神と人に仕える(2歴35:3)

Scripture(聖書の言葉)


3 それから、イスラエルの教師であるレビ人には、次の命令を出しました。「聖なる箱は、今はソロモンの神殿に置かれ、かついで、あちこちに持ち運ぶ必要はなくなった。だから、あなたがたの時間を、主と主の民に仕えるために用いなさい。

Observation(観察)


ヨシヤ王の改革の中で、レビ人に対し、元々の彼らの役割であった主の箱と天幕を運ぶ役割を解き、「あなたがたの時間を、主と主の民に仕えるために用いなさい。」と命じた。置かれるべき所に神の臨在があるなら、次に私たちは、仕える為に時間を用いるべきなのだ。

Application(適用)


荒野の40年間の間、レビ人は主の臨在を持ち運ぶという重要な役割を担った。私の人生はそのようなものではないが、神を求めて叫ぶ日々であったことは確かだ。もしも神の臨在を心に確かに感じるならば、私も仕える者に変えられたい。

Prayer(祈り)


イエス様、あなたの臨在を求めます。私の心をあなたの神殿として下さい。心をあなたが王として治めて下さい。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。

熱狂を離れて(ヨハネ6:11-15)

Scripture(聖書の言葉)


11 そこでイエスはパンを取り、神に感謝の祈りをささげてから人々にお配りになりました。また魚も、同様になさいました。みんなほしいだけ食べて、満腹しました。 12 イエスは弟子たちに言われました。「さあ、少しもむだにしないよう、パン切れを集めなさい。」 13 残りを集めると、なんと十二のかごにいっぱいになりました。 14 それを見た人々は、どんなにすばらしい奇跡が起こったのか初めて気づき、口々に、「この方こそ待ちに待ったあの預言者だ!」と叫びました。

15 人々は熱狂して、むりやりにでもイエスを王にまつり上げかねない勢いです。イエスはそっと抜け出し、ただ一人、山に登って行かれました。

Observation(観察)


パンと魚の奇跡を行われたイエス様に対し、民衆は喜び熱狂した。しかしイエス様の真意は民衆を満腹させることではなく、イエス様こそがいのちのパン、生きた御言葉であることを示すためであった。後の節でイエス様はその説明をなされるが、民衆も弟子すらもそれを理解する事は出来なかった。そのような民衆の中からイエス様は抜けだし、一人になることを選ばれた。祈るためである。イエス様は神と過ごすことの重要さをご自身の行動で示された。

Application(適用)


私たちは肉を持った人間であると同時に、神によって息を吹き込まれた霊的な存在だ。肉と霊が重なって同時に存在している、と言い換えても良い。食事によって肉体は満たされても、神と過ごすことがなければ霊は満たされない。イエス様がご自身を指して、いのちのパンと言われたのは、御言葉によって霊の養いを受けることの必要性を説かれたのだ。御言葉にもっと親しもう。

Prayer(祈り)


イエス様、この世で忙しく過ごすうち、あなたを見失い迷うことがあります。霊が弱るとますます肉に偏るように感じます。日々御言葉に親しむことであなたの所に戻ることが出来ますように。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。

イエス様と父なる神様(ヨハネ5:19-23)

Scripture(聖書の言葉)

19 イエスはお答えになりました。「よく言っておきます。子は自分からは何もできません。ただ父がしておられることを見て、同じようにするだけです。 20 父は子を愛して、自分のすることは何でも子に教えてくださるのです。神の子は、病気を治すということなどとは比べものにならない驚くべき奇跡を行います。 21 父が死人を生き返らせるように、子も、思うままに人を死人の中から生き返らせもするのです。 22 父は、罪のさばきをいっさい子に任せておられます。 23 すべての者が父を敬うように、子をも敬うためです。だから、父なる神がお遣わしになった神の子を敬わないのは、父を敬わないのに等しいのです。

Observation(観察)

ここでイエス様は、ご自身の行動原理は、神の意思をなすことだと明言された。病気の癒やしも、死者の復活も、ツァラアテのきよめも、父なく神様が私たちにしてくださりたいことを、イエス様がやってくださったのだ。私たちが受けたあらゆる恵みも、父なる神様とイエス様が共に望まれ、して下さった事なのだ。この二つの(聖霊様を入れて三つの)神を愛し、敬うことを信仰生活の土台にしよう。神を愛するとは、神の命令を守ると言うことだ。強いられてではなく、その意味をよく理解して、喜んで従う者になりたい。

Prayer(祈り)

イエス様、あなたと父なる神様は不可分な存在だとよくわかりました。あなたを敬い、従う時、父なる神様が栄光を受けられます。喜んで従うものとして下さい。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン

違いを越えて礼拝する(ヨハネ4:19-24)

Scripture(聖書の言葉)

「先生。あなたは預言者でしょう。 20 だったら教えてください。ユダヤ人は、礼拝の場所はエルサレムだけだと言いはるし、サマリヤ人は、私たちの先祖が礼拝したこのゲリジム山だと言っています。どうしてなのですか?」 21-24 「いいですか。父なる神を礼拝する場所は、この山か、それともエルサレムかなどと、こだわる必要のない時が来ます。大切なのは、どこで礼拝するかではありません。どのように礼拝するかです。霊的な、真心からの礼拝をしているかどうかが問題なのです。神は霊なるお方ですから、正しい礼拝をするには、聖霊の助けが必要です。神はそのような礼拝をしてほしいのです。あなたがたサマリヤ人は、神のことはほとんど何も知らないで礼拝していますが、私たちユダヤ人はよく知っています。救いはユダヤ人を通してこの世に来るのですから。」

Observation(観察)

サマリヤ人はユダヤ人の信仰を形式だけ伝承していた。イエス様は礼拝すべき場所を問うたサマリヤの女に対し、重要なのは、どこで礼拝するかではなく、どのような思いで礼拝するかなのだと答えられた。神は霊的存在であるから、礼拝するには聖霊様によって心を動かされ、心から礼拝すべきなのだ。私たちも、場所とか、こかまい教義の違いに不平を言うのではなく、いつでもどこでも、聖霊様によって喜んで礼拝を捧げよう。

Prayer(祈り)

イエス様、一人一人置かれている場所も立場も違い、信仰も少しずつ違うかもしれません。けれども礼拝する時、聖霊様による一致が与えられることを信じて感謝します。また礼拝の後、各々の場所であなたの働きができますよう、礼拝を通して私たちの思いを整えて下さい。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。

もう一度生まれ直す(ヨハネ3:3-7)

Scripture(聖書の言葉)


3 「そうですか。でもよく言っておきますが、あなたはもう一度生まれ直さなければ、絶対に神の国に入れません。」 4 ニコデモは、思わず言いました。「ええっ、もう一度生まれるのですか。いったい、どういうことですか。年をとった人間が母親の胎内に戻って、もう一度生まれることなどできるわけがありません。」 5 「よく言っておきますが、だれでも水と御霊によって生まれなければ、神の国には入れません。 6 人間からは人間のいのちが生まれるだけです。けれども御霊は、天からの、全く新しいいのちを下さるのです。 7 もう一度生まれなければならないといって、驚くことはありません。

Observation(観察)


ニコデモの訪問に対し、イエス様は、神の国に入るためにはもう一度生まれなければならないと説く。驚くニコデモに対し、イエス様は、人間からではなく、水と御霊によって生まれなければならないのだと説明する。水と御霊とは悔い改めて水と聖霊様のバプテスマを受けるという意味だ。水のバプテスマは悔い改めたことのしるしだが、聖霊様のバプテスマは、思考と話す言葉を聖霊様によって一新されることを意味する。イエス様を信じました、と言っても、思考と言葉が変えられていなければそれは新しく生まれたとは言うことが出来ない。救いは告白した一瞬で完成するが、人生を通じて「救われている」には連続した変化と成長が必要だ。それはどの向きを向いて歩いて居るか、という事と同義だ。イエス様に向かって歩いて行こう。

Prayer(祈り)


イエス様、救いを見失ったと感じ嘆いたことがありました。しかしそれは向きを誤って歩いていた結果でした。イエス様に向き直った時、再び救いと希望を見いだしました。向き直るまで待っていて下さった事を感謝します。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。

神殿を建て直す(ヨハネ2:19-21)

Scripture(聖書の言葉)


19 イエスはお答えになりました。「わかりました。この神殿をこわしなさい。三日で建て直してみせましょう。」 20 「なんということを! この神殿は建てるのに四十六年もかかったのだ。それを三日で建てると言うのか。」ユダヤ人たちはあきれ返りました。 21 しかし、イエスが「この神殿」と言われたのは、ご自分の体のことだったのです。

Observation(観察)


宮で商売をしていた人々を追い出したイエス様は、パリサイ人達に詰め寄られる。それに対して、「この神殿を三日で建て直してみせる」と言われた。「この神殿を壊してみなさい」とパリサイ人達に言われたのは、すでにこの神殿でなされている宗教儀式が心の伴わないものになっており、パリサイ人達によって人々の信仰が破壊されつつあることを暗喩している。それに対してイエス様は「この神殿」すなわちイエス様の体は死なれて三日で復活されると言われた。これはイエス様が神と共におられる神殿であるということ、そして復活によって人々の信仰を正しく導かれるというダブルミーニングであった。
私たちの信仰は形骸化していないだろうか、もしもそうであったら今再びイエス様を歓迎しよう。私たちの内に神殿を回復しよう。

Prayer(祈り)


イエス様、時として信仰が揺らぎ、壊れてしまうことがあります。けれども何度でもイエス様にすがります。私の心の中に神の臨在を求めます。永遠の大祭司であるイエス様の臨在を求めます。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。

父なる神を知る(ヨハネ1:16-18)

Scripture(聖書の言葉)


16 この方の恵みは尽きることがありません。私たちはみな、次から次へと、あふれるばかりに恵みをいただきました。 17 モーセはきびしい命令と戒めとを与えましたが、イエス・キリストはその上に、愛に満ちた赦しの道を備えてくださったのです。 18 いまだかつて、実際に神を見た人はいません。しかし、神のひとり子だけは別です。御子は父なる神といつもいっしょですから、神について知っていることを教えてくださいました。

Observation(観察)


イエス様は永遠のはじめから地上に来られるまで、父なる神様と一緒におられた。「私と神はひとつです」と言われるほどにまで神様とイエス様は一致されている。そのイエス様が地上に来られ、公生涯の間神様について弟子達に直接教えて下さった。今は聖霊様によって、聖書の御言葉を通して霊感を与えて下さり、父なる神の愛を知ることが出来るのだ。だから御言葉にもっと親しみ、誠実に読み続けよう。読むほどに神の愛が私たちの中に深まるのならば、それを止めるものは無い。

Application(適用)


イエス様、御言葉を通して父なる神様がいかに私たちを愛して下さり、心を配って下さっているかを少しずつ知ることを体験しています。毎日の地道な歩みですが、それをイエス様が喜んで下さることを感じて感謝します。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。

聖書を正しく解釈する(2ペテロ3:15-16)

Scripture(聖書の言葉)


学識の深い、愛する兄弟パウロも、多くの手紙の中で同じことを書いています。しかし彼の手紙はむずかしいところがあるので、中には的はずれの解釈をする者がいます。彼らは、聖書のほかの箇所もそうですが、パウロが言おうとしていることとは全く別の意味を引き出し、自分で滅びを招いているのです。

Observation(観察)


ペテロはパウロの書簡について、意図して誤った解釈を展開する者がいると警告している。言葉尻をつかんで本来聖書やパウロが言いたい事を自分の主張にねじ曲げ結びつけている。現在の聖書解釈においてはどうだろうか、多くのメッセンジャーの話を聞いてきたが誤った解釈に留まらない、我田引水の理論を展開する教師も少なくなかった。私たちは正しく聖書を解釈するために、コンテキスト(文脈)をよく把握して、可能な限り時代的背景も考慮して聖書を理解するようにしたい。聖書の恵みを引き出すためには正しい姿勢が必要なのだ。

Prayer(祈り)


イエス様、聖書の単語だけを繋いで好きなように聖書を解釈しようとしていました。今改めて通読をすることで、今までよりも神様のお気持ちを感じながら聖書を読めているように思います。これからも導いて下さい。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。

はき違えた自由(2ペテロ2:19)

Scripture(聖書の言葉)


19 彼らはこう言います。「善人になったからといって、救われるとは限らないなら、いっそのこと、悪いことをしたほうがましじゃないか。やりたいことをやるのが自由というものだ。」このように、彼らは「自由」を教えながら、自分自身が罪と滅びの奴隷になっているのです。何かに支配されている人は、その奴隷なのです。

Observation(観察)


偽教師達の説く「自由」観についてペテロは警鐘を鳴らしている。現代でも「自由」は民主的な国家の主権とされているが、その自由をはき違え、自制と品性を失い、欲望のままに振る舞う時代になりつつある。ペテロの言うようにはき違え堕落した自由なるものの奴隷になっているのだ。わたしは堕落した自由よりも、敬虔な不自由さを選ぶ。
罪の奴隷よりも、キリストの僕でありたいのだ。

Prayer(祈り)


イエス様、人間の愚かさと醜さを誰も隠すことなく開き直る時代になりました。このような中でこそイエス様の僕が輝く時でいると信じます。その輝きに一粒になれますように。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。

イエス様を学ぶ(2ペテロ1:2-3)

Scripture(聖書の言葉)


2 あなたがたは、神の恵みと平安をもっと多くいただきたいと願っているでしょう。それなら、イエス・キリストについてもっと深く学んでください。 3 キリストを知れば知るほど、その偉大な力を通して、私たちが神に従う正しい生活を送るために必要なすべてのものをいただくことができるのです。そればかりかキリストは、ご自分の栄光と共に敬虔や品性をも、私たちに与えてくださるのです。

Observation(観察)


ペテロは私たちに対し、キリストについて深く学ぶことを勧めている。キリストを知ることで神に従うために必要な全てを与えられるのだ。なぜなら、イエス様は公生涯の間、徹底して神に従われたからだ。そのイエス様について学び倣うなら、イエス様の姿勢で生きることが出来る。さらにイエス様のキャラクターを身に帯びることが出来るのだ。イエス様を学ぼう。聖書の黙想、デボーション、神学書、学びの機会はいくらでもある。学び続け、変わり続けよう。

Prayer(祈り)


イエス様、あなたのことをもっと深く知ることが出来ますように、知るばかりでなくあなたに倣うものと変えて下さい。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。