生ける川の水(エゼキエル47:8-9)

Scripture(聖書の言葉)


8 その人はこう言いました。「この川は東に流れて、砂漠地帯とヨルダン渓谷を通って死海に注いでいる。こうして死海の塩分の多い水を浄化し、新鮮な水に変えるのだ。 9 この川の水に触れるものはすべて生き生きとする。魚が住める水に変えられるので、死海にも魚がいっぱいになる。この水が流れ込む所はどこでも、すべてのものが生かされる。

Observation(観察)


天使はエゼキエルに対して、神殿から流れ出る水について説明する。神殿から始まった水は先に進むにつれ深く広くなり、ついには死海に注がれる。死海の水が浄化され新鮮な水となり、魚が住むようになる。「この水が流れ込む所はどこでも、すべてのものが生かされる。」とも有る。

Application(適用)


私はかつてイスラエル旅行で、死海の水を舐めたことがある。とてつもない塩気でむせかえるようで有った。ここにはどう考えても生き物は住めない、そう感じた。神はこの死海のような救いようのない人の心を生きる者に変えて下さる。これを受けるためにはその水の源がなんであるか知ることが重要だ。きよい水が流れ出すのはきよい神殿だ。神の臨在から流れ出る水が私たちを変え、真の意味で生きる者と変えて下さる。

Prayer(祈り)


イエス様、あなたの与える水によって生きる者と変えて下さい。私は乾いています。いきいきと生きる命がありません。新しくして下さい。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。

贈与された地(エゼキエル46:16-18)

Scripture(聖書の言葉)


16 主がこう語ります。「君主がその子に土地を贈与するなら、その土地は永遠にその子のものとなる。 17 しかし、奴隷の一人に贈与した場合には、彼が自由の身とされる七年目ごとの解放の年まで、彼のものとなるだけである。その後、その土地は君主に返される。永続するのは息子に贈与されたものだけだ。 18 また、君主は力ずくで人の土地を取り上げてはならない。その子には自分の土地を与えなければならない。わたしの民が土地を失って、追い出されるような事態になることをわたしは望まないからだ。」

Observation(観察)


この箇所では、帰還後の土地の取り扱いについて述べている。土地の相続が君主にも、一般の人にも正しく行われるように命じている。「取り分」といえば神の子とされた私たちの受ける分を連想する。この世の土地は相続だけでなく売却や開発に伴う移転などで無くなったり変わったりしてしまうが、霊的な相続地であるイエス様は変わることはない。この聖なる土地を感謝して受け取り、住まいとしよう

Prayer(祈り)


イエス様、あなたこそが私の相続地であり、受ける分です。この世で私の手にした物とは比べものにならない価値ある物です。あなたの内に住む者とさせて下さい。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。

神殿の生命(エゼキエル43:10-12)

Scripture(聖書の言葉)


10 人の子よ。おまえに見せた神殿の光景を、イスラエル国民に描きなさい。神殿の構造や造りを教えるのだ。そうすれば、彼らも罪を恥じるようになるだろう。 11 もし彼らがほんとうに自分たちのしたことを恥じるなら、そのときには、戸や入口などの構造を細大もらさず説明しなさい。守らなければならない命令や規則を、みな書き記すのだ。 12 きよさこそ神殿の生命である。神殿が建っている山の頂全域がきよいのだ。これこそ、神殿についてのおきてである。

Observation(観察)


神はエゼキエルにやがて再建される神殿の幻を見せた。破壊された神殿は偶像礼拝によって汚され、神の怒りを買っていた。それ故に、神殿の幻を民に示すことは、悔い改めを促すことと、帰還と信仰の復興の希望を示す者であった。「きよさこそ神殿の生命である」きよさを失っては神殿は命を失う。私たちが神の神殿であるなら、そのきよさはどうであろうか。いのちを失ってはいないだろうか。それともすでに破壊されてはいないだろうか。神が見せてくれる神殿再建の幻を受け取り、私たちも作り直されいのちのある者となろう。

Prayer(祈り)


イエス様、神殿をきよい物とするように同様、私たち自身もきよさをもとめる必要があることが分かりました。神がお嫌いになる物が何か、喜ばれる物はなにか、御言葉から学び従います。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。

新しい天と地(黙示録21:1-4)

Scripture(聖書の言葉)

それから私は、新しい天と新しい地とを見ました。そこには海はありません。今までの天も地も、消え去ってしまいました。 2 また、私ヨハネは、神のもとを出て天から下って来る、聖なる都、新しいエルサレムに目を奪われました。その眺めのすばらしさは、まるで美しく着飾った花嫁のようでした。 3 私は、王座から大声で叫ぶ声を聞きました。「ごらんなさい。神の住まいが人々の間にあります。神は人々と共に住み、人々は神の国民となります。神ご自身が人々の中に住み、 4 その目から涙をぬぐってくださるのです。もはや、死も悲しみも叫びも苦痛もありません。それらはみな、永遠に姿を消したからです。」

Observation(観察)

万物が改まる、とは地上の生命や物質が新しくなる、と言うだけの意味ではない。天も新しくなり、地も新しくなる。全くの別世界が私の前に現れてくるということだ。そこに存在する人の有り様も全く変わる。死も悲しみも叫びも苦痛も無い、と書かれている。ヨハネの時代から今に至るまでの世にはその苦悩が溢れている。だがクリスチャンには新しい世への希望がある。艱難に遭っていてもそれに耐え、誠実に生き続けよう。

Prayer(祈り)

イエス様、新しい世に思いを寄せます。通るべき苦難をへても、むしろそれ故にその希望は強くなります。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。

屈めた身を起こす(詩篇145:14)

Scripture(聖書の言葉)

14 主は倒れた人を起こし、
あまりの重荷に身をかがめている人の
背筋を伸ばされます。

Observation(観察)

あまりの重荷に身を屈めている人、短いセンテンスだがこれだけで私はシンパシーを感じる。人生にはいつも重荷があり、時には一歩も動けなくなることがある。しかし主はその様な人の背筋を伸ばされる、とある。重荷を負って身を屈めている人の背筋を伸ばすにはどうすれば良いか、それは彼の負っている重荷を取り除き代わりに負うことである。神様は私の重荷を負って下る。そればかりでなく、その上で背筋を伸ばして、再び立ち上がって歩けるようにしてくださるのだ。重荷を感じた時は、遠慮なく神様に願って助けていただこう。その代わりうずくまるのはやめて、立ち上がって歩き出そう。

Prayer(祈り)

イエス様、いつも気づくといろいろ背負い込んで動けなくなっている自分を発見します。今イエス様、重荷を下ろします。あなたが代わりに負ってくださる空です。その上で、あなたの軽いくびきを負って、再び立ち上がります。今助けて下さい。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。

いのちの息(エゼキエル37:11-14)

Scripture(聖書の言葉)

11 その時主は私に、この幻が告げようとしている意味を教えてくれました。「これらの骨は、イスラエルの民全体を表している。彼らは、『われわれは干からびた骨の山になってしまった。もう何の望みもない』と嘆いている。」 12 神である主はこう語ります。「そんな彼らに告げよ。わたしの民よ。わたしは捕囚という墓を開いて、あなたがたを生き返らせ、イスラエルの地に連れ戻す。 13 その時、わたしの民よ。あなたがたはやっと、わたしが主であることを知るのだ。 14 わたしの霊を注ぎ入れると、あなたがたは生き返り、懐かしい祖国に帰ることができる。その時、あなたがたはわたしが約束を果たしたことを知る。」

Observation(観察)

エゼキエルが骨に予言する幻の箇所である。干からびた骨に預言すると骨がつながり、息に預言すると息が集まり生きた人となった、と言うものだ。骨はイスラエルの民全体を表している、とも書かれている。この骨を私自身に置き換えて考えてみる。それは望みのない霊的に干からびた姿となり、敵の捕囚に成り果てた姿だ。しかし神はこの様な私を回復し、息を入れて霊的に生きたものとされる。自分の領地である自分の体を神は悪いものの支配から解放してくださるのだ。

私がどんなに霊的危機にあったとしても、神は神の物である私を、そこから回復してくださるのだ。

Prayer(祈り)

イエス様、あなたの贖いのゆえにエゼキエルのイスラエルに対する預言を自分に適用することができます。今日は今日一日、明日は明日一日、いのちの息を受けて生きるものとして下さい。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。

良い羊飼い(エゼキエル34:20-24)

Scripture(聖書の言葉)


20 それゆえ、神である主はこう語ります。「わたしは、この肥えた羊飼いとやせこけた羊との間をさばいて、黒白をはっきりさせる。 21 この羊飼いどもは、飢えて病気にかかったわたしの羊を圧迫し、突き倒し、むりやり遠くにまで散らしてしまったのだ。 22 それで、わたしは自分の手でわたしの群れを救い出す。もう二度と、いじめたり殺したりはさせない。わたしには、どれが肥えているか、どれがやせているか、その訳がはっきりわかっている。 23 わたしは、民全体を牧する一人の羊飼いを立てよう。それはわたしの忠実なしもべ、ダビデである。彼は羊飼いとなって、わたしの民を養う。 24 こうして、主であるわたしが彼らの神となり、わたしのしもべダビデは君主となる。主であるわたしがこう語ったのだ。

Observation(観察)


イスラエルのさばきに関して神は、さばきの一つの現れとして、悪い羊飼いと羊の群れとの間を正しく裁きをされることが書かれている。神は弱り迫害されていた羊たちを守り、新しい羊飼いを立てると言われた。それはダビデであると聖書は言う。すなわち、ダビデの裔であるイエス様が私たちを守られるという約束だ。いまもイエス様は傷つき弱った羊はいないか、迫害されている羊はいないか、探し歩いていて下さる。

Prayer(祈り)


イエス様、時々自分が失われた存在であるかのように感じることがあります。このようなわたしでもあなたが喜んで下さるのなら、この世にいることにも意味を見いだせます。まずあなたの元で回復できますように。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。

「たとえそうでなくても」(ダニエル3:16-18)

Scripture(聖書の言葉)


16 シャデラク、メシャク、アベデ・ネゴは答えました。「王よ。私たちの身にどんなことが起ころうと、ご心配には及びません。 17 たとえ燃えさかる炉に投げ込まれても、私たちの神は、私たちを王の手から救い出すことがおできになります。 18 たとえそうでなくても、ご承知ください。私たちはどんな状況に置かれても、決して王の神々に仕えたり、王の立てた金の像を拝んだりはいたしません。」

Observation(観察)


ネブカデネザル王の作った巨大な偶像を礼拝するように命じられたダニエル達四人は、その命令にそむく。躊躇無く神の教えに彼らは従ったのだ。怒った王によって燃える炉に投げ込まれようとされても、「私たちの神は、私たちを王の手から救い出すことがおできになります。」と神による状況への介入を確信する。しかし重要なのはこの後だ。「たとえそうでなくても、」神が彼らを救わなくても、彼らは神への純潔を守ると宣言したのだ。
聖書の中で有数の力強い信仰告白だ。状況が悪くても、死に至る状況であったとしても、神を信じ宣言する、そのような信仰者でありたい。

Prayer(祈り)


イエス様、私はダニエルのような知者ではありませんが、信仰においては、ダニエルに倣う者でありたいです。思うように行かないことは毎日のようにあります。それでも、神の正しさと愛を信じ告白し続ける者であらせて下さい。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。

国々の勃興(ダニエル2:44-45)

Scripture(聖書の言葉)


44 この王たちの時代に、天の神は、決して滅ぼされることのない一つの国を起こします。だれもこの国を征服できません。その国は、すべての国々を打ち砕いて滅ぼします。まさに永遠不滅の国なのです。 45 これが、人手によらずに山腹から切り出された岩、鉄も青銅も粘土も銀も金もすべて粉々にしてしまったあの岩の意味するものです。偉大な神が、このように将来起こることを示したのです。王の夢についてのこの解き明かしは、私が夢の内容を描写したのと同様、確かなものです。」

Observation(観察)


ネブカデネザル王のみた夢に対してダニエルはその意味を説き明かす。夢に出た巨大な像はバビロンからローマに至るまでの王国達であったとされている。そしてより重要なのはその像を粉々に打ち砕いたのは「人手によらず切り出された岩」すなわちイエス様であった。高ぶる国々の次々の勃興を貫いて存続し続けるのは神による国に他ならない。いまこの日本と言う国に住んでいても、同時に霊の世界では神の国は存在する。仮に日本が滅んでしまっても、神の国は存在し続ける。その国の住民であり続けよう。

Prayer(祈り)


イエス様、霊の目で神の国を見、理解する事が出来ますように。私たちの心がこの世の王国にでは無く、神の国に置くことが出来ますように。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。

無くならない神の恵み(哀歌3:21-29)

Scripture(聖書の言葉)


21 それでもなお、一つの望みが残っています。
22 主の恵みは決してなくなることがない、
ということです。
私たちが滅亡しなかったのは、
主の恵みによります。
23 神の真実は限りなく、
その恵みは朝ごとに新しくなります。
24 主こそ私の受ける分で、私は主に望みを置きます。
25 主は、ご自分を待ち望む者、ご自分を求める者を
いつくしみます。
26 主の救いだけに望みを置いて、
静かに待つのは良いことです。
27 若い時にきびしく訓練されるのは良いことです。
28 その人は主から命令があったとき、
黙ってそれを受け止め、
29 下を向きますが、
ついには希望を見いだすようになります。

Observation(観察)


エスサレムの破壊と嘆きを描いた哀歌は読むと胸が痛くなるような表現の連続だ。しかしこの箇所は「それでも」と神に希望を見いだそうとする作者の信仰が絞り出されている。「28 その人は主から命令があったとき、黙ってそれを受け止め、29 下を向きますが、ついには希望を見いだすようになります。」と有る。どうしても通らなくてはならない試練の時は人生に何度もある。そのような状況の中で希望を見いだすのは、困難と嘆きのなかで希望も描いた哀歌のようだ。嘆くしかない時もあるだろう。それでも私たちは神から離れず、希望を見いだそう。

Application(適用)


ここしばらくの通読箇所は胸が痛くなるような箇所ばかりで、どのように受け止めたら良いか苦しむことも多い。けれどもこのような中から神の恵みと教えを発見しようとすること自体が、苦難の中でも神に希望を見いだす訓練なのだと理解した。「苦しみにあったことは私にとって幸せでした。それにより私はあなたのおきてを学びました。詩篇 119篇71節」ともある。わたしはどのような状況でも神の教えの中に生きたい。

Prayer(祈り)


イエス様、一連の聖書の箇所のように苦しみの連続、避けられない試練が人生にはあります。それでも希望を見いだす選択を私はします。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。