神に用いられたカヤパ(ヨハネ11:48-52)

Scripture(聖書の言葉)


48 このまま放っておいたら、国民一人残らずあの男を信じるようになってしまうぞ。そんなことにでもなったら、ローマ軍が踏み込んで来てわれわれを殺し、われわれの土地も国民も乗っ取るだろう。」 49 すると、その年の大祭司カヤパが、業をにやして言いました。「ばかを言うな。こんなこともわからないのか。 50 全国民の代わりに、彼一人に死んでもらえば事はすむのだ。国民全体が滅びるなんて、冗談じゃない。」 51 イエスが全国民の代わりに死ぬことを、大祭司が預言したのです。カヤパは別の動機から、無意識のうちに、そのように言ったのです。 52 これはイエスが、イスラエル人ばかりか、世界中に散らされているすべての神の子どもたちのためにも死んでくださるという預言でした

Observation(観察)


イエス様の行われた奇跡と評判について、ユダヤの議会はこのことがローマの侵略に繋がると懸念した。イエス様がメシヤであるかどうかという、もっとも重要な議題はもはや彼らにとって問題ではな苦なっていた。しかし大祭司カヤパは、期せずしてイエス様の死による人類の救いを預言した。彼の真意はイエス様の暗殺であったが、その意図をよそに、神は大祭司を用いられた。

神は秩序の神でもある。このような状況の中にあっても大祭司を選んでことばを与えられた。神は殺意を持ったカヤパの様な、どのような状況の人も用いることが出来るのだ。しかし、私たちは心を神に向け、正しい姿勢で神に用いられたい。

Prayer(祈り)


イエス様、神のご計画は変わらず確実に進みます。必要な時に人もその口も用います。わたしが用いられる時があるならば神に正しい姿勢でいたいと願います。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。

良い羊飼い(ヨハネ9:11-15)

Scripture(聖書の言葉)


11 わたしはまた、良い羊飼いです。良い羊飼いは羊のためにはいのちも捨てます。 12 雇い人は、狼が来れば羊を捨てて、すぐに逃げ出します。彼らは羊の持ち主でも、羊飼いでもないからです。こうして狼は羊にとびかかり、群れを追い散らしてしまいます。 13 雇い人はお金で雇われているだけで、羊のことをほんとうに心にかけているわけではないので、平気で逃げてしまうのです。 14 わたしは良い羊飼いであり、自分の羊を知っています。また、羊もわたしを知っています。 15 わたしの父がわたしを知っておられ、わたしも父を知っているのと同じです。わたしは羊のためにいのちを捨てるのです。

Observation(観察)


イエス様はご自身を良い羊飼いと称された。良い羊飼いは強盗や狼から責任と愛を持って羊たちを守り、良い牧場や水場に羊を連れて行き、必要な物をお与えになる。個々の羊を愛されると同時に、群れを守られる。私たちは羊と喩えられている。羊は視力が弱く、簡単に迷ってしまう。また外敵から身を守るすべがない。羊飼いのケアがいつも必要なのだ。いや、いまイエス様のケアを受けていることに気付こう。

Prayer(祈り)


イエス様、あなたによって今この瞬間も守られていることを感謝します。群れを離れて迷うことがないように、狼や強盗に襲われることがないように、助けて下さい。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。

心の目を開く(ヨハネ8:36-39)

Scripture(聖書の言葉)


36 「先生。どなたがメシヤ様なのでしょうか。教えてください。ぜひ信じたいのです。」 37 「もうその人に会っているのですよ。あなたと話しているわたしがメシヤなのです。」 38 「主よ。信じます。」男はそう言って、イエスを礼拝しました。 39 するとイエスは言われました。「わたしがこの世に来たのは、心の目の見えない人を見えるようにするため、また、見えると思い込んでいる人に、実は盲目だということをわからせるためなのです。」

Observation(観察)


イエス様によって目が見えるようにされた盲目の男は、ユダヤ人指導者達にイエス様を否定するように迫られたあげく、追放されてしまう。会堂からの追放は、すなわちユダヤ人社会からの追放を意味する。イエス様に再会した盲目だった男の信仰告白に対し、イエス様は、ご自身が来られたのは心の目が見えない人を見えるようにするため、また自分は見えると思っている者に実は彼こそ盲目であることを知らせるためだ、と言われた。たしかに、目を開かれた結果信仰に至った盲目の男と、自らを正義とし頑なにイエス様を拒んだユダヤ人指導者はこの章で大きなコントラストを描いている。

Application(適用)


自分の知識、経験、立場にあぐらをかいていた自分を恥ずかしく思う。むしろ目が見えなくてもそれを自覚し、謙遜だった盲目の男の様でありたい。

Prayer(祈り)


イエス様、いま自分が見えると思っていることこそが霊的盲目のしるしであると知りました。今見えていないことをどうか教えて下さい。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。

真理によって自由になる(ヨハネ7:30-36)

Scripture(聖書の言葉)


30-31 この話を聞いたユダヤ人の多くが、イエスをメシヤと信じるようになりました。その人たちにイエスは、「わたしが教えたとおりに生活すれば、ほんとうの弟子と言えます。 32 あなたがたは真理を知り、その真理があなたがたを自由にするのです」と言いました。 33 「おことばですが、私たちはれっきとしたアブラハムの子孫です。これまで、だれの奴隷になったこともありません。『自由にする』とはどういうことでしょう。」 34 「教えてあげましょう。あなたがたは一人残らず罪の奴隷なのです。 35 奴隷には何の権利もありません。しかし、主人の息子は別です。息子はありとあらゆる権利を持っています。 36 だから、神の子が自由にしてあげたなら、それでほんとうに自由の身になるのです。

Observation(観察)


「真理はあなた方を自由にします」とイエス様はユダヤ人達に言われた。しかし彼らは自分たちはすでに自由であると主張する。イエス様の答えは、罪を犯す者は全て罪の奴隷であり、そこから解放されるには奴隷の立場から自由になる必要があるということ、自由にする権利は神の子にあるということであった。

Application(適用)


私たちは日本の憲法によって、生まれながらにして自由であると教えられてきた。しかし、実際には自分のしたいことが罪の力によって歪められ、間違った方向に向かって生きるものになってしまった。
イエス様に従うことは自由を失うことではない。イエス様に従うことによって真理を知り、真理によって自由になるのだ。罪の束縛から解放されて本当に自分のしたいことが出来る様になるのだ。

Prayer(祈り)


イエス様、あなたが真理であり道です。あなたに従うことで私の生きるべき道が明らかになることを感謝します。罪は誘惑を繰り返しますが打ち払って行けますように。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。

神と人に仕える(2歴35:3)

Scripture(聖書の言葉)


3 それから、イスラエルの教師であるレビ人には、次の命令を出しました。「聖なる箱は、今はソロモンの神殿に置かれ、かついで、あちこちに持ち運ぶ必要はなくなった。だから、あなたがたの時間を、主と主の民に仕えるために用いなさい。

Observation(観察)


ヨシヤ王の改革の中で、レビ人に対し、元々の彼らの役割であった主の箱と天幕を運ぶ役割を解き、「あなたがたの時間を、主と主の民に仕えるために用いなさい。」と命じた。置かれるべき所に神の臨在があるなら、次に私たちは、仕える為に時間を用いるべきなのだ。

Application(適用)


荒野の40年間の間、レビ人は主の臨在を持ち運ぶという重要な役割を担った。私の人生はそのようなものではないが、神を求めて叫ぶ日々であったことは確かだ。もしも神の臨在を心に確かに感じるならば、私も仕える者に変えられたい。

Prayer(祈り)


イエス様、あなたの臨在を求めます。私の心をあなたの神殿として下さい。心をあなたが王として治めて下さい。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。

熱狂を離れて(ヨハネ6:11-15)

Scripture(聖書の言葉)


11 そこでイエスはパンを取り、神に感謝の祈りをささげてから人々にお配りになりました。また魚も、同様になさいました。みんなほしいだけ食べて、満腹しました。 12 イエスは弟子たちに言われました。「さあ、少しもむだにしないよう、パン切れを集めなさい。」 13 残りを集めると、なんと十二のかごにいっぱいになりました。 14 それを見た人々は、どんなにすばらしい奇跡が起こったのか初めて気づき、口々に、「この方こそ待ちに待ったあの預言者だ!」と叫びました。

15 人々は熱狂して、むりやりにでもイエスを王にまつり上げかねない勢いです。イエスはそっと抜け出し、ただ一人、山に登って行かれました。

Observation(観察)


パンと魚の奇跡を行われたイエス様に対し、民衆は喜び熱狂した。しかしイエス様の真意は民衆を満腹させることではなく、イエス様こそがいのちのパン、生きた御言葉であることを示すためであった。後の節でイエス様はその説明をなされるが、民衆も弟子すらもそれを理解する事は出来なかった。そのような民衆の中からイエス様は抜けだし、一人になることを選ばれた。祈るためである。イエス様は神と過ごすことの重要さをご自身の行動で示された。

Application(適用)


私たちは肉を持った人間であると同時に、神によって息を吹き込まれた霊的な存在だ。肉と霊が重なって同時に存在している、と言い換えても良い。食事によって肉体は満たされても、神と過ごすことがなければ霊は満たされない。イエス様がご自身を指して、いのちのパンと言われたのは、御言葉によって霊の養いを受けることの必要性を説かれたのだ。御言葉にもっと親しもう。

Prayer(祈り)


イエス様、この世で忙しく過ごすうち、あなたを見失い迷うことがあります。霊が弱るとますます肉に偏るように感じます。日々御言葉に親しむことであなたの所に戻ることが出来ますように。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。

イエス様と父なる神様(ヨハネ5:19-23)

Scripture(聖書の言葉)

19 イエスはお答えになりました。「よく言っておきます。子は自分からは何もできません。ただ父がしておられることを見て、同じようにするだけです。 20 父は子を愛して、自分のすることは何でも子に教えてくださるのです。神の子は、病気を治すということなどとは比べものにならない驚くべき奇跡を行います。 21 父が死人を生き返らせるように、子も、思うままに人を死人の中から生き返らせもするのです。 22 父は、罪のさばきをいっさい子に任せておられます。 23 すべての者が父を敬うように、子をも敬うためです。だから、父なる神がお遣わしになった神の子を敬わないのは、父を敬わないのに等しいのです。

Observation(観察)

ここでイエス様は、ご自身の行動原理は、神の意思をなすことだと明言された。病気の癒やしも、死者の復活も、ツァラアテのきよめも、父なく神様が私たちにしてくださりたいことを、イエス様がやってくださったのだ。私たちが受けたあらゆる恵みも、父なる神様とイエス様が共に望まれ、して下さった事なのだ。この二つの(聖霊様を入れて三つの)神を愛し、敬うことを信仰生活の土台にしよう。神を愛するとは、神の命令を守ると言うことだ。強いられてではなく、その意味をよく理解して、喜んで従う者になりたい。

Prayer(祈り)

イエス様、あなたと父なる神様は不可分な存在だとよくわかりました。あなたを敬い、従う時、父なる神様が栄光を受けられます。喜んで従うものとして下さい。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン

違いを越えて礼拝する(ヨハネ4:19-24)

Scripture(聖書の言葉)

「先生。あなたは預言者でしょう。 20 だったら教えてください。ユダヤ人は、礼拝の場所はエルサレムだけだと言いはるし、サマリヤ人は、私たちの先祖が礼拝したこのゲリジム山だと言っています。どうしてなのですか?」 21-24 「いいですか。父なる神を礼拝する場所は、この山か、それともエルサレムかなどと、こだわる必要のない時が来ます。大切なのは、どこで礼拝するかではありません。どのように礼拝するかです。霊的な、真心からの礼拝をしているかどうかが問題なのです。神は霊なるお方ですから、正しい礼拝をするには、聖霊の助けが必要です。神はそのような礼拝をしてほしいのです。あなたがたサマリヤ人は、神のことはほとんど何も知らないで礼拝していますが、私たちユダヤ人はよく知っています。救いはユダヤ人を通してこの世に来るのですから。」

Observation(観察)

サマリヤ人はユダヤ人の信仰を形式だけ伝承していた。イエス様は礼拝すべき場所を問うたサマリヤの女に対し、重要なのは、どこで礼拝するかではなく、どのような思いで礼拝するかなのだと答えられた。神は霊的存在であるから、礼拝するには聖霊様によって心を動かされ、心から礼拝すべきなのだ。私たちも、場所とか、こかまい教義の違いに不平を言うのではなく、いつでもどこでも、聖霊様によって喜んで礼拝を捧げよう。

Prayer(祈り)

イエス様、一人一人置かれている場所も立場も違い、信仰も少しずつ違うかもしれません。けれども礼拝する時、聖霊様による一致が与えられることを信じて感謝します。また礼拝の後、各々の場所であなたの働きができますよう、礼拝を通して私たちの思いを整えて下さい。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。

もう一度生まれ直す(ヨハネ3:3-7)

Scripture(聖書の言葉)


3 「そうですか。でもよく言っておきますが、あなたはもう一度生まれ直さなければ、絶対に神の国に入れません。」 4 ニコデモは、思わず言いました。「ええっ、もう一度生まれるのですか。いったい、どういうことですか。年をとった人間が母親の胎内に戻って、もう一度生まれることなどできるわけがありません。」 5 「よく言っておきますが、だれでも水と御霊によって生まれなければ、神の国には入れません。 6 人間からは人間のいのちが生まれるだけです。けれども御霊は、天からの、全く新しいいのちを下さるのです。 7 もう一度生まれなければならないといって、驚くことはありません。

Observation(観察)


ニコデモの訪問に対し、イエス様は、神の国に入るためにはもう一度生まれなければならないと説く。驚くニコデモに対し、イエス様は、人間からではなく、水と御霊によって生まれなければならないのだと説明する。水と御霊とは悔い改めて水と聖霊様のバプテスマを受けるという意味だ。水のバプテスマは悔い改めたことのしるしだが、聖霊様のバプテスマは、思考と話す言葉を聖霊様によって一新されることを意味する。イエス様を信じました、と言っても、思考と言葉が変えられていなければそれは新しく生まれたとは言うことが出来ない。救いは告白した一瞬で完成するが、人生を通じて「救われている」には連続した変化と成長が必要だ。それはどの向きを向いて歩いて居るか、という事と同義だ。イエス様に向かって歩いて行こう。

Prayer(祈り)


イエス様、救いを見失ったと感じ嘆いたことがありました。しかしそれは向きを誤って歩いていた結果でした。イエス様に向き直った時、再び救いと希望を見いだしました。向き直るまで待っていて下さった事を感謝します。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。

神殿を建て直す(ヨハネ2:19-21)

Scripture(聖書の言葉)


19 イエスはお答えになりました。「わかりました。この神殿をこわしなさい。三日で建て直してみせましょう。」 20 「なんということを! この神殿は建てるのに四十六年もかかったのだ。それを三日で建てると言うのか。」ユダヤ人たちはあきれ返りました。 21 しかし、イエスが「この神殿」と言われたのは、ご自分の体のことだったのです。

Observation(観察)


宮で商売をしていた人々を追い出したイエス様は、パリサイ人達に詰め寄られる。それに対して、「この神殿を三日で建て直してみせる」と言われた。「この神殿を壊してみなさい」とパリサイ人達に言われたのは、すでにこの神殿でなされている宗教儀式が心の伴わないものになっており、パリサイ人達によって人々の信仰が破壊されつつあることを暗喩している。それに対してイエス様は「この神殿」すなわちイエス様の体は死なれて三日で復活されると言われた。これはイエス様が神と共におられる神殿であるということ、そして復活によって人々の信仰を正しく導かれるというダブルミーニングであった。
私たちの信仰は形骸化していないだろうか、もしもそうであったら今再びイエス様を歓迎しよう。私たちの内に神殿を回復しよう。

Prayer(祈り)


イエス様、時として信仰が揺らぎ、壊れてしまうことがあります。けれども何度でもイエス様にすがります。私の心の中に神の臨在を求めます。永遠の大祭司であるイエス様の臨在を求めます。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。