罪を赦す権威(ルカ5:23-26)

Scripture(聖書の言葉)


23-24 この人に、『あなたの罪は赦されました』と言うのと、『起きて歩きなさい』と言うのと、どちらがむずかしいですか。わたしは病気を治す力も、罪を赦す権威も持っているのです。それを証明してみせましょう」と言い、中風の男に、「さあ、起きなさい。床をたたんで、家に帰りなさい」とお命じになりました。 25 男はすぐにはね起き、床をたたむと、並み居る人をしり目に、神を賛美しながら帰って行きました。 26 居合わせた人たちは、みな恐れに満たされて、「不思議だ。まるで考えられないことだ」と幾度もくり返しては、神をほめたたえました。

Observation(観察)


中風の人に「あなたの罪は赦されました」といっていやされたイエス様に対し、パリサイ人は文句をつける。それに対してイエス様は「わたしは病気を治す力も、罪を赦す権威も持っているのです。」と語られた。
クリスチャンはイエス様が罪を負って下さり救われることを告白する。一方でイエス様はご自身が罪を赦す権威を持っておられることを見失いがちだ。イエス様に罪の赦しを願うことと、イエス様に罪を負って頂くことは微妙に異なる。前者は罪に向き合い、決別する思いを強く持つが、後者は自分の罪の属性を悲しむ様に私は捉えてしまう。
今イエス様は十字架についたままだろうか?そうではない、いま共に居られるのはこの聖書の箇所のように罪の赦しを力強く宣言するイエス様なのだ。

Prayer(祈り)


イエス様、クリスチャンになってからも何度も失敗してきました。けれども失敗を悲しみ続けるよりも、失敗を通してより強くなる方を選びたいです。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。

権威ある言葉(ルカ4:31-37)

Scripture(聖書の言葉)


31 それからイエスは、ガリラヤの町カペナウムに帰り、毎土曜日、会堂で教えられました。 32 ここでもまた、人々はイエスの教えに驚きました。イエスが、権威あることばで真理を語られたからです。

33 ある時、会堂で教えておられると、悪霊につかれた男が、イエスに向かって大声でわめき立てました。 34 「ナザレのイエス。お願いだから出て行ってくれ! おれたちをどうしようというのだ。おれたちを滅ぼしに来たのだろう。あなたがだれなのか、よくわかっている。神のきよい御子だ。」 35 イエスは悪霊をさえぎり、「黙りなさい。その人から出て行きなさい」とお命じになりました。すると突然、悪霊は、人々の目の前で男を投げ倒しましたが、それ以上は何の危害も加えずに出て行きました。 36 あっけにとられた人々は、口々に言いました。「悪霊までが言うことを聞くとは、この方のことばにはなんと力があるのだろう。」 37 こうしてイエスのうわさは、この地方一帯に非常な勢いで広まりました。

Observation(観察)


イエス様の教えは、「権威ある言葉で真理を語られた」ものであったとある。権威ある言葉とはどのような物であったのだろうか、声の抑揚やトーンなどの小手先ではない、人々の心を動かす言葉であったに違いない。神がその場で語られたように感じたかもしれない(まさに、その通りなのだが)。さらに悪霊も騒ぎ出し、イエス様のことばによって追い出される。

Application(適用)


私たちにも言葉がある。それをどのように用いるかで世界は変わるのかもしれない。神ではないただの人間だが、神を信じ、御言葉を知っている私たちの発する言葉は、きっと何かが違うはずだ。

Prayer(祈り)


イエス様、私たちの発する言葉を変えて、そして用いて下さい。あなたのみ旨をなす働きをさせて下さい。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。

神を礼拝する(ダニエル6:6-11)

Scripture(聖書の言葉)


6 彼らは王のもとへ行き、次のように進言しました。「ダリヨス王よ。いつまでもご健勝であられますように。 7 私ども大臣、州知事、参議官ならびに総督は、どんな事情があっても取り消すことのできない法令を制定していただくよう、全会一致で決議いたしました。その法令とは、向こう三十日間、王以外のどんな神にも人にも祈りをささげる者があれば、ライオンの餌食にされる、というものでございます。 8 この法令に署名をお願いいたします。そうすれば、これは無効にすることも変更することもできない『メディヤとペルシヤの法律』となるのでございます。」 9 そこで王は、この法律に署名しました。

10 ところが、ダニエルはそのことを知りましたが、家に帰るといつものように、二階の寝室でひざまずきました。エルサレムの方角の窓を開けて、彼は一日に三度、神に祈り、感謝をささげていたのです。 11 陰謀を企てた者たちがダニエルの家に押しかけてみると、神に哀願し、祈っているダニエルの姿を見つけました。

Observation(観察)


ダニエルは同僚達の妬みから危機に陥る。王以外に祈るならライオンの餌食になるというのだ。それを知ってなお、ダニエルの行動は変わらなかった。

Application(適用)


結果的に彼は超自然的な方法で助けられるのだが、同じ状況に私が置かれたらどうでろうか。神に礼拝することの優先順位がそもそも日常の忙しさに追われて下がっているのではないか。時間を決めて、短い時間でも神に感謝する時を持つようにしたい。

Prayer(祈り)


イエス様、毎日礼拝する思いを与えて下さい。気分が乗らなかったり悩みがあると忘れてしまいがちになってしまいます。まず神優先の生き方に変えたいです。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。

生ける川の水(エゼキエル47:8-9)

Scripture(聖書の言葉)


8 その人はこう言いました。「この川は東に流れて、砂漠地帯とヨルダン渓谷を通って死海に注いでいる。こうして死海の塩分の多い水を浄化し、新鮮な水に変えるのだ。 9 この川の水に触れるものはすべて生き生きとする。魚が住める水に変えられるので、死海にも魚がいっぱいになる。この水が流れ込む所はどこでも、すべてのものが生かされる。

Observation(観察)


天使はエゼキエルに対して、神殿から流れ出る水について説明する。神殿から始まった水は先に進むにつれ深く広くなり、ついには死海に注がれる。死海の水が浄化され新鮮な水となり、魚が住むようになる。「この水が流れ込む所はどこでも、すべてのものが生かされる。」とも有る。

Application(適用)


私はかつてイスラエル旅行で、死海の水を舐めたことがある。とてつもない塩気でむせかえるようで有った。ここにはどう考えても生き物は住めない、そう感じた。神はこの死海のような救いようのない人の心を生きる者に変えて下さる。これを受けるためにはその水の源がなんであるか知ることが重要だ。きよい水が流れ出すのはきよい神殿だ。神の臨在から流れ出る水が私たちを変え、真の意味で生きる者と変えて下さる。

Prayer(祈り)


イエス様、あなたの与える水によって生きる者と変えて下さい。私は乾いています。いきいきと生きる命がありません。新しくして下さい。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。

贈与された地(エゼキエル46:16-18)

Scripture(聖書の言葉)


16 主がこう語ります。「君主がその子に土地を贈与するなら、その土地は永遠にその子のものとなる。 17 しかし、奴隷の一人に贈与した場合には、彼が自由の身とされる七年目ごとの解放の年まで、彼のものとなるだけである。その後、その土地は君主に返される。永続するのは息子に贈与されたものだけだ。 18 また、君主は力ずくで人の土地を取り上げてはならない。その子には自分の土地を与えなければならない。わたしの民が土地を失って、追い出されるような事態になることをわたしは望まないからだ。」

Observation(観察)


この箇所では、帰還後の土地の取り扱いについて述べている。土地の相続が君主にも、一般の人にも正しく行われるように命じている。「取り分」といえば神の子とされた私たちの受ける分を連想する。この世の土地は相続だけでなく売却や開発に伴う移転などで無くなったり変わったりしてしまうが、霊的な相続地であるイエス様は変わることはない。この聖なる土地を感謝して受け取り、住まいとしよう

Prayer(祈り)


イエス様、あなたこそが私の相続地であり、受ける分です。この世で私の手にした物とは比べものにならない価値ある物です。あなたの内に住む者とさせて下さい。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。

神殿の生命(エゼキエル43:10-12)

Scripture(聖書の言葉)


10 人の子よ。おまえに見せた神殿の光景を、イスラエル国民に描きなさい。神殿の構造や造りを教えるのだ。そうすれば、彼らも罪を恥じるようになるだろう。 11 もし彼らがほんとうに自分たちのしたことを恥じるなら、そのときには、戸や入口などの構造を細大もらさず説明しなさい。守らなければならない命令や規則を、みな書き記すのだ。 12 きよさこそ神殿の生命である。神殿が建っている山の頂全域がきよいのだ。これこそ、神殿についてのおきてである。

Observation(観察)


神はエゼキエルにやがて再建される神殿の幻を見せた。破壊された神殿は偶像礼拝によって汚され、神の怒りを買っていた。それ故に、神殿の幻を民に示すことは、悔い改めを促すことと、帰還と信仰の復興の希望を示す者であった。「きよさこそ神殿の生命である」きよさを失っては神殿は命を失う。私たちが神の神殿であるなら、そのきよさはどうであろうか。いのちを失ってはいないだろうか。それともすでに破壊されてはいないだろうか。神が見せてくれる神殿再建の幻を受け取り、私たちも作り直されいのちのある者となろう。

Prayer(祈り)


イエス様、神殿をきよい物とするように同様、私たち自身もきよさをもとめる必要があることが分かりました。神がお嫌いになる物が何か、喜ばれる物はなにか、御言葉から学び従います。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。

新しい天と地(黙示録21:1-4)

Scripture(聖書の言葉)

それから私は、新しい天と新しい地とを見ました。そこには海はありません。今までの天も地も、消え去ってしまいました。 2 また、私ヨハネは、神のもとを出て天から下って来る、聖なる都、新しいエルサレムに目を奪われました。その眺めのすばらしさは、まるで美しく着飾った花嫁のようでした。 3 私は、王座から大声で叫ぶ声を聞きました。「ごらんなさい。神の住まいが人々の間にあります。神は人々と共に住み、人々は神の国民となります。神ご自身が人々の中に住み、 4 その目から涙をぬぐってくださるのです。もはや、死も悲しみも叫びも苦痛もありません。それらはみな、永遠に姿を消したからです。」

Observation(観察)

万物が改まる、とは地上の生命や物質が新しくなる、と言うだけの意味ではない。天も新しくなり、地も新しくなる。全くの別世界が私の前に現れてくるということだ。そこに存在する人の有り様も全く変わる。死も悲しみも叫びも苦痛も無い、と書かれている。ヨハネの時代から今に至るまでの世にはその苦悩が溢れている。だがクリスチャンには新しい世への希望がある。艱難に遭っていてもそれに耐え、誠実に生き続けよう。

Prayer(祈り)

イエス様、新しい世に思いを寄せます。通るべき苦難をへても、むしろそれ故にその希望は強くなります。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。

屈めた身を起こす(詩篇145:14)

Scripture(聖書の言葉)

14 主は倒れた人を起こし、
あまりの重荷に身をかがめている人の
背筋を伸ばされます。

Observation(観察)

あまりの重荷に身を屈めている人、短いセンテンスだがこれだけで私はシンパシーを感じる。人生にはいつも重荷があり、時には一歩も動けなくなることがある。しかし主はその様な人の背筋を伸ばされる、とある。重荷を負って身を屈めている人の背筋を伸ばすにはどうすれば良いか、それは彼の負っている重荷を取り除き代わりに負うことである。神様は私の重荷を負って下る。そればかりでなく、その上で背筋を伸ばして、再び立ち上がって歩けるようにしてくださるのだ。重荷を感じた時は、遠慮なく神様に願って助けていただこう。その代わりうずくまるのはやめて、立ち上がって歩き出そう。

Prayer(祈り)

イエス様、いつも気づくといろいろ背負い込んで動けなくなっている自分を発見します。今イエス様、重荷を下ろします。あなたが代わりに負ってくださる空です。その上で、あなたの軽いくびきを負って、再び立ち上がります。今助けて下さい。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。

いのちの息(エゼキエル37:11-14)

Scripture(聖書の言葉)

11 その時主は私に、この幻が告げようとしている意味を教えてくれました。「これらの骨は、イスラエルの民全体を表している。彼らは、『われわれは干からびた骨の山になってしまった。もう何の望みもない』と嘆いている。」 12 神である主はこう語ります。「そんな彼らに告げよ。わたしの民よ。わたしは捕囚という墓を開いて、あなたがたを生き返らせ、イスラエルの地に連れ戻す。 13 その時、わたしの民よ。あなたがたはやっと、わたしが主であることを知るのだ。 14 わたしの霊を注ぎ入れると、あなたがたは生き返り、懐かしい祖国に帰ることができる。その時、あなたがたはわたしが約束を果たしたことを知る。」

Observation(観察)

エゼキエルが骨に予言する幻の箇所である。干からびた骨に預言すると骨がつながり、息に預言すると息が集まり生きた人となった、と言うものだ。骨はイスラエルの民全体を表している、とも書かれている。この骨を私自身に置き換えて考えてみる。それは望みのない霊的に干からびた姿となり、敵の捕囚に成り果てた姿だ。しかし神はこの様な私を回復し、息を入れて霊的に生きたものとされる。自分の領地である自分の体を神は悪いものの支配から解放してくださるのだ。

私がどんなに霊的危機にあったとしても、神は神の物である私を、そこから回復してくださるのだ。

Prayer(祈り)

イエス様、あなたの贖いのゆえにエゼキエルのイスラエルに対する預言を自分に適用することができます。今日は今日一日、明日は明日一日、いのちの息を受けて生きるものとして下さい。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。

良い羊飼い(エゼキエル34:20-24)

Scripture(聖書の言葉)


20 それゆえ、神である主はこう語ります。「わたしは、この肥えた羊飼いとやせこけた羊との間をさばいて、黒白をはっきりさせる。 21 この羊飼いどもは、飢えて病気にかかったわたしの羊を圧迫し、突き倒し、むりやり遠くにまで散らしてしまったのだ。 22 それで、わたしは自分の手でわたしの群れを救い出す。もう二度と、いじめたり殺したりはさせない。わたしには、どれが肥えているか、どれがやせているか、その訳がはっきりわかっている。 23 わたしは、民全体を牧する一人の羊飼いを立てよう。それはわたしの忠実なしもべ、ダビデである。彼は羊飼いとなって、わたしの民を養う。 24 こうして、主であるわたしが彼らの神となり、わたしのしもべダビデは君主となる。主であるわたしがこう語ったのだ。

Observation(観察)


イスラエルのさばきに関して神は、さばきの一つの現れとして、悪い羊飼いと羊の群れとの間を正しく裁きをされることが書かれている。神は弱り迫害されていた羊たちを守り、新しい羊飼いを立てると言われた。それはダビデであると聖書は言う。すなわち、ダビデの裔であるイエス様が私たちを守られるという約束だ。いまもイエス様は傷つき弱った羊はいないか、迫害されている羊はいないか、探し歩いていて下さる。

Prayer(祈り)


イエス様、時々自分が失われた存在であるかのように感じることがあります。このようなわたしでもあなたが喜んで下さるのなら、この世にいることにも意味を見いだせます。まずあなたの元で回復できますように。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。