いやしと福音(マタイ4:23-24)

Scripture(聖書の言葉)


23 イエスはガリラヤ中を旅して、ユダヤ人の会堂で教え、あらゆる場所で福音(イエス・キリストによる救いの知らせ)を宣べ伝え、さらに、あらゆる病気や苦しみをいやされました。 24 このイエスの奇跡の評判は、ガリラヤの外にまで広がったので、シリヤのような遠方からも、人々は病人を連れてやって来ました。悪霊につかれた人、てんかんの人、中風(脳の出血などによる半身不随、手足のまひ等の症状)の人など、その病気や苦しみがどのようなものであろうと、一人残らず治るのです。

Observation(観察)


イエス様は福音を伝え、同時に病気や苦しみをいやされた。福音といやしは不可分なのだ。「その病気や苦しみがどのようなものであろうと、一人残らず治るのです。」ともある。神に不可能なことは何一つない。病をいやすことが出来ない神なら私たちの魂を救うことなど出来ないだろう。しかし神は癒しを通して福音の力を立証された。

Application(適用)


福音を証するのがいやしならば、いやしを求める私はますます福音を真実に受け止めなければならない。福音無しのいやしは無い。神の国には病もわずらいも無い。神の国が私の中に実現するように求めよう。

Prayer(祈り)


イエス様、いくつかの病とわずらいに悩んでいます。どうかいやしてください。福音の力を自分の人生で実感したいです。神の国が私のうちに現れる事を切に望みます。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。

異端を警戒する(2コリント11:2-4)

Scripture(聖書の言葉)


2 私は、神の深い思いやりをもって、あなたがたのことを心にかけています。ちょうど清純なおとめが、やがて夫となる人に愛をささげるように、あなたがたが、ただキリストだけをひたむきに愛するよう願っているのです。 3 しかし、エバがエデンの園でサタンに惑わされたように、キリストに対する、きよい純真な思いが消えてしまうのではないかと心配でなりません。 4 あなたがたときたら、だまされやすく、だれかが私たちの伝えたのとは違う教えを伝えたり、あなたがたが受けた聖霊とは違う霊を伝えたり、あなたがたが救われたのとは違う救いの道を教えたりすると、簡単にそれを信じてしまうのですから。

Observation(観察)


パウロがコリントに人々に対して危惧しているのは、偽教師達の教えに彼らが惑わされてしまう事であった。人間は目新しい教えに弱い。斬新な表現や大胆なパフォーマンスにいとも簡単に影響を受け、フォロアーになってしまう。これまでキリスト教に何度異端が登場しただろうか、そのたびに教会は混乱し傷ついてきた。

Application(適用)


私自身も偽教師に影響を受けたことがある。彼らは私たちの歪んだ価値観や満たされない自尊心を巧に利用して心を奪う。しかし真理はもっと普遍的で、私たちのそばにあるものだ。いつも神の言葉に目を向け、真理を掴んで離さないものであろう。

Prayer(祈り)


イエス様、あなたのお名前だけが崇められますように。福音を歪めようとする邪悪なものから私の思いが守られますように。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。

遠くの町々へ(2コリント10:16-18)

Scripture(聖書の言葉)


16 そして私たちは、さらに遠くの町々、まだだれも働いていない町々にまで、福音を宣べ伝えたいのです。そうすれば、だれかの領域を荒らしたというような問題は起きないでしょう。 17 「誇りたい者は、主のなさったことだけを誇れ」(エレミヤ9・24)と聖書にあるとおりです。 18 自分を誇り、自分を推薦する人ではなく、主に推薦される人こそ、真に価値ある人です。

Observation(観察)


「誇る物は主を誇れ」とパウロは引用した。自分を誇りとし自己推薦する自称クリスチャンの人々に対してパウロは神だけを誇りとすると語った。彼らの主張するような誰かの縄張りを荒らしたというような理不尽な論争を避け、遠くの町々に福音を届けたいとも述べている。パウロは本当に宣教の人であった。どのような迫害や困難にあっても福音を伝える事に倦むことはなかった。このような人こそ神に推薦される人なのだ。

Application(適用)


私は神に推薦されるような生き方をしてこなかった。これまでの人生を振り返ると情けない事ばかりだ。残りの人生を神に喜ばれるような生き方を選びたい。もう一度前を向いて、福音を伝える事に心を注ごう。これが私のフロンティアだ。

Prayer(祈り)


イエス様、あなたの望む方法で福音を伝える事が出来ますように。心にその道を示して下さい。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。

推薦状になっているか(2コリント3:2-3)

Scripture(聖書の言葉)


2 私たちの推薦状は、あなたがた自身です。あなたがたの心の、そのすばらしい変わりようを見れば、だれにも、私たちの良い働きは一目瞭然です。 3 あなたがたそのものが、私たちが書いた「キリストからの手紙」であり、それはペンとインクではなく、生ける神の御霊によって書かれ、石の板にではなく、人の心に刻み込まれた手紙です。

Observation(観察)


パウロは自らを信じてもらうための推薦状は必要ないとし、福音の実であるコリントの人々そのものが推薦状であるとした。

Application(適用)


私は私を信仰を持つに至らせてくれた誰かの推薦状になっているだろうか。まだまだ足りない者だと思い知らされる。また私が拙いながらも伝道した人々は私の推薦状になっているだろうか、信仰告白の場には立ち会っていても、彼らの信仰の成長に関与できていないことがほとんどだ。彼らをイエス様自身が成長させて下さる事を強く願う。

Prayer(祈り)


イエス様、自分の信仰生活、そして伝道を思うと足りないことばかりです。これから、今からできることを築き直します。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。

神にお任せする(2コリント1:8-10)

Scripture(聖書の言葉)


8 愛する皆さん。私たちがアジヤで味わった苦しみについて、ぜひ知っていただきたいと思います。私たちは非常に激しい迫害を受け、打ちのめされて、もうこれ以上生き延びるのはむりかと思いました。 9 死を覚悟し、自分の無力さを痛いほど思い知らされました。しかし、それがよかったのです。というのは、そんな状態の中で、何もかも神にお任せしたからです。死者を復活させることさえできるお方なのですから。 10 やはり、神様は私たちを助け、恐ろしい死の危険から救い出してくださいました。これからも、何度でも、救い出してくださるに違いありません。

Observation(観察)


パウロはアジアで受けた激しい迫害と困難に死を覚悟した。しかしパウロは「何もかも神にお任せ」した。結果パウロは困難を脱し、生き延びることが出来た。自分の限界を感じたことがかえってよかったとパウロは振り返っている。

Application(適用)


自分の限界を感じたときは神にお任せするチャンスだ。逆にいえば、自分で出来ることがある限りなんとかしようとじたばたしてしまうものなのかもしれない。
できればそこまでの状況になるまえに神にお任せし、介入していただきたいと思う。いつでもすぐに神に降参する私になりたい。

Prayer(祈り)


イエス様、パウロのような困難に遭ったことはありませんが、辛さや苦しみは絶えずあります。自力で頑張ることはもう止めたいです。あなたにお任せしてするべきことを喜んでできるようにして下さい。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。

栄光の体への期待(1コリント15:42-44)

Scripture(聖書の言葉)


42 同じように、死んだら朽ち果てる、私たちの地上の体は、復活の時に与えられる体とは異なったものです。復活の体は決して死にません。 43 いま持っている体は、病気や死で私たちを悩ませます。しかし復活の時には、それは栄光に満ちたものとなるのです。確かに、今は死ぬべき弱い体ですが、復活の時には力にあふれた体となるのです。 44 そして、今は死ぬべき人間の肉体にすぎませんが、復活の時には、神から与えられる霊の体になります。自然のままの肉体があるように、神からの霊の体も存在するのです。

Observation(観察)


復活の体、栄光の体についてパウロはこの章の大部分を使って説明している。神から与えられる霊の体は、生まれながらの私たちの肉体と全く異なる。決して死なず、病気に悩ませられることもない。

Application(適用)


年齢を経ると、肉体の限界を強く感じることが多い。今まで10出来たことが4か5しか出来ない。絶えず病や痛みに煩わされる。しかし、だからこそ、神の下さる栄光の体への期待、熱望は増すばかりだ。一刻も早くイエス様が来て下さり、この古い体を脱ぎ捨てるときが来ることを願う。

Prayer(祈り)


イエス様、この古い体はやがて過ぎ去ります。新しい体に期待します。イエス様、早く来て下さい。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。

神の権威(ヨブ40:1-5)

Scripture(聖書の言葉)


1主はさらに続けました。

2 「おまえはまだ全能者と口論したいか。
それとも降参するか。
神を批判する者よ、答えてみよ。」

3 ヨブは主に答えました。

4 「私は何の値打ちもない者です。
どうして答えることができましょう。
口に手をあてて黙り込むだけです。
5 私は語りすぎました。」

Observation(観察)


神は御自身の権威と力について語られた後、ヨブに更に続けるかを問うた。ヨブはただ圧倒されて「私は何の値打ちもない者です。」と答えるばかりだった。

人間が自分の考えのみに囚われるとき、必要なのは神の権威を認め畏れる事だ。一見恐怖とも取れる神の登場は、ヨブにとって幸いだった。神の介入無しには、彼と友人達との議論は果てが無かっただろう。

Application(適用)


ヨブほどでなくても、大きな試練に遭っているときには、神無しの思考に囚われる事がある。自分の内面に解決の道を探そうとしてしまう。しかし神御自身が積極的に事態に関わってくださるこの箇所は励みになる。神は御自身のしもべを決してお忘れにならないのだ。

Prayer(祈り)


イエス様、困難にあるとき、どうか語ってください。叱ってください。あなたに立ち返るためにです。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。

神の言葉(ヨブ38:1-3)

Scripture(聖書の言葉)


“主は嵐の中からヨブに答えられた。
知識もなしに言い分を述べて、摂理を暗くするこの者はだれか。
さあ、あなたは勇士のように腰に帯を締めよ。わたしはあなたに尋ねる。わたしに示せ。”
ヨブ記 38章1~3節
聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会

Observation(観察)


ヨブと友人達の果てしない議論の中で、神は突然介入された。
彼らの議論は当初ヨブを慰めることから徐々に如何にヨブが間違っているか、自分が正しいかを立証する方向に変わってしまった。

Application(適用)


私も神を崇める思いでいても、気がつくと自分にフォーカスが当たってしまっていることが多い。
そのようなとき、神の介入を求めたい。自分の言葉ではなく、耳に痛い言葉であっても神の言葉を聞きたい。

Prayer(祈り)


イエス様、ヨブに現れて下さったようにどうか私に声をかけて下さい。あなたの言葉で正されたいです。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。

人と同じ立場に立つ(1コリント9:20-22)

Scripture(聖書の言葉)


20 私はユダヤ人といっしょにいる時は、ユダヤ人のようにふるまいます。それによって、彼らが福音に耳を傾け、キリストに導かれるためです。また、ユダヤ教の習慣や儀式を守っている外国人といっしょにいる時は、私自身はそのことに同意していなくても、議論したりはしません。何とかして、彼らを助けたいからです。 21 異教徒といっしょにいる時は、できるだけ、彼らに合わせるようにしています。もちろん、クリスチャンとしての正しさだけは失わないように気をつけますが。こうして、彼らに合わせることによって、その信頼を得、彼らをも助けることができるのです。 22 良心を悩ませやすい人たちのそばでは、自分の知識をひけらかすような行動をしたり、「それは考えが足りない」などと指摘したりはしません。すると、彼らのほうでも心を開いてくれます。その人が救われるためには、私はどんな人に対しても同じ立場に立とうと心がけています。

Observation(観察)


パウロの伝道の姿勢は、「相手の立場に歩調を合わせる」事であった。クリスチャンとしての正しさを守りながら、最大限相手の立場を理解し信頼を得るように努めた。

Application(適用)


私はまるで逆のことをしていたように思う。自分の正しさを前面に出し、相手の立場を思いやることは少なかった。自分の知識をひけらかすようなことも多々あった。語るよりも聞くことに重きを置くべきだったのだ。今からでも遅くはない。パウロにならい、相手に合わせる人になろう。

Prayer(祈り)


イエス様、自分の正しさだけを主張する生き方は人を躓かせるだけでした。躓かせるよりも倒れた人を立ち上がらせる働きをしたいです。私を変えて下さい。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。

躓かせない配慮(1コリント8:1)

Scripture(聖書の言葉)


1次に、偶像に供えられた物を食べることはどうか、という質問に答えましょう。この件については、だれもが自分の判断は正しいと思っています。しかし、自分の知識がどんなに重要に思えても、教会を建て上げるためにほんとうに必要なのは愛です。

Observation(観察)


偶像に供えられた肉を食べるべきかどうか、という問いに対して、パウロはそもそも偶像の神々は実在しないのだから食べても害になならないとしながらも、その事によって他の感じ方をするクリスチャンを躓かせるなら、食べるべきではない、と言っている。
また、「自分の知識がどんなに重要に思えても、教会を建て上げるためにほんとうに必要なのは愛です。」とも言い、自分の知識による行動よりも他人を思いやっての行動の方がずっと重要だと宣べている。

Application(適用)


現代で言うなら、政治、経済、様々な領域に人々は多様な考えを持ち、教会に集っている。そのようななかで、特定の(偏りを持った)思想を声だかに伝えるならどうなるだろうか。別な考えを持つ人々を躓かせないだろうか。
教会に於いては、全ての人にとって価値のあるもの、愛するべきものについて語るべきであり、異なる見解があることが明確な問題について述べることは控えるべきだと考える。
教会は人々を繋ぎ建てあげられるべき場所であり、人々の悩ませバラバラにする場所ではないのだ。

Prayer(祈り)


イエス様、私の言葉に人々の心を痛める事があったら悔い改めます。どうか記憶を導いてください。人々が互いに喜び、愛し合う教会になれますように。私の言葉を変えて用いて下さい。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。