神の国に住む(ルカ6:20-23)

Scripture(聖書の言葉)

20 それからイエスは、弟子たちのほうをふり向き、話し始められました。「あなたがた貧しい人は幸福です。神の国はあなたがたのものだからです。 21 いま空腹な人は幸福です。やがて十分満足するようになるからです。泣いている人は幸福です。もうすぐ笑うようになるからです。 22 わたしの弟子だというので、憎まれたり、追い出されたり、悪口を言われたりするなら、なんと幸いなことでしょう。 23 そんなことになったら、心から喜びなさい。躍り上がって喜びなさい。やがて天国で、目をみはるばかりの報いがいただけるからです。そして、同じような扱いを受けた、昔の預言者たちの仲間入りができるのです。

Observation(観察)

山上の垂訓について、解釈はさまざまあるが、まっすぐに読むなら、報いはすべて永遠の天の御国、神の国にある、と言う物だ。

現世での利益、繁栄について語るキリスト教諸派も多くあるが、イエス様の語られた本質は、あくまで「神の国」であり、この世での癒しも繁栄も、イエス様のあわれみによるギフトである。それは喜んで受け、求めるべき物だが、それでも神の国の素晴らしさに勝る物では無い。

迫害に遭った多くのクリスチャン達は、この世での自身の繁栄をみて迫害に耐えたであろうか?そうではない、天を見上げて喜んだのだ。

イエス様の時代、医療も栄養も十分でなく、ローマの属国でも有った。このような時代に生きる人々にとって死は現代に比べてとても身近な物だっただろう。だからこそ、隣り合っている死に誠実に向き合ったのだ。

Application(適用)

私はどうであろうか、お金のことで一喜一憂し、病気になれば嘆きあちこちに愚痴り、誤解されれば怒り心頭で告発して歩く。。神の国を思うことなど一日に一度もあるだろうか。

私はこれを変えなければならない。日々天のことを思い、天の父なる神を想う者と変えられたい。そうすれば、イエス様の言われたとおり「もうすぐ笑うようになるからです。」という物になれるはずだ。

Prayer(祈り)

イエス様、神の国にふさわしい物に変えて下さい。今この瞬間から神の国の住民にならせてください。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。

神を礼拝する旅路(創世記12:7-9)

Scripture(聖書の言葉)

7 その時、主がアブラムに現れ、「この地をあなたの子孫に与えよう」と約束されました。アブラムは喜んで、主とお会いした記念に、そこに祭壇を築きました。 8 彼はそれからさらに南へ向かい、西のベテルと東のアイにはさまれた丘陵地帯に来ました。アブラムは野営をし、主のために祭壇を築いて祈りました。 9 そのあとはまた、時々休みながらゆっくりと南のネゲブへ向けて旅を続けました。

Observation(観察)

アブラムは75才の時に神の語りかけを受け、住み慣れた土地を出発した。宿営した地で主が表れ「この地をあなたの子孫に与えよう」と言われた。アブラムは喜んで、主とお会いした記念に、そこに祭壇を築いた、とある。また旅を続けながら祭壇を築きつつ南に向けて旅を続けた、とある。

Application(適用)

短い節だが、アブラハム(アブラム)と神との関係が垣間見える箇所だ。高齢であてどなく出発したアブラムではあったが、神の語りかけによって正しい方向に向かい祝福されていることを知り、記念に祭壇を気づき、次の目的地に進んでいった。

私ももう、若い、と言われる年齢をとうにこしている。そしてどこに向かっているのか見当が付かない。歩むには神の語りかけが必要だ。道を誤ったら反省し引き返し、正しい道とわかったら喜んで祈りの祭壇を築き神をたたえよう。行く先がどこであれ神をたたえる生涯となりたい。

Prayer(祈り)

イエス様、いまだ迷っている出来の悪いしもべです。一歩一歩「これが道だ、これにすすめ」と教えて下さい。あなたを喜んでその旅路を行く者として下さい。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。

(写真はベテルの祭壇と言われる建物)

神の国を求める(ルカ4:42-43)

Scripture(聖書の言葉)

42 翌朝早く、イエスはただ一人、人気のない寂しい所へ行かれました。人々はあちこち捜し回り、やっとのことでイエスを見つけ出すと、もうどこへも行かないように頼みました。 43 しかし、イエスはお答えになりました。「ほかの町々にも、神の福音(救いの知らせ)を伝えなければならないのです。そのために、わたしは来たのですから。」 44 こうしてイエスは、ユダヤ中を旅し、各地の会堂で教えられました。

Observation(観察)

カペナウムでの奇跡の後、イエス様は翌朝、人気の無いところに行かれた、祈るためであっただろうか。奇跡に沸く民衆から離れたかったのかもしれない。案の定人々はイエス様を見つけ出し、ここに留まってくれるよう頼んだ。しかしイエス様の答えは「ほかの町々にも、神の福音(救いの知らせ)を伝えなければならないのです。そのために、わたしは来たのですから。」イエス様の目的は奇跡では無く福音を伝えることであった。人々に様々な必要があることはイエス様は勿論知っていた。けれどもそれ以上に福音は重要な物なのだ。

Application(適用)

生きていれば怪我もするし病気もする、人間関係も煩わしさになやむこともあれば自分の心の問題に悩むことも多い。イエス様に助けてと願うこともしょっちゅうだ。しかし、イエス様の優先順位は福音を伝えることにある。癒しや回復を求めると同時に、神の国を第一に求めよう。苦しいときには難しいかもしれないが、ことしはそれをしてみようと思う。

Prayer(祈り)

イエス様、弱ったときにはあなたに頼りますが、そのときでも神の国を求めるものであろうと思います。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。

種まきと収穫(創世記8:20-22)

Scripture(聖書の言葉)

20 ノアはそこに主への祭壇を築き、神から指定された動物や鳥をささげ物としてささげました。 21 神はそれを喜び、こう心に誓われました。「もう二度とこのようなことはしない。人間は子どもの時から悪い性質を持っていて、悪い考えを抱くものだ。わたしはもう、大地をのろって生き物を滅ぼすようなことは絶対にしない。 22 大地がある限り、春の種まきと秋の収穫、暑さと寒さ、冬と夏、昼と夜とが、年ごとにくり返されるだろう。」

Observation(観察)

洪水の後、箱船によって助かったノアとその一族は、水が引いた後の地上(アララテ山頂?)に立ち、ノアは主なる神への祭壇を築き献げ物をささげ、神を礼拝した。

それを喜ばれた神は、人間の原罪、限界をおぼえ、「大地をのろって生き物を滅ぼすようなことは絶対にしない。 22 大地がある限り、春の種まきと秋の収穫、暑さと寒さ、冬と夏、昼と夜とが、年ごとにくり返されるだろう。」と言われた。

人間の弱さや失敗を受け入れられ、人間のいとなみ、四季の移り変わり、それをもたらす天体の運行を続けられることを定められた。

Application(適用)

人間の弱さ、不完全さを知るにつけ、その欠けた部分をどう埋めて生きてゆくのか不安になる。その欠損を開き直っていきるという選択肢もあるが、私はそこを神によって補っていただきたい。神は人をもう滅ぼすまいと言われた。この一年、いろいろあるだろうが、神に頼りつつ、一歩ずつ進もう。

Prayer(祈り)

イエス様、今年も始まり、新しい四季が用意されています。一年を通して用意されている祝福や苦労を、あなたを頼りに精一杯生きて、礼拝し、あなたに喜ばれる一年にしたいです。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。

罪の性質(創世記4:10-16)

Scripture(聖書の言葉)

10 「あなたの弟の血が、大地からわたしを呼んでいる。あなたはなんということをしてしまったのか。 11 弟の血で大地を汚すとは。あなたはもう、ここに住むことはできない。 12 これからは、いくら働いても、大地はあなたのために作物を実らせない。この先あなたは放浪者となり、当てもなくさすらうのだ。」

13 カインは言いました。「そのような罰は重すぎて、とても負いきれません。 14 この地から追い出され、神様の前からも追い払われて、放浪者にまで落ちぶれるなどとは。私を見たら、だれでも私を殺そうとするでしょう。」

15 「心配しなくてよい。あなたを殺させたりはしない。そんなことをする者は、あなたの被るものの七倍の復讐を受けることになる。」こう約束すると神は、彼が殺されないように、カインに一つのしるしを与えました。

16 こうして、カインは神のもとを去り、エデンの東、ノデの地に住みついたのです。

Observation(観察)

妬みからカインは弟のアベルを殺してしまった。アダムとエバ、そしてこの兄弟だけが人類であったのに、一人が殺人者、ひとりがその被害者になってしまう。

アダム以来の人類の罪の性質は今も原罪として引き継がれている。

カインはアダムに次いで神の前から追放される。罪の結果は神との深刻な断絶だ。

(それでもカインが殺されないように、神は哀れみを示している)

罪の性質を持った素の人間のままでは、神の前に帰ってくることは出来ない。

だから仲介者であり弁護して下さるイエス様が必要なのだ。

Application(適用)

Prayer(祈り)

イエス様、罪の性質は今もふとしたときに頭をもたげます。

すぐにそれに気づくことが出来ますように。

イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。

神のことばを信じよう(ルカ1:45)

Scripture(聖書の言葉)

“主によって語られたことは必ず実現すると信じた人は、幸いです。」”

ルカの福音書 1章45節

聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会

Observation(観察)

ルカの一章では、二人の人物の対比が書かれている。洗礼者ヨハネの父であるザカリヤと、イエス様の母であるマリアである。

ともに天使の来訪を受け、子が与えられることを伝えられるが、ザカリヤはそれを信じようとせず、あるときまで口がきけなくなってしまう。

一方でマリヤは、「ご覧ください。私は主のはしためです。どうぞ、あなたのおことばどおり、この身になりますように。」と天使に返答し、従順の姿勢をとった。

どちらの赤子も無事出産され、洗礼者ヨハネとイエス様として、神の働きを進めてゆく。

信じたマリヤにも、疑ったザカリアにも神の計画は成った。ならば御言葉のとおり、神の約束を信じ疑わず、「幸いな人」として生きるべきでは無いだろうか。

Application(適用)

新しい一年を、疑念と落胆で生きるのか、確信と感謝で生きるのか、選択肢は私にある。私がどのような態度や思いを持ったとしても、神の計画は前進する。ならば、わたしは神の方に付き、神の計画を全面的に信じる物になろう。全ては神の御手にあると神を賛美しよう。

私には足りない物も弱さもあるが、それ以上に神がおられる、ということはその全てのマイナスを吹き飛ばして余りある。主こそ神ですと礼拝する一年でありたい。

Prayer(祈り)

イエス様、新しい一年です。ことしも御言葉をひたすら求める年となりますように。

私の内面を形づくり、あなたの望むことの出来るわたしにして下さい。

イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。

大淫婦バビロン(黙示録17:1-6)

Scripture(聖書の言葉)

Observation(観察)

創世記の獣、そしてバビロンに象徴される物は何か、世界中でさまざまな議論や研究がされているが見解が分かれている。執筆された地代ではローマの権威に関する何か、と考えられるが。現代では特定の国家の集合体とその権威者、と見る人もいる。聖書はこれ以上語っては無い。とすれば私たちがこれを見て心に何を映すかが重要だ。

Application(適用)

正直、難解な箇所で何を書いて良いか分からない。

私は、バビロンとは経済システムそのものであるように感じている。経済はイデオロギーの違う国間をつなぎ、時には戦争の原因となり、あるいは和解のためにも用いられる。一方で経済は社会を支配し、為政者はこれを用いて国民の世話をし、逆に取り立ててもいる。

私たちは貯金の代償に一喜一憂し、お金の扱いに失敗したら悲惨な人生が待っている。

いま、経済システムが世界的に崩壊したらなにが起きるだろうか。私には全く想像できない。それほどに経済は正解中を血液のように巡っている。陰謀論者は特定のグループがこの経済全てを握っていると言っているがそれが出来る人類は存在しない。

しかし黙示録の中でバビロンが倒れる、ということはこれまで当たり前のように思っていた(悪しき)社会のシステムが覆る、と言うことかもしれない。

マクロな意味で経済という人間に制御不可能な力に私たちの人生が支配されていることは恐ろしいことだ。だからといって貨幣経済を捨てて生きてゆくことは出来無い。

そんな中にあっても、私たちは価値基準の順番を間違えてはいけない。イエス様を信じた者はイエス様と神の国を第一に求め、神と人を愛することを最優先に、そのために経済を用いコントロールしなくてはならない。富んでいる人も貧しい人も、経済に支配されてはならない。私たちを支配できるのは天の父なる神だけなのだ。

Prayer(祈り)

イエス様、やがての日に起きることはまだ隠されていて私には分かりません。ただ、三位の神様のみを見上げて、最優先で生きてゆきたいです。経済、病気、他様々な事柄が私を拘束しようとします。しかしいま御言葉に触れている間、魂は自由です。いつも御言葉を思うものとさせて下さい。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。

みことばを聞いて生きる(ヨハネ5:24)

Scripture(聖書の言葉)

24 よく言っておきます。わたしの言うことを聞き、わたしを遣わされた神を信じる人にはだれでも、永遠のいのちがあります。罪のために罰せられることは絶対にありません。すでに死からいのちに移っているのです。 25 はっきり告げましょう。死人が神の子であるわたしの声を聞く時が、もうすぐ来ます。いや、もう来ているのです。そして、聞いた者は生きます。

Observation(観察)

イエス様は、「神を信じる人にはだれでも、永遠のいのちがあります。罪のために罰せられることは絶対にありません。すでに死からいのちに移っているのです。」と言われている。また、「死人が神の子であるわたしの声を聞く時が、もうすぐ来ます。いや、もう来ているのです。」とも言われている。イエス様の声を聞き、神の声を信じる前の人は生きていても死んでいる人であり、信じた人はその瞬間、いのちに移ると言われている。救いはどの瞬間にもあり、逆にイエス様から離れた刹那、救いは失わないのかもしれないが、死人のような生活に簡単に舞い戻ってしまうとも言える。

Application(適用)

救いは瞬間に起こるが、それはずっと続くプロセスである、僕が初めてイエス様を信じたのは随分前になるが、あらゆる瞬間にイエス様から目を離さなかったかといえば、決してそうではない、何度となくイエス様を見失い、この世の価値観にどっぷりと浸かることの繰り返してあった。そんな状態を聖書は「死人」と表現している。神に従うと口で言いながら、この世を愛する二重構造を平気で過ごしていた。リビングデッドさながらである。

しかし、それでもイエス様は「聞いた者は生きます。」と言ってくださる。悔い改めの機会、イエス様に立ち返る機会は絶えずある、今立ち返って、いのちを得よう。聞いて生きよう。

Prayer(祈り)

イエス様、何度もイエス様のことばに耳を向けず、顔を背けて過去の生活に近づこうとしていたことが何度もありました。光に顔を向けていなければ、闇を見ていることに気づいていませんでした。また闇を愛する人間の本性に立ち向かうことができませんでした。こんな愚かな弱い人間です。それでも、イエス様の声を聞いたものは生きると、決して変われことのないみことばが約束してくださいます。今日一日、イエス様の方を向いて生きることができますように、一歩一歩、イエス様の方に向かって歩いてゆけます様に。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。

焼け尽くす様なイエス様への想いを持ちたい(ヨハネ2:13)

Scripture(聖書の言葉)

13 ユダヤ人の過越の祭り(パン種を入れないパンを食べる、年に一度のユダヤ人の祭り)が近づき、イエスはエルサレムへ行かれました。 14 宮の境内には、供え物用の牛や羊、鳩を売る商人たちと、座って両替をしている人たちがいました。 15 それを見て、イエスはなわでむちを作り、商売人たちをみな追い出し、鳩や羊や牛を追い散らし始めました。次々に両替人の台をひっくり返したので、お金があたり一面に散らばりました。 16 イエスは鳩を売る者たちに、「それを持って出て行きなさい。父の家を金もうけの場所にしてはいけません」と言われました。 17 そのとき弟子たちは、「神の家を思う熱心が、わたしを焼き尽くす」(詩篇69・9 神のことを熱心に思うあまり、 心は焼け尽きそうです。 私があなたを弁護したため、 敵は、あなたに対してするように、 私に侮辱のことばを投げつけてきます。)という、聖書の預言を思い出したのです。

Observation(観察)

神殿を訪れたイエス様は、神殿内での商売人たちを追い払う。とはいえ、彼らの商売は供え物を売るための商売であり、神殿と無関係な物ではなかった。一見すると正当な仕事をしている彼らを、イエス様が突然暴れて追い出した、と見える箇所である。

しかし、イエス様は「父の家を金儲けの場所にしてはいけません」と言われた。神の家を聖く保つことをイエス様は願われた。正当な商売であり、神殿に関わる商売であったとしても、そこには貪欲や人を利益の対象とみなすような思いが商売人たちにはあったかもしれない、そこで買い物する人々も、もっと安く買いたいなど、自分の懐具合を気にしてしまい、神のことを第一にしない姿勢があったのかと思う。

Application(適用)

この箇所で述べられている神殿を、現代の教会、と置き換えること物できるが、むしろ私は、自分の内面についての想いを正すように、イエス様に語られている様に思う。イエス様を受け入れた時から、私のたましいは神様の住まうところとなったはずである、しかし、今私のうちにあるのは、暮らし向きの不安、繰り返し襲ってくる苦い記憶、明日の仕事の心配、など神様に思いを向ける前に邪魔になる考えばかりである、祈ろうとする時、聖書を読もうとする時、そのような思いに足を引っ張られ、なかなか神様に思いが向かわない。僕の中のそういった思いもイエス様が追い出してくれないであろうか。「神の家を思う熱心が、わたしを焼き尽くす」とある。引用された詩篇は「神のことを熱心に思うあまり、 心は焼け尽きそうです。 」と書かれている。私自身が焼け尽く様な神への思いをいただき、神に向かうことを妨げるあらゆる邪魔な思いを焼き尽くしたい、そう願う。

Prayer(祈り)

イエス様、あたながエルサレムの神殿でなさったように、私の内面の信仰を邪魔する思いをすべて追い出したいです。「神の家を想う熱心」とあります。私の心にはあなたがお住まいなると聖書で学びました。あなたを熱心に想う私と変えてください。そして焼け付く様な思いを持って、あなたに向かうことを邪魔するすべての思惟を追い出して、あなたに語り、語られる時間を日々持てますように、イエス様のお名前でお祈りします。アーメン。

深く学ぶ(第二ペテロ1:2)

Scripture(聖書の言葉)

2 あなたがたは、神の恵みと平安をもっと多くいただきたいと願っているでしょう。それなら、イエス・キリストについてもっと深く学んでください。 3 キリストを知れば知るほど、その偉大な力を通して、私たちが神に従う正しい生活を送るために必要なすべてのものをいただくことができるのです。そればかりかキリストは、ご自分の栄光と共に敬虔や品性をも、私たちに与えてくださるのです。 4 さらに神は、それによって、すばらしい約束を与えてくださいます。この約束のゆえに、私たちは欲望のもたらす滅びから守られ、キリストのご性質を備えた者となれるのです。

Observation(観察)

ペテロはイエス様について深く学ぶことを勧めている。深く学ぶことでイエス様の事をよく知り、知るばかりではなく、

    • 神の恵みと平安を頂ける
    • 神に従う正しい生活に必要なすべてのものをいただける
    • イエス様ご自身の栄光、ご自身の敬虔、品性
    • この世の欲望のもたらす滅びから守られる
    • キリストのご性質を備えたものとなれる

と、沢山の実を結ぶことのできるものとなれることを教えている。これは自身の救いのためばかりではなく、一人でも多くの人に福音を届けるため、そして当時も今もはびこっているこの世の罪の誘惑や異端などから守られるためである。

Application(適用)

短い期間であるが聖書を学ぶ機会が与えられていたことは本当に神様に感謝すべきことである。

しかし、書物を書物とて学問として学ぶだけでは、頭でっかちな人で終わってしまう。学ぶことで、自分にどんな変化が起きて行くのかを期待することを忘れていた。今再び、デボーションという形で聖書を黙想する事を日々重ねることで、ペテロのいう学びに伴う沢山のギフトを受けられる様にしたい。また、自分の変化は自分のためだけではなく、伝道のため、そして間違った考えから守られるためであることも知ることができた

「8 これらが備われば、あなたがたはますます強められ、主イエス・キリストのために多くの有益な働きができるのです。 9 しかし、これらのものを追い求めない人は、実を結ばない人です。そういう人は、神が正しい生活を送るようにと、過去の罪から救ってくださったことをすっかり忘れているのでしょうか。」ともあるように、自分の学びによる変化は自分のためだけではなく、神の働きのためであり、日々救いの確信を深めて行くためであることがわかった。

改めて学びの姿勢を見直し、神に変化され日々イエス様に近づくことができるよう、一歩づつ進んで行きたい。

Prayer(祈り)

イエス様、聖書を学ぶ機会をいただいていましたが、学びをただ学びとして受け取っていたことを赦してください。ペテロが言うように、学びに伴う様々なギフトを通し、少しでもイエス様の似姿に近づくことができますように。それを通して一人でも多くの人にイエス様の事を伝えることができますように、これからのデボーションの日々を祝福してください。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン