結論ありきの行動(ヨハネ9:18-24)

Scripture(聖書の言葉)


18 しかし、ユダヤ人の指導者たちは、盲目だった男が見えるようになったことを、どうしても信じようとはしません。とうとう両親まで呼び出し、 19 確かめることにしました。「この男は息子だな。ほんとうに生まれつき目が見えなかったのか。だったら、どうして見えるようになったのだ。」 20 両親は答えました。「はい、確かに息子でございます。この子は生まれつき目が見えませんでした。 21 けれども、どうして見えるようになったのか、どなたがこれの目を開けてくださったのかは、少しも存じません。どうぞ本人からじかに聞いてみてください。もう一人前の大人ですから、自分で説明できるでしょう。」 22-23 こう言ったのは、ユダヤ人の指導者たちがこわかったからです。指導者たちはすでに、イエスをキリストと告白する者は、だれかれの区別なく会堂から追放すると公表していたのです。

24 指導者たちは、男をもう一度呼び寄せ、きつく言い渡しました。「イエスなどではなく、神をあがめなさい。あいつは悪党だ。」

Observation(観察)


イエス様による、生まれつき盲目の男の目を開けた奇跡に対し、ユダヤ人指導者は先ずイエス様を否定する立場から、この奇跡を理解しようとして奇妙な行動を取る。盲目だった男に何度も経緯を説明させたり、両親を呼んで見えるようになった理由を問いただしたりした。イエス様を否定しながら、奇跡を解釈しようとするとどうしても辻褄が合わなくなってしまう。最終的に指導者達は完全に誤った方法で矛盾を解決しようとする。それはイエス様の磔刑である。しかしこの企みも失敗に終わる。イエス様の復活と昇天、聖霊様の来臨による教会の成立によって、イエス様の計画の完成を成し遂げた。

Application(適用)


私が気をつけなければならないのは、先入観や決めつけをもって物事をみてしまいがちな事だ。正直、自分の狭い枠の中だけで世の中を解釈するのは簡単な方法だ。広い視野を持つには自己の利害にこだわらない心と、深い知識と理解が必要だ。このユダヤ人指導者達のように、結論ありきて行動して自己矛盾に縛られることの無いようにしたい。

Prayer(祈り)


イエス様、世の有り様はとても複雑で、どの側面から見るかで善にも悪にもなってしまいます。私の直面する物事について、どうしたらよいかをいつもあなたに尋ね求めることが出来ますように。決して思い込みや過去の経験に囚われて物事を結論づけることがないように助けて下さい。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。

神に栄光を帰す(ヨハネ7:16-18)

Scripture(聖書の言葉)


16 そこでイエスは言われました。「わたしの教えは、自分で考え出したことではありません。わたしをお遣わしになった神の教えなのです。 17 ほんとうに神の望まれるとおりのことをしようと思う人なら、わたしの教えが神から出たものか、あるいはわたしから出たものか、はっきりわかるはずです。 18 自分の意見だけをまくし立てる人は、実はわが身がほめられたい一心なのです。しかし自分をお遣わしになった方の栄誉を求める人は、正直者です。

Observation(観察)


イエス様が語られたのは父なる神様から聞いたことを話している、と言われた。神の御子であるにも関わらず、あくまでも神の栄光を最優先に行動された。これは私たちにとって大事な規範だ。何度か御言葉を語る機会を与えられ、一生懸命に語ったが、今振り返ると、そこには自分の名誉を求める気持ちがあったような気がする。自分なりに解釈した「自説」を飾り立てた言葉で伝えていた。これは大いに反省すべき点だ。今後もし御言葉を語る機会が与えられたら、シンプルに、御言葉を歪めず、自説を強調せず、神様に良く聞いて(祈って)語るようにしたい。

Prayer(祈り)


イエス様、御言葉を伝えたいという熱意が、自分の栄誉を求める思いにすり替わっていたかもしれません。悔い改めます。良く祈り御言葉をそのまま受け取り、伝える事に専念したいです。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。

福音の理解(ヨハネ6:47-51)

Scripture(聖書の言葉)


47 よく言っておきます。わたしを信じている人はだれでも、すでに永遠のいのちを得ているのです。 48 わたしがいのちのパンなのです。 49 あなたがたの先祖は、荒野で、空から降って来たパンを食べましたが、結局はみな死んでしまいました。 50 けれども、天から下って来たパンは違います。それを食べる人は永遠のいのちをいただくのです。 51 わたしが、その天から下って来たいのちのパンなのです。このパンを食べる人はだれでも永遠に生きます。このパンは、人類の救いのためにささげるわたしの体なのです。」

Observation(観察)


イエス様はご自身をマナと比較していのちのパンと表現された。また「このパンは、人類の救いのためにささげるわたしの体なのです。」と贖罪と救いについてもすでに言及されている。しかし、弟子達ですらその意味を理解できなかった。この言葉の意味を理解するにはイエス様の十字架の死と復活、そして聖霊様の来臨を待たなければならなかった。とはいえ、私は弟子達を論評できる立場では無い。私自身、十字架について本当に理解しているかと聞かれると、100%の自信は無い。この意味は生涯を通じて追い求めなければならないものだ。そして最終的な答えは天の御国で教えて頂けると信じたい。

Prayer(祈り)


イエス様、福音について私はどこまで理解しているか分かりません。ただ信じ告白すれば救われるという御言葉にすがるのみです。けれどもどこまでも真理に近づきたいと願います。知恵を下さい。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。

水と御霊によって生まれる(ヨハネ3:3-8)

Scripture(聖書の言葉)


3 「そうですか。でもよく言っておきますが、あなたはもう一度生まれ直さなければ、絶対に神の国に入れません。」 4 ニコデモは、思わず言いました。「ええっ、もう一度生まれるのですか。いったい、どういうことですか。年をとった人間が母親の胎内に戻って、もう一度生まれることなどできるわけがありません。」 5 「よく言っておきますが、だれでも水と御霊によって生まれなければ、神の国には入れません。 6 人間からは人間のいのちが生まれるだけです。けれども御霊は、天からの、全く新しいいのちを下さるのです。 7 もう一度生まれなければならないといって、驚くことはありません。 8 風は音が聞こえるだけで、どこから吹いて来て、どこへ行くのかわかりません。御霊も同じことです。次はだれにこの天からのいのちが与えられるか、わからないのです。」

Observation(観察)


ニコデモに対しイエス様は、「だれでも水と御霊によって生まれなければ、神の国には入れません。」と告げられた。水とは悔い改めて洗礼を受けることであり、御霊とは聖霊様のバプテスマを意味するであろう。ここでイエス様は洗礼と聖霊様の傾注を不可分でありながらも別なものとして表現された。洗礼を受ければ自動的に聖霊様を受けるわけでは無く、悔い改めなくして聖霊様を受けることも無い。「御霊は、天からの、全く新しいいのちを下さるのです。 」ともある。新しいいのちは聖霊様を受けることによって始まるのだ。さらには「風は音が聞こえるだけで、どこから吹いて来て、どこへ行くのかわかりません。御霊も同じことです。次はだれにこの天からのいのちが与えられるか、わからないのです。」とも述べられた。聖霊様の傾注は聖霊様ご自身の意思によるものなのだ。

Prayer(祈り)


イエス様、聖霊様を送って下さって感謝します。30年前に熱心に、命がけで聖霊様が臨まれることを祈りました。この体験なくして今はありません。いつも新しく聖霊様を感じ続ける事が出来ますように。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。

キリストを知る(2ペテロ1:2-4)

Scripture(聖書の言葉)


2 あなたがたは、神の恵みと平安をもっと多くいただきたいと願っているでしょう。それなら、イエス・キリストについてもっと深く学んでください。 3 キリストを知れば知るほど、その偉大な力を通して、私たちが神に従う正しい生活を送るために必要なすべてのものをいただくことができるのです。そればかりかキリストは、ご自分の栄光と共に敬虔や品性をも、私たちに与えてくださるのです。 4 さらに神は、それによって、すばらしい約束を与えてくださいます。この約束のゆえに、私たちは欲望のもたらす滅びから守られ、キリストのご性質を備えた者となれるのです。

Observation(観察)


ペテロは「イエス・キリストについてもっと深く学んでください。」と述べている。それはただ座って研究するだけの学びでは無い。ペテロ自身、イエス様から学ばれたのは、教えと、奇跡を見ることと、自分で宣教と癒しを行うことであった。
私はもっともっと学びたいといつも考えているが、それは本を読むことや学校に行くだけでは無く、体験を伴うものでありたいと願っている。それは自分から一歩を踏み出さなければ始まらないものだ。

Prayer(祈り)


イエス様、もっとあなたを知りたいです。座学だけで無く、体験を通して理解したいのです。新しい一歩を踏み出せますように。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。

救われた目的(1ペテロ2:8-10)

Scripture(聖書の言葉)


8 彼らのつまずきの原因は、神のことばに耳を傾けず、従おうとしないことですが、そうなるように定められてもいたのです。9 しかし、あなたがたはそうではありません。あなたがたは神から選ばれた王なる祭司であり、きよい民として神のものとされた人たちです。それはすべて、どうして自分が暗闇から神の驚くべき光へと招き入れられたかを、人々に語り伝えるためなのです。 10 あなたがたは、以前は全く無きに等しい者でしたが、今は神のものとされています。以前は神のいつくしみから遠い者でしたが、今では神のいつくしみによって変えられました。

Observation(観察)


私はカルヴァンの二重予定説が必ずしも正しいとは考えていないが、先に救われた人々には重要な使命があると考える。ペテロはその使命について「どうして自分が暗闇から神の驚くべき光へと招き入れられたかを、人々に語り伝えるためなのです。」と述べている。その結果についてペテロは何も求めていない。ただ語り伝えることを命じている。救われるべき人に福音が届くために、イエス様の救いを証するものでありたい。

Prayer(祈り)


イエス様、私も複数人々や書物など色々な形で福音に触れ、教会に来ることが出来ました。私もまだ知らない誰かのためにどんな形であっても福音を知らせる働きがしたいです。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。

謙遜(ヤコブ1:19-21)

Scripture(聖書の言葉)


19 愛する皆さん。人のことばにまず耳を傾け、自分はあとから語り、怒るのは最後にしなさい。 20 怒りは、神の義から私たちを遠く引き離すからです。 21 ですから、自分の生活を総点検して、どんな悪をもすっかり取り除き、神のことばをすなおに受け入れなさい。神のことばには、私たちの心をとらえ、たましいを救う力があるからです。

Observation(観察)


新改訳では「人はだれでも、聞くのに早く、語るのに遅く、怒るのに遅くありなさい。人の怒りは神の義を実現しないのです。」
と訳されている。人間関係において謙遜を保つポイントは人の意見を受け止めるということだ。けれどなにか言いたいことがあると僕は被せるように話してしまう事がある。これは間違った態度だ。また今年は数回、怒りを露わにしてしまい失敗する苦い経験があった。自分の中の弱さを理解するところから再出発出来たと信じたい。

Prayer(祈り)


イエス様、自分の弱さ、至らなさに気付かされた一年でした。謙遜な道を歩みたいと願います。見せかけでは無く、心の底からの謙遜さを求めます。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。

襟を正す(ヘブル13:7)

Scripture(聖書の言葉)


7 神のことばを教えてくれた指導者たちのことを思い出しなさい。その生活からにじみ出た、すべての良いものに心をとめなさい。そして、彼らに見ならって、主を信じなさい。

Observation(観察)


ヘブル書記者は、教会の指導者達から学ぶように言っている。それはその教えに従うことばかりでは無く、彼らの「生活からにじみ出た、すべての良いもの」を見習うようにと言っている。逆に言えば、指導者はその生活も大事に誠実にしなければならないと言うことだ。言葉が上手で人々を盛り上げることが出来ても、生活が荒廃していてはなんの証しにもならない。ここでいう指導者とは必ずしも教職者をさすとは限らない。すべての信仰者が新しく救われた誰かをリードするのであれば、私たちも生活の襟を正さなければならない。

Prayer(祈り)


イエス様、ふらふらした歩みで生きてきました。証しにならないことも多々ありました。赦して下さい。誠実に真っ直ぐ生きることが出来ますように。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。

御言葉を心に記す(ヘブル10:15-18)

Scripture(聖書の言葉)


15 聖霊も同じ証言をされます。 16 「イスラエル人たちは最初の契約を破ったが、わたしが新たに彼らと結ぼうとしている契約はこれである。わたしは、常にわたしの意思を知らせるために、律法を彼らの心に書き記す。そして、律法を彼らの思いの中に据えるので、彼らは喜んでこれに従うようになる。」(エレミヤ31・33) 17 さらに聖霊は、こうも言われます。「わたしは、二度と彼らの罪と不法を思い出さない。」(エレミヤ31・34) 18 このように罪が永久に赦され、また忘れ去られてしまうなら、罪を取り除くためのいけにえを、これ以上ささげる必要はありません。

Observation(観察)


モーセの律法は人の心を変えるに至らなかった。一方でイエス様による新らしい戒めは、「常にわたしの意思を知らせるために、律法を彼らの心に書き記す。そして、律法を彼らの思いの中に据えるので、彼らは喜んでこれに従うようになる。」と書かれている。私たちの意思そのものが神を喜ばせようと願うものに変えられるのだ。神のお気持ちがいつも分かるものになれるのなら、神の道を離れる事は無い。わたしはそのようなものになりたい。みことばを心に書き込んで、いつも思いに湧き上がるようにしたい。毎日のデボーションがそのためのプロセスとなっていることを信じたい。

Prayer(祈り)


イエス様、まだまだ御言葉がいつも心に浮かぶということはありません。古い性質はいつも私を誘惑します。もっと御言葉をこころにはっきり書き記せますように。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。

新しい大祭司(ヘブル7:12-15)

Scripture(聖書の言葉)


12-14 新しい家系の祭司が立てられる時、それを受け入れるために、律法も改められなければなりません。キリストがレビ族とは別の部族であり、モーセが祭司として任命したこともないユダ族の出身であったことは、周知の事実です。 15 そういうわけで、私たちは、これまでの神の秩序に大きな変更があったことを認めざるをえません。キリストが、メルキゼデクの位に等しい、新しい大祭司として立てられたからです。

Observation(観察)


アロンに始まる祭司の家系に変わり、イエス様が大祭司に神の誓いと約束によって任命された。ヘブル書記者は、「それを受け入れるために、律法も改められなければなりません。」当時のユダヤ人クリスチャンにとって、イエス様を受け入れることはこれまでの律法では無く、イエス様の語られた御言葉による教えをルールとして生きることであった。
私たちもイエス様のことを知る前には、この世の様々なルールに従って生きてきた。しかしクリスチャンになった後は、神を愛すること、隣人を愛する事という二つの大きなルールが全ての既存のルールの上に立つこととなった。それでも古いルールが自分の中で優先されてしまいそうになるときがある。いつも自分がキリストに付くものであることを忘れないようにしたい。

Prayer(祈り)


イエス様、あなたがメルキゼデクの位に等しい永遠の大祭司となられ、私たちのためにとりなし続けてくださっている事を感謝します。あなたが教えて下さったルールに従って生きるものとなりたいです。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。