない、そうでも無いかもしれない、といういい加減な態度をもっているかもしれない。しかし神の求めているのは、「必ず約束の通り救いに私はあずかる」という者だ。すべての行いも考えもこの一点から始まる。この点においては自分を打ちたたいてもしっかりした姿勢でいよう。

Prayer(祈り)

イエス様、福音と救いを疑う全ての惑わしから遠ざけてください、信仰を確立したいです。風に揺れる葦のようではなく、しっかりと根を下ろした大樹のような信仰者になりたいです。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。

心のうちを知っておられる主(1列王記8:37-39)

Scripture(聖書の言葉)

37 農作物の立ち枯れや、いなごや油虫の発生によってききんが起こったり、敵が攻めて来たり、また疫病や災害に襲われたり、そのほか、どんな問題が起こった時でも、 38 もし民が罪を悟り、この神殿に向かって祈るなら、 39 天で彼らの祈りを聞き、正直に罪を告白した人々を赦し、願いをかなえてください。あなたは、一人一人の心のうちを知っておられるからです。

Observation(観察)

神殿を奉献した際のソロモンの祈りの一部である。
人間には罪の性質があり、救われた後でもその性質はついて回る。私たちは赦された罪人であって、罪人であることに変わりは無いのだ。結果神の祝福を失うこともある。しかし恵みに満ちた神は悔い改めた者を赦し、回復して下さる。人間の弱さも、神にすがる僅かな信仰も、すべて神は知っておられ、人を赦し愛される。なんという大きな恵みだろうか。

Prayer(祈り)

イエス様、私はソロモンの祈りに出てくるような罪人の一人です。犯した全ての罪を悔い改めます。どうか回復して下さい。あなたは私の心をご存じです。弱さも、信仰もご存じです。あなたの恵みにすがります。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。

神に求められる人(ローマ2:29)

Scripture(聖書の言葉)

29 真のユダヤ人とは、心が神と正しい関係にある人のことです。神は、体の割礼を受けた人ではなく、心と思いが全く変えられた人を捜し求めておられるからです。そのような人こそ、人にはほめられなくても、神にほめていただけるのです。

Observation(観察)

神の約束にあずかる人とは、心が神と正しい関係にある人のことですとパウロは言っている。私たちはユダヤ人ではないが、心を神に向けて正すことが求められている。ユダヤ人には割礼という儀式がある。神に献げられたというしるしだ。私たちにとっての割礼とは、心が新しくなっているということだ。罪の誘いに負けず、神を選び神の正しさを喜ぶ、そのような人こそが神に求められる人だ。

Application(適用)

実際のところ、パウロの言うような人には私はほど遠い。見栄っ張りで妬んでばかりで、自分の醜さに吐き気がする。しかしそのような私でさえイエス様は救って下さったのだ。毎日、少しずつで良いから自分を変えてゆこう。

Prayer(祈り)

イエス様、あなたの喜ばれる者になりたいです。生まれついての罪深い性質から救いだして下さい。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。

神を見いだす人(ローマ1:19-21)

Scripture(聖書の言葉)

19 なぜなら、彼らは神の真理について本能的に知っているからです。神が、この知識を彼らの心にお与えになったのです。 20 世界が創造されてからこのかた、人々は、天地や、神がお造りになったすべてのものを見て、神の存在とその偉大な永遠の力をはっきり知っていました。ですから、彼らには弁解の余地がありません。 21 彼らは、確かに神を知っているのです。

Observation(観察)

人間は元来、真理を本能的に知っている、とパウロは述べている。たしかに天体の動きや生き物たちの生態、一貫性のあるデザインを見れば、そこには創造主の存在を感じずには居られない。では何故彼らは神に帰らないのか、それは罪の誘惑によるものだ。罪に溺れ快楽をむさぼるためには、神の聖さ、厳かさを頭から否定しなければならない。逆説的に言えば、神を無いものとしなければ、彼らは罪に留まれないのだ。
一方で神を信じる者、神を見いだしたものには聖く歩む道が用意されている。勿論罪を犯すこともあるかもしれない。しかしイエス様という存在が罪の赦しの保証となって下さっている。ここまでして神は私たちを御自身の側に呼ぼうとされているのだ。神に従い、その道を行こう。

Prayer(祈り)

イエス様、真理の道を備えるとともに失敗したときの赦しまでも用意して下さる恵みに感謝します。あなたの拓かれた道を歩みます。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。

誠実に働く(2テサロニケ3:7-10)

Scripture(聖書の言葉)

7 どういう生活をすればよいかは、もうよくわかっているはずです。私たちは、そちらで、だらしのない生活をしたことはありません。それを手本にしてください。 8 私たちは、だれからも、ただでパンをもらいませんでした。だれにも負担をかけたくなかったので、必要な物は、昼夜働いて得た収入で手に入れました。 9 私たちにそれを要求する権利がなかったからではなく、自分の生活は自分で支えるという模範を、身をもって示したかったのです。 10 そちらにいた時にも、「働かない者は食べる資格がない」と教えたはずです。

Observation(観察)

パウロはしっかりした生活を送り、誠実に働くことを命じている。与えられた仕事に熱心に務めることは、神に対して奉仕することとおなじだ。逆に言えばこの世の仕事も誠実に出来ない者は神の働きをすることは出来ない。愚直に、誠実に働こう。

Prayer(祈り)

イエス様、仕事に対する考えを正されました。誠実に務めます。助けて下さい。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。

真理を求める(2テサロニケ2:8-11)

Scripture(聖書の言葉)

8 時が来れば、いよいよこの反キリストが現れることになりますが、主イエスが来られ、御口の息と輝きによって、彼を滅ぼしてしまわれます。 9 この反キリストは悪魔の手先であり、悪魔のあらゆる力を与えられてやって来ます。不思議なわざを見せては人々をだまし、力ある奇跡を行う者であるかのように見せかけるのです。 10 こうして、真理を拒んで滅びへの道を走る者たちを、すっかりとりこにします。その人たちは、真理を信じることも愛することもせず、救われようなどとは考えもしませんでした。 11 そこで神は、彼らがだまされるままに放っておかれるのです。

Observation(観察)

終末の兆候としての反キリストの出現が書かれている。反キリストに従う人の特徴として「 10 こうして、真理を拒んで滅びへの道を走る者たちを、すっかりとりこにします。その人たちは、真理を信じることも愛することもせず、救われようなどとは考えもしませんでした。」とある。真理を求めなければ反キリストに心を捕らわれてしまう。御言葉に親しみ、真理を求めよう。

Prayer(祈り)

イエス様、漫然と礼拝に通い、聖書を読んでいました。私に真理を求める思いを下さい。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。

神の羊(詩編95;7)

Scripture(聖書の言葉)

7 私たちは神の羊であり、神は羊飼いなのです。
今日、呼びかけられる声を聞いたなら、
神のもとへ行きましょう。

Observation(観察)

私たちを神は羊のように世話をして下さる。外敵から遠ざけ、囲いの中に入れて守り、油をすり込み虫の害からも守って下さる。羊のするべきことは、羊飼いの声を聞いてついて行くことだ。羊飼いの声を聴き分けるためには、普段から声を聞いていなければならない。すなわち、御言葉を開き黙想することだ。これを怠っては簡単に偽物に騙されてしまう。羊飼いにしっかりついて行く羊になろう。

Prayer(祈り)

イエス様、あなたについて行きたいと願います。呼んでください。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。

世の終わりに(1テサロニケ5:4)

Scripture(聖書の言葉)

4 しかし、皆さん。あなたがたはこのことについて、皆目わからない暗闇の中にいるわけではないのですから、主の日が来ても、強盗に襲われたようにあわてふためくことはありません。 5 あなたがたはみな、光の子ども、真昼の子どもであって、暗闇や夜に属する者ではないからです。

Observation(観察)

主の日、世の終わりについて恐れることは無いとパウロは言っている。主の日にさばかれるのは暗闇や夜に属する者であって、光の子どもはさばきの対象ではないからだ。この世の混迷の度合いは確実に増している。恐れがやってきてもそれを私たちは受け入れる必要は無い。終わりは起こるべくして起こるものだからだ。ただ神に信頼しよう。

Prayer(祈り)

イエス様、ニュースをみて怖くなることがあります。しかし神が全てを治めておられることを信じます。平安を下さい。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。