聖霊様の働きを受け入れる(ヨハネ14:16-17)

Scripture(聖書の言葉)


16 わたしは父に、もう一人の助け手を送っていただくようお願いします。その助け手は、いつもあなたがたと共におられます。 17 その方とは聖霊、すなわち、すべてを真理へと導いてくださる霊のことです。世は、この方を受け入れることができません。この方を求めもしなければ、認めようともしないからです。しかし、あなたがたはこの方を知っています。あなたがたと共に住み、あなたがたのうちにおられるからです。

Observation(観察)


聖霊様について、イエス様は「真理へと導いてくださる霊」と表現された。しかし同時に「世は、この方を受け入れることができません。この方を求めもしなければ、認めようともしないからです。」とも言われた。この世は聖霊様による真理への導きを受け入れないのだ。この世は勿論、キリスト教会に於いても聖霊様の働きを受け入れない、あるいは意図的に聖霊様についての言及を避ける傾向がある。

Application(適用)


教会だけではない。私自身はどうだろうか。聖霊様についてどれほどの信頼を置き、導きに従おうとしているだろうか。三位の神である聖霊様を過小評価してはいないだろうか。私は心の向きを変えて、聖霊様と共に住みたい。初代教会にあったような爆発的な聖霊様の働きを体験したい。

Prayer(祈り)


イエス様、聖霊様の働きを過小評価して自分の小さな理解に押し込めていたことを悔い改めます。奇跡は今も起きます。いやしも解放も今も起きます。信じます。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。

足を洗い合う(ヨハネ13:3-8)

Scripture(聖書の言葉)


3 イエスは、父がすべてのものを与えてくださったことと、自分が神のもとから来て、また神のもとに帰ろうとしていることを知り、 4 夕食の席からゆっくり立ち上がり、上着を脱ぎ、手ぬぐいを取って腰に巻かれました。 5 そしてたらいに水を入れ、弟子たち一人一人の足を洗い、腰の手ぬぐいでふき始められたのです。 6 シモン・ペテロの番になりました。ペテロは言いました。「主よ。足を洗っていただくなど、もったいなくてとてもできません。」 7 イエスは言われました。「なぜこんなことをするのか、今はわからないでしょう。だが、あとでわかるようになります。」 8 「いいえ。どうかもう、おやめください」とペテロは言いはります。「もしわたしが足を洗わなければ、あなたはわたしの仲間にはなれません」とイエスは答えられました。

Observation(観察)


イエス様が弟子達の足を洗い始められ、ペテロの番になった時、ペテロは勿体なく感じそれを拒んだ。それに対してイエス様は「もしわたしが足を洗わなければ、あなたはわたしの仲間にはなれません」と返答された。弟子が互いに洗い合うことをイエス様は命じ去られたのだ。
足とは最も汚れている部分を指す。私たちが教会の友の弱いところ、傷ついているところを洗う行為が求められている。それは簡単なことではない。だれも教会の仲間の弱いところや傷を直視したくはない。それを可能とするのは互いのつながりが十分に深くなっていることが必要だ。
また洗われる側も自分の内面を明らかにすることを求められる。これも十分な関係が築かれていなければ出来ることではない。互いに愛し合うこと、と文章で書けば麗しいものに見えるが、実際にはきれい事ではない。これは涙と痛みの上に成立する慰めと癒しなのだ。

Prayer(祈り)


イエス様、隣人を愛する事が私にとってはとてもチャレンジな事だと正直に言います。私が足を洗ったり洗われたりするには十分な関係が育っていないのかもしれません。私自身の心の壁がそうさせているように思います。けれどもイエス様に従い、弟子になりたいです。私の頑なさを打ち破って下さい。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。

光を十分に用いる(ヨハネ11:35-36)

Scripture(聖書の言葉)


35 イエスは彼らに言われました。「もうほんのしばらくの間、わたしの光はあなたがたのために輝いています。光のある間に光の中を歩きなさい。暗闇が襲って来る前に、行こうと思う所に行きなさい。襲って来てからでは遅すぎます。道を見つけることもできません。 36 まだ時間のある間に、光を十分に用いなさい。そうすれば、光の子になれるのです。」

Observation(観察)


イエス様は十字架にかかられる前にこのように宣べられた。光が輝いている間に光の中を歩きなさいと。この事は暗闇がやがて訪れることを示している。福音が伝えられない終わりの時代、道を見つけることのできない時代がやがてやって来るのだ。いまイエス様を伝える事ができるのは神の恵みに他ならない。この恵みを感謝して受け取り、機会を十分に用いよう。

Application(適用)


福音を語るというのは、灯りを灯すことに似ている。暗闇があたりまえのなかにいる人にとっては、光は当初恐怖かもしれない。しかし自分も辺りも照らされることを理解すれば、光の価値を喜ぶようになる。恐れずに灯りを点ける役を果たそう。

Prayer(祈り)


イエス様、伝道に後ろ向きになっていることを悔い改めます。口下手なことを言い訳にしていました。全ての人が伝道の働きに召されていることを思います。私にもその働きに加わる機会を下さい。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。

墓に入られるイエス様(ヨハネ10:38-41)

Scripture(聖書の言葉)


38墓に着きました。それはほら穴で、入り口には重い石が立てかけてありました。 39 「さあ、石をわきにどけなさい。」イエスは人々をうながされました。マルタがあわてて止めました。「でも、もうひどいにおいがしています。なにしろ、死んでから今日で四日ですもの。」 40 イエスはマルタにおっしゃいました。「もし信じるなら神のすばらしい奇跡を見る、と言ったはずです。」 41 人々は言われるままに石を取りのけました。

Observation(観察)


墓は死と絶望の象徴だ。死んでしまってはもう何の希望もない。墓に入った人に対して出来ることはない。ラザロの墓について人々はそのように感じていただろう。しかしイエス様は違った。墓石をどけさせ、死臭で充満する墓に入られた。そしてラザロに墓から出てくるように命じられた。
どんなに希望のない状況にも。イエス様は介入される。死臭のするようなひどい状況でもイエス様は意に介されない。イエス様は御自身が愛されたものを絶望の中に放置することはないのだ。

Application(適用)


困難の中にあっても、絶望にはあたらないとこの箇所は教えている。イエス様が能動的に、いわばずかずかと問題に介入してくださっている。私たちも同じようにして下さらないわけはない。いま、希望を持とう。イエス様の奇跡を体験しよう。

Prayer(祈り)


イエス様、私は絶望しません。いつも困難はあってもあなたの介入を待ちます。それは全てが神の栄光となるためです。期待します。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。

羊飼いの声を聞く(ヨハネ9:14-15)

Scripture(聖書の言葉)


14 わたしは良い羊飼いであり、自分の羊を知っています。また、羊もわたしを知っています。 15 わたしの父がわたしを知っておられ、わたしも父を知っているのと同じです。わたしは羊のためにいのちを捨てるのです。

Observation(観察)


イエス様は御自身を羊飼いと喩えられた。またイエス様を信じ付き従うものを羊とも喩えられた。羊飼いは自分の群れの羊を一匹ずつ知っている。また各々の羊も羊飼いを知っている。イエス様は私たちを知っておられるのだ。それに対し私たちはイエス様をどれだけ知っているだろうか。

Application(適用)


いまイエス様が再臨されたとして、数多く現れると言われている偽物に惑わされることなく、真実の救い主を選ぶことが出来る様にありたい。そのためには羊飼いの声をたくさん聞くことが必要だ。信仰は聞くことから始まるとある。御言葉を開き、イエス様の声を聞こう。

Prayer(祈り)


イエス様、あなたの声をしっかり識別できる羊になれますように。偽物に騙されることが無いように、御言葉に親しむ者にして下さい。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。

神の栄光が現れるために(ヨハネ9:1-5)

Scripture(聖書の言葉)


1さて、道を歩いていた時のこと、イエスは生まれつきの盲人をごらんになりました。 2 そこで、弟子たちが尋ねました。「先生。どうしてこの人は、生まれつき目が見えないのですか。本人が罪を犯したからですか。それとも両親ですか。」 3 「いや、そのどちらでもありません。ただ神の力が現されるためです。 4 わたしたちは、わたしをお遣わしになった方に命じられた仕事を、急いでやり遂げなければなりません。もうすぐ夜が来ます。そうしたら、もう仕事はできないのですから。 5 しかし、まだこの世にわたしがいる間は、わたしが光となります。」

Observation(観察)


イエス様が盲人の目を開けられたのは、光を感じることの出来ない目を開き、御自身が光そのものであることを示されるためであった。一方弟子達はこの盲人について、彼の状況が何らかの罪に起因するものだと考えていた。イエス様それを否定し、彼の状況は神の力が現れるためだと言われた。

Application(適用)


全てに置いて完璧な人は存在しない。肉体的なハンデを持つ人もいれば、目立たない、例えば内臓疾患のような悩みを持っている人もいる。肉体的に問題が無くても、精神に痛みを抱えている人も大勢いる。神が祝福されるのは完璧な人に限定さるので花井。かえって弱っている人、悩んでいる人にイエス様は近づき働かれる。だから自分の弱さを悩み悲しむことはやめ、神の栄光のために用いてくれるのだと信じよう。

Prayer(祈り)


イエス様、自分の弱さを恥ずべきもの、情けないものと考えていました。いまはイエス様がそれを用いて下さるものと信じています。いやしも期待しますが、それ以上に素晴らしいことをなしてくださることを信じます。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。

暗闇を照らす光(ヨハネ8:12)

Scripture(聖書の言葉)


12 そのあとで、イエスは人々にお話しになりました。「わたしは世の光です。わたしに従って来れば、暗闇でつまずくことはありません。いのちの光が、あなたがたの進む道を明るく照らすからです。」

Observation(観察)


光は道を照らす。この世は暗闇で穴ぼこだらけだ。闇の中を光無しに歩けば簡単に墜落してしまう。しかしイエス様は私たちを先導してくださる光だ。イエス様が私たちの進む道を照らしてくださるのだから、安心して、安全に、イエス様が導かれるところにたどり着くことが出来る。

Application(適用)


光を拒絶する生き方を選んでいては、穴ぼこに落ちるか、暗闇の中立ち尽くすしかなくなる。人生を前進するにはイエス様に頼る事が唯一の道なのだ。

Prayer(祈り)


イエス様、あなたに従ってついて行くことが一番安全な道だと知りました。これまで自己流で生きようとしていたことを悔い改め、止めます。あなたの導かれるところがどこであってもついて行きます。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。

伝える姿勢(ヨハネ7:14-16)

Scripture(聖書の言葉)


14 祭りも半ばになったころ、イエスは宮へ行き、公然と教え始められました。 15 それを聞いたユダヤ人の指導者たちは驚いて、「この男は一度も学校で学んだことがないのに、どうしてこんなに深い知識を持っているのだろう」と言い合いました。 16 そこでイエスは言われました。「わたしの教えは、自分で考え出したことではありません。わたしをお遣わしになった神の教えなのです。

Observation(観察)


仮庵の祭りに出かけられたイエス様は、宮で教えられた。その知識にユダヤ人の指導者は驚嘆する。イエス様は御自身の言葉は自分から出たものでは無く、神の御教えそのものであると語られた。ここに私たちが規範とすべき姿がある。人間の知恵を用いて聖書の言葉をこねくり回して、自分の主張をカモフラージュすることも頭のいい人なら可能だろう。しかし神が求められているのは、神の御思いを知り、そのまま伝える、「通りよい管」なのだ。
日々のデボーションですら、自分の思想や主張が顔を出してしまう時がある。それを制して、御言葉をそのまま受け取り、自分のものとして行きたい。

Prayer(祈り)


イエス様、自分の思想や主張は何の役にも立ちません。あなたに降参します。改めて教えを請います。あなたのことを教えてください。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。

イエス様を舟にお乗せする(ヨハネ6:16-21)

Scripture(聖書の言葉)


16 その日の夕方、弟子たちは湖の岸辺に降りて行きました。 17 もう暗くなったのに、イエスはまだ戻られません。そこで舟に乗り込み、カペナウムに向けて湖を渡り始めました。 18-19 ところが、しばらくこいで行くうちに風が出てきました。風はびゅうびゅう吹きまくり、湖も荒れ始めました。それもひどくなる一方です。四、五キロほどもこぎ出したでしょうか。ふと見ると、イエスがむこうから、湖の上を歩いて舟のほうに来られます。弟子たちはあまりの恐ろしさに、ただ震え上がるばかりです。 20 イエスが、「こわがることはありません」と声をおかけになると、 21 やっと気を取り直し、うれしそうにイエスを舟にお乗せしました。舟はほどなく目ざす地に着きました。

Observation(観察)


イエス様を置いてカペナウムに戻ろうとした弟子達の舟は大風に遭い難儀する。そこで弟子達は湖の上を歩いてこられるイエス様を見て恐怖する。しかしイエス様が彼らに声をかけられると弟子達は安心し、イエス様を舟にお乗せになった。
神無しで人生に漕ぎ出すことは大きなリスクを伴う。荒海ではなく湖のような場所であっても遭難するような目に遭うこともある。湖の上の歩いてきたイエス様に弟子達はその超自然的な姿に恐怖する。

Application(適用)


私たちも神の奇跡を期待する一方、どこかでそれを受けれない、恐れてしまう心が有るのでは無いだろうか。しかしその恐れについてもイエス様はケアをして下さる。「こわがることはありません」と私たちを安心させてくださるのだ。イエス様が舟に乗ってくださったならもう安心して良いのだ。嵐を抜け、目指す地にたどり着くことが出来る。

Prayer(祈り)


イエス様、人間的な考えに依存してしまい、あなたを拒絶してしまいそうなことがあります。どうか声をかけてくださり、私を安心させてください。あなたを置いて勝手に船出してしまったことをゆるしてください。いまあなたを舟にお乗せします。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。

感情を越えて働かれる神(ヨハネ5:5-9)

Scripture(聖書の言葉)


5 その中に、三十八年間も病気で苦しんでいる男がいました。 6 イエスはこの男をごらんになり、彼が長い間どんなに苦しんできたかを知って、「よくなりたいですか」とお尋ねになりました。 7 「もう、あきらめているんです。せっかく水が動いても、だれも池に入れてはくれないんだから。何とかして行こうとしている間に、いつでもほかの人が先に入ってしまうのです。」 8 「さあ、立って、床をたたんで家に帰りなさい。」 9 イエスがこう言われると、たちまち男は治って、すぐに床をたたんで歩きだしたのです。

Observation(観察)


ベテスダの池に向かう廊下で池の水が動くのを待っていた男は、38年間もの間病気で苦しんでいた。イエス様が声をかけても、諦めたような反応しかなかった。それほどに彼の絶望は深かった。聖書の中でいやされた人の多くはイエス様の言葉にポジティブな反応をした人々であったが、彼は違った。そのような彼にもイエス様は奇跡を行われた。

Application(適用)


人間だれでも、苦しい期間が続いていると希望を失い、福音に対しても後ろ向きになってしまうことがある。それでもイエス様は声をかけてくださる。神の業の主体は神であって私たちの姿勢の善し悪しを遙かに上回る物なのだ。いま苦しんでいても、神が声をかけてくださる時が必ずある。自分の感情を越えて働かれる神を信じよう。

Prayer(祈り)


イエス様、自分の感情がなにか奇跡を呼び起こすような錯覚を持ちました。これは誤りでした。すべての主権はあなたにあり、あなたが行って下さる事を信じます。どうかお声をかけてください。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。