さばくよりも執り成しを(出エジプト40:12-15)

Scripture(聖書の言葉)

12 次に、アロンと息子たちを幕屋の入口に連れて来て沐浴させ、 13 アロンに聖なる装束を着せて油を注ぎなさい。祭司としてわたしに仕えることができるように、彼をきよめなさい。 14 次に、彼の息子たちを連れて来て祭司の式服を着せ、 15 父親と同じように彼らにも油を注いで祭司とする。その『油注ぎ』は何代にもわたり、永遠に続く。息子たちも、そのまた息子たちも、永遠にわたしの祭司となるからだ。」

Observation(観察)

アロンとその息子達に対する祭司の油注ぎについて書かれている。この油注ぎは「任職」を意味し、彼とその一族がは生涯神と人との間に立ち、人々の犯す過ちについて赦しの為の犠牲を払い、神の怒りを避ける働きに就いたことを意味している。

イエス様が来られ、十字架で犠牲を払い、永遠の大祭司となられた後は、イエス様ご自身が永遠の献げ物となられたので、私たちクリスチャンもアロンとその子らと同様に神に近づき、(新たな生け贄を携えず、手ぶらで)神に奉仕することが出来る。これが万人祭司という考えだ。私たちもこの任職の油を受けているのだ。

Application(適用)

しかし私たちは祭司として立つとき、誰と神とのの間に立って執り成しをするのだろう。自分の気に入った人のためであろうか?あるいは自分に敵対する人のためだろうか?自分自身のためであろうか?

もはやその区別は無い。イエス様は全ての人のために死なれた。そのイエス様という献げ物をもって聖所に私たちが入るのなら、私たちが執り成すのは私たちの関わる全ての人のためであるべきだ。

私たちは裁きつかさであるまえに祭司であろう。互いの弱さを知って執り成そう。そして共同体として前進してゆこう。

Prayer(祈り)

イエス様、気に入らない情報を見聞きすると、ついさばきたくなります。排斥したくなります。けれどもこれでは神の民は成り立ちません。互いを尊敬し、執り成し、仕え合う群れとして下さい。

イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。

整えられて遣わされる(使徒11:19-21)

Scripture(聖書の言葉)

19 一方、ステパノの死をきっかけとして起こった迫害のためにエルサレムから散らされた人々は、フェニキヤ、キプロス、アンテオケにまでも足を伸ばし、みことばを語りましたが、相手はユダヤ人に限られました。 20 しかし、何人かのキプロス出身とクレネ出身のクリスチャンは、アンテオケで、主イエスについての教えをユダヤ人だけでなく、ギリシヤ人にも伝えました。 21 主がいっしょに働かれたので、多くの外国人が主を信じるようになったのです。

Observation(観察)

ペテロがコルネリオに伝道したことと前後して、アンテオケでもギリシャ人への伝道が起きている。初期のクリスチャン達がアンテオケにまで移動したのは、ステパノの殉教の故である。後にこのアンテオケにはパウロが留まり指導することになるのは不思議なつながりだ。

重要なことは聖徒に聖霊様が注がれるとき、宣教の働きが始まると言うことだ。これまでの慣習を打ち壊すちからをもって、福音を世界中に運んでゆこうとする。その働きにつく人は超自然的に選ばれ、その場所に運ばれる。神が働かれるとき、用意のできている人、そこに行ける人、信仰の整っている人を派遣される。

いつでも神様が呼ばれるときに応じられるよう、心を整えよう。

Application(適用)

自分にとって神様に遣わされることは30年来の夢であり、いまだ果たされていない望みである。しかし、いつか神様が呼ばれるときに備えて、自分を御言葉によって整えたい。また遠くでの働きに耐えられる気力、体力も重要だ。

まだ自分がすべき整え、備えは済んでいない。他の人の働きをうらやましく思う前に、自分のなすべき事をしよう。

Prayer(祈り)

イエス様、自分の欠けたところは大きいですが、少しずつ修復下さっていることを感謝します。いつか貴方に再びお役に立てることが出来ますように。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。

皆で教会を建てあげる(創世記36;1-2)

Scripture(聖書の言葉)

1-2 ほかにも、才能に恵まれた技術者がたくさんいる。二人を中心にみなで力を合わせ、調度品を作り上げてほしい。」

ベツァルエルとオホリアブをはじめ、この仕事に参加したいと思った者たち全員に、モーセは仕事を始めるよう命じました。

Observation(観察)

モーセは神に命ぜられた幕屋の調度品や、移動式にするための柱や壁の代わりの毛皮、布などの加工を、神様の指示通りに始めていった。イスラエルの会衆の中には卓越した技術を持った者がいた。また、彼らから技術を継承するものをおり、次の世代にも対応できる体制が整えられた。この働きのための必要な資材は、イスラエルの会衆が自ら進んで提供したものだ。あまりの献品の多さに、受け取るの断らなかればならないほどだったともある。

教会のは働きは一人ではできない。各々が持っている得意な技能を持ち寄って、適切に監督(コーチング、あるいはオーガナイズ)されて成立するものだ。

時には自分の賜物が生かされていないと悩むかもしれない、その様な時こそ孤立せず、交わりに飛び込もう。意外なところに必要があるかもしれない。神の中に生き、神に生かされている実感は心を喜びで満たし、再び立ち上がらせて下さる。

Application(適用)

私は大勢の人の中に居る事が苦手で、気がつくと一人でいることが多い。自分の得意な範囲で活躍している時は良いが、それが終わるとぽつねんとしてしまう。その様な時は寂しさよりも何の役に立てていないことに悲しさを感じる。

時には気遣って声をかけてくれる友人もおり、本当にありがたく思う。体力の許す範囲で、人々の必要のために教会の中でお手伝いをしようと思う。

Prayer(祈り)

イエス様、私は自分の働きを限定しがちで、それ以外のことに関わるのを避けていました。体力的な問題もあり無理はできませんが、少しずつ教会内の働きを通して、人々と関わってゆきたいと願います。助けてください。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。

コルネリオの洗礼(使徒10:44-48)

Scripture(聖書の言葉)

44 ペテロがまだ話しているうちに、聖霊が一人一人に下りました。 45 ペテロに同行して来たユダヤ人のクリスチャンたちは、外国人にも聖霊の賜物が与えられたので驚きました。 46-47 しかし、これは疑う余地のない事実でした。人々は自由にそれぞれ異なった国のことばで話し、神を賛美していたからです。「私たちと同じように聖霊を受けたのですから、この人たちにバプテスマ(洗礼)を授けることに、だれも反対できません。」こうきっぱり言いきると、 48 ペテロは、キリスト・イエスの名によって、バプテスマを授けました。コルネリオはペテロに、数日間、泊まってほしいと頼みました。

Observation(観察)

カイザリヤに居たコルネリオというローマ軍の士官は、ローマ人でありながら進行熱心な神を求めるものであった。聖霊様の超自然的な働きによって、彼はペテロを招き、事前に聖霊様によって幻を見せられていたペテロはそれに応じた。

ペテロが改めて福音について語っているとき、ここでも聖霊様が下られ、人々は自由にそれぞれ異なった国のことばで話し、神を賛美した。

エルサレムのマルコの二階座敷で起きたことと同じ事が異邦人の家で起こったのだ。もはやキリスト教はユダヤ人に対してのみ語られるものでは無くなった。あらゆる国民にその門戸を開いて下さったのだ。

私たちは自分の居心地の良いコミュニテイで満足してはいないだろうか、コミュニティ内での順列や立場に心を向けていないだろうか。それは不健全だ。教会内をよく治める仕組みとともに、外に出て行く役割を持った人々を送り出し支援する仕組みも当時の教会に習い、考えたい。

Application(適用)

長い教会生活を通して感じるのは、外に打って出ない教会は、内部に人間関係のストレスを抱えがちと言うことだ。人の出入りが組織をリフレッシュさせ、批判では無く相互理解の努力に向かわせてくれる、

Prayer(祈り)

イエス様、福音を伝えるべき相手は、世界中にいます。それらの方との出会いと、相互に理解する思いを与えて下さい。教会が門戸をもっとひらいて、おおくのひとがイエス様に会えますように。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。

バルナバという人(使徒9:26-27)

Scripture(聖書の言葉)

26 エルサレムに着いたパウロは、弟子たちの仲間に加わろうとしましたが、だれもパウロを仲間だとは信じられず、恐れるばかりでした。 27 しかし、バルナバは違いました。パウロを使徒たちのところへ連れて行き、一部始終を彼らに説明しました。パウロがダマスコに向かう途中で主にお会いしたこと、また、主がパウロに語られたことばや、ダマスコでパウロが、イエスの名によって力強い説教をしたことなどを。

Observation(観察)

ダマスコの途上でイエス様に出会い、劇的な改心を遂げたパウロだが、これまで彼自身が行ってきた迫害により、弟子達の仲間とは受け入れられなかった。

しかし、執事であるバルナバは、パウロに起きた変化を使徒達に説明し、彼らがパウロを受け入れられるようにした。

Application(適用)

時として教会には、自分たちの通ってきたような人生と全く異なった生き方をされているかたが見える。

しかしその人がこの世の価値観でどれだけ偉くても、偉くなくても、実績があっても無くても、大事なことはその人にはイエス様が必要で、その人にはイエス様の使命があるということだ。

私たちは、見た目や、その人が無意識に発しているメッセージに目を捕らわれがちで、クリスチャンとしてのアプローチを遠慮してしまうことがある。しかし、だれがこの人にとってのバルナバなのかは分からない。ちょっとした挨拶でも、世間話でも、対話の第一歩を始めよう。そこから神様の奇跡が起きるかも分からない。

Prayer(祈り)

イエス様、教会には様々な人が来ます。皆がイエス様が必要で、イエス様の使命を持っています。その事を少しでもお手伝いできますように、バルナバと同じ謙虚さ、大胆さを私に下さい。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。

律法の真意(出エジプト31:13-15)

Scripture(聖書の言葉)

「人々に、安息日は休むよう命じなさい。安息日は、あなたとわたしの間の契約を永遠に思い出させるものである。わたしが主であり、わたしの民を聖なる民とする者であることを、安息日は思い出させてくれる。 14-15 だから、神聖な日として安息日には休みなさい。

Observation(観察)

安息日について、神はモーセにこう述べている。「あなたとわたしの間の契約を永遠に思い出させるものである。」「わたしが主であり、わたしの民を聖なる民とする者であることを、安息日は思い出させてくれる。 」

単純に休む日ではなく、神との関係を思い起こし、回復する日なのだ。

そういう意味では、イエス様が日曜日に病気のを人を癒やされることを責めたパリサイ人たちは、神の言葉の本質を完全に見誤っている。

言葉尻だけを捕まえてルール化し、人に押しつけると間違った結果を生じてしまう。

私たちが御言葉を読むとき、コンテキスト(文脈)からも御言葉の真の意図を読み取ろう、

Application(適用)

例えば、今の日本人生活では守るのが難しい律法がある。たとえば、海老、かには食べてはいけない、など。勿論律法の呪いはイエス様によって破られており、もはや何の制限も無い。しかし学ぶ機会があれば、この律法はどのような背景から生じて、人々はどう守ったのか、など、神のご意志がどう働いたか、学んでみたい。

Prayer(祈り)

イエス様、今や律法ののろいから解放して下さり感謝します。あらゆる事をとおして神の恵みを喜んで受け取れるものとなりました。当時の律法を賭しても、神がイスラエルの民をどのように愛されたのかを知りたいです。さらに学ぶ機会を下さい。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。

ステパノの殉教(使徒7:34-35)

Scripture(聖書の言葉)

34 わたしは、エジプトで苦しめられているわたしの民の姿を見、またその叫びを聞いた。わたしは彼らを救い出そうと下って来たのだ。行け。わたしが、あなたをエジプトに遣わす。』 35 こうして神様は、『だれがあなたを、おれたちの支配者や裁判官にしたのか』とユダヤ人たちに退けられたモーセを、もう一度、エジプトに帰らせたのです。モーセは初めて、イスラエル人の支配者、また解放者となったのです。

Observation(観察)

ステパノは、祭司達の糾弾に対し、イスラエルの成り立ちを説明することで応答する。特に、モーセによるエジプトからの脱出について多くの時間を割いている。

一度イスラエルから排斥されたモーセが、神に任命され再びイスラエル人の支配者、解放者となった、とステパノは述べている。これはユダヤ人によって十字架に付けられたイエス様が再び彼らの王として来られることを暗喩している。

このステパノの深い聖書理解はどこから来たのだろうか。市井の人ではここに到達することは出来ないように思う。ただただ、聖霊様による知恵と言うほか無い。

しかし、これらのステパノの言葉を聞いた祭司達は逆上し、ついに彼を石打ちで殺害する。時として霊的真実は人の心を刺す。

Application(適用)

ヨハネ3:34には「神がおつかわしになったかたは、神の言葉を語る。神は聖霊を限りなく賜うからである。」とある。聖霊様によってそのとき、語るべき言葉を与えられるのだ。わたしのことばはどうだろうか、無駄に多弁になっては居ないだろうか。真に語るべき言葉をいつも聖霊様に求めたい。私たち一人一人が歴史の分岐点に立っている。そこで果たすべき事柄を誠実に果たしたい。

Prayer(祈り)

イエス様、ステパノの殉教について学びました。なすべき事をなすべき時に行い、神を見上げて喜ぶ生涯として下さい。長く生きてきて、いままでそう多くのことは出来ませんでした。けれども、これからなすべきその一瞬を逃さずにするべき事を命がけでしたいです。その信仰を下さい。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。

執事を選ぶ(使徒6:2-4)

Scripture(聖書の言葉)

2 そこで十二人の使徒は、信者全員を召集し、こう提案しました。「私たち使徒が食料の配給の問題に時間をさくのは、よくありません。何よりも、神のことばを伝えることに専念すべきです。 3 そこで、愛する皆さん。この仕事にふさわしい人、賢明で、聖霊に満たされた人に、いっさいを任せることにしましょう。さあ回りをよく見回して、この人と思う人を七人選んでください。 4 そうすれば私たちは、祈りと説教と教育に打ち込むことができます。」

Observation(観察)

教会が大きくなるにつれて、様々な立場、グループの人たちが集うようになり、教会の運営に、時として摩擦や不満が出るようになってきた。使徒達が取った行動は、「この仕事にふさわしい人、賢明で、聖霊に満たされた人に、いっさいを任せることにしましょう。さあ回りをよく見回して、この人と思う人を七人選んでください。」とした、七人の執事を選出することにしたのだ。

そして、「4 そうすれば私たちは、祈りと説教と教育に打ち込むことができます。」とある。使徒達が御言葉に集中できるように、愛を持って人々をケアできる人々を選んだのだ。

Application(適用)

私たちは教会でみことばを学ぶだけで無く、その中の人間関係で、互いに優しくし、励まし合う、という使命をもっていると理解している。しかし、教会が大きくなり、各々の持っている責任が大きくなると、どうしても摩擦が生じてしまう。これらの問題を解決するには、できる限り当事者同士が誤解の原因を説くこと、聖霊様に満たされた、適切な助け人が間に立っていてくれることだと思う。ひとつひとつ、軋みを解決してゆこう。そして神様の臨在を持ち運ぶ群れとなろう。

Prayer(祈り)

イエス様、私自身も人間関係に痛みを抱えながら教会に通っています。こう抱えている時期では無いように思います、解決の方法を貴方の知恵で教えて下さい。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。

重要な神様の働き(使徒5:17-20)

Scripture(聖書の言葉)

17 これを知った大祭司と、その一族であるサドカイ派の人たちはみな、激しいねたみにかられ、 18 うむを言わせず使徒たちを逮捕し、留置場に放り込みました。

19 しかし、夜、主の使いが来て、留置場の戸を開け、使徒たちを外に連れ出して言いました。 20 「さあ宮へ行き、このいのちの教えを大胆に語りなさい。」

Observation(観察)

使徒達の起こす奇跡はますますめざましくなり、妬みに駆られた使徒達が捕縛されるのはこれで3度目である。しかしこの三度目でも神は彼らを解放し、イエス様の教えを伝え続けることを励ました。

三度も神の介入があるのに同じ事を繰り返す祭司や議員達もどうかと思うが、神の側からしても、この弟子達がエルサレムで奇跡の業を持って宣教することはとてつもなく重要なポイントだったのだろう。後の時代になって、書物になったことで、私たちは俯瞰的に考察できるが、当時を生きた使徒達は、ただ毎日、命がけで神に従う、それだけであったように思う。仮にそのような時代に生きたとして、そのような生き方をわたしは出来るだろうか。

Application(適用)

その答えは分からない。その人の使命はおかれた時代と神様の必然による。使徒達の命がけの宣教は勿論重要だが、今日僕の起こす何らかのアクション(例えば家族におはようとあいさつする)が、もしかすると歴史を変えるきっかけになるかもしれない。それだから、ひとつひとつの言葉、行動を大事にしよう。神様が喜んで用いて下さいますように。

Prayer(祈り)

イエス様、これまでの言動の乱雑さを悔い改めます。特に言葉を、心の中の恣意を改めて行きたいです。

イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。

イエス様と一緒にいたから(使徒4:13)

Scripture(聖書の言葉)

8 その時、ペテロは聖霊に満たされ、落ち着きはらって答えました。「わが国の名誉ある指導者、ならびに長老の方々。 9 お尋ねの件は、あの足の悪い男のことで、どのようにして彼が治ったかということでしょうか。 10 そのことなら、あなたがた、いやイスラエルのすべての人たちに、はっきりお話ししたいのです。この出来事は、あなたがたが十字架につけ、神様が復活させてくださった、あのメシヤ(救い主)、ナザレのイエスの名と力とによるのです。 11 メシヤのイエスは、まさに『建築士たちの捨てた石が、最も重要な土台石になった』(詩篇118・22)と聖書にある、その石なのです。 12 この方以外には、だれによっても救われません。天下に、人がその名を呼んで救われる名は、ほかにないのです。」

13 あまりにも大胆なペテロとヨハネのことばに、議員たちは驚き、たじたじとなりました。二人は明らかに、教育も受けていなければ、宗教の専門家でもないのです。とうとう、イエスといっしょにいたからそうなったのだ、と認めないわけにはいかなくなりました。

Observation(観察)

足萎えの男の癒しの件で尋問を受けたペテロとヨハネは、聖霊様によって言葉を与えられ、公然と反論する。そして「12 この方以外には、だれによっても救われません。天下に、人がその名を呼んで救われる名は、ほかにないのです。」とはっきりと宣言する。

議員達は驚いた。無学なガリラヤの漁師に過ぎない男達が、力あることばで理路整然と語っている。そしれ彼らの最終的な理解は「イエスといっしょにいたからそうなったのだ」いうことであった。イエス様と共に過ごしたことが彼らの内面を変化させ、さらに聖霊様によって語るべき言葉を与えられたのだ。

Application(適用)

人は人によって育てられる。弟子たちは3年間という短い時間だったかもしれないが、イエス様によって彼らの内面を確実に変化された。

今の私の人格もこれまで関わってきた人々と交わした言葉によって作られたものだ。良い影響を与えてくれた人も多いが、悪い考え方を植え付けて行った人もいる。

今私は、もう一度みことばと聖霊様の語りかけによって、自分を作り直したい。

特に時として現れる卑しい発想や言葉を追い出し、前向きな愛に満ちた言葉を用いるように変えられたい。自ら発した言葉で、私の思想、考え方の癖を神様に喜ばれるものに立てあげてゆきたい。

Prayer(祈り)

イエス様、自分の内面を覗き込むたびに、その醜さ、愚かさを感じます。私は家族のためにも自分自身のためにも変化されなければならないと感じます。毎日一歩ずつ、みことばを受け取って自分を作り上げている言葉を置き換えてゆきたいです。自分はこれで良いと開き直る事をやめます。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。