救いは心と言葉にある(ローマ10:6-9)

Scripture(聖書の言葉)


6 しかし、信仰を通して与えられる救いは、こう教えてくれます。「あなたは、キリストを見つけようと天を捜し回る必要も、助けていただこうと引き降ろす必要もない。」 7 また、「キリストをもう一度復活させようと、死者の中を歩き回る必要もない。」 8 というのは、キリストを信じることによって与えられる救いは、自分の心の中や口、まさに私たちのすぐ手の届くところにあるからです。 9 なぜなら、もし自分の口で、「イエス・キリストは私の主です」と告白し、自分の心で、「神はイエス・キリストを死者の中から復活させてくださった」と信じるなら、あなたは救われるのです。

Observation(観察)


8節には「救いは、自分の心の中や口、まさに私たちのすぐ手の届くところにある」と書かれている。私たちの思いと口から出る言葉に救いがあるという事だ。『もし自分の口で、「イエス・キリストは私の主です」と告白し、自分の心で、「神はイエス・キリストを死者の中から復活させてくださった」と信じるなら、あなたは救われるのです。』はキリスト教信仰の大きな土台だ。

Application(適用)


しかし、今、私の言葉と思いは、救いについてどれだけ近しいだろう。この世の価値観に浸って、救われていることすら忘れてはいないだろうか。いまからでも遅くない。言葉と思いを変えてゆこう。

Prayer(祈り)


イエス様、仕事の悩みや体調が自分の心の最優先になってしまっていることを赦してください。あなたを第一として、あなたに夢中になれるほどあなたを愛することが出来ますように。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。

一方的な神の愛(ロマ8:38-39)

Scripture(聖書の言葉)


38 神の愛から私たちを引き離すことができるものは何一つない、と確信しています。死もいのちも、そんなことはできません。天使にもできません。地獄の全勢力が結集しても、神の愛から私たちを遠ざけることはできません。恐れも、不安も同様です。 39 あるいは、私たちが空高くのぼっても、海の底深くもぐっても、どこにいようと、神の愛から私たちを引き離すことはできません。

Observation(観察)


神の愛から私たちを引き離すものはなのも無いとパウロは言っている。死も命も、天使でも悪魔でも、私たちがどこに行ってしまっても、である。私たちの感情や状態に拠らず、一方的に神は愛して下さる。

Application(適用)


自分の思いが沈んでいたり、信仰的に健康でないときは、神の愛は失われてしまっているので無いかと思うときがある。しかしそうでは無い。神の愛は一方的で妬むほどに熱烈なものなのだ。自分がどんなに弱くても失敗しても無関係に、神は愛して下さる。

Prayer(祈り)


イエス様、あなたが示して下さった神の愛を感謝します。あなたを知らず、罪人であった時でさえあなたは私のために死んで下さいました。私の状態とは無関係に愛して下さる事を感謝します。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。

行いによる自己義認(ローマ4:12)

Scripture(聖書の言葉)


12 アブラハムは同時に、割礼を受けているユダヤ人の信仰の父でもあります。ユダヤ人には、アブラハムの例から、自分たちがこの割礼の儀式によって救われるのではないとわかるはずです。アブラハムは、割礼を受ける前に、ただ信仰によって神の恵みを受けたからです。

Observation(観察)


割礼とは行いに拠って救われるという考えの象徴だ。これは現代のクリスチャンにとっても危険な罠になる。信仰を伴わない善行は、単なる自己義認でしかなく、神の福音の対極に在る。私たちは「正しいことは出来ない私であっても救い主を信じることによって救われる」事を信じ、いま救われていることを信仰によって受け止めている。信仰の結果として表れる善行ならば良い実を結ぶだろう。しかし信仰のない行いは空しい結果にしかならない。私の行動や言葉が信仰から出ているか、今一度点検しよう。

Prayer(祈り)


イエス様、信仰を見失い、ルーチンのように行いをもって何か良い結果を得ようとしていました。悔い改めます。一つ一つを信仰と感謝を持って行うことが出来る様に助けて下さい。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。

良いものは受け入れる(1テサロニケ5:19-22)

Scripture(聖書の言葉)


19 聖霊の恵みを無にしてはいけません。 20 預言する者を軽蔑してはいけません。 21 すべてのことをよく調べ、それがほんとうに良いものであれば、受け入れなさい。 22 あらゆる種類の悪から遠ざかりなさい。

Observation(観察)


キリスト教界には様々なムーブメントがある。ある種の流行と言っても良い。残念なことには聖書からはみ出してしまっているような働きもある。パウロの時代もそうであったのだろう。テサロニケの教会にも様々な教師が出入りしていたと思われる。彼らの教えに対しパウロは「 21 すべてのことをよく調べ、それがほんとうに良いものであれば、受け入れなさい。」と述べている。正しいこと、良いことであるかをよく調べてから受け入れるべきだ。パウロは全てを否定しているのではない。本当に良いものかどうかを見極めなさいと言っている。この教えは現代にも当てはまる。聖書という規範に当てはめて、良いものであれば受け入れ、悪いものであれば距離を置こう。

Application(適用)


何度も書いているがかつて所属していた教会に入り込んだ異端によって痛い目に遭わされた経験がある。彼らは大部分は聖書について語るが、僅かに違う、しかし何か魅力的なエッセンスを混ぜ込んでくる。それに呼応した人々を集め、聖書についてよりも自分の教えを教え始める。気がつくとイエス様よりも異端の指導者に夢中になってしまう。
このような苦い経験から、聖書以外について語る人には警戒している。純粋に聖書を語る人の話を聞き、そこから学ぼう。

Prayer(祈り)


イエス様、あなたの教えに忠実なものとならせて下さい。情報過多な今の世の中でもあなたの世転ばれる、本当に良いものを見極めてゆく事が出来ますように。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。

信仰の継承(1テサロニケ2:19-20)

Scripture(聖書の言葉)


19 私たちに希望と喜びを与え、誇りの冠となってくれるものは、いったい何でしょうか。それはまさに、あなたがたなのです。そうです。主イエス・キリストが再び来られる時、御前で大きな喜びをもたらしてくれるのは、あなたがたなのです。 20 あなたがたこそ、私たちの勝利のしるしであり、また喜びなのです。

Observation(観察)


伝道者にとって誇りと喜びは信徒であるとパウロは言う。今私たちが信仰者として存在しているのは初代教会以来の信仰の継承による。すなわち私たちの存在そのものがパウロをはじめ信仰の系譜の全ての人にとっての喜びなのだ。

Application(適用)


使徒、教父達、歴代の信仰者達にとって私は喜ばれているだろうか、時には悲しませてはいないだろうか。困難の中に信仰によって立っているだろうか、それとも人間的な知恵でうまく達振る舞おうとはしていないだろうか。自分を点検したい。

Prayer(祈り)


イエス様、あなたを信ずる信仰を2000年にわたって受け継がれて、今の私がいます。今信仰者として正しくいられますように。また次の誰かに信仰を手渡すことが出来ますように。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。

アリマタヤのヨセフの変化(マタイ27:57-60)

Scripture(聖書の言葉)


57 夕方になりました。イエスの弟子で、アリマタヤ出身のヨセフという金持ちが来て、 58 ピラトに、イエスの遺体を引き取りたいと願い出ました。ピラトは願いを聞き入れ、遺体を渡すように命じました。 59 ヨセフは遺体を取り降ろすと、きれいな亜麻布でくるみ、 60 岩をくり抜いた、自分の新しい墓に納めました。そして、大きな石を転がして入口をふさぎ、帰って行きました。

Observation(観察)


アリマタヤのヨセフはサンヘドリン(日本で言う参議院)の議員であった。彼はイエス様の弟子であったがそれをイエス様が生きている間、口外することはなかった。迫害を恐れてのことだったのかもしれない。
しかしイエス様の死を間近で見て、彼は大きな決断をする。ピラトにイエス様の遺体を引き取りたいと申し出ることだ。この事は他のユダヤ人達に彼がイエス様の弟子であると公言することと同義であった。

Application(適用)


職場や友人関係の中で、自分はクリスチャンであると言い出しにくいときがある。かつてのヨセフのように迫害を恐れてであったり、人々に距離を置かれることを恐れての事だ。
しかしヨセフを変えたのはイエス様の十字架の死を目の当たりにしたことだ。もしも私たちが隠れた弟子であるならば、イエス様の死を思い、黙想しよう。イエス様を証する力はここからわき出ると信じよう。

Prayer(祈り)


イエス様、アリマタヤのヨセフが変えられたように、私も変えて下さい。いつでもイエス様を証できるようにして下さい。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。

油を絶やさない(マタイ25:1-13)

Scripture(聖書の言葉)


1神の国は、ランプを持って花婿を迎えに出た、十人の娘(花嫁の付き添い)のようです。 2-4 そのうちの五人は賢く、ランプの油を十分用意していましたが、残りの五人は愚かで、うっかり忘れていました。
5 花婿の到着が遅れたので、みな横になり寝入ってしまいました。 6 真夜中ごろ、ようやく、『花婿のお着きー。迎えに出なさーい』と叫ぶ声がします。
7-8 娘たちは飛び起きると、めいめい自分のランプを整えました。その時、油を用意していなかった五人の娘は、ランプが今にも消えそうなので、ほかの五人に油を分けてほしいと頼みました。
9 『ごめんなさい。分けてあげるほどはありません。それよりもお店に行って、買ってきたほうがいいのではないかしら。』
10 こう言われて、あわてて買いに行っているうちに、花婿が到着しました。用意のできていた娘たちは、花婿といっしょに披露宴に行き、戸は閉じられました。
11 そのあとで、例の五人が帰って来て、『ご主人様、戸を開けてください!』と叫びました。
12 ところが主人は、『私はあなたがたを知りません』と答えました。
13 こんなことにならないために、目を覚まして、いつでもわたしを迎える準備をしていなさい。わたしが来るその日、その時が、いつかわからないのですから。

Observation(観察)


ランプの油を絶やしてしまった5人の娘は油を慌てて買いに走った。その理由は諸説在るが、花嫁の付き添いの役割として道を照らすことが必要であったとか、付き添いである身分を明らかにするため灯りが必要であったとも言われている。また油とは、聖霊様の油そそぎを連想させる。
この節は神の再臨についての文脈で語られており、黙示録19章にある花嫁である教会と花婿であるキリストとの婚礼における付き添いには聖霊様の油そそぎを受けていることが必須の条件とも読み取れる。

Application(適用)


油そそぎを失わないためにはどうしたらよいだろうか。聖書を読むこと、メッセージを心を込めて聞くこと、熱心に祈ることという基本を見失わないことが重要だ。油は揮発し劣化する。古い油そそぎをそのままにしておくことは出来ない。絶えず新しい体験が必要だ。また受け取るだけでなく、伝道というアウトプットも私にとって必要だ。誠実に務めを果たそう。

Prayer(祈り)


イエス様、油を切らして婚礼に間に合わなかった娘達のようになる事無く、自分の務めが果たせますように。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。

神と人を愛する(マタイ22:36-40)

Scripture(聖書の言葉)


36 「先生。モーセの律法の中で一番重要な戒めは何でしょうか」と尋ねました。

37 イエスはお答えになりました。「『心を尽くし、たましいを尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい。』 38 これが第一で、最も重要な戒めです。 39 第二も同じように重要で、『自分を愛するように、あなたの隣人を愛しなさい』という戒めです。 40 ほかのすべての戒めと預言者たちの命令も、この二つから出ています。ですから、この二つを守れば、ほかの戒めを全部守ったことになるのです。これを守りなさい。」

Observation(観察)


分厚い旧約聖書のエッセンスを抽出するなら、この二つの御言葉になるとイエス様は言われる。またこの二つを守れば、ほかの戒めの全てを守ったことになると、イエス様は言われた。神と人を愛することはそれほど重要で、同時に旧約聖書全てを守るほどに難しい事とも考えることが出来る。

Application(適用)


私はどれだけこの御言葉を守っているだろうか。自分の愛の無さに気付かされてあきれてしまう。昨日の金持ち青年の話のように、「出来ません、神様の力無しでは愛する事も出来ません。助けて下さい」と神に告白するべきなのだ。

Prayer(祈り)


イエス様、あなたを愛することも、隣人を愛する事も上手に出来ません。私の中に愛がないことを思い知りました。あなたにお縋りするほか在りません。あなたの愛を私に下さい。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。

行いでは救われない(マタイ19:20-26)

Scripture(聖書の言葉)


20 「それなら、全部守っています。ほかに何が欠けているでしょうか?」
21 「完全な者になりたければ、家に帰って、財産を全部売り払い、そのお金を貧しい人たちに分けてあげなさい。天に宝をたくわえるのです。それから、わたしについて来なさい。」 22 青年はこれを聞くと、悲しそうに帰って行きました。たいへんな金持ちだったからです。
23 イエスは、弟子たちに言われました。「金持ちが天国に入るのは、なんとむずかしいことでしょう。 24 金持ちが天国に入るよりは、らくだが針の穴を通るほうがずっとやさしいのです。」
25 このことばに、弟子たちはすっかり面食らってしまいました。「それなら、この世の中で、救われる人などいるでしょうか。」
26 イエスは、弟子たちをじっと見つめて言われました。「人間にはできません。だが、神には何でもできます。」

Observation(観察)


救いを得ようとする金持ちの青年とイエス様との会話である。彼の問いは「先生。永遠のいのちがほしいのですが、どんな良いことをしたら、もらえるでしょうか。」と始まっている。彼は良い行いによって救いを得ようとしていた。イエス様は全財産を施すという彼にとって困難な提案をする。結局彼は諦めてしまった。彼は最初の問いの時点から、自分の行いによって救われようとしていた。しかし行いによる救いは存在しない。この金持ち青年は、「私には出来ません、イエス様、私の行いによってではなく、神のあわれみによって救って下さい」と願うべきであった。

Application(適用)


幸か不幸か、行いという観点からは私ははじめから落第だ。ただ神にすがるしか道はないことを知っている。自分で何かが出来る、と思い始めたら黄色信号だ。謙遜さを見失わないようにしよう。

Prayer(祈り)


イエス様、私には良い行いをする力はありません。救いはただあなたのあわれみにあります。救いを感謝します。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。

悪い心(マタイ15:15-20)

Scripture(聖書の言葉)


15 すると、ペテロが尋ねました。「きよくないとされている物を食べても汚れない、と先生がおっしゃるのは、どうしてですか。」

16 イエスは言われました。「そんなことがわからないのですか。 17 口から入る物は何でも腹に入って、外へ出てしまいます。 18 ところが、悪いことばは悪い心から出てくるので、人を汚すのです。 19 つまり、悪い考え、殺人、姦淫、不品行、盗み、うそ、また悪口などは、心から出て、 20 人を汚すのです。しかし、食事の前に手を洗うという規則を破ったからといって汚れるわけではありません。」

Observation(観察)


人を汚すのは汚れた食べ物ではなく、悪い心から出る行為であると、イエス様は形骸化した律法に縛られているパリサイ派を否定された。
私にも悪い心はある。この心を動機として起こされた言動は人の心を汚してしまったのだ。この悪い心を善いものに変えて頂きたい。人の悪意を感じることが出来ないほどに純粋なものに変えられたい。

Prayer(祈り)


イエス様、自分のなかに在る悪を見て見ぬ振りをしてきましたが、今日自分に気付かされました。参りました、認めます、あなたが良いように扱ってください。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。