神の訓練(ヘブル12:10-13)

Scripture(聖書の言葉)


10 肉親の父親は、ほんの短い間だけ、それも、限られた知識に基づいて私たちを訓練します。ところが神は、私たちの最善を願って、神のきよさを共有させようと訓練をしてくださるのです。 11 罰を受けた当初はだれも気持ちがよいはずはなく、むしろ傷つけられたと感じるものです。しかしあとになれば、それが自分の益となり、すべての面で良かったことがわかります。

12 ですから、しっかり立ち上がりなさい。 13 そして、まっすぐな道を切り開きなさい。そうすれば、たとえ弱くて足が不自由でも、倒れたり、けがをしたりせず、かえって丈夫になるでしょう。

Application(適用)


私が幼い頃父は家庭を捨て、去ってしまった。従い父から子としての訓練を受けたことが無い。聖書には神は子である私たちに訓練をして下さるとある。父親という者が分からない私にはこの訓練が神の愛なのか、神の怒りなのかの区別がつかない。しかし「あとになれば、それが自分の益となり、すべての面で良かったことがわかります。」とある。いまはこの御言葉に信頼しよう。
しっかりと立って自分の人生を神と生きるために、この訓練は必要なのだ。神に信頼しよう。

Prayer(祈り)


イエス様、訓練は痛くて苦しいです。出来れば避けたいです。けれどもあなたのご計画の内にあることであれば耐え忍びます。一人では耐えられません。どうか一緒に居てください。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。

待ち望むこと(ヘブル11:1-3)

Scripture(聖書の言葉)


1信仰とはいったい何でしょう。それは、望んでいることが必ずかなえられるという確信です。また、何が起こるかわからない先にも、その望んでいることが必ず待っていると信じて疑わないことです。 2 神を信じた昔の人たちは、この信仰によって賞賛されました。 3 信仰によって私たちは、この世界が神のことばによって造られ、しかも、それらが無から創造されたことを知るのです。

Observation(観察)


主にある望みが必ず叶うと信じて疑わないことが信仰であるとヘブル書記者は言う。信じ続けることは時に本当に困難がある。何度も確信を疑わせる様な出来事がやって来る。しかし「この信仰によって賞賛されました」とある。あるいは目的の物事を手にするよりも、信じ続けることの方が望みの実態なのかもしれない。
私には30年来願い、未だ叶えられない一つの望みがある。あるいは死ぬまでそれは叶わないのかもしれない。しかしそれでも望み続ける事が神の喜ばれる事ならば、諦めず、望み続けよう。

Prayer(祈り)


イエス様、何度も確信を揺さぶられながらも信じ続けてきました。あらゆる状況がNOといっても諦めることが出来ません。この地上でこの望みが叶わなくてもかまいません。ただあなたの約束を信じ喜び続ける信仰を下さい。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。

受け入れられているという確信(ヘブル10:21)

Scripture(聖書の言葉)


21 また、このキリストという偉大な大祭司が神の家を支配しておられるのですから、 22 私たちは、まちがいなく受け入れられるという確信と真実な心をもって、神の御前にまっすぐ進み出ようではありませんか。すでに、私たちの心はキリストの血を注がれてきよめられ、体はきよい水で洗われているのです。

Observation(観察)


イエス様が大祭司として御自身の血を持ってわたしたちの罪をきよめ、贖いを成してくださった。これ以上の保証はこの世には無い。私たちの過去がどれほど罪に汚れた者であったとしても、私たちは受け入れられるのだ。罪の力は、それから逃れられない、赦されないという誤った確信を与える物だ。私たちはそれを打ち破って、神の赦しを受け入れる側に立たなければならない。

Application(適用)


犯した罪はもはや私たちを苦しめ続ける者では無く、かえって神の恵みの大きさを喜ぶための者と変えられた。私は誤った罪意識をすて、感謝することに心を向けたい。

Prayer(祈り)


イエス様、罪の赦しということの深遠さに目を向けさせてくださり感謝します。真理は単純であると同時に神のとてつもない深い知恵によって出来ています。私の心がいつも真理に向かいますように。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。

イエス様の血潮(ヘブル9:13-14)

Scripture(聖書の言葉)


13 古い制度のもとで、雄牛ややぎの血、あるいは若い雌牛の灰が、人々の体を罪からきよめることができるとすれば、 14 ましてキリストの血は、どれほど確実に私たちの心と生活を変えることでしょう。キリストご自身のささげられた血は、古い規則に縛られる悩みから私たちを解放し、生ける神にお仕えしたい気持ちに駆り立てるのです。

Observation(観察)


イエス様の血は、私たちの心と生活を変えると書かれている。そればかりか神に仕えたい気持ちを与えてくださるともある。クリスチャン生活にはイエス様の血によるきよめが必須である。十字架で流されたイエス様の血こそが私たちの信仰生活の基盤であり保証なのだ。

Prayer(祈り)


イエス様、私の心と人生にイエス様の血潮を注いできよめ、あなたに喜んでお従いする者に変えて下さい。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。

新しい律法を心に刻む(ヘブル8:10)

Scripture(聖書の言葉)


10 ここにわたしは、イスラエルの民と新しい契約を結ぶ。わたしはこの律法を彼らの心に刻む。そうすれば、何も言わなくても、彼らに、わたしの思いがはっきりわかるようになる。心の中に律法があるので、彼らは喜んで従うようになるだろう。こうして、わたしは彼らの神となり、彼らはわたしの民となる。

Observation(観察)


神はモーセの律法に変えて、新しい契約を結ぶと言われた。それはイエス様の贖いによる救いの約束だ。神はこの約束を私たちの心に刻むと言われる。石や巻物では無く、心に直接刻み、神の思いがそのまま分かり、喜んで従うことが出来るようになると言われたのだ。
私たちは日々聖書を読むが、その真理と真意が心に刻まれるなら、なんと素晴らしいことだろう。私たちの行動理念と価値基準が神の喜ばれる物に変えられるのだ。

Application(適用)


気がつくと神のみ思いから離れ勝手なことばかりしている自分を発見する。神のこの約束が私の心に一日でも早く実現してほしい。

Prayer(祈り)


イエス様、あなたの約束は必ず成ると信じます。あなたの新しい約束を私の心に刻み、私を新しい人にして下さい。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。

暗闇の中でも(ミカ7:8-9)

Scripture(聖書の言葉)


8 敵よ、私のことで喜ぶな。
私は倒れても、また起き上がるからだ。
たとえ暗闇の中に座っていても、
主が私の光となる。
9 主から罰を受けている間、私はじっと耐えていよう。
私が主に罪を犯したからだ。
そののち、私を敵の手から守り、
彼らが私にしたすべての悪を罰する。
神は私を暗闇から光の中へ連れ出し、
私は神のいつくしみを見る。

Observation(観察)


信仰者として生きることに限界を感じ、倒れてしまうときがある。そのようなときは全ての希望が去り、悪魔の嘲笑と呪いが聞こえてくるような思いになってしまう。けれどもミカは、「敵よ、私のことで喜ぶな。私は倒れても、また起き上がるからだ。」と再起の希望を消すことは無かった。また暗闇に座っていても主が私の光となると告白している。暗闇に座り込んでいても神は光であることに変わりは無い。沈み込んでいてもその光は私の物だ。
罪は赦されるが、神は時に懲らしめを与えられる。そのようなときでも神は神である。懲らしめの果てには神の慈しみの回復がある。この希望を捨てずに居よう。

Prayer(祈り)


イエス様、ただ今はあなたの助けを待ちます。この苦しみの時があなたのことを思う時と変えられますように。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。

救いという望み(ヘブル6:18-19)

Scripture(聖書の言葉)


18 神は、約束と誓いの両方を与えてくださいました。神は偽りを言われることがありません。そのため、救いを求めて神のもとに逃れて来る人たちは、確かな保証をいただいて、新たな勇気を奮い起こすことができます。そして、神の救いの約束を、少しの疑いもなく確信できるのです。 19 自分は必ず救われるという確かな望みは、私たちのたましいにとって、信頼できる不動の錨です。この望みこそ、神聖な幕の内側(天にある神の住まい)におられる神と私たちを結び合わせるものです。

Observation(観察)


罪からの解放を求めて神に逃れてくる者は、神の約束と誓いの故に、必ず新たな勇気を奮い起こし、神の救いの約束を確信できるとある。神を逃れの町としてやってきた私たちは、もはや弱くおののいている罪人では無く、神によって救われ祝福された新しい人になるのだ。過去は過ぎ去った。勇気を持とう。

Prayer(祈り)


イエス様、神の約束とそれを確かにする誓い両方が私に与えられていることを感謝します。罪と弱さで疲弊しています。神の元に逃れます。休ませ回復させて下さい。エリヤを養ったように必要な糧を与えてください。この世のためでは無くあなたの働きのために再び立ちます。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。

成長するために(ヘブル5:12-14)

Scripture(聖書の言葉)


12-13 あなたがたは、もう長い間、クリスチャンとして生きてきました。ほかの人を教えても当然なのに、もう一度、神のことばのイロハから手ほどきしてもらわなければならないほどになっています。固形物を食べるまでには成長せずに、いつもミルクばかり飲んでいる赤ん坊のようです。クリスチャン生活のごく初歩の段階を行ったり来たりして、善悪の区別さえおぼつかない状態なのです。 14 あなたがたがもっと成長し、正しい行いが伴って、善悪の区別がつくようになるまでは、堅い霊の食べ物をとることも、神のことばの深い意味を悟ることもむりでしょう。

Observation(観察)


ヘブル書記者の言葉は辛辣だ。いまだ成長しないクリスチャンに対し。正しい行いが伴わず、善悪の区別がついていないと述べている。これは私にとって本当に耳が痛い言葉だ。私はクリスチャンになって長いが、ずっと同じ所をぐるぐる回っているように感じることが多い。価値観が刷新されることも無く、いまだにこの世のことに惑わされる。隣人を助けるよりも自分の必要のためにわめいているような状態だ。けれども、何度でも基礎に立ち返って築き直すことを神は許してくださる。間違いは悔い改め、自分の弱さを自覚し、もう一度神のもので再出発しよう。

Prayer(祈り)


イエス様、自分が何も知っておらず、神の愛の実践も何も出来ていないことを覚えます。自分の事で精一杯の状況です。このような状況でも出来ることを教えて導いてください。子どもが親の真似をして成長するように、わたしもあなたの真似をしたいです。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。

神の愛と裁き(ホセア11:8-9)

Scripture(聖書の言葉)


8 ああ、わたしのエフライム。
どうして、あなたを捨て去ることができよう。
どうして見放せよう。
どうして、アデマやツェボイム
(ソドム、ゴモラと共に滅びた町)のように
見捨てることができよう。
わたしの心は叫んでいる。
何としても、あなたたちを助けたい。
9 燃えるような怒りがあなたたちを罰するよう命じるが、
わたしは罰しない。
エフライムを滅ぼすのは、これが最後だ。
わたしは神であって、人ではないからだ。
わたしはあなたたちのうちに住む聖なる者であって、
滅ぼすために来たのではない。

Observation(観察)


神はイスラエルの裁きの宣告をするも、一方で「何としても、あなたたちを助けたい。」とも言われている。神は御自身の属性である正義の故に、イスラエルを裁くほか無かった。しかし同時に神は愛であるから、イスラエルを救い出そうとも宣言された。「わたしはあなたたちのうちに住む聖なる者であって、滅ぼすために来たのではない。」と罪の中に生きるイスラエルに対して変わらない愛を示された。
罪には代償が伴う。それはクリスチャンであっても変わらない。蒔いたものは刈り取らねばならないのだ。しかしその刈り取りも、神が居てくださるから乗り越えることが出来る。神の助けによって生きている事を心から知ることが出来たら、それは何という幸いだろう。

Prayer(祈り)


イエス様、人生の苦難を通しても神の御愛を示してくださることに感謝します。苦難の時であっても神と共に過ごす時であることを喜び感謝します。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。

荒野でみことばを聞く(ヘブル3:7-8)

Scripture(聖書の言葉)


7-8 ですから、聖霊はこう警告します。キリストの声に注意深く耳を傾けなさい。今日その声を聞いたら、昔のイスラエル人のように心を閉ざしてはいけません。彼らは荒野で試練を与えられた時、神の愛にそむき、心を鋼鉄のように固くして、文句を言い続けたのです。

Observation(観察)


聖霊様は私たちが神の声に対して心を柔らかくして従うことように警告している。それは荒野を放浪して約束の地に入れなかったイスラエル人の様にならないためだ。神の約束は確かにある。しかし心が頑なであればそこには辿り着けない。心を柔らかくして神の愛と導きに従おう。

Application(適用)


苦しみが続くと、自分が信仰者で在ることを見失いそうになってしまう事がある。しかしその時こそが信仰を強め、神により深く従うチャンスなのだと思う。荒野での日々が続いても、神の声にであるみことばに耳を傾け、神の導いてくださる道のりを誠実に歩む者でありたいと願う。

Prayer(祈り)


イエス様、今の困難もあなたの栄光に変わることを信じます。やがての日にあなたと共に喜べる時が来ると告白します。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。