わたしはある(出エジプト3:14-15)

Scripture(聖書の言葉)


14 「わたしは『わたしはある』(「永遠に生ける神、創造者」の意で、イスラエルの神の名。「主」のもともとの意味)という者だ。『「わたしはある」という方から遣わされた』と言えばよい。 15 そして、『あなたがたの先祖アブラハム、イサク、ヤコブの神、主が私を遣わした』と言いなさい。これが永遠に変わらないわたしの名だ。」

Observation(観察)


「わたしは在りて在る者」、存在の根源であると神はモーセに言われた。私たちはこの世界を現実の物と受け止めているが、それ以上の現実、真実が神にはある。神の国の現れとは神の真実が私たちの心にやって来ることだ。主よ来て下さい、と願おう。

Prayer(祈り)


イエス様、あなたの存在は私が現実と思っているこの世の全てよりも勝って現実であり真実です。この世の全ては価値を失いますが替わってあなたの栄光が輝きます。あなたの御国が来ますように。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。

水から引き出される(出エジプト2:10)

Scripture(聖書の言葉)


10 やがてその子は大きくなり、養子として正式に王女の屋敷へ引き取られました。王女はその子をモーセ〔「引き出す」の意〕と名づけました。水の中から引き出した子だったからです。

Observation(観察)


ファラオの命令で、川に投げ込まれるしかなかった赤子は、葦で出来た籠に入れられ川辺の茂み置かれた。不思議な神の導きで赤子は王女の養子となり、モーセと名付けられた。「引き出す」という意味であると聖書にある。水から引き出される、という表現は私たちが受けた洗礼に通じる。霊的な死から新しいいのちに。絶望から神からの新しい召命に、私たちは水の中を通って変えられた。なればこそ、私たちもモーセのように神に従い通す生涯を歩みたい。

Prayer(祈り)


イエス様、洗礼を受けた日を思い出します。若く、血気盛んな若者でした。けれどもあなたにお仕えしたい情熱は今も変わりません。どうぞ呼んでください。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。

死と復活(ルカ20:37-40)

Scripture(聖書の言葉)


37-38 しかし、あなたがたがほんとうに聞きたいのは、復活があるかないかということでしょう。モーセ自身は何と書き残していますか。燃えさかる柴の中に現れた神とお会いした時、モーセは神を、『アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神』(出エジプト3・6)と呼びました。主を彼らの神と呼んでいる以上、彼らは生きているはずです。神は死んだ者の神ではありません。神に対して、みなが生きているのです。」 39 その場にいた律法の専門家たちは、「先生。非の打ちどころのないお答えです」と言い、 40 それ以上、尋ねようとはしませんでした。

Observation(観察)


神は生きている者の神、そして神の前で(既にこの世を去った人裳)全ての人は生きている、とイエス様は言われた。肉体の死は神の前では何の効力も無く、神に着く私たちにとっても同様だ。ちょうど服を着替えるように、肉体という衣を脱いで栄光の体を着る、という事に等しい。私たちはもはや死を恐れる必要は無い。この世で成すべき事をやがての日まで誠実に働こう。

Prayer(祈り)


イエス様、死への恐れを取り除いて下さって感謝します。後の世の憂い無く今を精一杯生きます。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。

エリコのザアカイ(ルカ19:1-5)

Scripture(聖書の言葉)


1-2 それからイエスはエリコに入り、町をお通りになりました。この町には、ローマに収める税金を取り立てる仕事をしているザアカイという男がいました。取税人の中でもとりわけ権力をふるっていた大金持ちでした。 3 このザアカイも、ひと目イエスを見ようと思いましたが、背が低かったので、いくら背伸びをしても、人垣のうしろからは何も見えません。 4 そこで、ずっと先のほうに走って行き、道ばたにあったいちじく桑の木によじ登って、見下ろしていました。 5 やがて、そこへ差しかかったイエスは足を止め、ザアカイを見上げると、「ザアカイ。早く降りてきなさい。今晩はあなたの家に泊めてもらうつもりでいますから」と言われました。

Observation(観察)


イエス様はエリコでザアカイという取税人に出会った。エリコという土地はヨシュアが城塞を破った場所だ。ザアカイは取税人という立場で嫌われ疎まれ、私利私欲に起きる人だった。彼の人生に福音が届くには、エリコの城塞のように強固な自我が邪魔したかもしれない。彼はイエス様に興味を持ったが、背が低くて見ることが出来ない。そんな彼にイエス様は声をかけられた。エリコの城塞を破ったヨシュア達の勝ち鬨の声のように、イエス様のことばは彼の心のバリケードを打ち破った。どのような立場の人にもイエス様は必要だ。私たちに課せられた重要な使命は、イエス様のことばを人々に届けることだ。

Prayer(祈り)


イエス様、あなたのお声かけによって私は救われました。一人でも多くの人にイエス様の声を届けたいです。用いて下さい。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。

金持ち青年の救い(ルカ18:22-27)

Scripture(聖書の言葉)


22 「でも、あなたには一つだけ欠けたところがあります。財産を全部売り払って、貧しい人たちに分けてあげなさい。天に宝をたくわえるのです。それから、わたしについて来なさい。」 23 このイエスのことばに、その人は肩を落として立ち去りました。たいへんな金持ちだったからです。 24 そのうしろ姿を見つめていたイエスは、弟子たちに言われました。「金持ちが神の国に入るのは、なんとむずかしいことでしょう。 25 それよりは、らくだが針の穴を通るほうが、よほどやさしいのです。」 26 これには弟子たちも驚き、思わずことばを返しました。「そんなにむずかしいのですか。だとしたら、救われる人などいるでしょうか。」 27 「人にはできません。だが、神にはできるのです。」

Observation(観察)


律法を守ることに熱心な金持ち青年がイエス様に永遠の命に入るにはどうすればよいかを尋ねた。しかしイエス様の答えは全財産を貧しい人に分け与えなさいと言う、彼にとって困難なことであった。当時のユダヤの社会では金持ちは神に祝福された人、と見なされていた。その事が彼にとって分け与えることがより難しく感じさせたのかもしれない。ではどんな人なら救われるのか、という弟子達の問いに対してイエス様は、「人には出来ません」と明言された。人間は自分の行いで自分を救うことは出来ない、とイエス様は言われたのだ。「だが、神にはできるのです。」神にとって不可能な事は無い。金持ち青年も分け与えることができない不完全な自分のまま、神の前に救いを求めるならば救いを得られただろう。
私たちにとって重要なのは何が出来るか出来ないかではなく、どれだけ神に信頼し頼る事が出来るか、なのだ。

Prayer(祈り)


イエス様、私がどれだけ欠けがある人間か、あなたがご存じです。この姿のままあなたの前に救いを求めます。助けて下さい。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。

神の国(ルカ17:20-21)

Scripture(聖書の言葉)


20 ある日、パリサイ人たちがイエスに尋ねました。「神の国はいったい、いつ来るのですか。」イエスは答えて言われました。「神の国は、目に見える形では来ません。 21 『ここに来た』とか、『あそこに来た』とか言えるものではないのです。はっきり言いましょう。神の国は、あなたがたの中にあるのです。」

Observation(観察)


神の国の訪れは、私たちが最も求めてやまない物だ。しかしそれは目には見えないかたちで訪れるとイエス様は言われた。物質的な事柄や政治的な者では無い。「神の国は、あなたがたの中にあるのです。」と、神の国は私たちの内面にやって来るのだ。すなわち、神の支配、神の平安、神の祝福が私たちの心と魂にやって来るということだ。

Application(適用)


仮に神の国が目に見える形で来たとしても、私たちの内面がのろいと悲しみに縛られたままであったら、それは何の意味も無い。私たちの内面に神がおられるのなら、外面的な状況とは無関係に、神の喜びが私たちを包まれる。そしてその喜びは天の御国に変えるときまで続くのだ。

Prayer(祈り)


イエス様、御国が私の心に来ますように、あなたのご支配が私の魂に来られますように。心から望みます。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。

どこでも祝福される神(創世記39:20-23)

Scripture(聖書の言葉)


20 真相をよく調べもせず、すぐさまヨセフを捕らえ、王の囚人が入れられる監獄に放り込みました。 21 しかし、主は監獄の中でさえヨセフとともにいて、何事にも心にかけてくださったので、ヨセフは看守長にとても気に入られました。 22 この男なら大丈夫と見抜いた看守長は、やがてすべての囚人の面倒を見るよう、監獄内の管理をいっさいヨセフに任せることにしました。 23 それからというもの、ヨセフが取り仕切ったので、看守長は何の心配もなくなりました。主がヨセフとともにおられるので、彼は何をしてもスムーズに事が運びました。

Observation(観察)


妬みから兄弟達に売られ、エジプトで奴隷となったヨセフだが、彼の働きはどこでも祝福された。ポティファルの元で働けば彼の家は祝福され、監獄に入れられれても彼の周りには祝福があった。さらにはエジプト全土が飢饉から守られる祝福を神はヨセフの故に与えられた。どのような立場になっても、奴隷であっても囚人であっても、あるいは総理大臣であったとしても、ヨセフの祝福は変わらなかった。

Application(適用)


人生の上がり下がりは誰しも経験する。しかし神が共におられればその場所は祝福され、神の栄光が現れるのだ。現状に失望せず、神が今ともにおられることを喜ぼう。

Prayer(祈り)


イエス様、あなたの祝福がどれほど大きい物であるか、ヨセフの生涯をみて少しだけ分かりました。同じ神の同じ祝福を大胆に求めます。この場所を祝福して下さる事を信じます。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。

連れ帰られた罪人(ルカ15:1-7)

Scripture(聖書の言葉)


1イエスの教えを聞きに来る人たちの中には、あくどい取り立てをする取税人や罪人といわれる者たちがかなりいました。 2 ユダヤ教の指導者や律法の専門家は、イエスがそういう問題の多い人々とつきあい、時には食事までいっしょにするのを見て、批判しました。

3 そこでイエスは、次のようなたとえ話をなさいました。 4 「羊を百匹持っているとします。そのうちの一匹が迷い出て、荒野で行方がわからなくなったらどうしますか。ほかの九十九匹は放っておいて、いなくなった一匹が見つかるまで捜し歩くでしょう。 5 そして、見つかったら、大喜びで羊を肩にかつぎ上げ、 6 家に帰ると、さっそく友達や近所の人たちを呼び集めて、いっしょに喜んでもらうでしょう。 7 それと同じことです。迷い出た一人の罪人が神のもとに帰った時は、迷ったことのない九十九人を合わせたよりも大きな喜びが、天にあふれるのです。

Observation(観察)


イエス様はあらゆる階級の人と共におられた。とくに差別され虐げられている人々と多くの時間を過ごされた。罪人たちとも親しくされた。イエス様を批判したパリサイ派やサドカイ派の人々に対し、「迷い出た一人の罪人が神のもとに帰った時は、迷ったことのない九十九人を合わせたよりも大きな喜びが、天にあふれるのです。」と言われた。イエス様は罪人を裁くことなく、神の元に連れ帰るために来られたのだ。

Application(適用)


わたしも連れ帰っていただいた罪人の一人だ。私が神に立ち返ったとき、イエス様は私を喜んで方にかつぎ上げ、神の元に連れ帰って下さった。このことをいつも忘れず感謝しよう。

Prayer(祈り)


イエス様、あなたが私を探して見つけて下さった事を感謝します。この原点を忘れずに感謝し続けます。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。

地の塩(ルカ14:34-35)

Scripture(聖書の言葉)


34 塩が塩けをなくしたら、何の役に立ちますか。 35 塩の価値のない塩など、肥やしにもなりません。捨てるほかないのです。聞く耳のある人は、よく聞きなさい。」

Observation(観察)


イエス様は私たちに、地の塩でありなさいと言われた。この世の腐敗を防ぎ、正しさをもたらす者であれ、という意味だ。一方でこの箇所は、私たちが塩気を失うことについての警告である。私たちが自分のミッションを投げ出すなら、私たちは存在意義を失うことを意味する。
私たちは塩気を保っているだろうか。この世を正しく保つためのミッションを握っているだろうか。

Prayer(祈り)


イエス様、神の民としての働きを私が見失うことが無いように助けて下さい。地の塩として生きたいです。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。

使命感を持って大胆に生きる(ルカ13:31-33)

Scripture(聖書の言葉)


31 ちょうどその時、数人のパリサイ人が近寄って来て、イエスに忠告しました。「いのちが惜しかったら、ここから出て行きなさい。ヘロデ王があなたを殺そうとねらっています。」

32 イエスはお答えになりました。「あのきつねにこう言ってやりなさい。今日も、明日も、わたしは悪霊を追い出し、病人をいやし、そして三日目に目的を果たします。 33 今日も、明日も、その次の日も、わたしは進んで行くのです。神から遣わされた預言者が、エルサレム以外の場所で殺されることはありえないからです。

Observation(観察)


ヘロデの脅かしにイエス様は一切屈することはなかった。イエス様はこの世での果たすべき使命を知っておられ、それが完了するまでは決して死なないと分かっておられた。この強大な使命感は神の召命によるものだ。私たちは自分の行く末をいつも心配して、おろおろしてしまう。そのような弱い私たちにこそ、使命感が必要だ。神の計画に拠って生きる、生かされると考えるなら、なにも恐れることは無い。堂々と、大胆に生きてゆこう。

Prayer(祈り)


イエス様、私の弱い心をあなたの召しという柱で支えて下さい。どんな働きであっても、神によって与えられたと感じるなら、精一杯人生をかけて全うすることが出来ます。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。