裂かれたパン(マタイ26:26)

Scripture(聖書の言葉)


26 食事の最中に、イエスは一かたまりのパンを取り、祝福してから、それをちぎって弟子たちに分け与えました。「これを取って食べなさい。わたしの体です。」

Observation(観察)


最後の晩餐でイエス様はパンを取られ、ちぎって弟子達に配られた。パンの増殖の奇跡を思い起こさせるシーンである。パンの増殖はいのちのパンである御言葉が増え広がる、すなわち教会が増え広がることを暗喩しているが、ここではイエス様は御自身の体が裂かれることを預言している。教会の増殖とイエス様が裂かれることは表裏の関係だ。イエス様が神のご計画に従い亡くなり、復活されることが無ければ今日の(世界の)教会は無い。広がった教会の一つ一つはイエス様の体であり、役割を持っている。

Application(適用)


私にとって聖餐とはどのような意味なのかを考える。それは私が教会の一部であり、イエス様の体を構成する要素の一つであることの再確認だ。教会の中には多様な役割があり、その各々に立てられた人がいる。私自身も何らかの役割を与えられて今所属している教会に置かれているのだと思う。互いを尊重しつつ、イエス様にしっかりと結びついて自分の役割を果たそう。

Prayer(祈り)


イエス様、あなたの御言葉が増え広がってこの日本にも届き、多くの人々の労があって現在があります。私をあなたが必要とされる場所に置いていてくださることを感謝します。どんな臓器も体から離れて生きて行く事が出来ないように、わたしもあなたにしっかりと結びついて生きてゆくことを選びます。教会という体に繋がって霊的にいのちを豊かに受け取る事が出来ますように。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。

小さな賜物(マタイ25:24-30)

Scripture(聖書の言葉)


24-25 最後に、一タラント受け取った男が進み出て言いました。『ご主人様。あなたはたいそうひどい方でございます。私は前々からそれを知っておりましたから、せっかくお金をもうけても、あなたが取り上げてしまうのではないかと、こわくてしかたがなかったのです。それで、あなたのお金を土の中に隠しておきました。はい、これがそのお金でございます。』

26 これを聞いて、主人は答えて言いました。『なんという悪いやつだ! なまけ者めが! 私がおまえのもうけを取り上げるのがわかっていたというのか。 27 だったらせめて、そのお金を銀行にでも預金しておけばよかったのだ。そうすれば、利息がついたではないか。 28 さあ、この男のお金を取り上げて、五タラント持っている者にやりなさい。 29 与えられたものを上手に使う者はもっと多くのものが与えられ、ますます豊かになる。だが不忠実な者は、与えられたわずかなものさえ取り上げられてしまうのだ。 30 役立たずは、外の暗闇へ追い出してしまいなさい。そこで、泣きわめくなり、くやしがったりするがいい。』

Observation(観察)


一タラントを預かったが活用しなかった男の喩えである。他の男が二タラント五タラントを預かったのに比べると小さな数字の様だが、実際には20年から30年分の賃金に相当する莫大な金額を彼は預かった。主人が旅に出ている間このお金を何一つ有効に使わなかったのは、主人に対する不信であった。タラントの喩えは賜物の活用という文脈で語られることが多い。
私はギターを弾いたり拙い文章を書いたりするが、上手な人にはとても叶わない。まさに二タラントや五タラントを預かっている人々のようでうらやましく感じる。しかしちっぽけで小さく見える私の賜物であっても決して過小評価してはならない。神が私という個人を信頼して、役立ててくれることを信じ期待して託してくれた物だ。自信を失うことがあっても投げ出さず、賜物を下さった神を信頼して、これを精一杯用いてお返しできる日を待ち望もう。

Prayer(祈り)


イエス様、自分の賜物を過小評価していました。神様から与ったもの、というだけで莫大な価値があります。これを喜んで用いて行く事が出来ますように。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。

再臨を求める(マタイ24:37-44)

Scripture(聖書の言葉)

37-38 ちょうど、ノアの時代のように。当時の人々は洪水が襲う直前まで、宴会だ、結婚式だと陽気に楽しんでいました。 39 何もかも押し流されてしまうまで、洪水のことなど信じようとしなかったのです。わたしが来る時も、それと同じです。
40 その時、二人の人が畑で仕事をしていると、一人は天に上げられ、一人はあとに残されます。 41 家事をしている二人の女のうち、一人は天に上げられ、一人はその場に残されます。
42 主はいつ来られるかわからないのだから、いつ来られてもいいように準備をしていなさい。
43 寝ずの番をしていれば、どろぼうに入られることもありません。 44 同じように、日ごろの備えが万全であれば、わたしが何の前ぶれもなくやって来ても、少しも困ることはないはずです。

Observation(観察)

イエス様は御自身の再臨について、その日が何時であるかイエス様も存じないと言われ、ただいつ来られるのかは父なる神の決められるのだから、いつでも備えていなさい、と言われた。

大正時代の再臨運動やホーリネスのリバイバルなど、イエス様の再臨を期待して人々が熱狂的になった例がある。現代から見ると批判的、冷笑的になってしまいそうになるが、当時の世相の抑圧感から、神に根本的な解決を求める思いは真実な物であっただろうと思う。

Application(適用)

「主イエスよ来て下さい」とヨハネは言う。黙示録を読む人々にも「来て下さい」と言いなさいとヨハネは命じている。再臨を待望することは決して間違いでは無い。

「来て下さい」と言うためには私はいつも備えていなくてはならない。何の備えも整えも無く、イエス様を望んだとしたら、この聖書箇所のようになってしまう。

再臨は希望だ。二〇〇〇年間人々はずっと求め願ってきた。これまでそれが起きなかったから明日それが起きないということはあるだろうか。願い期待し続けることが神に対する私のあるべき姿勢なのだ。

Prayer(祈り)

イエス様、あなたが来られ一切を新しくされること、新天新地の訪れを切に望みます。私たちを集め、神の民として共に住んでくださる約束を感謝します。あなたの約束を信じます。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。

十分の一よりも(マタイ23:23)

Scripture(聖書の言葉)


23 パリサイ人、ユダヤ教の指導者たち。あなたがたは偽善者です。自分の畑でとれる、はっかの葉の最後の一枚に至るまで、実にきちょうめんに十分の一をささげているのに、律法の中ではるかに大切な正義と思いやり、信仰はおろそかにしています。もちろん十分の一はささげるべきですが、もっと大切なことをなおざりにしては何にもなりません。

Observation(観察)


イエス様はパリサイ人を激しく糾弾された。そのなかにこの箇所がある。十分の一を献げるという律法の代表とも言える行いに対して、それを行っていたとしても正義と思いやり、そして信仰が無ければ何もならない、と言われた。律法の罠とはそれを行ってさえいれば十分と自分を騙す思いなのだ。私も当然成すべき行い以上に、正義と思いやりを持つこと、信仰を持って生きることを見失ってはならない。表面上の行いだけの冷たいクリスチャンになってはいけない。誠実に神と人を愛する生き方を選ぼう。

Prayer(祈り)


イエス様、教えの本質を見失って形式に走ってしまいそうな時が多々あります。「これさえやっておけば良いだろう」といった投げやりな気持ちでいたこともあります。そのような生き方では無くイエス様に倣うことを第一として生きてゆきたいです。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。

祝宴で礼服を着る(マタイ22:10-14)

Scripture(聖書の言葉)


10 王の使者たちは、命令どおり、善人悪人の区別なく、だれでも招待しました。宴会場は客でいっぱいです。 11 ところが、王が客に会おうと出て来ると、用意しておいた婚礼の礼服を着ていない客が一人います。 12 『礼服もつけずに、どうしてここへ入って来たのか』と尋ねましたが、その男は何とも返事をしません。

13 それで王は、側近の者たちに命じました。『この男の手足を縛って、外の暗闇に放り出しなさい。そこで泣いてくやしがるのだ。』 14 招待される人は多くても、選ばれる人は少ないのです。」

Observation(観察)


王子の披露宴に招かれていた招待客は出席を断ってしまう。そこで王は誰彼無く人々を披露宴に招待した。これはイスラエルが神から離れてしまっていることと福音が全ての人に対して開かれていることを意味するのは自明だ。しかし新たに招かれた客の中で用意された婚礼の礼服を着ない客がいた。婚礼の礼服さえ王の側で用意されていたにもかかわらず、この客はそれを身につけるのを拒んだ。服とはキリストの救いを着ることを意味する。14節ではこの様な人は少なくないことを暗喩している。
福音は全ての人に開かれ、教会は訪れる人を受け入れる。しかしその人が自ら救いを受けようとしない限り、どれだけ説教を聞いても、教会に通っても魂の救いは得られない。信仰は多くの場合能動的であることが求められる。私は信仰的に受け身になってはいないだろうか。イエス様の祝宴に喜んで参加できるものとなろう。

Prayer(祈り)


イエス様、祝宴に招かれてもひねくれて用意された礼服を着なかった人の様で無く、与えられるものを喜んで身につける信仰を選びたいです。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。

つながれたロバの子(マタイ21:2-5)

Scripture(聖書の言葉)


2 「村に入るとすぐ、一頭のろばといっしょに、子ろばがつないであるのに気づくでしょう。子ろばをほどいて、連れて来なさい。 3 もしだれかに、何をしているのかと聞かれたら、『主が必要なのです』とだけ答えなさい。そうすれば、何もめんどうは起こらないはずです。」

4 それは、次のような預言が実現するためでした。

5 「エルサレムに告げよ。
『王がおいでになる。
ろばの子に乗って。
柔和な王がおいでになる。』」(ゼカリヤ9・9)

Observation(観察)


聖書の中には、ピンポイントで重要な役目をする人物や動物がいる。クレネ人シモンやバラムに口を開いたロバ、そしてこの子ロバである。このロバはエルサレムに入城するイエス様をお運びするために選ばれた。ゼカリヤ書の預言の成就のために存在し、必要なときに必要な働きをした。私にも果たすべき使命があるはずだ。まだその時は来ていないかもしれないがイエス様が呼ばれたときに、従順に従い働きを果たすために、いつでも応えて役に立てるために備えてゆきたい。それがどんな働きであってもかまわない。ほんの一瞬の役割でも充分だ。ただ神のご計画に関わり用いられたい。

Prayer(祈り)


イエス様、繋がれて待っていたロバのこのように従順にいつまでも待ちます。時が来たら呼んでください。小さな短い働きでも喜んで働きます。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。

リーダーシップの理解(マタイ20:25-28)

Scripture(聖書の言葉)


25 そこでイエスは、彼らを呼び集め、言われました。「この世の普通の人たちの間では、王は暴君であり、役人は部下にいばり散らすものです。 26 だが、あなたがたの間では違います。リーダーになりたい者は、仕える者になりなさい。 27 上に立ちたいと思う者は、身を低くして仕えなければなりません。 28 メシヤのわたしでさえ、人々に仕えられるためではなく、みなに仕えるためにこの世に来たのです。そればかりか、多くの人の罪の代償として自分のいのちを与えるために来たのです。だからあなたがたも、わたしを見ならいなさい。」

Observation(観察)


聖書の世界でのリーダーシップとは、威張り散らすことでは無く、逆に身を低くして仕えることであるとイエス様は言われた。私たちの生まれつきの性質では人の上に立つことと支配することが同義になってしまいがちだ。それゆえ聖書を読んでもイエス様の仕える姿勢を見失ってしまう。説教することも癒しを行われることも重要だが、同時に仕えることも同じくらいに重要にイエス様は扱われたことを忘れずにいたい。

Application(適用)


私の中ではリーダーシップと向上心、そして支配と被支配が渾然としていて、整理できていないことが多い。とくにリーダーシップを取るときよりも、リーダーと一緒にいるときにその傾向が顕著だ。目上の人に対する姿勢に歪みがあるような気がしてならない。支配される、利用されるという思いから解放されたい。リーダーとして立つときもリーダーを立てて働くときも、正しい姿勢で生きてゆきたい。

Prayer(祈り)


イエス様、私の目に大きな梁が見つかりました。リーダーに対する被支配の恐れです。これを取り除いてください。リーダーと共に正しい姿勢で働くことが出来ますように。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。

金持ち青年の質問(マタイ19:16-26)

Scripture(聖書の言葉)


16 一人の青年がイエスのところに来て、こう質問しました。「先生。永遠のいのちがほしいのですが、どんな良いことをしたら、もらえるでしょうか。」
17 「良いことについて、なぜわたしに尋ねるのですか。ほんとうに良い方は、ただ神おひとりなのです。しかし、質問に答えてあげましょう。天国に入るには、神の戒め(おきて)を守ればいいのです。」
18 「どの戒めでしょうか。」「殺してはならない、姦淫してはならない、盗んではならない、うそをついてはならない、 19 あなたの父や母を敬いなさい、隣人を自分と同じように愛しなさい、という戒めです。」
20 「それなら、全部守っています。ほかに何が欠けているでしょうか?」
21 「完全な者になりたければ、家に帰って、財産を全部売り払い、そのお金を貧しい人たちに分けてあげなさい。天に宝をたくわえるのです。それから、わたしについて来なさい。」 22 青年はこれを聞くと、悲しそうに帰って行きました。たいへんな金持ちだったからです。

23 イエスは、弟子たちに言われました。「金持ちが天国に入るのは、なんとむずかしいことでしょう。 24 金持ちが天国に入るよりは、らくだが針の穴を通るほうがずっとやさしいのです。」
25 このことばに、弟子たちはすっかり面食らってしまいました。「それなら、この世の中で、救われる人などいるでしょうか。」
26 イエスは、弟子たちをじっと見つめて言われました。「人間にはできません。だが、神には何でもできます。」

Observation(観察)


金持ちの青年がイエス様に「どんな良いことをしたら」永遠の命をもらえるのか尋ねた。イエス様の答えは神の戒めを守ること、そして全財産を施すこと、と言われた。それに応えることの出来なかった青年は悲しげに去って行った。
この青年はどこが間違っていたのか、それはそもそも彼の問いにある。「どんな良いことをしたら」と彼は訊ねた。彼は自分の行いで救いを達成しようとしていたのだ。彼は単純に「救いを得たいのです」とイエス様に願うべきであった。人間はどんなに頑張っても完全な者になることは出来ない。自分に負う限りイエス様に救いを見いだすことは出来ない。

Application(適用)


とはいえ、私はどうかというなら、救いそのものを日常の生活の中で見失ってしまいがちだ。毎日の通読で一日一回、ようやく福音に戻ってきているという日が多い。
このような私でも救いに招いてくださるイエス様には感謝しかない。しかし救いをもっと頻繁に思い起こすように暮らしたい。

Prayer(祈り)


イエス様、金持ちの青年の様に救いを熱心に願うものでありたいです。けれども彼の問いは誤っていました。私は彼のような問いでは無く、あなたに縋り求めます。イエス様、プロセスとしての救いを私に継続してください。人生を通してイエス様に近づき、イエス様を表すことが出来ますように。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。

子供のように神に頼る(マタイ18:1-6)

Scripture(聖書の言葉)


そこへ弟子たちがやって来て、「私たちのうち、だれが天国で一番偉いのでしょうか」と尋ねました。

2 するとイエスは、近くにいた小さい子どもを呼び寄せ、みんなの真ん中に立たせてから、話しだされました。

3 「よく聞きなさい。悔い改めて神に立ち返り、この小さい子どもたちのようにならなければ、決して天国には入れません。 4 ですから、小さい子どものように自分を低くする者が、天国では一番偉いのです。 5 また、だれでもこの小さい者たちを、わたしのために受け入れる者は、わたしを受け入れるのです。 6 反対に、わたしに頼りきっているこの子どもたちの信仰を失わせるような者は、首に大きな石をくくりつけられて海に投げ込まれたほうが、よっぽどましです。

Observation(観察)


弟子達の中でしばしば議論になった、誰が一番偉いのかという問いに対してイエス様は、子供を呼び寄せ、「小さい子どものように自分を低くする者が、天国では一番偉いのです。」と答えられた。人間の中にはどうしても他者よりも優位に立ちたいという欲求がある。特に私の様な人間は努めて謙遜を選ばなければならない。また子供は親に頼らなければ生きて行けない。この子供の様に自分を頼らず、神に依存する生き方をしてゆきたい。

Prayer(祈り)


イエス様、子供のように自分を頼らず、神を頼り、自分を誇ることのない生き方をさせてください。生まれつきの性質はその正反対に向かおうとします。神を頼る生き方を自分を制して選ぶことが出来ますように。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。

断食と祈り(マタイ17:19-20)

Scripture(聖書の言葉)


19 あとで弟子たちは、そっとイエスに尋ねました。「どうして、私たちには悪霊が追い出せなかったのでしょう。」

20 イエスはお答えになりました。「信仰が足りないからです。もしあなたがたに小さなからし種ほどの信仰があったら、この山に向かって『動け』と言えば、そのとおり山は動くのです。何でもできないことはありません。 21 ただし、こういった悪霊は、祈りと断食によらなければ、とても追い出せないのです。」

Observation(観察)


悪霊が追い出せなかった弟子達に対し、イエス様は「信仰が足りないからです」と明確に回答された。また祈りと断食の必要性についても述べられた。「小さなからし種ほどの信仰があったら、この山に向かって『動け』と言えば、そのとおり山は動くのです。何でもできないことはありません。」とも言われた。人生に於いて困難な状況を打ち破るには信仰が、そして祈りと断食が必要だ。長く断食から遠ざかっていたが、いまその必要を感じる。

Prayer(祈り)


イエス様、今の困難をあなたはご覧になっています。この状況に対して信仰で立ち向かいます。断食と祈りをさせてください。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。