それぞれの召し(ヨハネ21:18-22)

Scripture(聖書の言葉)


18 あなたは若い時にはしたいことをし、行きたい所に行きました。だが、年をとると、そうはいかなくなります。あなたは自分の手を伸ばして差し出し、だれかほかの人が、行きたくもない所へあなたを引っぱって行くのです。」 19 こう言われたのには訳がありました。ペテロがどんな死に方をして、神の栄光を現すかを知らせようとなさったのです。それから、「わたしについて来なさい」と言われました。 20 ペテロがふり向くと、イエスに愛された弟子(使徒ヨハネ)がついて来るのを見ました。最後の夕食の席で、イエスに寄りかかって、「主よ。裏切る者はだれですか」と尋ねたあの弟子です。 21 すると、ペテロの好奇心が頭をもたげました。「主よ。彼はどうなんです? どういう死に方をするのですか。」 22 「もう一度戻って来るまで、彼に生きていてほしいとわたしが思ったとしても、あなたとは何の関係もないでしょう。人のことは気にしないで、ただわたしについて来ればいいのです。」

Observation(観察)


ガリラヤ湖畔でペテロはイエス様に彼の最期について告げつつ「わたしについて来なさい」と語られた。一方ヨハネについてはどうなのかとペテロが尋ねると、人のことは気にしないで「あなたは、わたしに従いなさい(新改訳)」と答えられた。
実際ペテロは殉死し、ヨハネは使徒達の中で唯一生き延びるのだが、本質はそこではない。重要なのは一人一人にユニークな召しが有る、ということだ。実際同じ教会でも国籍も出自も違う人々が集まっている。それらの人々をみて羨んだり、逆に優越感を持ったりすることは私たち各々の神の召しとは無関係であり、かえってイエス様に従うことの邪魔になりかねない。横や後ろをみて躊躇するのではなく、「わたしに従いなさい」と招いて下さるイエス様について行こう。

Prayer(祈り)


イエス様、人生の目的や現在の状況について考える時に、つい人と比較してしまいます。そのような思いよりもイエス様に集中できるように助けて下さい。今一度「従いなさい」と声をかけて下さい。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。

平安を下さるイエス様(ヨハネ20:19-20)

Scripture(聖書の言葉)


19 同じ日曜日の夕方のことです。弟子たちは、ユダヤ人を恐れて戸にしっかりかぎをかけ、肩を寄せ合うようにして集まっていました。その時、突然イエスが一同の中にお立ちになったのです。「平安があるように。」イエスはまず、こうあいさつされてから、 20 手とわき腹をお見せになりました。主を見た弟子たちの喜びは、どれほどだったでしょう。

Observation(観察)


イエス様の十字架の死後、弟子達はユダヤ人に対する恐れに襲われていた。リーダーであるイエス様を失ったことと、イエス様を磔刑にしたユダヤ人達の矛先が、次に彼らに向くのではないかという恐怖だ。しかしそこにイエス様が突然現れる。そこで言われたのは「平安があるように。」というお言葉だった。それを見た弟子達は喜んだとある。

イエス様のいないクリスチャンとはどんな存在だろう。罪の贖いを信じながらもイエス様の復活を信じず、感じることが出来ないなら、この弟子達のようにこの世に対する恐れでいっぱいになって生きてゆくしかない。
私たちはイエス様がいまもおられ、私たちと共にいる事を信じている。「平安があるように。」と今もイエス様は私たちの心の波風を静めて下さるのだ。今日もイエス様の復活と臨在を告白しよう。

Prayer(祈り)


イエス様、あなたの下さる平安はこの世のものでは無い、というあなたの御言葉を思い出します。この世の有り様は平安を奪い取ろうとしますが、私たちにはイエス様がともにおられるので、この平安はこの世の生涯ばかりではなく、永遠に続くことを覚えます。復活、そして昇天を感謝します。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。

私たちの王とは(ヨハネ19:14-16)

Scripture(聖書の言葉)


「さあ、おまえたちの王だ。」 15 「殺せ、殺せ。十字架につけろ!」「なに? おまえたちの王をか?」「カイザルのほかに王はない!」祭司長たちは、むきになって叫び返します。 16 これでは、しかたがありません。ついにピラトもあきらめ、十字架につけるため、イエスをユダヤ人に引き渡しました。

Observation(観察)


祭司長達はピラトに対し、なんと「カイザルのほかに王はない!」と言い、イエス様ばかりか、自分のユダヤ人としてのアイデンティティまでも否定してしまった。
神を神とせず自分の立場にしがみつくならば、自分の有り様も失ってしまうのかもしれない。

Prayer(祈り)


イエス様、祭司長達のようではなく、幼子のように神の国を受け入れる者と私を変えて下さい。柔らかい心も持ち、何が真理で、何が罪なのか教えられやすい心を下さい。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。

ピラトの姿勢(ヨハネ18:36-38)

Scripture(聖書の言葉)


36 「わたしは地上の王ではありません。もし地上の王であったら、逮捕された時、弟子たちは戦いをいどんだでしょう。わたしの国はこの世のものではないのです。」 37 「なんだと、それじゃあ、やっぱりおまえは王なんだな!」「いかにもそのとおりです。わたしは、この世に真理を伝えるために生まれたのです。真理を愛する者はみな、わたしに従うのです。」 38 「真理だと? 真理とは何だ。」ピラトは吐き捨てるように言うと、またユダヤ人たちのところへ行き、こう提案しました。「あの男は無罪だ。

Observation(観察)


ピラトの詰問に対しイエス様は、ご自身がやがて来る世の王であることを答えられ、真理を愛する者はイエス様に従う様になると言われた。ピラトはイエス様が死罪に当たるようなことは何もしてないことを確信すると共に、「真理とは何だ」と言い捨てた。ピラトの有り様はイエス様を否定しないが、信じることも選ばないこの世の多くの人の姿勢を表している。イエス様の語られた言葉を受け入れることは、心の姿勢を大きく飛躍しなければならない。同時に自分を低くする謙遜さを持たなければならない。大きくジャンプするには一度深くしゃがみ込むことが必要なのだ。

Prayer(祈り)


イエス様、あなたの生涯を通して謙遜を教えて下さり感謝します。あなたの道に従い、謙遜に生きることを選びたいです。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。

栄光(ヨハネ17:10)

Scripture(聖書の言葉)


10 彼らはみな、わたしのもの、また、あなたのものです。あなたは彼らを、他のすべてのものといっしょにわたしに下さいました。ですから、彼らはわたしの栄光なのです。

Observation(観察)


聖書の中のわかりにくい概念に「栄光」がある。「栄光をお返しします」「主に栄光」とクリスチャン用語として慣用的に使っているが、この言葉の意味は「目に見えない神の輝かしい臨在」のことを指す。神の臨在、そして目には見えなくても感じるその輝き、と言い換えても良いかもしれない。この節では、弟子達を指してイエス様は「彼らはわたしの栄光なのです。」と言われた。その理由は父なる神が「彼らを、他のすべてのものといっしょにわたしに下さいました。」殻である。

私たちが神のものであり続けるなら、私たちの存在は神の臨在とその輝きとなる。私たちが神の臨在そのものとなれるのであればそれ以上の光栄はない。神の元を離れず神に属する者であり続けよう。

Prayer(祈り)


イエス様、あなたの栄光で居られるづけることが出来ますように。御言葉を大切にしてあなたから心を離しません。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。

聖霊様(ヨハネ16:7-11)

Scripture(聖書の言葉)


7 しかし、わたしが行くことは、あなたがたにとって一番よいことなのです。わたしが行かなければ、助け手である聖霊はおいでになりません。行けば必ずおいでになります。それというのも、わたしがその方を遣わすからです。 8 その方が来られると、世の人に誤りを認めさせます。罪、心の正しさ、神との正しい関係、さばきからの救いについて、人々は考え違いをしているのです。 9 まず、罪とはわたしを信じないことです。 10 正しい心を持ち、神と正しい関係を結べるのは、わたしが父のもとに行き、もはやわたしを見なくなるからです。 11 さばきから救われるのは、この世の支配者がすでにさばかれたからです。

Observation(観察)


イエス様が聖霊様について重要な教えを語られている箇所である。まず、聖霊様はイエス様によって遣わされ、来られるということ。聖霊様が来られると、人々の真理についての思い違いを正される、ということだ。私たちが聖霊様のバプテスマを受けるなら、何が正しいことで何が誤りで、罪であるのか、どのように生きることが神の喜ばれることなのかを理解できるようにされる。

Application(適用)


かつては聖霊様が来られると瞬間的に人間は変えられると考えていた。しかしそれはメッキにも似たもので、何か外的刺激があるとボロボロと崩れてしまうことを身をもって経験した。
重要なのは日々を御言葉と祈りを聖霊様によって導かれることを願うことなのだ。インスタントに物事を完成することは出来ない。自分の頑なな心ならばなおさらのことだ。毎日少しずつ、思い込みや熱狂ではなく、誠実と真実を持って、聖霊様と歩もう。

Prayer(祈り)


イエス様、あなたが約束して下さった助け主である聖霊様を歓迎します。日々思いを変えて下さり、御言葉によって導いて下さる事を感謝します。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。

御言葉に支えられる(エレミヤ15:16)

Scripture(聖書の言葉)


神のおことばは、私をしっかり支えます。
それは、飢え渇いた私のたましいにとっての食物です。
私の重い心に喜びをもたらし、
楽しみで満たしてくれます。

Observation(観察)


涙の預言者と呼ばれたエレミヤは、自らの民族への愛と、神のさばきの御言葉を伝える使命の板挟みで苦しみ嘆いた。しかしそのような状況であってもエレミヤを支えるのは神の御言葉だった。

Application(適用)


人生の中で先が見えず、暗闇の中にいるような時であっても、御言葉が与えられると、霧が晴れ光が差すような思いがした経験が何度もある。日々御言葉に触れこころに蓄えるなら、それを用いて神が御言葉を語って下さる事を信じる。

Prayer(祈り)


イエス様、あなたの御言葉だけが私を真に支え導かれます。他の何物も及ぶことはありません。どうかいつもお語り下さい。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。

聖霊様を中心に生きる(ヨハネ14:15-17)

Scripture(聖書の言葉)


15 わたしを愛するなら、わたしの戒めを守りなさい。 16 わたしは父に、もう一人の助け手を送っていただくようお願いします。その助け手は、いつもあなたがたと共におられます。 17 その方とは聖霊、すなわち、すべてを真理へと導いてくださる霊のことです。世は、この方を受け入れることができません。この方を求めもしなければ、認めようともしないからです。しかし、あなたがたはこの方を知っています。あなたがたと共に住み、あなたがたのうちにおられるからです。

Observation(観察)


私たちが受けた聖霊様について、イエス様は「世は、この方を受け入れることができません。この方を求めもしなければ、認めようともしないからです」と言われた。神のみ思いをもたらす、神の霊そのものである聖霊様は、この世とは水と油である。言い方を変えれば聖霊様に満たされていればいるほどこの世からは浮いた存在になる。これは私の経験上からも明らかだ。知らず知らずの内にこの世に迎合して、聖霊様を中心にすることを忘れていた様に思う。

Prayer(祈り)


イエス様、バランスの良いクリスチャンでいようと間違った考えを持っていました。聖霊様を中心に生きようとする時に環境が変化することは当然起きることなのに、それを恐れていました。今居る環境に埋もれるのではなく、聖霊様の動かすところに遣わされたいです。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。

主を誇る(エレミヤ9:23-24)

Scripture(聖書の言葉)


23 主は命じます。
「知恵のある者は、知恵をひけらかしてはいけない。
力のある者は力を、金持ちは富を誇ってはいけない。
24 誇る者は、わたしをほんとうに知っていることと、
わたしが正義の主であって、
その愛は変わらないと知っていることを誇りなさい。

Observation(観察)


人間は、どうしても他人と比べて優位な所を見付けたがる。資産、地位、学歴、だれもが人と比べて偉くなった気分になったり、逆に劣っているところを見付けて落ち込んだりする。
神は私たちに、そのような物を誇るのではなく、ただ神が永遠の愛を持って愛して下さる事を誇りなさいと言われている。

Application(適用)


いまだにプライドに振り回されて失敗を繰り返している私だ。自尊心は必要かもしれないがそれは傲慢と背中合わせだ。日々罪を悔い改めて謙遜に立ち返る時に、神のみを誇りとする姿勢が生まれてくると信じたい。

Prayer(祈り)


イエス様、謙遜になることは本当に難しいです。自分が何かを出来る、何かを持っていると思った瞬間から心があなたから離れてゆきます。かえって罪を見つめ続けて悔い改め続ける方が霊的には健康なのかもしれません。どのような姿勢で生きてゆくべきか、導いて下さい。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。

告白できない人たち(ヨハネ12:42-43)

Scripture(聖書の言葉)


ユダヤ人の指導者の中にも、イエスをメシヤと信じる者がかなりいました。ただ、パリサイ人たちに会堂から除名されるのがこわくて、公に告白できなかったのです。 43 彼らは、神にほめていただくことよりも、人の間での名誉を重んじたからです。

Observation(観察)


民衆の間でイエス様の評判が高まると当時に、ユダヤ人指導者達の中にもイエス様の言葉と奇跡を理解する者達が現れた。彼らの旧約聖書の知識がイエス様が主であることを指し示したのかもしれない。しかし彼らは会堂からの除名(ユダヤ人社会からの隔絶)を恐れ、自分の名誉を重んじたとある。

Application(適用)


信仰に沿って行動することは、時として大回りだったり、損な役回りをすることもある。それでもイエス様の名があげられるように、信仰者の道を歩みたい。

Prayer(祈り)


イエス様、あなたを信じても告白できなかったユダヤ人達の様でなく、いつでもイエス様は神の子、救い主ですと告白できる私にして下さい。目の前の利益や立場に心を奪われることのないように助けて下さい。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。