証し人(使徒1:4-8)

Scripture(聖書の言葉)


4 そんなある時のことです。イエスは使徒たちに、こうお命じになりました。「エルサレムから離れてはいけません。前にも言ったように、父が約束を果たしてくださるまで、待っていなさい。 5 バプテスマのヨハネは水でバプテスマ(洗礼)を授けましたが、もうすぐ、あなたがたは聖霊によるバプテスマを受けるからです。」

6 そこで、またイエスが姿を現された時、使徒たちは心躍らせながら、「主よ。今こそイスラエルを解放し、独立国として再興なさるのですか」と尋ねました。

7 「それがいつかは、父がお決めになります。あなたがたが、あれこれ言うことはできません。 8 しかし、聖霊があなたがたに下る時、あなたがたは大きな力を受け、エルサレムからユダヤ全土、そしてサマリヤから地の果てまで、わたしの死と復活を伝える証人となります。」

Observation(観察)


イエス様によって聖霊様の再臨は幾度も語られていた。弟子達は理解できず、頓珍漢な質問をしているが、イエス様はそのような弟子達が聖霊様によって力を受け、イエス様の力強い証人となることを語られた。聖霊様の働き無くしてイエス様を証することは出来ない。今日も聖霊様によって私の心が感動され、働き出すことができるよう求めよう。

Prayer(祈り)


イエス様、あなたの死と復活、昇天という重要なプロセスを経て、聖霊様が来られました。聖霊様のバプテスマを受けた者は証し人としての働きを受けていると信じます。再び語る力を与えて下さい。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。

今生きておられるイエス様(ルカ24:3-7)

Scripture(聖書の言葉)


3 中へ入って見ると、主イエスの体は影も形もありません。 4 「いったい、どうなってるのかしら。」女たちは途方にくれました。すると突然、まばゆいばかりに輝く衣をまとった人が二人、目の前に現れました。 5 女たちはもう恐ろしくて、地に伏したまま顔も上げられず、わなわな震えていました。その人たちは言いました。「なぜ生きておられる方を、墓の中で捜しているのです。 6-7 あの方はここにはおられません。復活なさったのです。まだガリラヤにおられたころ、何と言われましたか。メシヤは悪者たちの手に売り渡され、十字架につけられ、それから三日目に復活する、と言われたではありませんか。」

Observation(観察)


イエス様の葬られた墓を三日目に訪れた女達は、イエス様の遺体が無いことを驚いた。そして天使が現れ「なぜ生きておられる方を、墓の中で捜しているのです。 6-7 あの方はここにはおられません。復活なさったのです。」と告げる。私たちが信じているイエス様は死んで葬られたままの新興宗教の指導者ではない。今も生きて共におられるメシアなのだ。十字架上のイエス様のイメージも重要だが今ともに生きておられるイエス様をより強くイメージしよう。

Prayer(祈り)


イエス様、生きているあなたを強く認識して日々を歩むことが出来ますように、自分の中の固定観念を壊して、新しくして下さい。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。

極限状況での救い(ルカ23:39-47)

Scripture(聖書の言葉)


39 イエスの横で十字架につけられていた犯罪人の一人が、「あんたはメシヤなんだってなあ。だったら、自分とおれたちを救ってもよさそうなもんだ。どうなんだ」とののしりました。 40-41 しかし、もう一人の犯罪人は、それをたしなめました。「この期に及んで、まだ神を恐れないのか! おれたちは悪事を働いたんだから、報いを受けるのはあたりまえだ。だが、このお方は悪いことは何もしなかったのだ。」 42 そして、イエスにこう頼みました。「イエス様。御国に入る時、どうぞ私を思い出してください。」 43 イエスはお答えになりました。「あなたは今日、わたしといっしょにパラダイス(天国)に入ります。」

44 その時です。正午だというのに、突然、あたりが暗くなり、午後三時までそんな状態が続きました。 45 太陽は光を失い、神殿の幕が、なんと真っ二つに裂けたのです。 46 その時イエスは、大声で、「父よ。わたしの霊を御手におゆだねします!」と叫んで、息を引き取られました。 47 刑を執行していたローマ軍の隊長は、不思議な出来事を見て、神への恐れに打たれ、「確かに、この人は正しい方だった」と言いました。

Observation(観察)


イエス様に熱狂していた民衆は祭司長達の煽動によって態度を180度変えてイエス様を十字架に架けるよう叫び続けた。弟子達は逃げ去ってしまった。十字架の光景はなんと寂しい物であっただろう。しかし、隣に同じく十字架刑に処せられていた犯罪人はイエス様を神とし、救われる。そしてイエス様の処刑に直接的に手を下したローマの隊長もイエス様の姿に神を見いだした。

仮に私が死刑囚であったとしても、あるいは死刑執行人であったとしても、その様な極限の状況でもイエス様を見いだすことが出来るのだ。全ての人が、全ての状況において、イエス様を見つめるならば、イエス様を神と見つけることが可能なのだ。

Prayer(祈り)


イエス様、何度でも十字架について書き、また語ります。イエス様に一人でも多くの人が出会ってほしいからです。人々が自分の状況ではなく、ただ神が神であることを見つけることが出来ますように。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。

短い祈り(ネヘミヤ2:1-5)

Scripture(聖書の言葉)


1-2 それから四か月ほどたった第七の月のある日、私が王にぶどう酒をついでいると、王が私に話しかけました。「浮かない顔をしているが、具合でも悪いのか。何か大きな悩みでもあるのか。」

私はその時まで、王の前ではいつも明るく振る舞うようにしていました。私はとても怖くなりましたが、こう答えました。 3 「王様、どうして悲しまずにいられましょう。先祖たちの眠る町が廃墟となり、門も焼け落ちたままなのです。」 4-5 「そうか。では何をしてやればよいのか。」私は短く天の神に祈ってから答えました。「もし、王様のお心にかなって、お許しいただけますなら、私をユダに遣わし、先祖たちの町を再建させてください。」

Observation(観察)


後にユダヤの総督となるヘネミヤは、ペルシャの献酌官であった。イスラエルの荒廃を聞き意気消沈したエレミヤに対し、王は悩みでもあるのかと声をかける。どうしたらよいかと尋ねる王に対し、ネヘミヤは「短く祈って」エルサレムの再建を願い出る。この一言が世界の歴史を変えた。この瞬間の祈りがなければ、王の応答も変わっていたかもしれない。何かを判断する時、私はどれだけ祈っているだろうか。人間は一日35000回の判断をするという。その判断が神の喜ばれる物になるように、この「短い祈り」を実践して行きたい。

Prayer(祈り)


イエス様、小さな判断の積み重ねで現在があります。祈ったことは多分1パーセントにも満たないかもしれません。これからはできる限り祈って判断するよう習慣を変えたいです。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。

世の終わり(ルカ21:29-33)

Scripture(聖書の言葉)


29 このあとイエスは、人々にたとえで話されました。
「いちじくの木やほかの木を注意して見ていなさい。 30 葉が出てくれば、ああ、もうすぐ夏だなと思うでしょう。 31 同じように、こうした現象が起こるのを見たら、神の国はもうそこまで来ていると考えなさい。 32 はっきり言いましょう。これらのことが全部起こってから、世の終わりが来るのです。 33 天と地とは消えてなくなります。けれどもわたしのことばは、永遠に真実なものとして残るのです。

Observation(観察)


世の終わりとキリストの再臨の予兆について語られた後、イエス様はあらためて喩えで話された。聖書に書かれている予兆をみたなら、世の終わりと神の国は近いと考えなさい、とイエス様は言われている。「天と地は消えてなくなります」とはこの世の全てが消失すること、言い換えれば三次元の世界が失われる事なのかもしれない。しかし「わたしのことばは、永遠に真実なものとして残るのです。」と言われている。「はじめに言葉があった」というとおり、はじめから有った物が最後まで残るのだ。私たちが御言葉を読み心に蓄えるのは、三次元の肉体に、四次元あるいはそれ以上の世界を孕むと言って良い。御言葉を学び、イエス様の世界を私たちの内に形作ろう。

Prayer(祈り)


イエス様、世の終わりの時に私たちは立ち会うかもしれません、あるいは普通に命を終えるかもしれません。いずれにせよ私たちが最後に持っているのが御言葉でありますように。日々備えます。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。

神にお返しすべき物(ルカ20:22-26)

Scripture(聖書の言葉)


22 それで、ぜひお教えいただきたいのですが、ローマ政府に税金を納めるのは正しいことでしょうか。それとも正しくないことでしょうか。」 23 彼らの計略は見えすいていました。イエスは言われました。 24 「銀貨を見せなさい。ここに刻まれているのは、だれの肖像、だれの名前ですか。」「カイザル(ローマ皇帝)のです。」 25 「それなら、皇帝のものは、皇帝に返せばいいでしょう。しかし、神のものはみな、神に返さなければなりません。」 26 公衆の面前でイエスのことばじりをとらえようとするたくらみは、みごと失敗に終わりました。彼らはイエスの答えに恐れ入り、返すことばもありませんでした。

Observation(観察)


祭司長達はイエス様の言葉尻を捉えようと人を使わして当時の支配者であるローマ皇帝に税金を払うことの是非を問う。イエス様の答えは有名な「カイザルの物はカイザルに、神のものは神に返しなさい」であった。
神に返すべき物とは何であろうか、さらに立ち返るなら私は神から何を受け取ったのかを思い返さなければならない。何もない所から出発して、現在に至るまで守り祝福して下さったこと一つ一つを忘れてはならない。一方で足りないことばかりを嘆いている。このような姿勢を見直し、何度でも同じ言葉でも祝福を感謝し栄光をお返しするべきなのだ。

Prayer(祈り)


イエス様、拙い私の感謝の言葉でも受け取って下さる事を感謝します。栄光はただ主にあります。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。

賜物を無駄にしないで(ルカ18:12-13)

Scripture(聖書の言葉)


12 「ある所に身分の高い人が住んでいました。やがてその地方の王に任命されるため、遠くの都に出かけることになりました。 13 そこで、出発前に十人の家来を呼び寄せ、留守中に事業を始めるように、めいめいに一ミナ(一ミナは当時の約百日分の賃金に当たる)ずつ渡しました。

Observation(観察)


イエス様の喩えで賜物を如何に用いるか、について語られている。ある身分の高い人がしもべの各々に一ミナ(200万円くらい?)を渡して事業を始めるように、と言われた。事業を始めた利益を得た者達は賞賛を受け、町を治めるように言われるが、何もせず無駄に時間を過ごした者は叱責される。私たちは各々賜物を与えられているが、それを用いることを神は期待されている。何もせず賜物を無駄にした者は神に喜ばれる事は無い。

Prayer(祈り)


イエス様、自分に出来ることをしないでうずくまっているような日々はもう止めたいです。必要な気力も体力も与えて下さい。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。

祈り続ける難しさ(ルカ17:1-8)

Scripture(聖書の言葉)


ある日、イエスは弟子たちに、いつでも祈り、また答えられるまで祈り続けることを教えようと、一つのたとえを話されました。 2 「ある町に、少しも神を恐れず、人を人とも思わない裁判官がいました。 3 同じ町に住む一人の未亡人が、たびたびこの裁判官のところへ押しかけ、『訴えられて困っています。どうか私を守ってください』と願い出ました。 4-5 裁判官はしばらくの間、相手にしませんでしたが、あまりのしつこさに我慢できなくなり、心の中でこう考えました。『私は神だろうが人間だろうがこわくないが、あの女ときたらうるさくてかなわない。しかたがない。裁判をしてやることにしよう。そうすれば、もうわずらわしい思いをしなくてすむだろう。』」 6 主は続けて言われました。「このように、悪徳裁判官でさえ音を上げてしまうのなら、 7 まして神は、昼も夜もひたすら訴え続ける信者たちを、必ず正しく取り扱ってくださるはずです。そうは思いませんか。 8 神はすぐにも答えてくださるのです。ただ問題は、メシヤのわたしが帰って来る時、いったいどれだけの人が信仰を持って祈り続けているかです。」

Observation(観察)


悪徳裁判官の喩えでは、イエス様は祈り続けることの重要性を語られた。裁判官とはその名の通りさばき、審判者を表す。(勿論神は正義の神であり悪徳ではないが)しかしイエス様の私たちに投げかけている最大のメッセージは「ただ問題は、メシヤのわたしが帰って来る時、いったいどれだけの人が信仰を持って祈り続けているかです。」という箇所である。一日二日祈ることは誰でもする。深刻な課題があれば断食して祈祷山に上り一週間祈ることもあった。しかし課題が過ぎ去れば祈りは終わってしまっていた。イエス様は「祈り続けているか」と問いかけられている。イエス様の再臨まで続く祈りをするためには、それほど大きな原罪という課題を謙遜に認識しているかどうかなのだと思う。

Prayer(祈り)


イエス様、謙遜さについてまだ道を歩み始めたばかりです。原罪の重さとその赦しの大きさをもっと深く理解させて下さい。その理解が祈りの原動力となりますように。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。

帰ってきたサマリヤ人(ルカ16:11-19)

Scripture(聖書の言葉)


11 一行はエルサレムを目指して進み、途中サマリヤとガリラヤの境を通りました。 12 ある村に入ると、十人のツァラアトの人がずっと向こうのほうから、 13 「イエス様! どうぞお助けを!」と大声で叫んでいました。 14 イエスはそちらに目をやり、「さあ、祭司のところへ行き、ツァラアトが治ったことを見せてきなさい」と言われました。彼らがそのとおり出かけて行くと、途中でツァラアトはきれいに治りました。 15-16 その中の一人が、イエスのところに引き返し、足もとにひれ伏して、「ありがとうございます。おっしゃるとおり、すっかりよくなりました。神様に栄光がありますように」と言いました。実はこの人は、ユダヤ人から軽蔑されていたサマリヤ人でした。 17 「はて、十人全部がいやされたはずだが、ほかの九人はどうしたのですか。 18 神を賛美するために帰って来たのは、この外国人のほかにはいないのですか。」 19 こう言ってから、イエスはその男に、「さあ、立って帰りなさい。あなたの信仰があなたを治したのです」と言われました。

Observation(観察)


十人のツァラアトの人がイエス様に憐れみを乞うと、イエス様は祭司のところに行って治ったことを見せなさい、と言われた。そして出かけて行く途中で癒しが起きたとある。イエス様が言葉をかけられた時点でまだ病は癒やされていなかったが、従って歩いた時に癒しが起きたのだ。しかし重要なのは、イエス様の元に引き返して神に栄光を帰したサマリヤ人に対する言葉だ。「さあ、立って帰りなさい。あなたの信仰があなたを治したのです」と話された。イエス様の言葉で癒しが始まり、神に栄光を帰すという信仰が癒しを完成したのだ。私も神に様々なことを願い、かなえられたことも数多くある。しかし真剣に神に栄光を帰していただろうか。もしかしたら結果祝福を失っていたことも多々あったのではないだろうか。

Prayer(祈り)


イエス様、有名な箇所ですが、改めて栄光を帰すことを学びました。表面的な祝福の時点で満足しないで、神に感謝することで物事は完結すると理解しました。いま栄光をお返しします。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。

ラザロと金持ち(ルカ15:27-31)

Scripture(聖書の言葉)


27 金持ちは言いました。『ああ、アブラハム様。それならせめて、ラザロを私の父の家にやってください。 28 まだ五人の兄弟が残っているのです。彼らだけは、こんな目に会わせたくありません。どうぞ、この恐ろしい苦しみの場所があることを教えてやってください。』 29 『それは聖書が教えていることではないか。その言うことを聞くべきです。』 30 金持ちはあきらめません。『でも、アブラハム様。彼らは聖書を読みたがらないのです。ですが、もしだれかが死人の中から遣わされたら、彼らも罪深い生活を悔い改めるに違いありません。』 31 アブラハムはきっぱり言いました。『モーセと預言者たちのことばに耳を貸さないのなら、だれかが生き返って話したところで、彼らは聞き入れないだろう。』」

Observation(観察)


死んで地獄に行った金持ちは、天国にいるアブラハムに対し、天国にいる(生前苦労した)ラザロを残された家族に送り、こんな所に来ないように伝言してくれと頼む。しかしアブラハムはその事はすでに聖書に宣べられていると拒む。金持ちは「彼らは聖書を読みたがりません。でも誰かが死者の中から使わされるなら悔い改めるに違いありません」と答えるが、アブラハムは、仮にそういうことがおきても聖書を信じないなら彼らの話を信じないだろう、と拒否している。

いかなる奇跡も復活でさえも、聖書に軸足を置いて生活していない者にとっては意味の無い話に過ぎない。現にイエス様の復活について二千年間語られていても寓話や神話の類いとしか受け取らない人が圧倒的に多い。

すでに信者である私たちでさえも、聖書を中心に据えなければ信仰がぶれてしまう。毎日聖書を精読することで心を整えよう。

Prayer(祈り)


イエス様、人間の心は揺れ動きますが聖書は変わりません。自分の感覚よりも聖書がなんと言っているかを優先して考えることが出来ますように、聖書から知恵を下さい。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。