深く学ぶ(第二ペテロ1:2)

Scripture(聖書の言葉)

2 あなたがたは、神の恵みと平安をもっと多くいただきたいと願っているでしょう。それなら、イエス・キリストについてもっと深く学んでください。 3 キリストを知れば知るほど、その偉大な力を通して、私たちが神に従う正しい生活を送るために必要なすべてのものをいただくことができるのです。そればかりかキリストは、ご自分の栄光と共に敬虔や品性をも、私たちに与えてくださるのです。 4 さらに神は、それによって、すばらしい約束を与えてくださいます。この約束のゆえに、私たちは欲望のもたらす滅びから守られ、キリストのご性質を備えた者となれるのです。

Observation(観察)

ペテロはイエス様について深く学ぶことを勧めている。深く学ぶことでイエス様の事をよく知り、知るばかりではなく、

    • 神の恵みと平安を頂ける
    • 神に従う正しい生活に必要なすべてのものをいただける
    • イエス様ご自身の栄光、ご自身の敬虔、品性
    • この世の欲望のもたらす滅びから守られる
    • キリストのご性質を備えたものとなれる

と、沢山の実を結ぶことのできるものとなれることを教えている。これは自身の救いのためばかりではなく、一人でも多くの人に福音を届けるため、そして当時も今もはびこっているこの世の罪の誘惑や異端などから守られるためである。

Application(適用)

短い期間であるが聖書を学ぶ機会が与えられていたことは本当に神様に感謝すべきことである。

しかし、書物を書物とて学問として学ぶだけでは、頭でっかちな人で終わってしまう。学ぶことで、自分にどんな変化が起きて行くのかを期待することを忘れていた。今再び、デボーションという形で聖書を黙想する事を日々重ねることで、ペテロのいう学びに伴う沢山のギフトを受けられる様にしたい。また、自分の変化は自分のためだけではなく、伝道のため、そして間違った考えから守られるためであることも知ることができた

「8 これらが備われば、あなたがたはますます強められ、主イエス・キリストのために多くの有益な働きができるのです。 9 しかし、これらのものを追い求めない人は、実を結ばない人です。そういう人は、神が正しい生活を送るようにと、過去の罪から救ってくださったことをすっかり忘れているのでしょうか。」ともあるように、自分の学びによる変化は自分のためだけではなく、神の働きのためであり、日々救いの確信を深めて行くためであることがわかった。

改めて学びの姿勢を見直し、神に変化され日々イエス様に近づくことができるよう、一歩づつ進んで行きたい。

Prayer(祈り)

イエス様、聖書を学ぶ機会をいただいていましたが、学びをただ学びとして受け取っていたことを赦してください。ペテロが言うように、学びに伴う様々なギフトを通し、少しでもイエス様の似姿に近づくことができますように。それを通して一人でも多くの人にイエス様の事を伝えることができますように、これからのデボーションの日々を祝福してください。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン

共に神の家を建てあげる(第一ペテロ2:4)

Scripture(聖書の言葉)

4 主キリストに近づきなさい。主が土台石となり、神はその上に、神の家をお建てになるのです。人々は主を拒みましたが、神は主を最も重要な存在として選ばれたのです。 5 あなたがたも、神の家を建て上げるための生ける土台石となりなさい。そして、聖なる祭司として、イエス・キリストを通して、神に喜ばれる供え物を神にささげなさい。 6 聖書にこう書いてあります。「見よ。わたしは一つの石(キリスト)を(教会の)尊い土台石とするために選び、遣わした。彼に信頼する者は、決して失望しない。」(イザヤ28・16)

Observation(観察)

イエス様は「隅のかしら石」とされている。建物を建てるための最初の礎石である。「見よ。わたしは一つの石(キリスト)を(教会の)尊い土台石とするために選び、遣わした。彼に信頼する者は、決して失望しない。」と書かれている。一方で「キリストを拒む者にとっては、「つまずきの石、妨げの岩」となりました。」と書かれている。同じかしら石であっても信じる人には尊く、頼り甲斐のあるものだが、信じない人には妨げとなる。

信じた私たちには、「あなたがたも、神の家を建て上げるための生ける土台石となりなさい。」と勧めている。神に連なり、共に教会を建てあげなさいという命令である。

Application(適用)

共に教会を建てあげよという神の呼びかけは、取るに足らない私たちにとって、嬉しい反面、本当にできるのか、と不安になることもある。石同士がきっちりと擦り合わせられないと、土台として機能しない。私という石が、かしら石と、また他の土台石たちとしっかり結び合うために、時には磨かれ、削られることも必要かもしれない。教会の人々が共に強固に結び合うことが、どんな嵐にも持ち堪える教会を建てあげる秘訣と学んだ。進んで良い石となり、教会と結びつくものとなりたい。

Prayer(祈り)

イエス様、あなたと、また教会の仲間としっかり結びついて教会を建てあげなさいとのあなたの呼びかけに応じます。自分の役割を教えてください。人と関わり合うことを恐れず、逆に関わり合うことでより深く結びつくことができますように。また聖書を通してあなたを知り、みことばによって必要な変化、訓練、試練を喜んで受けることができますように。イエス様のお名前でお祈りします。アーメン。

信仰と言葉、そして行い(第一ペテロ2:4)

Scripture(聖書の言葉)

14 愛する皆さん。自分には信仰があると言っても、それを行動で表さなかったら、どうしてその信仰を実証できるでしょう。そのような信仰が、人を救うことができるでしょうか。 15 あなたがたの仲間に、着る物もなく、その日の食べ物にも事欠いている人がいて、 16 その人に、「それはお困りですね。でも神様が祝福してくださいますよ。暖かくして、お腹いっぱい食べてください」と言うだけで、必要なものを何もあげないなら、何の役に立つでしょう。 17 このように、信仰に行いが伴わなければ、その信仰は死んだも同然です。

Observation(観察)

信仰は、行いが伴わなければ何の役にも立たないとこの箇所は言っている。実際に困っている人に助けの手を述べられなかったり、善良な顔で過ごしていても心の中が他人への悪意や敵対心でいっぱいで、そのような言葉を陰で言い続けているのなら、信仰を持っていると言ったとしても、自分に言い聞かせたとしても、そこには信仰はない。

Application(適用)

2章20節には「みことばを実行しなければ、信じることなどむなしいことを、いつになったら悟るのですか。行いを伴って初めて本物と言えるのです。」ともある。また、3章2節には「2 また、ことばを制御できる人は、すべての点で自分を完全に制することができる人です。」ともある。

信仰と発する言葉と行いは3つでワンセットだと気付かされた。

言葉を変えるなら、行動も変えることができる。

信仰があれば、言葉を変えることができる。

行いがあれば、信仰をさらに確信を持って信じることができる。

まず言葉を変えてゆこう。自分の中に善意とみことばを実行する力が与えられていることを信じ告白しよう。困っている人を助けられる、ケアできる自分になろう。

Prayer(祈り)

イエス様、言葉だけの信仰者になっていたことを思います。教会に通いながらも、心の中は自分のことばかりであったことを悔い改めます。信仰によって心と言葉を変え、行動を変えます。イエス様のなさった道についてゆきます。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン

後にあるものを目指して

Scripture(聖書の言葉)

12 このように、数えきれないほどの多くの証人たちが、競技場の観覧席で私たちを見つめているのです。だから、うしろへ引き戻そうとする力や、まとわりつく罪をふり捨てて、神の用意された競走を忍耐をもって走り抜こうではありませんか。 2 あなたがたの信仰の指導者であり教師であるイエスから、目を離さないようにしなさい。イエスは後にある喜びを知って、恥辱をものともせず十字架にかかられました。そして今は、神の王座の右に座しておられるのです。 3 罪人たちの恐ろしい反抗を忍ばれたイエスのことを、いつも思っていなさい。あなたがたが気力を失い、弱り果てることがないためです。 4 あなたがたは罪や誘惑と戦っています。けれどもまだ、血を流すほどのきびしい戦いを経験したことはありません。

Observation(観察)

「イエスは後にある喜びを知って、恥辱をものともせず十字架にかかられました。」とある。十字架にかかる前、イエス様は唾を吐きかけられ、頬を打たれ、衣類を剥がされた。神の子が人に辱められた。時にイエスに従うことは、痛みを伴う、世間的には恥をかく様な時があるかもしれない。時勢によっては、クリスチャンであることを公言するだけで嘲笑と迫害の対象になることもある。昨今の異端問題や教会の不祥事、米国の特定のキリスト教勢力の行動など、今の日本でもクリスチャンと言いにくい空気が流れ始めている様に思う。

Application(適用)

しかし、「あなたがたの信仰の指導者であり教師であるイエスから、目を離さないようにしなさい」とあるように、イエス様自身が、後にあるものを目指して、まず先に恥辱をものともせず十字架にかかられたのだから、そこから目を離さず、イエス様に従う苦しみが如何なるものであっても、後にある喜びを知って、従って、ついてゆこうと思う。

Prayer(祈り)

イエス様、ただあなたについて行くことですら、困難を覚える時があります。けれども、あなたは良い羊飼いですから、あなたについて行く羊でありたいと願います。辛いところも通りますが、後にあるものを見て喜びます。それがなんであるのか、どんな素晴らしいものか、どうか教えてください。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン

救いと希望は至聖所にある

Scripture(聖書の言葉)

21 また、このキリストという偉大な大祭司が神の家を支配しておられるのですから、 22 私たちは、まちがいなく受け入れられるという確信と真実な心をもって、神の御前にまっすぐ進み出ようではありませんか。すでに、私たちの心はキリストの血を注がれてきよめられ、体はきよい水で洗われているのです。 23 いま私たちは、神が約束してくださった救いを、希望をもって待ち望むことができ、救いが確実であることを疑いなく語ることができます。神のことばは必ず実現します。

Observation(観察)

 「22 私たちは、まちがいなく受け入れられるという確信と真実な心をもって、神の御前にまっすぐ進み出ようではありませんか。」罪を自覚した後に来るのは本当に神は受け入れてくれるのかという、恐れである。しかし、イエス様の血によってきよめられた神の至聖所にまっすぐ向かって良いとパウロは言っている。そして「神が約束してくださった救いを、希望をもって待ち望むことができ」とある。

Application(適用)

救いとは現状の問題解決であろうか、それとも永遠の魂であろうか。まず待ち望むべきは後者である。しかし後者と前者が分断されているのではない。罪の問題が解決されるのであれば、その実である現状の課題にも神が関与してくださることを信じたい。しかし、順番を決して間違えてはいけない。望んていることを現実のものとして信じること、それが信仰であるとパウロはのちの章でたくさんの例を持って説明している。

Prayer(祈り)

イエス様、救いを待ち望みます。永遠の命を求めます。イエス様が至聖所に一度血を注ぎ、天幕を割いてくださったから、私たちはそこに来ることができます。「間違いなく受け入れられる」とパウロが言っています。この様なものでも受け入れてくださるのであれば、本当にありがたいことです。そして、信仰によって、大胆に求めます。今の経済の問題に神様が関わって、解決してくださいますように。

イエス様のお名前によって、心から期待してお祈りします。アーメン

私は救われなければならない ヘブル5:18

Scripture(聖書の言葉)

18 神は、約束と誓いの両方を与えてくださいました。神は偽りを言われることがありません。そのため、救いを求めて神のもとに逃れて来る人たちは、確かな保証をいただいて、新たな勇気を奮い起こすことができます。そして、神の救いの約束を、少しの疑いもなく確信できるのです。 19 自分は必ず救われるという確かな望みは、私たちのたましいにとって、信頼できる不動の錨です。

Observation(観察)

「救いを求めて神のもとに逃れて来る人たちは、確かな保証をいただいて、新たな勇気を奮い起こすことができます。」とある。今日私は大きな罪の悔い改めをし、何度目かは分からないが人生のやり直しをしようと決断した。今、まさに神に救いを求めて逃れてきたところである。新たな勇気を奮い起こすことができる、という聖書の約束があることに今まで気づかなかった。

Application(適用)

富も貧しさも経験し、病も弱さも通され、ようやく不信仰な自分に気づいた私だ。言葉遊びではないが、結局救い以外に救いはないのだ。24時間365日救いにすがる思いがなくてはすぐにでも転落してしまうことが身に染みて分かった。今しも絶望に転落しそうな心持ちであるが、「確かな保証」が与えられ「新たな勇気」を持ち直すことが約束であるのだから、それを信じようと思う。

Prayer(祈り)

イエス様、あなたの救い以外に頼るものは何一つないことが身に染みてわかりました。何度も同じ失敗を繰り返す私ですが、もう一度あなたに身を避けます。聖書の約束通り確かな保証を頂けることを信じます。新たな勇気を持ち直せることを信じます。今、応えてください。イエス様のお名前で求めて、お祈りします。