主を知る(エゼキエル20:42-44)

Scripture(聖書の言葉)


42 さらに、わたしが約束した地に連れ戻す時、あなたがたはわたしが主であることを知るようになる。 43 その時、自分が犯した罪をことごとく思い起こし、その悪のゆえに自分自身を忌みきらうようになる。 44 その悪にもかかわらず、あなたがたを祝福することによって、わたしの名誉を守る時、イスラエルよ、あなたがたはわたしが主であることを知るようになるのだ。

Observation(観察)


厳しい言葉だがここには神の恵みの本質、そして福音のきれい事ではない側面が描かれている。
神の救いを受け、御言葉を知るにつけ、自分の罪深さを思い知らされることになる。「その悪のゆえに自分自身を忌みきらうようになる。」とすら書かれている。神を知ることはある意味自己嫌悪、自己否定に近づくことでも有る。しかしそのような悪にまみれた私を神はご自身の御性質の故に退けることなく、かえって祝福されるのだ。
神を知る、ということは決してロマンチックなことでは無い。自分の弱さ、罪深さを見つめ続けることで神の愛の深さを心から体験する事なのだ。

Prayer(祈り)


イエス様、信仰を重ねるほど自分の至らなさを思い知ります。だからこそそのような私を愛して下さる神の恵みを心に刻みます。自分の弱さを認めなければ謙遜の道に入ることは出来ません。自分を否定する以上に神を認め崇める者となれますように。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。

生まれによらず(エゼキエル18:19-22)

Scripture(聖書の言葉)


19 あなたがたは驚いて、『どうしてですか。子が親の罪を負わなくていいのですか』と聞き返すだろう。そうだ。負わなくていいのだ。その子が正しく生き、わたしのおきてを守るなら、必ず生きる。 20 罪を犯した本人が死ぬのだ。子は親の罪のために罰せられてはならず、親も子のために罰せられてはならない。正しい者は自分の善行に対する報いを受け、悪者は自分の悪行に対する報いを受ける。 21 だが悪者でも、すべての罪から離れ、わたしのおきてを守って正しく誠実に生きるなら、必ず生きて、死ぬことはない。 22 過去の罪はすべて忘れられ、彼は善行のために生きる者となる。」

Observation(観察)


この言葉は恵まれない出自の私にとって、ほんとうに福音だ。残念ながらこの世では教育レベルや収入、資産は継承される仕組みになっているが、ただ一つ、神の恵みだけは親も子も関係なく、ただ私個人がどのように生きるかにかかっている。そればかりか悪に生きざるを得なかった者でも、神に従うなら、「過去の罪はすべて忘れられ、彼は善行のために生きる者となる。」と言われている。もはや悲しい生まれや育ちを嘆く必要は無い。人生はただ唯一神とどう向き合うかなのだ。真実に今日を生きよう。

Prayer(祈り)


イエス様、両親や過去を呪って生きた私ですが、もはやその必要はありません。ただ神だけを源にして生きる者になりたいです。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。

罪の属性(エゼキエル16:30-31)

Scripture(聖書の言葉)


30-31 神である主は語ります。「こんなことをするあなたの心は、なんと汚れているのだ。道々に売春宿である偶像の祭壇を築き、ずうずうしく淫行を重ねている。あなたは娼婦よりも悪い。金を得るためでもなく、ただ悪にふけるためにそうしているからだ。

Observation(観察)


イスラエルの罪に対する神の指摘はさらに激しくなって行く。目的を持って悪を行うのでは無く、悪そのものの為に悪を重ねている、と言われている。
このイスラエルの姿は私たち人間の原罪の姿と言える。やむを得ない事情で罪を犯すのではなく、根本的に罪が好きだから罪に耽るのだ。私たちはそれを治めなければならない。神の救いは人格改造ではではない。これまで制御できなかった罪の属性を制御できるようにする物だ。もはや私たちは罪の奴隷ではない。心から善を行うことが出来る者に変えられたのだ。

Prayer(祈り)


イエス様、罪の中で死にかけていた私を救い上げてくださり感謝します。罪の奴隷から神を愛する者に変えて下さり感謝します。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。

実演してみせる(エゼキエル12:3-6)

Scripture(聖書の言葉)


3 彼らは反逆者なのだ。だから、捕囚になることがどんなものか教えるために、実演して見せるがいい。背中にかつげるだけの荷物をかついで、家を出なさい。昼のうちに、みんなが見ている前でそうするのだ。どんな反逆者も、それを見て、その意味することを考えるかもしれない。 4 昼のうちに、みんなが見守る中で、荷物を家の外へ運び出しなさい。それから、遠くの地へ長い旅をする捕囚の民のように、夕方、家をあとにして出かけなさい。 5 町の人々が見ている前で壁に穴をあけ、そこから荷物を運び出すのだ。 6 また、みんなが見守る中で、荷物をかついで夜の暗闇の中を出て行け。

Observation(観察)


エゼキエルに対し神は、捕囚となりエルサレムを去ることを実演してみせることを命じた。神の期待は、イスラエルが罪のために捕囚となること、悔い改めなければならないことを民達が悟ることであった。
この実演は、神の裁きについてであるが、私たちが実演すべきことも沢山有るのかもしれない。必ずしも大がかりなものではないのかもしれないし、ちょっとした証しに過ぎないかもしれない。そのような物でも神は用いられ、悔い改める者が起こされることを期待しているに違いない。私たちが何を伝え何を表現すべきか、神の知恵を求めよう。

Prayer(祈り)


イエス様、私は霊の耳が遠くてあなたのしてほしいことを聞き漏らしているのかもしれません。もう一度私の耳を開いて、なすべき事を示してください。あなたの計画の一部になりたいのです。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。

バビロン捕囚(エゼキエル11:17-20)

Scripture(聖書の言葉)


17 そして、散らされた国々から連れ戻し、再びイスラエルの地を与える。 18 再び戻ると、あなたがたは、すべての偶像礼拝を跡形もなく取り除くようになる。 19 わたしはあなたがたに、一つの心と一つの新しい霊を与える。石の心を取り除き、代わりに神を愛する柔らかい心を与える。 20 あなたがたがわたしのおきてを守れるようになるためである。こうしてあなたがたはわたしの民となり、わたしもまた、あなたがたの神となる。

Observation(観察)


バビロン捕囚のなかでエゼキエルに与えられた幻の中で、神が語られた言葉である。捕囚からの回復とイスラエルの再建、そして何よりも霊的な回復だ。民から頑なな石の心を取り除き、神を愛する柔らかい心を与え、民は神のおきてを守るようになり、神のイスラエルの関係は回復する。
偶像に傾倒したユダ、そしてイスラエルは一度その地から追放され、偶像の場から離れる必要があった。そして70年間、捕囚の地で神のみを神とする思いを回復される時間を与えられた。最終的に神は様々な人々を用いてイスラエルを再建され、人々を帰還させる。

Application(適用)


私たちにもそのような期間があるのかもしれない。自分の中に神以外を神とする思いは残っていないだろうか、よく点検しなければならない。人間の罪を愛する性質と、この世の誘惑はいとも簡単に私たちの信仰を腐敗させてしまう。日々神に目を向け、感謝と悔い改めの機会を持ち続けよう。

Prayer(祈り)


イエス様、捕囚の民は神が滅ぼすためではなく、やがての回復のために取りのけておられた民でした。70年間、信仰を回復し神を神とする習慣が回復した後に帰還を許されました。私がいま罪の中にいるのか、捕囚なのか、帰還民なのか、教えて下さい。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。

死んだような教会(黙示録3:1-4)

Scripture(聖書の言葉)


サルデスにある教会の指導者に、次のように書き送りなさい。『この手紙は、神の七つの霊と七つの星を持つ方からのものです。「あなたは生き生きした活動的な教会だと言われていますが、実は死んだ状態にあることを、わたしは知っています。 2 だから目を覚ましなさい。死の一歩手前まで来ている、残された者たちを力づけなさい。あなたの今までの行いは、どう見ても、神の前に正しくありません。 3 最初に聞いたこと、また、信じたことを思い出しなさい。それをしっかり守って、もう一度、わたしに心を向けなさい。さもないと、わたしは盗人のように、思いがけない時にあなたを襲って、罰します。 4 しかしなお、サルデスの教会には、この世の汚れに染まっていない少数の人々がいます。その人々は白い衣を着て、わたしと共に歩みます。彼らには、その資格があるからです

Observation(観察)


教会が時としてイベント会場のようになってしまう時がある。また信仰が空虚で、形式だけの物になっている時がある。(いま所属している教会を指すものでは無い)聖霊様によって導かれ、日々聖書を読み、互いに祈り合う、という基本の行動が出来ていなければ、教会の骨格はもろくなってゆくのではないだろうか。私たちは、神の祝福によって、堅固な教会を建てあげたい。

Prayer(祈り)


イエス様、私たちの使わされている教会がサルデスの教会の様にではなく、聖霊様に導かれて着実に歩む教会となりますように。この世の価値観はいつも巧妙に入ってきますから、惑わされないように知恵を下さい。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。

エゼキエルの召命(エゼキエル2:1-4)

Scripture(聖書の言葉)


その方は私に、「人の子よ、立て。わたしはあなたに語ろう」と言いました。 2 その方が語ると、御霊が私の中に入り、私を立たせました。 3 「人の子よ、あなたをイスラエルの国、すなわち、わたしに反逆している国に遣わす。彼らも、彼らの先祖も、この時までわたしに罪を犯し続けてきた。 4 彼らは恐ろしく強情で頑固者だ。それでもわたしは、神である主のことばを伝えるために、あなたを遣わす。

Observation(観察)


エゼキエルの召命についての箇所だ。彼は困難な任務を帯びるが、この召命には重要な出来事がある。「御霊が入り」「私を立たせる」である。神の言葉を受け取る時、御霊がおられなくては宣べ伝えるために立ち上がることは出来ない。聖霊様の力によって私たちは宣教の働きを進めてゆく。聖霊様無しでは立ち上がることすら出来ないのだ。

Prayer(祈り)


イエス様、宣教の働きに憧れのようなものを持っていましたが、実際には困難な物だと思います。それでも聖霊様が来られ、神様の召しがあるのなら、参ります。遣わして下さい。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。

神を信じる国の祝福(詩編144:12-15)

Scripture(聖書の言葉)


12-15 神を信じる国の祝福された様子を語りましょう。
男の子は、すくすくと成長する木のように、
元気いっぱいに育ちます。
女の子は、宮殿にふさわしく飾られた柱のように、
しとやかで優雅です。
倉には穀物がこれ以上入らないほど
豊かにあります。
羊の群れは、何千頭、何万頭と増え、
牛は次々と子どもを産みます。
敵は一人も攻めて来ず、平和が満ちあふれています。
町には一つの犯罪も起こりません。
このように、主を神とする民は幸いです。

Observation(観察)


ダビデは神への絶対の信頼をもって讃美した。この詩編では「主よ人とは何ものなのでしょう。あなたがこれを知っておられるとは。人の子とはいったい何ものなのでしょう。あなたがこれを顧みられるとは。」とも言っている。塵にも等しい存在である我々に対し神が目を向け、心配し、力づけて下さるとすれば、これだけでとてつもない奇跡だ。さらにダビデは神に祝福された国の様子を記述している。このような国があるなら、私はなんとか入植したい。今の日本の状況とはあまりにも違う(それでも良い国と言われている)。神の祝福の中に生きたいのだ。

Prayer(祈り)


イエス様、ダビデの描いた神に祝福された国に住みたいです。平和の中に過ごしたいです。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。

神の霊を受けて生きる(エレミヤ51:17-19)

Scripture(聖書の言葉)


17 神に比べたら、人間は愚かな獣で、
一かけらの知恵もありません。
金細工人は偶像を作るたびに、
ますます良心が鈍くなります。
偶像には、いのちのしるしである息がないのに、
それを作るたびに神ができたと言って、
うそをつくからです。
18 偶像は、むなしいものです。
神が来てそれをみな滅ぼす時が近づいています。
19 イスラエルの神は偶像ではありません。
この神があらゆるものを造り、
イスラエルをご自分の民としました。
その名は天の軍勢の主です。

Observation(観察)


ここでは、偶像の虚しさについて書かれている。「偶像には、いのちのしるしである息がない」と神は断じている。天地を作られた神と、人が作ったいのちの無い偶像と、どちらが正しいかは一目瞭然だ。さて、息、とは神の霊である。創世記では、人を作られた時、神が鼻から息を入れて生きる者とされたとある。
今一度自らを振り返りたい。私は本当に神の息を受けた者として生きているだろうか。神から与えられた神の息を用いて生きていなければ、私の生涯は空しいものとなる。神の霊によって動かされ、生きるならば人生の意義を全うすることが出来るだろう。日々、肉の欲望によってではなく霊によって動かされるように願い、祈る者でありたい。

Prayer(祈り)


イエス様、神の霊を受けた者として、真実に生きることが出来ますように。そうでなければ、私の人生はあの空しい偶像と同じです。聖霊様を歓迎します。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。

心のねじれた者(エレミヤ37:1-3)

Scripture(聖書の言葉)


バビロンのネブカデネザル王は、エホヤキムの子エコヌヤの代わりにヨシヤの子ゼデキヤを、ユダの新しい王に選びました。 2 ところが、ゼデキヤ王も、家来も、国に残っている民も、主がエレミヤを通して語ったことばを聞きませんでした。

3 それにもかかわらず王は、シェレムヤの子エフカルとマアセヤの子の祭司ゼパニヤをエレミヤのもとに送り、自分たちのために祈ってほしいと言わせたのです。

Observation(観察)


ゼデキヤ王はエレミヤの預言を聞かず、信じることはなかった。なのにこの王はエレミヤに祈ってほしいと伝えた。なんと矛盾した姿だろう。都合の悪いことは聞かず、自分の保身のためには祈ってほしいと依頼する。私も時としてこの王のようになっていないだろうか。御言葉に罪を示されても悔い改めず、そのくせ家族や友人に祈ってほしいとぬけぬけと頼む。そのような願いを神は聞かれるだろうか。
神に従うならとことん従い、ひつようがあるなら神に正しい姿勢で願う者になりたい。

Prayer(祈り)


イエス様、ゼデキヤ王のように心のねじれたものではなく、神に対して真実な者でありたいです。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。