聖霊様を受け入れる(使徒2:36-39)

Scripture(聖書の言葉)


36 ですから、イスラエルのすべての人に、はっきり言っておきます。神様が主とし、キリスト(ギリシャ語で、救い主)とされたイエスを、あなたがたは十字架につけたのです。」

37 ペテロのことばは、人々の心を強く打ちました。「それでは、私たちはどうすればいいのでしょう。」あちらからもこちらからも、使徒たちへの質問の声があがりました。

38 ペテロは答えました。「一人一人、罪の生活から悔い改めて神に立ち返りなさい。そして、罪を赦していただくために、イエス・キリストの名によってバプテスマ(洗礼)を受けなさい。そうすれば、聖霊という賜物をいただけます。 39 それはキリストが約束してくださったことです。あなたがたは言うまでもなく、あなたがたの子孫、また遠くにいても、私たちの神である主がお招きになったすべての人に与えられるのです。」

Observation(観察)


聖霊様を受けた直後のペテロの燃えるような説教に心を打たれたユダヤの人々は「では、どうすればよいのでしょう」とイエス様を十字架につけたことを悔いて問うた。ペテロの答えは、悔い改めて神に立ち返ること、洗礼を受けることであった。そしてその証明として聖霊様を受ける、とも宣べた。聖霊様を受ける事は全ての信徒にとっての約束なのだ。私たちが聖霊を受けた、と言えるのは何らかの超自然的な賜物を発揮することばかりではない。みことばを心に深く感じ理解すること、また御霊の実と言われる霊性を身につけること、など聖霊様は私たちの霊にも知性にも人格にも働いてイエス様の似姿に近づけ続けて下さるのだ。

Prayer(祈り)


イエス様、聖霊様を私の全人格、全ての知性、霊に於いて受け入れます。これまで中途半端に受け止めていたことをお許し下さい。私の人生を通してお働き下さい。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。

悲しんではならない(ネヘミヤ8:9-10)

Scripture(聖書の言葉)


9 律法がどのように命じているかを理解すると、人々はみな泣きだしました。それで、エズラをはじめ、総督の私や補佐役のレビ人たちは、こう言い聞かせました。「このような日に泣いてはならない。きょうは神である主の聖なる日ではないか。 10 ごちそうを食べてお祝いし、貧しい人には施しをする日なのだ。神である主を喜ぶことこそ、あなたがたの力なのだ。しょんぼりと悲しそうにしていてはいけない。」

Observation(観察)


長い異教の地での捕囚の生活で、イスラエルの人々は神の言葉から離れてしまっていた。エズラが律法を読み、レビ人達がその意味を人々に伝えると彼らは自分の髪から遠く離れた状況を理解し、泣き出した。しかしネヘミヤやレビ人達は彼らに今は泣くべき日ではなく、神を喜び祝うべき日なのだと励ました。
自分の罪に直面し、理解すると自分の罪深さに愕然とし、足から力が抜けてしまうような思いになる。しかし、罪を理解した日は悲しむ日ではなく、神に立ち返って喜ぶべき日なのだ。

Application(適用)


思えばここ数年は憂鬱な顔ばかりしていたように思う。私がすべき選択は憂鬱に沈むことではなく意思を持って神を喜ぶ事なのだ。罪は「私は無価値だ。生きている意味が無い」と一人称で耳打ちし続ける。しかし私は偽りの自分の声よりも真実な神の声に従う。御言葉に約束されている私の存在意義を信じる。

Prayer(祈り)


イエス様、誰の言葉よりもあなたのみことばを選ぶことが信仰であり、私に課せられた戦いであると分かりました。状況よりも、人々の言葉や自分の考えよりも、あなたを選びます。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。

生きておられる方(ルカ24:3-5)

Scripture(聖書の言葉)


3 中へ入って見ると、主イエスの体は影も形もありません。 4 「いったい、どうなってるのかしら。」女たちは途方にくれました。すると突然、まばゆいばかりに輝く衣をまとった人が二人、目の前に現れました。 5 女たちはもう恐ろしくて、地に伏したまま顔も上げられず、わなわな震えていました。その人たちは言いました。「なぜ生きておられる方を、墓の中で捜しているのです。

Observation(観察)


「なぜ生きておられる方を、墓の中で捜しているのです。」と天使はイエス様の姿を探す女達に問う。この言葉は現代の私たちにも当てはまる。まず、イエス様は今生きておられ働かれている、この前提から聖書に向かわなければならない。死なれたイエス様だけを探していては復活の信仰に至ることは出来ない。今共におられるイエス様を体験出来るように求めたい。

Prayer(祈り)


イエス様、今あなたが生きておられる方であることを感謝します。福音はあなたの死で終わるものでは無く、あなたの復活を告げ、そして永遠に続くものと知りました。いつも共におられることを見失わずにいれるように助けて下さい。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。

十字架を負わされる経験(ルカ23:26)

Scripture(聖書の言葉)


26 人々は、イエスを刑場に引いて行く途中、田舎からエルサレムに着いたばかりの、シモンというクレネ人にむりやり十字架を背負わせ、イエスのうしろから運ばせました。

Observation(観察)


クレネ人シモンは、いわば巻き込まれて十字架を背負わされた人であった。エルサレムに巡礼に来ている時たまたま目の前でイエス様が倒れられ、ローマ兵によって十字架を担ぐよう命じられた。当時の彼にっては災難でしか無かっただろう。
しかしマルコの福音書では、このシモンが、アレキサンデルとルポスとの父であると書かれている。そこから考えるとシモンはこのこときっかけにクリスチャンになったのではと考えられる。

Application(適用)


急に降って湧いた災難のような出来事が逆に救いのきっかけになる。人生におけるどんな困難もなにか素晴らしい事柄に繋がってゆくと信じよう。

Prayer(祈り)


イエス様、やって来る困難をいちいち嘆かず、後に来る幸いに心を向けます。シモンの様に苦しい時にイエス様のそばに居ることが出来ますように。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。

短い祈り(ネヘミヤ1:2-6)

Scripture(聖書の言葉)


2私はその時まで、王の前ではいつも明るく振る舞うようにしていました。私はとても怖くなりましたが、こう答えました。 3 「王様、どうして悲しまずにいられましょう。先祖たちの眠る町が廃墟となり、門も焼け落ちたままなのです。」 4-5 「そうか。では何をしてやればよいのか。」私は短く天の神に祈ってから答えました。「もし、王様のお心にかなって、お許しいただけますなら、私をユダに遣わし、先祖たちの町を再建させてください。」 6 「どのくらいかかるのだ。いつ戻って来るのか。」王は私に尋ねました。王のかたわらには王妃が座っていました。王が承諾してくれたので、私はさっそく出発の日取りを決めました。

Observation(観察)


エルサレムの惨状を聞いたヘネミヤは神のあわれみを求め祈った。数ヶ月後に献酌官をしていた彼はペルシャの王から何故悲しんでいるのかと聞かれた。事情を説明し、王に願いを伝える際、ネヘミヤは短く祈ったと書かれている。この短い祈りがエルサレムの運命を変えたのかもしれない。町の再建は、この時の王とネヘミヤの会話で決定づけられた。

Application(適用)


人間は一日に最大三万五千回の決断をしているという。そのうち私は何回祈って決めているだろうか。正直に言えば、殆ど祈り無しに物事を決めていた。逆に考えれば、一日に三万五千回も神の介在されるチャンスがあると言うことだ。判断が必要な時こそ祈りのチャンスと考え、短い祈りを習慣化使用。

Prayer(祈り)


イエス様、祈りから遠のいている私を憐れんで変えて下さい。神に祈ることを習慣化したいです。一日のうちで小さな判断でも神よと祈って決めることが出来ますように。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。

世の終わりを心配しない(ルカ21:29-33)

Scripture(聖書の言葉)


「いちじくの木やほかの木を注意して見ていなさい。 30 葉が出てくれば、ああ、もうすぐ夏だなと思うでしょう。 31 同じように、こうした現象が起こるのを見たら、神の国はもうそこまで来ていると考えなさい。 32 はっきり言いましょう。これらのことが全部起こってから、世の終わりが来るのです。 33 天と地とは消えてなくなります。けれどもわたしのことばは、永遠に真実なものとして残るのです。

Observation(観察)


世の終わりの予兆についてイエス様はお話しされた。今起きていることではないかと思ってしまうが、いつの時代の人にとっても自分が当事者と感じられたのではないかと思う。世の終わりは確実にやって来る。その後残るのはイエス様の御言葉という真実だけだ。

Prayer(祈り)


イエス様、イスラエル関係のニュースを見聞きする度に世の終わりについて考えさせられます。しかし世の有り様よりも、イエス様の御言葉に心を寄せる者であらせて下さい。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。

エズラの出世(エズラ7:27-28)

Scripture(聖書の言葉)


27 ああ、私たちが代々信じてきた神はすばらしい方です。主は王に働きかけ、エルサレムの神殿は美しさを取り戻しました。 28 また、王や七人の議官、王室の実力者の居並ぶ前で、私にあのような栄誉をお与えくださいました。私の神、主が共にいてくださったので、私は高い地位を与えられました。それで、いっしょにエルサレムへ帰ろうと指導者たちを説得することができたのです。

Observation(観察)


エズラはペルシャで高い地位を持ち、それも用いてユダヤ人のエルサレム帰還を説得することが出来た。神は御自身の目的のためにあらゆる事柄を用いられる。ダニエルやエズラの出世もその一つだ。出世はともすれば避けるべきものと思ってしまいがちだが、そうでは無い。神が用いて下さるポジションに居るべきなのだ。そして必要な神の業を進めるために用いて頂こう。

Prayer(祈り)


イエス様、今置かれている立場は高いものではありませんが、この立場で出来ることがあると信じます。神が用いられる場所と時間、状況に備えて待ちます。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。

ろばの子(ルカ19:33-37)

Scripture(聖書の言葉)


33 綱をほどいていると、持ち主が来て、「何をしているのだ。おれたちのろばの子をどうしようというのだ」と聞きただしました。 34 弟子たちは、「主がお入用なのです」と答え、 35 ろばの子を連れて来ました。そして、その背中に自分たちの上着を敷き、イエスをお乗せしました。 36-37 イエスがろばの子に乗って進んで行かれると、大ぜいの人が次々と上着を脱ぎ、道に敷いて並べました。

Observation(観察)


聖書の中には、ピンポイントで重要な働きをする人や生き物がある。僕の好きなクレネ人シモンや、バラムに口をきいたロバ、そしてこのろばの子などだ。人生の中で一瞬だけ神の働きのために用いられるのなら、それだけで生きてきた価値のあるののだと思う。このろばの子はイエス様が乗られた後どうなったかは書かれていない。元の持ち主に返されたのかもしれないし、そうではないかもしれない。それでも彼の働きは二千年にわたって語られ続けている。わたしもイエス様に呼ばれたなら、綱をほどいていつでも駆けつけて用いて頂けるようにしたい。

Prayer(祈り)


イエス様、ろばの子のように大事な瞬間を逃さず立ち会えますように。あなたの働きを近くで目撃したいです。あなたの呼ばれる声を聴き逃すことがありませんように。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。

エリコの盲人の姿勢(ルカ18:38-43)

Scripture(聖書の言葉)


38 盲人は、この時とばかり大声で訴えました。「イエス様! ダビデ王の子よ! どうぞ、私にあわれみを!」 39 イエスの前を進んで来た人たちが黙らせようとしましたが、そうすればするほど、ますます大声で叫び立てます。「ダビデ王の子よ! あわれみを!」 40 その時、イエスは足を止め、「あの人を連れて来なさい」と言われました。 41 それから、彼にお尋ねになりました。「わたしにどうしてほしいのですか。」「主よ。見えるようになりたいのです!」 42 「さあ、見えるようになりなさい。あなたの信仰があなたを治したのです。」 43 その瞬間、彼の目は見えるようになりました。

Observation(観察)


エリコの盲人はイエス様にあわれみを求めて叫んだ。人々に留められても彼の叫びは止まらなかった。イエス様にどうしてほしいのか、と尋ねられた時、彼は躊躇無く見えるようになりたいと答えた。結果彼は見えるようになった。盲人の行動のポイントは、まず止められてもイエス様を呼び求めることを止めなかったこと、もう一つは願いを明確に持っている、ということだ。

Application(適用)


私にも願いがある。しかし昼夜なくイエス様に叫んでいるだろうか。半ば諦めて厭世的になってはいないだろうか。願いがぶれてしまってはいないだろうか。今自分に問い、この盲人の様に絶望的にイエス様に求める物になりたい。

Prayer(祈り)


イエス様、必死に求めることを続けられる信仰を下さい。諦めずに願い続けるものにならせてください。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。

神の国は関係性の中に(ルカ17:20-21)

Scripture(聖書の言葉)


20 ある日、パリサイ人たちがイエスに尋ねました。「神の国はいったい、いつ来るのですか。」イエスは答えて言われました。「神の国は、目に見える形では来ません。 21 『ここに来た』とか、『あそこに来た』とか言えるものではないのです。はっきり言いましょう。神の国は、あなたがたの中にあるのです。」

Observation(観察)


イエス様は「神の国は、目に見える形では来ません。」と明言された。物理的な事柄であったり政治的なものではないと言うことだ。「神の国は、あなたがたの中にあるのです。」と表現された。あなたがたの内面に、というよりはあなたがたの関係性のうちに、というニュアンスが強い。

Application(適用)


キリスト教は小乗的な個人の救いよりも、緊密なコミュニティのうちに神の力が働かれることを強調している。個人で聖書を読んで一人で悟った気持ちになるよりも、教会の兄弟とともに過ごす方が神の国に近いのだ。

Prayer(祈り)


イエス様、一人で信仰生活が出来ない事が分かりました。どうかともに兄弟達と励まし合うことが出来ますように。孤独を選びがちな私ですが、どうか変えて下さい。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。