短い祈り(ネヘミヤ2:1-5)

Scripture(聖書の言葉)


1-2 それから四か月ほどたった第七の月のある日、私が王にぶどう酒をついでいると、王が私に話しかけました。「浮かない顔をしているが、具合でも悪いのか。何か大きな悩みでもあるのか。」

私はその時まで、王の前ではいつも明るく振る舞うようにしていました。私はとても怖くなりましたが、こう答えました。 3 「王様、どうして悲しまずにいられましょう。先祖たちの眠る町が廃墟となり、門も焼け落ちたままなのです。」 4-5 「そうか。では何をしてやればよいのか。」私は短く天の神に祈ってから答えました。「もし、王様のお心にかなって、お許しいただけますなら、私をユダに遣わし、先祖たちの町を再建させてください。」

Observation(観察)


後にユダヤの総督となるヘネミヤは、ペルシャの献酌官であった。イスラエルの荒廃を聞き意気消沈したエレミヤに対し、王は悩みでもあるのかと声をかける。どうしたらよいかと尋ねる王に対し、ネヘミヤは「短く祈って」エルサレムの再建を願い出る。この一言が世界の歴史を変えた。この瞬間の祈りがなければ、王の応答も変わっていたかもしれない。何かを判断する時、私はどれだけ祈っているだろうか。人間は一日35000回の判断をするという。その判断が神の喜ばれる物になるように、この「短い祈り」を実践して行きたい。

Prayer(祈り)


イエス様、小さな判断の積み重ねで現在があります。祈ったことは多分1パーセントにも満たないかもしれません。これからはできる限り祈って判断するよう習慣を変えたいです。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。

世の終わり(ルカ21:29-33)

Scripture(聖書の言葉)


29 このあとイエスは、人々にたとえで話されました。
「いちじくの木やほかの木を注意して見ていなさい。 30 葉が出てくれば、ああ、もうすぐ夏だなと思うでしょう。 31 同じように、こうした現象が起こるのを見たら、神の国はもうそこまで来ていると考えなさい。 32 はっきり言いましょう。これらのことが全部起こってから、世の終わりが来るのです。 33 天と地とは消えてなくなります。けれどもわたしのことばは、永遠に真実なものとして残るのです。

Observation(観察)


世の終わりとキリストの再臨の予兆について語られた後、イエス様はあらためて喩えで話された。聖書に書かれている予兆をみたなら、世の終わりと神の国は近いと考えなさい、とイエス様は言われている。「天と地は消えてなくなります」とはこの世の全てが消失すること、言い換えれば三次元の世界が失われる事なのかもしれない。しかし「わたしのことばは、永遠に真実なものとして残るのです。」と言われている。「はじめに言葉があった」というとおり、はじめから有った物が最後まで残るのだ。私たちが御言葉を読み心に蓄えるのは、三次元の肉体に、四次元あるいはそれ以上の世界を孕むと言って良い。御言葉を学び、イエス様の世界を私たちの内に形作ろう。

Prayer(祈り)


イエス様、世の終わりの時に私たちは立ち会うかもしれません、あるいは普通に命を終えるかもしれません。いずれにせよ私たちが最後に持っているのが御言葉でありますように。日々備えます。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。

神にお返しすべき物(ルカ20:22-26)

Scripture(聖書の言葉)


22 それで、ぜひお教えいただきたいのですが、ローマ政府に税金を納めるのは正しいことでしょうか。それとも正しくないことでしょうか。」 23 彼らの計略は見えすいていました。イエスは言われました。 24 「銀貨を見せなさい。ここに刻まれているのは、だれの肖像、だれの名前ですか。」「カイザル(ローマ皇帝)のです。」 25 「それなら、皇帝のものは、皇帝に返せばいいでしょう。しかし、神のものはみな、神に返さなければなりません。」 26 公衆の面前でイエスのことばじりをとらえようとするたくらみは、みごと失敗に終わりました。彼らはイエスの答えに恐れ入り、返すことばもありませんでした。

Observation(観察)


祭司長達はイエス様の言葉尻を捉えようと人を使わして当時の支配者であるローマ皇帝に税金を払うことの是非を問う。イエス様の答えは有名な「カイザルの物はカイザルに、神のものは神に返しなさい」であった。
神に返すべき物とは何であろうか、さらに立ち返るなら私は神から何を受け取ったのかを思い返さなければならない。何もない所から出発して、現在に至るまで守り祝福して下さったこと一つ一つを忘れてはならない。一方で足りないことばかりを嘆いている。このような姿勢を見直し、何度でも同じ言葉でも祝福を感謝し栄光をお返しするべきなのだ。

Prayer(祈り)


イエス様、拙い私の感謝の言葉でも受け取って下さる事を感謝します。栄光はただ主にあります。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。

賜物を無駄にしないで(ルカ18:12-13)

Scripture(聖書の言葉)


12 「ある所に身分の高い人が住んでいました。やがてその地方の王に任命されるため、遠くの都に出かけることになりました。 13 そこで、出発前に十人の家来を呼び寄せ、留守中に事業を始めるように、めいめいに一ミナ(一ミナは当時の約百日分の賃金に当たる)ずつ渡しました。

Observation(観察)


イエス様の喩えで賜物を如何に用いるか、について語られている。ある身分の高い人がしもべの各々に一ミナ(200万円くらい?)を渡して事業を始めるように、と言われた。事業を始めた利益を得た者達は賞賛を受け、町を治めるように言われるが、何もせず無駄に時間を過ごした者は叱責される。私たちは各々賜物を与えられているが、それを用いることを神は期待されている。何もせず賜物を無駄にした者は神に喜ばれる事は無い。

Prayer(祈り)


イエス様、自分に出来ることをしないでうずくまっているような日々はもう止めたいです。必要な気力も体力も与えて下さい。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。

祈り続ける難しさ(ルカ17:1-8)

Scripture(聖書の言葉)


ある日、イエスは弟子たちに、いつでも祈り、また答えられるまで祈り続けることを教えようと、一つのたとえを話されました。 2 「ある町に、少しも神を恐れず、人を人とも思わない裁判官がいました。 3 同じ町に住む一人の未亡人が、たびたびこの裁判官のところへ押しかけ、『訴えられて困っています。どうか私を守ってください』と願い出ました。 4-5 裁判官はしばらくの間、相手にしませんでしたが、あまりのしつこさに我慢できなくなり、心の中でこう考えました。『私は神だろうが人間だろうがこわくないが、あの女ときたらうるさくてかなわない。しかたがない。裁判をしてやることにしよう。そうすれば、もうわずらわしい思いをしなくてすむだろう。』」 6 主は続けて言われました。「このように、悪徳裁判官でさえ音を上げてしまうのなら、 7 まして神は、昼も夜もひたすら訴え続ける信者たちを、必ず正しく取り扱ってくださるはずです。そうは思いませんか。 8 神はすぐにも答えてくださるのです。ただ問題は、メシヤのわたしが帰って来る時、いったいどれだけの人が信仰を持って祈り続けているかです。」

Observation(観察)


悪徳裁判官の喩えでは、イエス様は祈り続けることの重要性を語られた。裁判官とはその名の通りさばき、審判者を表す。(勿論神は正義の神であり悪徳ではないが)しかしイエス様の私たちに投げかけている最大のメッセージは「ただ問題は、メシヤのわたしが帰って来る時、いったいどれだけの人が信仰を持って祈り続けているかです。」という箇所である。一日二日祈ることは誰でもする。深刻な課題があれば断食して祈祷山に上り一週間祈ることもあった。しかし課題が過ぎ去れば祈りは終わってしまっていた。イエス様は「祈り続けているか」と問いかけられている。イエス様の再臨まで続く祈りをするためには、それほど大きな原罪という課題を謙遜に認識しているかどうかなのだと思う。

Prayer(祈り)


イエス様、謙遜さについてまだ道を歩み始めたばかりです。原罪の重さとその赦しの大きさをもっと深く理解させて下さい。その理解が祈りの原動力となりますように。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。

帰ってきたサマリヤ人(ルカ16:11-19)

Scripture(聖書の言葉)


11 一行はエルサレムを目指して進み、途中サマリヤとガリラヤの境を通りました。 12 ある村に入ると、十人のツァラアトの人がずっと向こうのほうから、 13 「イエス様! どうぞお助けを!」と大声で叫んでいました。 14 イエスはそちらに目をやり、「さあ、祭司のところへ行き、ツァラアトが治ったことを見せてきなさい」と言われました。彼らがそのとおり出かけて行くと、途中でツァラアトはきれいに治りました。 15-16 その中の一人が、イエスのところに引き返し、足もとにひれ伏して、「ありがとうございます。おっしゃるとおり、すっかりよくなりました。神様に栄光がありますように」と言いました。実はこの人は、ユダヤ人から軽蔑されていたサマリヤ人でした。 17 「はて、十人全部がいやされたはずだが、ほかの九人はどうしたのですか。 18 神を賛美するために帰って来たのは、この外国人のほかにはいないのですか。」 19 こう言ってから、イエスはその男に、「さあ、立って帰りなさい。あなたの信仰があなたを治したのです」と言われました。

Observation(観察)


十人のツァラアトの人がイエス様に憐れみを乞うと、イエス様は祭司のところに行って治ったことを見せなさい、と言われた。そして出かけて行く途中で癒しが起きたとある。イエス様が言葉をかけられた時点でまだ病は癒やされていなかったが、従って歩いた時に癒しが起きたのだ。しかし重要なのは、イエス様の元に引き返して神に栄光を帰したサマリヤ人に対する言葉だ。「さあ、立って帰りなさい。あなたの信仰があなたを治したのです」と話された。イエス様の言葉で癒しが始まり、神に栄光を帰すという信仰が癒しを完成したのだ。私も神に様々なことを願い、かなえられたことも数多くある。しかし真剣に神に栄光を帰していただろうか。もしかしたら結果祝福を失っていたことも多々あったのではないだろうか。

Prayer(祈り)


イエス様、有名な箇所ですが、改めて栄光を帰すことを学びました。表面的な祝福の時点で満足しないで、神に感謝することで物事は完結すると理解しました。いま栄光をお返しします。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。

ラザロと金持ち(ルカ15:27-31)

Scripture(聖書の言葉)


27 金持ちは言いました。『ああ、アブラハム様。それならせめて、ラザロを私の父の家にやってください。 28 まだ五人の兄弟が残っているのです。彼らだけは、こんな目に会わせたくありません。どうぞ、この恐ろしい苦しみの場所があることを教えてやってください。』 29 『それは聖書が教えていることではないか。その言うことを聞くべきです。』 30 金持ちはあきらめません。『でも、アブラハム様。彼らは聖書を読みたがらないのです。ですが、もしだれかが死人の中から遣わされたら、彼らも罪深い生活を悔い改めるに違いありません。』 31 アブラハムはきっぱり言いました。『モーセと預言者たちのことばに耳を貸さないのなら、だれかが生き返って話したところで、彼らは聞き入れないだろう。』」

Observation(観察)


死んで地獄に行った金持ちは、天国にいるアブラハムに対し、天国にいる(生前苦労した)ラザロを残された家族に送り、こんな所に来ないように伝言してくれと頼む。しかしアブラハムはその事はすでに聖書に宣べられていると拒む。金持ちは「彼らは聖書を読みたがりません。でも誰かが死者の中から使わされるなら悔い改めるに違いありません」と答えるが、アブラハムは、仮にそういうことがおきても聖書を信じないなら彼らの話を信じないだろう、と拒否している。

いかなる奇跡も復活でさえも、聖書に軸足を置いて生活していない者にとっては意味の無い話に過ぎない。現にイエス様の復活について二千年間語られていても寓話や神話の類いとしか受け取らない人が圧倒的に多い。

すでに信者である私たちでさえも、聖書を中心に据えなければ信仰がぶれてしまう。毎日聖書を精読することで心を整えよう。

Prayer(祈り)


イエス様、人間の心は揺れ動きますが聖書は変わりません。自分の感覚よりも聖書がなんと言っているかを優先して考えることが出来ますように、聖書から知恵を下さい。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。

罪人と共に過ごす(ルカ15:1-7)

Scripture(聖書の言葉)


イエスの教えを聞きに来る人たちの中には、あくどい取り立てをする取税人や罪人といわれる者たちがかなりいました。 2 ユダヤ教の指導者や律法の専門家は、イエスがそういう問題の多い人々とつきあい、時には食事までいっしょにするのを見て、批判しました。

3 そこでイエスは、次のようなたとえ話をなさいました。 4 「羊を百匹持っているとします。そのうちの一匹が迷い出て、荒野で行方がわからなくなったらどうしますか。ほかの九十九匹は放っておいて、いなくなった一匹が見つかるまで捜し歩くでしょう。 5 そして、見つかったら、大喜びで羊を肩にかつぎ上げ、 6 家に帰ると、さっそく友達や近所の人たちを呼び集めて、いっしょに喜んでもらうでしょう。 7 それと同じことです。迷い出た一人の罪人が神のもとに帰った時は、迷ったことのない九十九人を合わせたよりも大きな喜びが、天にあふれるのです。

Observation(観察)


イエス様は、当時のユダヤで罪人とされた職業や収税人といった蔑まれる職業の人々と共に過ごされた。宗教的で格式の高い人々とではなく、弱い立場、低い立場の人々と一緒におられた。キリスト教はハイソな人々のための者では無い。弱い人、虐げられている人の為なのだ。時として私もそれを忘れそうになる。自分もイエス様に見つけ出して頂いた羊の一匹であることを忘れないようにしよう。

Prayer(祈り)


イエス様、弱い私は、豊かな人々と共にいると自分まで豊かになった気分になり尊大な気持ちになってしまいます。そうでなく、謙遜になる道を選びたいです。これからの道のりを導いて下さい。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。

イエス様に従うことと(ルカ14:26-27)

Scripture(聖書の言葉)


26 「だれでも、わたしに従いたければ、父、母、妻、子、兄弟、姉妹以上に、いや、自分のいのち以上にわたしを愛しなさい。 27 また、自分の十字架を負い、わたしに従って来なければ、わたしの弟子になることはできせん。

Observation(観察)


イエス様の弟子になるためには、何よりも彼を愛し、自分の負うべき重荷を負ってついてきなさいと言われた。シンプルな表現だが実際に行うのは本当に難しい。妻よりも自分よりも見たことのないイエス様を愛することは簡単なことではないし、自分に架せられた重荷も出来ることなら投げ出してしまいたい。
それでも神の国はそれに値する物と書かれている。信じて従うか、疑って遠目に眺めるか、いつも選択は私自身にかかっている。

Prayer(祈り)


イエス様、あなたに従うことは簡単なことではありません、出来ないことも沢山有ります。けれどもせめて御言葉には真摯に向き合おうと思います。少しずつ私を変えて、あなたに従う物にして下さい。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。

人の復興(ゼカリヤ5:16-19)

Scripture(聖書の言葉)


16 これがあなたがたの果たすべき役割だ。真実を語り、公平であれ。すべての人と平和に暮らしなさい。 17 人を傷つけることをたくらんではならない。ほんとうではないのに、ほんとうだと誓ってはいけない。わたしはそのようなことを憎むからだ。」

18 さらに次のようなことばが、主から私に示されました。 19 「第四の月、第五の月、第七の月、第十の月に守ってきた断食はもう終わりだ。あなたがたが真実と平和を愛するなら、それは喜びの祝祭に変わる。

Observation(観察)


エルサレムの復興について、神は城壁や神殿の回復だけでなく、イスラエル人の心の復興について述べている。「真実を語り、公平であれ。すべての人と平和に暮らしなさい。 17 人を傷つけることをたくらんではならない。」私の心を点検するなら、欠けているところが沢山有ることが分かる。努めて平和を求めるものとなりたい。また、断食が終わり、祝祭に換わる、とある。悲しみと悔い改めの象徴である断食が、神を喜ぶ祝いに変えられるのだ。今私の中にある悲しみも、祝祭に変えられることを期待し、待とう。

Prayer(祈り)


イエス様、あなたの喜ばれる人格に心の底から変わりたいです。善人の振りをして生きることはもう意味を見いだせません。私を変えて下さい。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。