危機に及んで(マタイ10:28-31)

Scripture(聖書の言葉)


28 体だけは殺せても、たましいには指一本ふれることもできないような人々を、恐れてはいけません。たましいも体も地獄に落とすことのできる神だけを恐れなさい。 29 たった一羽の雀でさえ、あなたがたの天の父の許しなしに地に落ちることはありません。 30 あなたがたの髪の毛さえ一本残らず数えられています。 31 ですから、心配しなくてもいいのです。あなたがたは神にとって、雀より、ずっと大切なものではありませんか。

Observation(観察)


伝道に弟子達を送り出すに当たってイエス様は、迫害と困難は必ず起こるものと語った。その上で、迫害する者を恐れてはいけない、たが神だけを恐れなさいと教えている。いのちはすでに神の御手の上のある。神が良くしてくださると信仰をもって現在直面している問題に当たろう。
一羽の雀よりも尊いとして下さる神様に信頼しよう。

Prayer(祈り)


イエス様、神様は私の命を治めてくださる方であると理解しました。降りかかる問題に対して自分の力で抗おうとすることを止め、神の力に頼ります。あなたが良しとされる道に導いてください。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。

新しい皮袋(マタイ9:16-17)

Scripture(聖書の言葉)


16 水洗いしていない新しい布で、古い着物に継ぎ当てをする人がいるでしょうか。そんなことをしたら、当て布は縮んで着物を破り、穴はもっと大きくなるでしょう。 17 また、新しいぶどう酒を貯蔵するのに、古い皮袋を使う人がいるでしょうか。そんなことをしたら、古い皮袋は新しいぶどう酒の圧力で張り裂け、ぶどう酒はこぼれ、どちらもだいなしになってしまいます。新しいぶどう酒を貯蔵するには、新しい皮袋を使います。そうすれば両方とも長持ちするのです。」

Observation(観察)


新しい皮袋の喩えである。新しい教えには新しい態度で臨むべきであることをイエス様は教えている。実際、イエス様の教えは旧来の凝り固まったユダヤ教の形式では受け止めきれないものであった。福音を受け入れるには新しい革のように心が柔軟になっていなくてはならない。

Application(適用)


私の心は今柔軟であろうか、と考えると必ずしもそうではないと感じる。クリスチャンになって長いが、それまで受けた教えや読んできた書物が自分を縛っているようにすら感じる。教え自体は悪いものでは無かったが私はその外側、形式の方に注目して身につけようとしていたように思う。これからは御言葉の本質に着目して自分の外面や言葉では無く、心を変えてゆくものとなりたい。

Prayer(祈り)


イエス様、外面や言葉で自分を飾っていたように思います。これからは内面の変化に目を留めます。柔らかい新しい皮袋になります。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。

嵐を鎮める(マタイ8:23-27)

Scripture(聖書の言葉)


23 それから、イエスと弟子たちの一行は舟に乗り込み、湖を渡り始めました。 24 すると突然、激しい嵐になりました。舟は今にも、山のような大波にのまれそうです。ところが、イエスはぐっすり眠っておられました。

25 弟子たちはあわてて、イエスを揺り起こし、「主よ。お助けください。舟が沈みそうです」と叫びました。

26 するとイエスは、「そんなにこわがるとは、それでも神を信じているのですか」と答えると、ゆっくり立ち上がり、風と波をおしかりになりました。するとどうでしょう。嵐はぴたりとやみ、大なぎになったではありませんか。 27 弟子たちは恐ろしさのあまり、その場に座り込み、「なんというお方だろう。風や湖までが従うとは」と、ささやき合いました。

Observation(観察)


船に乗り込んだイエス様は大嵐の中にかかわらず、ぐっすり眠ってしまわれた。慌てふためく弟子達の姿と対照的である。弟子達に起こされたイエス様は「そんなにこわがるとは、それでも神を信じているのですか」と答えられた。
私が人生の大嵐に遭ったとき、まさに弟子達のようであった。慌てふためき、混乱し、夜もろくに眠れず、恐れのただ中にあった。イエス様に助けを求めることも無くただ苦しんでいた。イエス様は嵐を鎮められる方であることを見失ってはいけない。私のまわりに起きている嵐にも、私の内面の嵐にも、イエス様は鎮まれと命じられる。

Prayer(祈り)


イエス様、心の中に嵐が起きることが今も度々あります。イエス様が同じ船に乗っておられることを忘れず、助けをいつも求めることが出来ますように。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。

神に求めよう(マタイ7:7-11)

Scripture(聖書の言葉)


7 求めなさい。そうすれば与えられます。捜しなさい。そうすれば見つかります。戸をたたきなさい。そうすれば開けてもらえます。 8 求める人はだれでも与えられ、捜す人はだれでも見つけ出します。戸をたたきさえすれば開けてもらえるのです。 9 パンをねだる子どもに、石ころを与える父親がいるでしょうか。 10 『魚が食べたい』と言う子どもに、蛇を与える父親がいるでしょうか。いるわけがありません。 11 罪深いあなたがたであっても、自分の子どもには良いものを与えたいと思うのです。それならなおのこと、あなたがたの天の父が、求める者に良いものを下さらないはずがあるでしょうか。

Observation(観察)

イエス様は「求めなさい」「探しなさい」「たたきなさい」と言われた。何かを受け取ろうとするには先に能動的な行動が必要だ。「神はご存じだから」と口を開けて待っているだけでは何も得ることは出来ない。神は応えてくださるという確信の元に最初の一歩を踏み出さなければならないのだ。神は父として求める子供に必要な物を与えてくださる。信じて、求め、探し、扉を叩こう

Application(適用)

幼い子供は親に何でもねだる。お菓子、おもちゃ、抱っこ、何の遠慮もせず親に求めて行く、時には泣いて駄々をこねてねだる。親は子供にとって大事な物、成長するために必要な物は何は何かをよく分かって与えてゆく。だからといって幼子はそこまで考えてねだる必要等は無い。私たちは神から見たら幼子もいいところだ。だからこそ、なんでも求めよう。同時に必要な物、成長のためになるものを神が下さるという事も同時に理解してゆこう。

Prayer(祈り)

イエス様、神が応えてくださる約束を感謝します。神が私を子供として大事にして下さることをもう一度思い、感謝します。知識としてでは無く確信としてこのことを理解できますように。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。

父なる神様(マタイ6:9)

Scripture(聖書の言葉)


9 ですから、こう祈りなさい。

『天におられるお父様。
あなたのきよい御名があがめられますように。

Observation(観察)


主の祈りの冒頭、祈りは神に呼びかけることから始まる。父なる神、と言う言葉は私にとって長い間実感の伴わない者であった。幼い頃に父を失ったことに原因があるのかもしれないが、父性というものに不信感を持ち続けていた。何もしてくれないのではないか、見捨てるのではないか、大事にしている物を奪うのではないだろうか・・いずれも私が経験したことだ。

イエス様が父なる神、と言われるとき、いつもイエス様にとっての父、あるいは三位一体の最上位としての「イエス様からの呼びかけ」に用いる呼称の様に思っていた。
しかし今日になってこの箇所の「お父様」という言葉が、イエス様が「父なる神」を「私の父」としてくださっている事に気がついた。まだまだギクシャクしているが父なる神を「お父様」と呼んでみたいと思う。

Prayer(祈り)


イエス様、あなたの十字架の目的は子を父の元に戻すことだと知りました。既に神様との間の隔ては取り去られていることを実感しました。神様に親しく近づこうと思います。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。

人を愛すること(マタイ5:43-48)

Scripture(聖書の言葉)

43 『隣人を愛し、敵を憎め』とは、よく言われることです。 44 しかし、わたしは言います。敵を愛し、迫害する人のために祈りなさい。 45 それこそ、天の父の子どもであるあなたがたに、ふさわしいことです。天の父は、悪人にも善人にも太陽の光を注ぎ、正しい人にも正しくない人にも分け隔てなく雨を降らせてくださいます。 46 自分を愛してくれる人だけを愛したからといって、取り立てて自慢できるでしょうか。悪人でも、そのくらいのことはしています。 47 気の合う友達とだけ親しくしたところで、ほかの人とどこが違うと言えるでしょう。神を信じなくても、そのくらいのことはだれでもします。 48 ですから、あなたがたは、天の父が完全であるように完全でありなさい。

Observation(観察)

山上の垂訓で、イエス様は隣人を愛する事について教えられた。愛すべき隣人とは、むしろ自分を愛してくれない人、さらには敵対する人であると言うことだ。正直困難さを覚える。善人の振りをして表面だけで愛している風を装うことは簡単だ。しかしイエス様の求めていることは違う。仲間同士で仲良くしている人に対して「神を信じなくても、そのくらいのことはだれでもします。 」と断じている。神を信じることが愛せない隣人を愛する事ができる秘訣なのだろうか。全能の神は頑なな私の心を変えることができるお方だ。自分の弱さを素直に認め、神に従おう。

Prayer(祈り)

イエス様、聖書に正直に向き合おうとすると自分の弱さに直面します。神様にしか私を変えることは出来ません。私の思いと行動を変えて下さり、イエス様の教えられたことを実践出来ますように。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。

イエス様のいやし(マタイ4:23-25)

Scripture(聖書の言葉)


23 イエスはガリラヤ中を旅して、ユダヤ人の会堂で教え、あらゆる場所で福音(イエス・キリストによる救いの知らせ)を宣べ伝え、さらに、あらゆる病気や苦しみをいやされました。 24 このイエスの奇跡の評判は、ガリラヤの外にまで広がったので、シリヤのような遠方からも、人々は病人を連れてやって来ました。悪霊につかれた人、てんかんの人、中風(脳の出血などによる半身不随、手足のまひ等の症状)の人など、その病気や苦しみがどのようなものであろうと、一人残らず治るのです。 25 こうして、イエスがどこに行かれても、たいへんな数の群衆があとをついて行きました。

Observation(観察)


イエス様の福音宣教と癒しの働きは不可分であった。あらゆる病気、患いを一人残らずいやされた働きは、医療の発達していない当時の人々にとって、どれほど大きな希望だっただろう。癒しの働きは、福音と神の国の訪れを担保するものであった。いやされた人々、いやしを目撃した人々は福音を信じ、イエス様について行く人々になった。

Application(適用)


6年前、頸髄症の手術を受け、半身不随の危機から守られたが、後遺症で不完全頸髄損傷となり、左手の痛みに苦しめられた。長く辛い時期を過ごしたが、今年になって、ふと気付くと痛みは消えていた。神はいやしの働きを続けておられる。時には何年もかかることがあっても、神を信じよう。

Prayer(祈り)


イエス様、いやしを感謝します。左手のことを書きましたが、他にも回復した病気は沢山有ります。その一つ一つに神のみこころがあり、必要なプロセスを経て、癒しが行われたと信じます。いやしていただきたい病は他にもありますが、イエス様が気にかけてくださっていることを感謝します。みこころに叶うようにして下さい。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。

悔い改めにふさわしい実(マタイ3:7-9)

Scripture(聖書の言葉)


7 ところが、パリサイ派(特に律法を守ることに熱心なユダヤ教の一派)やサドカイ派(神殿を支配していた祭司階級。ユダヤ教の主流派)の人々が大ぜい、バプテスマを受けに来たのを見て、ヨハネは彼らをきびしく責めました。「まむしの子たち! だれがおまえたちに、もうすぐ来る神のさばきから逃れられると言ったのか。 8 バプテスマを受ける前に、悔い改めにふさわしいことをしなさい。 9 『私はユダヤ人だから、アブラハムの子孫だから大丈夫』などと思ってはいけない。そんなことは何の役にも立たない。神はこんな石ころからでも、今すぐアブラハムの子孫をお造りになれるのだ。

Observation(観察)


立場のあるパリサイ派やサドカイ派の人々がバプテスマのヨハネの元で洗礼を受けようとしたのは何故だったのか。「悔い改めたきよい者です」と人々にアピールしたかったのかもしれない。あるいは預言者として人々に尊敬されていたヨハネからの認証を得たかったのかもしれない。いずれにせよ彼らの動機は神では無く人であった。ヨハネは「バプテスマを受ける前に、悔い改めにふさわしいことをしなさい。 」と彼らを非難した。彼らの悔い改めには内面の変化が伴わず、行動という実に表れることも無かった。

Application(適用)


私はどうだろう。人々に自分を信仰的と見せたいという欲求が膨らんでいないだろうか。人に評価されたり誉められたりするための行動になってはいないだろうか。親密な神との関係には第三者が入り込む余地はないはずだ。もっと密接に神に付くものとなりたい。

Prayer(祈り)


イエス様、私の行動原理について探られました。人の歓心を得ようと一生懸命になっていたように思います。同じ事をするにしても神への愛によって行いたいです。私を変えて下さい。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。

神のご計画だけが成る(1サムエル17:46-51)

Scripture(聖書の言葉)


すべての国々は、イスラエルに神様がおられることを知るのだ。 47 そしてイスラエルは、主が武器に頼らずにご計画を実現なさるということ、神様のなさることは人間の企てとは無関係だということを学ぶのだ。主はおまえたちを、私たちの手に渡してくださる。」

48-49 近づいて来るゴリヤテめがけて、ダビデは駆け寄りました。そして、袋から石を一つ取り出すと、石投げでビュンとそれを放ちました。石はゴリヤテの額にみごと命中し、額に食い込み、ゴリヤテの巨体は揺らいで、うつぶせに倒れました。

50-51 ダビデは石投げと石一つで、このペリシテ人の大男をしとめたのです。

Observation(観察)


ダビデによる巨人ゴリヤテに対する宣戦布告だ。この中にはこの戦いを通して神がイスラエルに何を教えるのかについて述べている。「47 そしてイスラエルは、主が武器に頼らずにご計画を実現なさるということ、神様のなさることは人間の企てとは無関係だということを学ぶのだ。」とある。人間は様々なことを心配し、その対策をあれこれ企画する。しかしそれは神のご計画の大きさには遠く及ばない。私は心配するのを止め、神にお任せする習慣を持ちたい。

Prayer(祈り)


イエス様、私は絶えず心配し、あれこれ準備しますが、神にお任せする方が確かで安心だと学びました。心配するのが癖になっているようにも思います。困難なときほど神に祈り期待するものにして下さい。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。

心を見られる神(1サムエル16:6-7)

Scripture(聖書の言葉)


6 彼らが来た時、サムエルはそのうちの一人、エリアブをひと目見るなり、「この人こそ、主がお選びになった人に違いない」と思いました。 7 しかし、主は言いました。「容貌や背の高さで判断してはいけない。彼ではない。わたしの選び方は、あなたの選び方とは違う。人は外見によって判断するが、わたしは心と思いを見るからだ。」

Observation(観察)


サウル王に代わり、エッサイの子を新しく油注ぐように神に命じられたサムエルは、エッサイの子達を見て、どの子か判別しようとする。長男エリアブを見たサムエルに対し、神は見た目では判断しないのだとサムエルに言われた。

Application(適用)


神は外見では無く心と思いを見られる。世の中には見た目が優れた人、能力の高い人が沢山居て、時にはコンプレックスに襲われることもある。けれども神は思いをみられる。私の思いはどうなっているだろうか。神の喜ばれる心で居るだろうか。人を羨み妬む思いにいっぱいになってはいないだろうか。
自らを飾り背伸びすることを止め、神の喜ばれる心と思いとで居続けることに集中したい。

Prayer(祈り)


イエス様、私たちを救うために貧しくなられ、見た目の麗しさ全てを捨てられ御心に従われたあなたに倣うものとなりたいです。見た目の優劣に慢心したり落ち込んだりすることを止め、神にのみ興味を持つものとさせてください。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。