神の手に落ちる(詩編142:1-5)

Scripture(聖書の言葉)

1-2 私は主の前に悩み事をさらけ出して、あわれんでくださいと祈ります。
3 私は打ちひしがれ、絶望しています。どの道を進めば敵のしかけた罠にかからずにすむのか、あなただけがご存じです。
4 右側の少し先に、罠が一つあります。誰ひとり、声をかけて助けてくれる人はいないのです。私がどうなろうと、だれも気にも留めないのです。
5 そこで、私は主に祈りました。
「主よ。あなたは唯一の隠れ家です。あなただけが、無事に守ってくださるお方なのです。

Observation(観察)

悩み苦しむとき、もっとも辛いのは、その辛さが伝えられないとき、伝えても分かってもらえないときだ。物事の感じ方は人それぞれで違う。ある人にはどうということでも無いことでも、当人にとっては生き死にに関わるほどの苦しみになる事もある。家族や親族にも分かってもらえなくても、ただ神だけが私たちの状況や痛みを理解し、憐れんでくださる。

八方塞がりの中、どの道を行ってもひどい目に合うような気がしてしまう時がある。その様な時はいっそ神に祈って痛みを受けることを覚悟して進もう。

Application(適用)

今受けている苦しみは、自らの罪の招いた結果であることは間違いない。これを刑罰と捉えるか神の憐れみによる訓練と捉えるかで、結果は大きく変わってくる。いま生ける神の手に落ちたと理解し、苦しみの中でも安堵しよう。ここからもう一度歩み出せると信じよう。

Prayer(祈り)

イエス様、残っている時間が短くても、それでも神様の方を向いて生き抜きたいです。諦めない信仰を下さい。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。

二つの宝(マタイ13:52)

Scripture(聖書の言葉)

52 そこでイエスは、さらにこう言われました。「ユダヤ人のおきてに通じ、しかも、わたしの弟子でもある人たちは、古くからある聖書の宝と、私が与える新しい宝と、二つの宝を持つことになるのです。」

Observation(観察)

イエス様は律法を否定されなかった。一方で律法をねじ曲げ、人々を神から遠ざけていた律法学者、パリサイ人を厳しく批判された。律法の本質は神がイスラエルを愛されていることを示している。しかし形骸化した律法はかえって人々を神から遠ざけていた。「わたしが来たのは律法や預言者を廃棄するためだと思ってはなりません。廃棄するためにではなく、成就するために来たのです。(マタイ5:17)」とイエス様は言われている。旧約聖書はイエス様の救いを示し、成就するための巨大なフレームワークと考えるべきだ。

私たちが旧約、新約をバランスよく学ぶとき、イエス様が言われるとおり「二つの宝」を持つことになる。励んで御言葉を学ぼう。

Prayer(祈り)

イエス様、旧約を通して貴方の型を見るときに、神様の計画の偉大さと愛の深さを知ります。新約の貴方を見るときに父なる神様の御思いにやはり心を向けられます。御言葉を通してもっと教えて下さい。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。

心と言葉と(マタイ12:33-37)

Scripture(聖書の言葉)

33 木の良し悪しは、実で見分けます。良い品種は良い実をつけ、劣った品種は悪い実をつけるものです。 34 ああ、まむしの子らよ。あなたがたのような悪者の口から、どうして正しい、良いことばが出てくるでしょう。人の心の思いが、そのまま口から出てくるのですから。 35 良い人のことばを聞けば、その人の心の中にすばらしい宝がたくわえられていることがわかります。しかし、悪い人の心の中は悪意でいっぱいです。 36 言っておきますが、やがてさばきの日には、あなたがたは今まで口にしたむだ口を、一つ一つ釈明しなければならないのです。 37 あなたがたのことばしだいで、あなたがたの将来は決まります。自分のことばによって、正しい者とされるか、あるいは罪に定められるか、どちらかになるのです。

Observation(観察)

私たちの発する言葉は、心の内にある物を表している。一見良い言葉で飾っているようでも、長いスパンで自分の言葉を振り返ってみれば、弱さや不忠実さが浮き上がってくる。先日も私は言葉で失敗したばかりだ。

その様な失敗もイエス様は許して下さるが、心の内面を新しくして下さるという約束を信じたい。古い自分の考え方や癖を、御言葉によって作り直し、変えられてゆきたい。

Prayer(祈り)

イエス様、言葉での失敗を繰り返しています。その背後には心の弱さ、自己存在の不安があります。助けて下さい。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。

真理から逃げない(マタイ11:16-19)

Scripture(聖書の言葉)

16 あなたがたイスラエル人のことを、何と言えばいいでしょう。まるで小さな子どものようです。あなたがたは友達同士で遊びながら、こう責めているのです。 17 『結婚式ごっこをして遊ぼうと言ったのに、ちっともうれしがってくれなかった。だから葬式ごっこにしたのに、今度は悲しがってくれなかった。』 18 つまり、バプテスマのヨハネが酒も飲まず、また何度も断食していると、『あいつは気が変になっている』とけなし、 19 メシヤのわたしがごちそうを食べていると、『大食いの大酒飲み、最もたちの悪い罪人の仲間だ』とののしります。もっとも、賢いあなたがたのことですから、うまくつじつまを合わせるでしょうが、知恵が正しいかどうかは、行いによって証明されるのです。」

Observation(観察)

イエス様は、真理に近づこうとしないイスラエルの人々に対し、「あなたがたは友達同士で遊びながら、こう責めているのです。 17 『結婚式ごっこをして遊ぼうと言ったのに、ちっともうれしがってくれなかった。だから葬式ごっこにしたのに、今度は悲しがってくれなかった。』」と評された。

彼らは洗礼者ヨハネの言動を見ては批判し、イエス様が現れるとその言動を批判した。彼らはヨハネやイエス様をみて真理を理解しようとせず、ただ批判して悔い改めることから逃げていたのだ。

「知恵が正しいかどうかは、行いによって証明されるのです。」はダブルミーニングである。イスラエルの人々の知恵は、イエス様を十字架につけるという結果を招いた。一方でイエス様の知恵は、十字架で人々の罪を購い、復活されることで永遠のいのちを保証された。どちらの知恵が正しいかは明らかだ。

私たちは真理から逃げるイスラエルの人々の様でなく、イエス様が示された知恵に従う者であろう。

Prayer(祈り)

イエス様、聖書全体があなたの知恵を示しています。時としてそこから逃げてしまいそうになりますが、その都度引き戻して下さり感謝します。イエス様の知恵と真理をいつも喜んでいられますように。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。

イエス様に明け渡す(マタイ9:39)

Scripture(聖書の言葉)

39 自分のいのちを一生懸命守ろうとする者は、それを失いますが、わたしのためにいのちを捨てる者は、それを自分のものとします。

Observation(観察)

自分のいのちを自分自身のための物として享受し守ろうとするなら、やがてそれは破綻し、最終的に失われてしまう。しかし、自分のいのちをイエス様のために生きると決めたなら、イエス様がその命を養って下さり、豊かに保って下さる。「わたしが来たのは、羊がいのちを得、またそれを豊かに持つためです。(新改訳第三版ヨハネ10:10)」とある通りだ。

詰まるところ、人間は自分のたましいを十分に面倒をみて、長らえさせることは出来ないのだ。霊的な意味で上位の存在を認め、それに頼る事でしか、たましいを本来の有り様で保つことは出来ない。
人間は物質的な意味では生態系のほぼ頂点にあるが、心の領域に置いてはそうでは無いことを認めなければならない。イエス様を離れては、途端にたましいは迷い、サタンという捕食者の餌食になってしまうかもしれない。

自分は個として独立した物だという驕りを捨て、謙虚になってイエス様の庇護の元に居よう。

Prayer(祈り)

イエス様、毎日あなたを見上げなければ私は簡単に迷いだしてしまいそうになります。今回も守って下さり感謝します。デボーションの必要性を本当に感じます。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。

新しい皮袋(マタイ8:16-17)

Scripture(聖書の言葉)

16 水洗いしていない新しい布で、古い着物に継ぎ当てをする人がいるでしょうか。そんなことをしたら、当て布は縮んで着物を破り、穴はもっと大きくなるでしょう。 17 また、新しいぶどう酒を貯蔵するのに、古い皮袋を使う人がいるでしょうか。そんなことをしたら、古い皮袋は新しいぶどう酒の圧力で張り裂け、ぶどう酒はこぼれ、どちらもだいなしになってしまいます。新しいぶどう酒を貯蔵するには、新しい皮袋を使います。そうすれば両方とも長持ちするのです。」

Observation(観察)

イエス様に対して、何故バプテスマのヨハネのように断食しないのか、という問いに対して、イエス様は古い服に新しい当て布を使うことの愚、古い革袋に新しい葡萄酒を貯蔵する愚を例えとして応えられた。新しい訪れには古い観念、様式は噛み合わない事を述べられたのだ。

イエス様の死と復活という奇跡によって罪許され永遠の救いを得る、ということは当時の人々の発想には全くないものであった。イエス様は新しい時代の訪れに新しい考え、行き方で備えるように言われたのだ。

これは救いを受けた私たちにも当てはまる。救われ聖霊様を受けた私たちが相変わらず罪の生活を続けるなら、古い革袋のように整合がなくなり破綻してしまうだろう。そうならないように救いにふさわしく歩もうとする心が必要だ。古い慣習、思考パターンは私たちを引き戻そうと絶えずチャンスを伺っている。けれどももうそこには戻らないと決心して進もう。

Prayer(祈り)

イエス様、今日も古い自分が顔を出して元に戻ろうと誘惑してきました。けれども新しい選択をします。罪と憎しみの中に生きる人生と決別します。イエス様がこの決断を助けて下さい。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。

イエス様の権威を認める(マタイ8:5-9)

Scripture(聖書の言葉)

5-6 イエスがカペナウムの町に入られると、ローマ軍の隊長がやって来て、「先生。うちの若い召使が中風で苦しんでおります。とてもひどく、起き上がることもできません。どうか治してやってください。お願いします」としきりに頼みました。

7 「わかりました。では、行って治してあげましょう」とイエスは承知されました。

8 ところが、隊長の返事はこうでした。「先生。私には、あなたを家にお迎えするだけの資格はありません。わざわざ来ていただかなくても、ただこの場で、『治れ』と言ってくださるだけでけっこうです。そうすれば、召使は必ず治ります。 9 と申しますのは、私も上官に仕える身ですが、私の下にも部下が大ぜいおります。その一人に私が『行け』と言えば行きますし、『来い』と言えば来ます。また奴隷に『あれをやれ。これをやれ』と命じると、そのとおりにします。私にさえそんな権威があるのですから、先生の権威で、病気に『出て行け』とお命じになれば、必ず治るはずです。」

Observation(観察)

ローマ軍の隊長は、病に苦しむ召使いのために、イエス様に癒しを願った。通常と違うのは、イエス様に来ていただくことではなく、その場で病気に出て行けと命じてくれるだけでよい、と言うことだった。

隊長は権威というものを良く理解していた。権威の上にある者の命令を下にある者は実行する義務がある。隊長は自らの立場と経験でその事をよく知っていた。そればかりではなく、イエス様は病ばかりか全ての物事、被造物の上に立つ権威があることを理解していた。

私たちはイエス様の権威をどれほど理解しているだろうか、困難が起こる度に悲しみ嘆いてばかりいないだろうか。今、イエス様の権威を認めて、全ての困難に「出て行け!」と命じていただこう。

Prayer(祈り)

イエス様、あなたの権威を認めます。今あるすべての困難の上にイエス様がおられ、それを追い出す力があることを認めます。いまこれらの困難に対し、あなたが「出て行け」と命じて下さい。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。

神の栄光(マタイ7:7-8)

Scripture(聖書の言葉)

7 求めなさい。そうすれば与えられます。捜しなさい。そうすれば見つかります。戸をたたきなさい。そうすれば開けてもらえます。 8 求める人はだれでも与えられ、捜す人はだれでも見つけ出します。戸をたたきさえすれば開けてもらえるのです。

Observation(観察)

ここでイエス様が言われた、「与えられます」「見つかります」「開けてもらえます」とは、何を指しているだろうか。この世的な私たちの願い、例えば働き口とか配偶者とかではない。これは神の国を指しておられると理解した。

「神の国」とは神の栄光、そして神の権威、支配が現れる事を意味する。私たちの生活に神の栄光と権威が現れるならどれだけ素晴らしいことだろう。箇々の生活のみならず、私たちの住む日本に、あるいは中東情勢に、そして世界に神の栄光が現れるなら世界は一変する。人々がそれを求め、探し、戸をたたくなら、である。

まずは一人一人が神の国を求めることが最初のステップだ。

Application(適用)

悲しいかな私は今日までこの箇所を自分の求め、必要を神様が満たされると理解していた。しかし前章からのコンテキストを読むならば、これは神の国を指すことが分かってきた。

神の栄光と権威の表れを望むと言いながら、言葉だけであったことを悔い改めた。今私の生活に、日本に、世界に神の栄光が必要だ。

Prayer(祈り)

イエス様、神様の栄光と権威、ご支配を求めます。探します、開けて下さいとたたきます。どうか私の人生に現れて下さい。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。

貪欲につけ込まれる前に(マタイ6:31-34)

Scripture(聖書の言葉)

31 ですから、食べ物や着物のことは、何も心配しなくていいのです。 32 ほんとうの神を信じない人たちのまねをしてはいけません。彼らは、それらがたくさんあることを鼻にかけ、そうした物に心を奪われています。しかし天の父は、それらがあなたがたに必要なことをよくご存じです。 33 神を第一とし、神が望まれるとおりの生活をしなさい。そうすれば、必要なものは、神が与えてくださいます。

34 明日のことを心配するのはやめなさい。神は明日のことも心にかけてくださるのですから、一日一日を力いっぱい生きなさい。

Observation(観察)

イエス様は日々の生活の心配をしてばかりいる人々のことを「ほんとうの神を信じない人」の様だと評された。また生活に心を奪われている、とも言われた。神が全てを備えて下さるのだから心配してはならない。それよりも神中心の生活にフォーカスしなさい、と私たちに命じられている。

この世で生きるためにはお金はどうしても必要だし、食べなければ死んでしまうが、それが第一になってはいけない。先ず神を第一に、みことばと隣人を愛する事を中心に生活を構築出来たら素晴らしいことだ。

この世の支配者は私たちが貪欲に物質を求めるよう、欲望を満たし続ける様、あらゆる方法で誘惑してくる。私たちはそれにNoを言わなければならない。私たちが貪欲につけ込まれる前に、聖霊様に満たされよう。

Prayer(祈り)

イエス様、神を第一に生きる決断をしました。この世には沢山の必要と誘惑があふれていますが、それを押しのけて神様を選びました。どうかそれを誠実に続けられますように。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。

心の貧しさを知るために(マタイ5:3-5)

Scripture(聖書の言葉)

3 「心の貧しさを知る謙遜な人は幸いです。神の国はそういう人に与えられるからです。 4 悲しみ嘆いている人は幸いです。そういう人は慰められるからです。 5 柔和で高ぶらない人は幸いです。全世界はそういう人のものだからです。

Observation(観察)

新改訳では、「心の貧しい人は幸いです」と書かれていた、ともすると精神性の貧しい、心が飢えている人、と読んでしまう。この訳では「心の貧しさを知る謙遜な人」とされている。自分の心の不十分さを知り、神の前に謙遜な人、と読み替えて良いだろう。

慢心や失敗を通して、自分の至らなさを知り、神の前に自分の弱さを悔いている人こそ、神の国は与えられる。だから失敗したことや出来なかったことはマイナスではない。それを通して神の前にやって来ることができるなら、全てはプラスになるのだ。

Application(適用)

失敗を通してでしか学べないことが確かにある。同時に失敗しても学ばなければ、何度も同じ失敗することになる。人間が謙遜を学ぶというのは、なんと難しいことだろう。

「成功するには自信をもって、強い態度で」と教えられてきた。しかしクリスチャンの成功は世の成功とは違う。謙遜に柔和に、時に自分の至らなさに悲しみ嘆く、そのような人に神は御国での成功を与えて下さるのだ。

Prayer(祈り)

イエス様、この世の成功を追い求めて失敗してきました。どうしてもこの世の価値観から抜け出せません。どうかいつも御国を思う信仰を下さい。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。