神の愛に生きる(テトス3:5-7)

Scripture(聖書の言葉)


5 神は、私たちの罪のよごれを洗い落とし、心に聖霊を遣わして、新しい喜びで満たし、以前の悲惨な生活から救い出してくださいました。それは、私たちに救われる資格があったからではなく、ただ、神のあわれみによるのです。 6 神は、私たちの心にこの聖霊を豊かに注いでくださいました。これは、救い主イエス・キリストが成し遂げてくださった救いがあるからこそ実現したのです。 7 こうして神は、私たちを、ご自分の目にかなった正しい者と宣言してくださったのです。これは、神の恵み以外の何ものでもありません。私たちは今、永遠のいのちを受け継ぐことを認められ、実際にそれをいただく日を、心から待ち望んでいるのです。

Observation(観察)


イエス様の救いがあってこそ、神は私たちに聖霊様を注いでくださった。今の私たちがあるのは三位の神が私たちを愛してくださっているからなのだ。ともすれば私たちはその様な資格はありませんと言ってしまいたくなるかもしれない。けれども神の愛は私たちの否定も拒絶も関係なく、ただ一方的に愛を注ぎ続けてくださる。そればかりか「ご自分の目にかなった正しい者と宣言してくださった」のである。クリスチャンであるということは神に愛されているものと宣言されているのと同義だ。何をもってしてもこの愛にお返しをする事などできない。ただその愛を受け入れ、その愛の中に留まろう。

Prayer(祈り)


イエス様、もはや多くの言葉はありません。ただあなたの愛の中に済、育まれ、変化される私でありますように、イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。

いびつなクリスチャン(2テトス2:11-13)

Scripture(聖書の言葉)


11 というのも、永遠の救いという神からの一方的な恵みは、だれにでも提供されているからです。 12 しかも、この恵みをいただくと同時に、神が私たちに望んでおられることも実現するのです。それは、神を認めない生き方と罪にまみれた快楽とを捨て去って、日々神を敬う正しい生活を送ることであり、 13 偉大な神と救い主イエス・キリストとの栄光が現れる日を待ち望むようになることです。

Observation(観察)


神の救いを受け取ると同時に、神は私たちに望んでおられることを実現する。それは
1)神を認めない生き方と罪にまみれた快楽とを捨て
2)日々神を敬う正しい生活を送る
3)偉大な神と救い主イエス・キリストとの栄光が現れる日を待ち望むようになる
とある。救われた瞬間に全てが実現することは難しいが、教会の中での正しい教えと御言葉を日々読んで黙想することで、何年もかけ、少しづつ形になって行く物なのだろう。僕自身はどうかと聞かれれば随分凸凹した姿勢になっていると思う。生涯かけて矯正されて丸くなって行くのかなと思う。

Prayer(祈り)

イエス様、私の信仰のいびつさを知りました。バランスの取れた、円満なクリスチャンになれますように。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。

御言葉で変えられる(テトス1:1-4)

Scripture(聖書の言葉)


1 1-4 神のしもべであり、イエス・キリストの使徒であるパウロから、同じ信仰によって、私の真実の子となった愛するテトスへ。どうか、父なる神と救い主キリスト・イエスが、あなたに祝福と平安とを注いでくださいますように。私は、神に選ばれた人たちを信仰に導き、真理を教えるために遣わされた者です。神のことばの真理には、信じる人の生活を全く変える力と、永遠のいのちを与える力があります。これは、世界が造られる前からの神の約束です。神は、偽りを言うことがないお方です。それで今、約束どおり最善の時を選んで、この良い知らせを公表し、すべての人に告げ知らせる特権を私にゆだねられたのです。

Observation(観察)


訳によってニュアンスは異なるが、このリビングバイブルでは「神のことばの真理には、信じる人の生活を全く変える力と、永遠のいのちを与える力があります。」と表現されている。神の言葉は私たちの生活を変える力があるのだ。
では神の力はどう働くだろうか、先ず御言葉を読まなければ始まらない。読んだ御言葉を正しく解釈し、自分のものとして心に取り込まねばならない。自分勝手な解釈にならないためには聖霊様の知恵と、先人達の積み重ねてきた知識が必要だ。また食事と同じように、毎日きちんと、バランス良く受け取らねば、好みの御言葉だけを食べ続けて栄養失調になってしまう。だからこそ、計画的な通読が必要なのだ。御言葉を通して継続的な霊的成長を果たそう。

Prayer(祈り)


イエス様、御言葉を日々読むとき、私の心に変化を起こしてください。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。

神の言葉をしっかり伝える(2テモテ4:2-4)

Scripture(聖書の言葉)


2 どんな時にも、神のことばを熱心に伝えなさい。機会があろうとなかろうと、つごうが良かろうと悪かろうと、しっかりやりなさい。過ちを犯している人には忠告して、正しい道に引き戻しなさい。そして善を行うよう励まし、神のことばを教え続けなさい。 3 なぜなら、人々が真理のことばを耳ざわりだと敬遠し、自分につごうの良い話をする教師を求めて歩き回る時代が来るからです。 4 彼らは聖書の教えに耳を傾けようとせず、まちがった教えにしっぽを振ってついて行くのです。

Observation(観察)


正しい教えに対し人々が「耳障りだ」背を向け、自分に都合の良い話をする教師の方に向かってしまう時が来る、とパウロは継承している。現代こそが福音が世の中によって歪められている時代だと言える。カソリックを始め多くの教派が世の中の風潮に妥協している。けれどもパウロの訓戒は二千年前から「つごうが良かろうと悪かろうと、しっかりやりなさい。」である。正しく伝えるためには私たち自身が正しく御言葉を真っ直ぐに理解する事が必要だ。世に惑わされず、愚直に福音を受け取ろう。

Prayer(祈り)


イエス様、この10年の間にも、世の中の価値観は大きく変わってしまいました、これに追従する教会も多くあります。わたしはただ御言葉に立ちます。日々教えてください。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。

正しく生きる力である御言葉(2テモテ3:16-17)

Scripture(聖書の言葉)


16 神の霊感によって書かれた聖書は、何が真理であり、何が悪であるかをよく教えてくれます。また、私たちの生活をまっすぐにし、正しいことを行う力を与えてくれます。 17 こうして神は、私たちをあらゆる点で整え、どんな良い働きをも行う力を、十分に与えてくださるのです。

Observation(観察)


聖書は、何が神の喜ばれることか、そして何が神が悲しみ、憎まれることかを教えてくれる。私たち人間にも善悪の区別(と思っている)はあるが、とても主観的で曖昧なものだ。聖書は、そのいい加減なところを補完してくれる。また、「私たちの生活をまっすぐにし、正しいことを行う力を与えてくれます。」とある。人間が歩く姿勢を例に取れば、姿勢が崩れていたら、長い距離を痛みなく歩くことは出来ない。あちこちが痛み出し、目的地にたどり着くことは出来ないだろう。聖書は、私たちの霊的姿勢を正し、神のなさりたいことを共になす力を与えてくださる。日々御言葉を読み、黙想することで心を姿勢を正そう。


Prayer(祈り)

イエス様、この世では様々なプレッシャーや歪んだ価値観があり、私の霊的姿勢が崩れていることを感じます。背骨が曲がってしまったように真っ直ぐ歩けません。御言葉を通して正しさを教えてください。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。

主の器官となる(2テモテ2:13)

Scripture(聖書の言葉)


13 しかしたとえ、信仰をなくしたかと思えるほど私たちが弱くなっても、キリストは真実を貫き、私たちを助けてくださいます。私たちは主の一部分になっているので、切り捨てられることはないのです。そして、主はいつも約束を果たしてくださいます。

Observation(観察)


人間の感情や体調には波があり、残念ながら信仰においても上下を感じるときがある。まさに真理をこの手につかんだような高揚感を感じるときもあれば、神から見捨てられたと感じてしまうような時もある。しかし、それらは人間側からの感覚に過ぎない。神からの私たちへの気持ちは、私たちの状況には関係ない、私たちがハイになっていても落ち込んでいても、神はいつも変わらない愛で私たちをつなぎ止めてくださる。パウロが言う「私たちは主の一部分になっているので、切り捨てられることはないのです。」通りである。もはや私という個人が生きているのではない、キリストの器官である私が生かされているのだ。自分の感情によって神との関係が変化してしまうという錯覚を捨てよう。


Prayer(祈り)


イエス様、気分の上下が激しいものですが、神から切り離されることはないと学びました。自分の状況を客観的に見て、安心して神様の近くに居たいと思います。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。

人を愛する(2テモテ1:6-7)

Scripture(聖書の言葉)

6 ですから、お願いしたいのです。私があなたの頭に手を置いて祈った時、あなたのうちに注ぎ込まれた力と勇気を、もう一度、奮い起こしなさい。 7 なぜなら、神が私たちに与えてくださった聖霊は、人を恐れず、知恵と力とをみなぎらせ、人を愛し、喜んで人と共に歩むようにさせてくださる霊だからです。

Observation(観察)

新改訳では「神は私たちに、臆病の霊ではなく、力と愛と慎みの霊を与えてくださいました。」と訳されている。聖霊様は私たちに対し、人を愛し、人とともに歩むことをさせてくださる霊と書かれている。元来の人間の愛は小さい。僕の経験では小さな家庭で家族、親族を大事にするくらいが限界だと思っていた。それ以上の人間関係では利害か衝突し、愛し合うことなど無理だと思っていた。

Application(適用)

しかしパウロは御霊がそれをさせてくださると書いている。利害をこえて人を愛し、人と共に歩むことが出来るならなんと素晴らしいことだろうか。この時点で僕にとっては奇跡と言って良い。もしもその様な霊を賜れるなら、是非頂きたい。人生の後半、人を排除するのではなく人を受け入れて、受け入れられて生きたいのだ。

Prayer(祈り)

イエス様、小さな殻に収まって生きてゆこうとしていましたが、聖書の言っていることとは違いました。もっと人を愛せるように変えて下さい。愛のある生涯に導いてください。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。

喜びと幸福(1テモテ6:6-8)

Scripture(聖書の言葉)

6 ほんとうに富む者になりたいと思いますか。もし今、幸福で、心が満ち足りているなら、あなたはすでに富む者なのです。 7 私たちは、この世に生まれた時、何も身につけていませんでしたし、この世を去る時にも、何も持って行けません。 8 ですから、食べる物と着る物があれば満足すべきです。

Observation(観察)

昨日あるセミナーで参加者の方が、幸福と喜びの違いについて、興味深い発言をしておられた、「幸福」は外的要因で感じたり感じなかったりする。「喜び」は、内面から湧き上がるもので外部の状態とは無関係だ、と言う物が。パウロは「もし今、幸福で、心が満ち足りているなら、あなたはすでに富む者なのです。」私たちは今、心の中から喜びが湧き出しているだろうか。これこそ、わたしたちの身につけるべきものだと思う。今持っているもので十分に喜び、神に感謝する日々を送ろう。

Prayer(祈り)

イエス様、いままで心の状態に目を向けないで、人と比べて幸福だとか不幸だとかばかり言っていました。いま、心の底から湧き上がるどんな状態でも変わらない喜びを下さい。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。

金の子牛を取り除け(2列王記10:28-31)

Scripture(聖書の言葉)


28 このようにエフーは、イスラエルからバアルの痕跡を完全に取り除きました。 29 ただし、ベテルとダンにある金の子牛像だけは取り除きませんでした。その子牛像こそ、全イスラエルを罪に陥れたもとであり、ネバテの子ヤロブアムが犯した、最大の罪の産物だったのです。

30 主はエフーに語りました。「あなたは、アハブ王家を滅ぼせというわたしの命令によく従った。だから、ひ孫の代までイスラエルの王としよう。」

31 ところがエフーは、真心からイスラエルの神、主に従おうとはしませんでした。彼は、イスラエルに大きな罪を犯させる原因となった、ヤロブアムの金の子牛像を拝み続けていたのです。

Observation(観察)


アハブ家を滅ぼしたエフーは、バアル信仰を一掃した。しかし、二つの金の子牛像はそのままであったとされている。元はといえば、ヤロブアムがイスラエルの人々がエルサレムに礼拝に行かないように、彼らの神としてこの子牛像を造ったことに始まっている。さらに起源を辿れば、出エジプト記でモーセがシナイ山からの帰りが遅くなったため、替わりの(形のある)神を作ってくれと民衆に頼まれてアロンが作ったことに遡る。ではこの子牛が何者なのかといえば、他ならぬ主なる神ご自身を象ったものと言われている。形を持つことのない(それ故に存在という概念そのものである)無限の神を、自分で動くことの出来ない像に人間は置き換えてしまった。言い換えれば視覚や触覚で検知できるレベルに神を貶めてしまったと言える。

Application(適用)


私たちの中にも金の子牛像は残っていないだろうか。神であると勘違いして神以外のものに仕えてはいないだろうか。あるいは誰かにこれが至高の価値のあるものと紹介され、騙されてはいないだろうか。
イスラエルはこの子牛像を除くことはなかなか出来なかった。彼らにとって子牛像は正しい信仰の対象としてすり替えられていたからだ。私たちは勇気と知恵をもって偽の信仰を一掃しよう。

Prayer(祈り)


イエス様、三位一体の神以外に神はありません。あなただけを礼拝します。気づかずそれ以外のものに信仰をおいていたら、それを取り除きます。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。

自分を訓練する(1テモテ4:6-8)

Scripture(聖書の言葉)


牧師は、自らの信仰と、従ってきた真理の教えとによって成長するのです。 7 愚かな理論や作り話の議論で、むだな時間を費やしてはなりません。むしろ、時間と労力とを有効に使って、いつも霊的に高められるよう自分を訓練しなさい。 8 体の訓練も大いにけっこうですが、霊の訓練はさらに大切であり、あらゆる行動の原動力になるのです。ですから、あなたは霊の訓練に励み、もっとすぐれたクリスチャンを目指しなさい。そうすることは、今の地上の生活のためだけでなく、未来の生活にも役立つからです。

Observation(観察)


パウロは弟子であり若い牧師であるテモテに対し、牧師の務めを果たすために「信仰」と「真理に従う」事により霊的訓練に励むことを命じている。さらに「霊的訓練はあらゆる行動の原動力」であるとも言っている。これは教職者にだけ当てはまるものでは無い。イエス様を信じる全てのものは日々霊的な成熟を目指して訓練されねばならない。またあらゆる行動の起点は肉からではなく霊から発せられるものであるべきだ。パウロの教えはスパルタ的にも見えるが、この世での霊的戦いをキリスト者として生き延びてゆく為には必要なことだ。このことを肝に銘じたい。


Prayer(祈り)


イエス様、霊的に自己を訓練することをパウロは説きました。私はこれまで生ぬるい信仰の中で生きてきましたが、自分を訓練することを始めたいです。自分にはどうしても甘くなりがちです。神の教えから外れそうなとき、厳しく自分を諫めることが出来ますように。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。