わたしの大祭司(ヘブル7:11-15)

Scripture(聖書の言葉)


11 もし、ユダヤ人の祭司と律法に私たちを救う力があるとしたら、なぜ神は、あえてアロンの位に等しい祭司〔ユダヤ人の祭司はすべてアロンの位を受け継いでいる〕ではなく、メルキゼデクの位に等しい祭司であるキリストをお立てになったのでしょうか。 12-14 新しい家系の祭司が立てられる時、それを受け入れるために、律法も改められなければなりません。キリストがレビ族とは別の部族であり、モーセが祭司として任命したこともないユダ族の出身であったことは、周知の事実です。 15 そういうわけで、私たちは、これまでの神の秩序に大きな変更があったことを認めざるをえません。キリストが、メルキゼデクの位に等しい、新しい大祭司として立てられたからです。

Observation(観察)

レビ族の祭司は(アロンの子孫であるが故に)アロンの位の祭司であった。しかしイエス様はメルキゼデクの位に等しい祭司であるとされている。この訳では「12-14 新しい家系の祭司が立てられる時、それを受け入れるために、律法も改められなければなりません。」とある。イエス様はルール・チェンジャーとしての権威をお持ちの方なのだ。イエス様を私たち個々人の祭司として受け入れるとき、私たちを縛るルールも変えられる。罪と恐れによる支配から、愛と恵みによる赦しに変えられるのだ。悔い改めるなら私たちはいつでも、何度でもそれを手にすることが出来る。神の懐へ喜んで、安心して飛び込もう。

Prayer(祈り)

イエス様、メルキゼデクの位の祭司として、しかも私たちのための祭司として来て下さり感謝します。私たちの罪の赦しも、受け取る祝福も、ただあなたの故です。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。

神の約束を受け取るために(ヘブル6:11-12)

Scripture(聖書の言葉)

11 私たちは、あなたがたがこの世にあるかぎり人を愛し続けて、十分な報いを受けることができるようにと願っています。 12 最後まで希望を持ち続けるなら、信仰生活が怠惰に流れたり、無関心に陥ったりすることはありません。信仰と忍耐によって、神の約束なさったものを受け継ぐ人たちにならう者となってください。

Observation(観察)


ヘブル書記者は、神の報いは人を愛することで得られると示唆している。その報いが確かなものであると希望を持ち続ける事が、信仰生活を続ける秘訣だとも書かれている。
もちろん信仰生活は取引材料ではない。むしろ約束の地にたどり着くための道と表現した方が良いかもしれない。私たちは未だ道半ばである。しかしイエス様の示された愛に倣い、生きることが神の約束に近づく唯一の道なのだ。

Prayer(祈り)


イエス様、人を愛することは簡単ではありませんがイエス様が文字通り命がけで規範を示して下さいました。この道に生きるものとしてお従い出来ますように。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。

執り成して下さるイエス様(ヘブル5:7-10)

Scripture(聖書の言葉)

7 キリストはこの地上におられた時、死から救うことのできるただひとりの方に、うめきと涙とをもって祈られました。この祈りは、どんな場合にも神に従おうとする、キリストの謙遜で切なる願いのゆえに聞き入れられたのです。 8 イエスは神の子であるのに、神に従うことには多くの苦しみが伴うことを身をもって学ばれました。

9 この経験を通してご自分の完全さを実証し、その上で、ご自分に従うすべての人に永遠の救いを与える者となられたのです。 10 神がキリストを、メルキゼデクと同じ位に立つ大祭司としてお選びになったことを思い起こしてください。

Observation(観察)


この章では、大祭司としてのイエス様について語っている。大祭司は人間であるが故に他の人の痛みや失敗が理解でき、執り成すことが出来る。イエス様はゲッセマネで、人間として苦しみ、神の前に祈りを捧げ、神にお従いすること、すなわち十字架に架けられることを選んだ。「9 この経験を通してご自分の完全さを実証し、その上で、ご自分に従うすべての人に永遠の救いを与える者となられたのです。」イエス様の大祭司としての任職は、十字架刑のさなか、聖所と至聖所を分かつ幕が裂けたときに行われた。人間の大祭司は至聖所に一年に一度しか入れないが、イエス様はその隔てを破り、いつでも父なる神のそばにあって、人々の罪と弱さを執り成し続けて下さっているのだ。


Prayer(祈り)


イエス様、あなたが今も私の弱さと罪のための執り成しを父なる神様にして下さっていることを感謝します。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。

私たちの内に住まわれる神(ホセア11:9-11)

Scripture(聖書の言葉)

9 燃えるような怒りがあなたたちを罰するよう命じるが、
わたしは罰しない。
エフライムを滅ぼすのは、これが最後だ。
わたしは神であって、人ではないからだ。
わたしはあなたたちのうちに住む聖なる者であって、
滅ぼすために来たのではない。

10 人々は、主のあとについて歩くようになる。
わたしはイスラエルの敵に向かって
ライオンのようにほえ、
わたしの民は西方から震えおののきながら帰って来る。
11 鳥の群れのようにエジプトから、
鳩のようにアッシリヤからやって来る。
こうしてわたしは、彼らを再び家に住まわせる。
これは主からの約束である。」

Observation(観察)

旧約聖書のホセア書は堕落したイスラエルへのさばきの言葉が続いているが、この節には、ふと漏れ出るように神の心情が語られている。

「わたしはあなたたちのうちに住む聖なる者であって、滅ぼすために来たのではない。」

滅びを宣告し実行する対象に、「わたしはあなたたちのうちに住む」と未だ契約は破られていないと言われている。神は正義という本質の故にイスラエルを滅ぼされるが、愛という御性質の故に契約を破棄されることはない。罪を滅ぼす正義と約束の民への愛という二律背反をイエス様は十字架の死を持って解決された。

Prayer(祈り)

イエス様、父なる神様の御性質の完全な現れとして、かつ人間としてこの世に来て下さり、十字架の死を通して父なる神様の元に帰る道を示して下さり感謝します。その道を聖霊様と共に歩んで行けることを感謝します。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。

自分の心を見張る(ヘブル3:12-15)

Scripture(聖書の言葉)

12 皆さん。心が悪に染まって信仰をなくし、生ける神から離れることがないように、自分の心を見張りなさい。 13 まだ時間があるうちに、日々、互いにこのことを確かめ合いなさい。そうすれば、罪に惑わされて神に心を閉ざす人は一人も出ないでしょう。 14 もし私たちが、初めてキリストを信じた時と同じ気持ちで神に信頼し、最後まで忠実であれば、キリストにある祝福を受けることができるのです。 15 ですから、今この時がかんじんなのです。次の警告を、片時も忘れてはなりません。「今日、語られる神の声を聞いたなら、神の怒りを招いた時のように、心をかたくなにしてはいけない。」

Observation(観察)

罪の最も恐ろしいところは、神に心を向けなくなる事だ。アダムは知恵の木の実を食べた後、神から隠れた。もしも私たちの中に悔い改めていない罪があるなら、心が頑なになり、神の方を向かず、ますます罪に沈んで行く。ヘブル書では「罪に惑わされて神に心を閉ざす人」と表現されている。ヘブル書記者は「12心が悪に染まって信仰をなくし、生ける神から離れることがないように、自分の心を見張りなさい。 13 まだ時間があるうちに、日々、互いにこのことを確かめ合いなさい。」と呼びかけている。自分の心の状態をチェックすることと、互いに確かめ合うことで、神に対してオープンな心の状態を維持することが出来る。神に喜んで顔を向けることが出来る様、いま心を点検しよう。

Prayer(祈り)

イエス様、罪の中にいると心が暗くなり、どの方向を探してもあなたが見つからないような気がしたことを思い出します。悔い改めたときに初めて光が差したように感じました。いつでも悔い改める柔らかい心でいられますように。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。

いまも共におられるイエス様(ヘブル2:16-18)

Scripture(聖書の言葉)

16 私たちは、イエスが天使としてではなく、一人の人間、一人のユダヤ人として来られたことを知っています。 17 イエスは、あらゆる点で、兄弟である私たちと同じになることが必要だったのです。そうして初めて、イエスは、私たちにとってはあわれみ深く、神にとっては忠実な大祭司として、私たちの罪を取り除くことができたのです。 18 自ら試練と非常な苦しみを体験された主イエスだからこそ、試練にあえいでいる私たちを助けることがおできになるのです。

Observation(観察)

イエス様は人間としてこられた。人間としての弱さを持ちつつも神に従い抜く模範を示して下さったのだ。また人間として私たちの罪を身代わりとして受け取り、十字架にかかることで罪を購って下さったのだ。そのようなイエス様だからこそ今も試練の内にある私たちを気にかけて下さり、助けの手を延べて下さる。今困難や痛みの内にあるなら、イエス様に大胆に求めよう。

Prayer(祈り)

イエス様、あなたは今も私たちを憐れみ、気遣ってくださる方だと知りました。今の困難をイエス様に助けを乞います。痛いところも癒しを求めます。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。

神のご意志(ヘブル1:1-2)

Scripture(聖書の言葉)


神は昔、幻や夢や、時には直接の啓示などいろいろな方法で、預言者を通してご自分の計画を少しずつ明らかになさいました。 2 しかし今の時代には、ご自分の御子(イエス・キリスト)を通して語っておられます。

Observation(観察)


旧約の時代、神の意志は預言者を通して断片的に明らかにされてきた。しかし新約の時代はイエス様ご自身の存在、そしてイエス様が語られた言葉、さらにイエス様の御霊である聖霊様が神の意志を表して下さる。

Application(適用)


今この時代だからこそ、この三つの方法すべてで神の意志が表されている。しかし受け取る側がそれを無視したり、曲解したりしては台無しになってしまう。御言葉を正しく受け取れるよう祈ろう。

Prayer(祈り)


イエス様、御言葉を通して神様のご意志がどのようなものなのか知ることが出来ますように。わたしに知恵を増し加えて下さい。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。

目が開かれるために(イザヤ1:8-10)

Scripture(聖書の言葉)


8 続いて主の声がしました。「だれをわたしの民への使いとしよう。だれが行ってくれるだろうか。」

「主よ、私が行きます。私を使いに出してください。」

9 「では行って、こう言うのだ。

『おまえたちは、わたしのことばを何度も聞くが、
悟ることがない。わたしが奇跡を行うのを何度見ても、
それが何を意味するのか理解することができない。』
10 彼らの理解力をにぶらせ、耳を閉じ、
目を見えないようにしなさい。
彼らには、見たり聞いたり悟ったり、
また病気を治してもらったりするために、
わたしのもとに戻ってほしくないのだ。」

Observation(観察)


イザヤに告げられた民への宣告は、神の意図を理解しようとしない民の態度をみて、霊的な耳と目を閉じてしまうというものであった。捕囚になって牽かれて行くまで民の目は開かれなかった。
時として神はご自身を気づかせるために荒療治をされる。逆にそこまでされなければ解らないほど、私たちの目は霞み、耳は遠くなってしまう事がある。

Application(適用)


私個人は2年前、本当に心身共に打ちのめされる経験を経て、ようやく神の元に返ってきた(礼拝には出ていたし奉仕もしていたが、神が第一の生活ではなかった)。いまは神に愛されることを受け入れ神を愛するものとなった。人生を通して体験する痛みは消して無駄ではない。傷つく度もっと神を愛し、神に愛されるものになろう。

Prayer(祈り)


イエス様、いまだ足りないものですが、それでも愛されていることを感謝します。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。

生活の土台に信仰を置く(ユダ20-23)

Scripture(聖書の言葉)


20 しかし、愛する人たち。あなたがたは、今のきよい信仰を土台として、自分の生活をしっかり打ち立てなければなりません。そして、聖霊の力と励ましを受けて祈り、 21 いつも神の愛のうちにいなさい。そうすれば、神から祝福がいただけます。永遠のいのちに至らせる、主イエス・キリストの恵みを待ち望みなさい。 22 偽教師の惑わしに悩まされ、神の真理を疑う人々を心にかけなさい。 23 そういう人々を、地獄の火から奪い取って救い出しなさい。あるいは、親切にして、彼らが主を見いだすよう助けてあげなさい。しかし、彼らの罪に引きずられてはなりません。罪人である彼らに心はかけても、罪そのものは憎みなさい。

Observation(観察)


聖書は私たちが神の祝福を得るために、私たちの生活を信仰を土台とすること、聖霊様の力と励ましを受けて祈ること、神の愛に留まることを命じている。信仰を土台にする生活とは何であろうか。それはイエス様の示された愛を受け入れ、またイエス様の命じられたように神と人を愛する生き方だ。私たちがこの世の基準で生きようとすれば、この土台は簡単に覆ってしまう。すでに私たちはこの世から切り離された存在だと理解しなければならない。私たちはこの世のものでは無く、神のものなのだ。

Prayer(祈り)


イエス様、神と人を愛するために、イエス様が模範を示してくださいました。イエス様について行くものでありたいです。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。

神の愛に生きる(テトス3:5-7)

Scripture(聖書の言葉)


5 神は、私たちの罪のよごれを洗い落とし、心に聖霊を遣わして、新しい喜びで満たし、以前の悲惨な生活から救い出してくださいました。それは、私たちに救われる資格があったからではなく、ただ、神のあわれみによるのです。 6 神は、私たちの心にこの聖霊を豊かに注いでくださいました。これは、救い主イエス・キリストが成し遂げてくださった救いがあるからこそ実現したのです。 7 こうして神は、私たちを、ご自分の目にかなった正しい者と宣言してくださったのです。これは、神の恵み以外の何ものでもありません。私たちは今、永遠のいのちを受け継ぐことを認められ、実際にそれをいただく日を、心から待ち望んでいるのです。

Observation(観察)


イエス様の救いがあってこそ、神は私たちに聖霊様を注いでくださった。今の私たちがあるのは三位の神が私たちを愛してくださっているからなのだ。ともすれば私たちはその様な資格はありませんと言ってしまいたくなるかもしれない。けれども神の愛は私たちの否定も拒絶も関係なく、ただ一方的に愛を注ぎ続けてくださる。そればかりか「ご自分の目にかなった正しい者と宣言してくださった」のである。クリスチャンであるということは神に愛されているものと宣言されているのと同義だ。何をもってしてもこの愛にお返しをする事などできない。ただその愛を受け入れ、その愛の中に留まろう。

Prayer(祈り)


イエス様、もはや多くの言葉はありません。ただあなたの愛の中に済、育まれ、変化される私でありますように、イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。