福音にある神の知恵(1コリント2:12-14)

Scripture(聖書の言葉)


12 事実、神様は私たちに、この世の霊ではなく、ご自分の聖霊を与えてくださいました。それは、神からのすばらしい恵みと祝福という賜物を、私たちが知るためです。 13 この賜物について話す時、私たちは、自分が人間として選んだことばではなく、聖霊によって教えられたことばを使ってきました。つまり、聖霊のことを説明するには、聖霊のことばを用いるのです。 14 しかし、クリスチャンでない人は、聖霊が教えてくださる神の思いを理解することも、受け入れることもできません。彼らには愚かしく思えるのです。というのは、自分のうちに聖霊をいただいている人だけが、聖霊のお考えを理解できるからです。

Observation(観察)


コリントの手紙の前段では、福音の単純さ、こそが神の知恵であることをパウロは論じている。この節では聖霊様なくしては神のお考えを知ることは出来ないとある。しかし一方、聖霊様を受けるには信仰を持たなければならない。人間の知恵ではパラドクスに陥ってしまう。このような人間の考えの堂々巡りを稲妻のように貫通して矛盾を打ち壊すのは、イエス様の福音なのだ。単純に信じることから聖霊様が与えられ、神の思いを知り、神の恵みと祝福を得る。人間の知恵は時として神の福音から目を遠ざけ、塞いでしまう。大事なことは子供のように信じることだ。親が親であることを信じることの出来ず、家を飛び出してしまった子供は生きてゆくことは出来ない。神を神とする事の重要さを見失わずにいたい。

Prayer(祈り)


イエス様、福音の単純さに不思議を感じることが度々あります。けれども全世界のあらゆる人種立場年齢を超えて伝えられるメッセージとしてこれ以上強烈なものはありません。私は信仰を選びました。あなたが選んで下さったからです。感謝します。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。

聖霊様に導かれる(ガラテヤ5:16-17)

Scripture(聖書の言葉)


16 あなたがたに勧めます。聖霊の導きに従いなさい。聖霊は、どこへ行くべきか、何をなすべきか教えてくださいます。そうすれば、自分の肉の欲望のおもむくままに走ることはありません。 17 私たちの生まれながらの性質は、聖霊がお命じになることとは正反対の悪を好みます。一方、聖霊の導きに従って歩んでいる時に行いたくなる善は、生まれながらの肉の願望とは正反対のものです。内面のこの二つの力は、どちらも私たちを思いどおりに動かそうと、いつも格闘しています。そして私たちは、この二つの力の板ばさみになって、したいと思うことが自由にできない状態なのです。

Observation(観察)


生来の肉の性質である悪と、聖霊様によって与えられる善なる導きは、正反対の方向を指す。パウロの言うとおりクリスチャンには絶えずこの両者による葛藤がある。

Application(適用)


私はむしろ、葛藤を放棄してなにも出来なくなっている状態だ。善も悪も行えない、生ぬるい状況に自分を安住させている。出来るならば痛みを伴っても善を成す生涯を過ごしたい。聖霊様に従う事を選びたい。

Prayer(祈り)


イエス様、いつの間にか生ぬるいクリスチャンに戻っています。善を行いたいという思いをもう一度与えて下さい。聖霊様の導きを拒むことが無いように、何より聖霊様に導きを求める習慣を下さい。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。

福音にある自由(ガラテヤ3:2-5)

Scripture(聖書の言葉)


2 一つだけ聞いておきます。あなたがたは、なぜ聖霊をいただくことができたのですか。律法を守ろうと努力したからですか。キリストのことを聞き、その救いを信じて初めて、聖霊はあなたがたのところに来てくださったのです。 3 とすると、信仰生活が聖霊によって始まったのに、どうして、律法を救いの条件とするのですか。 4 あれほどの経験をしたあなたがたが、福音をあっさりと投げ捨ててしまうのですか。とても信じられないことです。 5 もう一度聞きます。なぜ神様は、あなたがたに聖霊の力を与え、奇跡を見せてくださったのですか。律法を守ろうと努力したからですか。そうではないでしょう。キリストを信じ、全くお任せしたからです。

Observation(観察)


律法に回帰しようとしていたガラテヤ人達をパウロは翻意をつよく促す。彼らに聖霊様が与えられたのは律法を行ったからでは無くイエス様の救いを受け入れたからではないかとパウロは尋ねる。
自分も、ともすれば様々なマイルールをこしらえてその縛りの中に生きようとする傾向がある。それはイエス様に委ねることとは正反対の生き方だ。そのような自己を縛る考えを止め、イエス様にある自由を手にしたい。

Prayer(祈り)


イエス様、あなたの下さる自由が欲しいです。自分を拘束していた様々な縛りから解放されたいです。助けて下さい。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。

信仰に誠実に(ガラテヤ2:11-14)

Scripture(聖書の言葉)


11 ところが、そのペテロがアンテオケに来た時、非常に誤った行動をとったので、私は面と向かって激しく非難しました。 12 ペテロは初めのうち、割礼にもユダヤ教のさまざまなしきたりにもとらわれない、外国人のクリスチャンと共に食事をしていました。ところが、あとからヤコブの友人であるユダヤ人が何人かやって来ると、彼らの目を恐れて、外国人と食事をするのをやめてしまいました。そのユダヤ人たちは、形式を重んじるユダヤ主義者で、「救われるためには割礼を受けなければならない」と主張していたのです。 13 すると、ほかのユダヤ人クリスチャンも矛盾を感じながら、ペテロのまねをして本心を偽った行動をし、バルナバまでが、その偽りの行動を共にしてしまいました。 14 私はそれを見て、彼らが自分の信じていることに対して不誠実であり、救いの教えの真理に従っていないことを知りました。

Observation(観察)


パウロはペテロの変節を非難した。割礼派のユダヤ人に阿ねり異邦人から離れて行くような言動によってアンテオケの教会は混乱した。彼らは人々への恐れから、自分の信仰と矛盾することを行ってしまったのだ。私も人を恐れる傾向がある。しかし信仰者としてぶれない芯を持つものになりたい。

Prayer(祈り)


イエス様、ペテロですら人を恐れて失敗しました。弱い私ならなおさらです。人を恐れるよりも神を愛することを優先して物事を感じ、考えられる者にして下さい。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。

大宣教命令(マルコ16:15-20)

Scripture(聖書の言葉)


15 それから、こう宣言されました。「全世界に出て行きなさい。すべての人々にこの福音を宣べ伝えるのです。 16 信じてバプテスマ(洗礼)を受ける者は救われます。しかし、信じない者は罪に定められます。 17 信じる人々はわたしの権威によって悪霊を追い出し、新しいことばを語ります。 18 蛇をつかんでも、毒を飲んでも害を受けません。病人に手を置けば病気は治ります。」

19 こう語り終えると、イエスは天に上げられ、神の右の座につかれました。 20 弟子たちは命じられたとおりに出て行き、あらゆる所でこの福音を宣べ伝えました。主が共に働いてくださったので、数々の奇跡が起こり、弟子たちの教えの確かさが証明されました。〕

Observation(観察)


マルコ福音書の最期の章である。イエス様の復活、昇天の後、弟子達はイエス様に命じられたとおり宣教に出かけて行く。そこには奇跡が起こったと書かれている。その理由は、イエス様がともに働いて下さったから、そして教えの確かさを証明する為であった。

Application(適用)


私は現在でも宣教するときにイエス様は共に働かれ、証拠としての奇跡は起きるのだと信じている。ではなぜ私の周りで奇跡の話を多く聞かないのか、少し考え込んでしまう。もしかすると私自身が宣教に後ろ向きな思いを持っていたのかもしれない。今でも大宣教命令は有効なのだから、私含め全ての弟子が今もその命令の元にある事を見失ってはならない。今の快適な環境に甘んじて、使命を軽んじては居なかっただろうか。自分の出来ることを見つけよう。

Prayer(祈り)


イエス様、今も奇跡を信じると言いながらも、宣教に後ろ向きであったことを赦して下さい。この矛盾から解放して下さい。御言葉を宣べ伝える事で私の出来ることを教えて下さい。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。

イエス様を否んだ弟子達(マルコ14:29-31)

Scripture(聖書の言葉)


29 すると、ペテロが言いました。「だれがどうあろうと、私だけは、この私だけは絶対にあなたを捨てません。」 30 イエスは、「ペテロよ。あなたは明日の朝、鶏が二度鳴く前に、三度わたしを知らないと言うでしょう」と言われました。

31 「とんでもない! たとえ死んでも、絶対にあなたを知らないなどとは言いません。」ペテロは大声で言いはりました。ほかの弟子たちも、口々に誓い始めました。

Observation(観察)


イエス様を否むことはないと誓った弟子達はあっさりとイエス様を見捨て、逃げ出してしまう。かつて日本で起こった大規模な迫害において、イエス様を否んだ大勢の人々が居た。彼らの後悔はどれほどのことだっただろうか。しかしイエス様が死なれたのはイエス様を見捨てた弟子達のためであり、全ての背教者の為でもあった。私たちが将来同じような迫害に遭わない保証はない。私もペテロのようにイエス様を否むかもしれない。それでもイエス様は私たちの救い主であることは変わらない。なんとすさまじいまでの愛であろうか。

Prayer(祈り)


イエス様、人間の弱さを全てご存じの上で、私たちを愛して下さることに、畏れ、感謝します。弟子達が再び立ち上がって宣教を全うしたように、倒れることがあっても再び立ち上がることが出来ますように。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。

ダビデの子ではなく(マルコ12:35-37)

Scripture(聖書の言葉)


35 その後、神殿の境内で教えておられた時、イエスはこうお尋ねになりました。「ユダヤ教の教師たちは、どうしてキリストがダビデ王の子だと言いはるのですか。 36 ダビデ自身が、といっても、ほんとうは聖霊がダビデを通して語られたのですが、こう言っているではありませんか。

『神が私の主に言われた。
「わたしがあなたの敵を
あなたの足台とするまで、
わたしの右に座っていなさい。」』(詩篇110・1)

37 ダビデがキリストを主と呼んでいるのなら、どうしてキリストがダビデの子でありうるでしょうか。」こういう議論に群衆は好奇心を募らせ、イエスの話に聞き入っていました。

Observation(観察)


イエス様は実際には(父ヨセフの系図においては)ダビデの血筋に当たるが、「キリストはダビデの子」という世襲的なイメージを否定された。もしもダビデの子であることが条件であるなら、その影響範囲はダビデの治めたイスラエルに限定される。しかしイエス様の言われる神の国は、国を越えて主を信じる全ての人の心に興るものなのだ。

Prayer(祈り)


イエス様、あなたの治める国は天の御国であり、同時に私の心の中にあります。あなたを王としてお迎えします。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。

仕える者になる(マルコ10:42-45)

Scripture(聖書の言葉)


42 それでイエスはみなを呼び集め、こう言われました。「あなたがたも知っているとおり、この世の王や高官は、支配者として権力をほしいままにしています。 43 しかし、あなたがたの間では違います。偉くなりたければ、みなに仕える者となりなさい。 44 人を支配したければ、奴隷のように仕える者となりなさい。 45 メシヤのわたしでさえ、人に仕えられるためではなく、仕えるために来たのであり、多くの人の罪の代償として、自分のいのちを与えるために来たのです。」

Observation(観察)


イエス様は当時の権力構造について話されているが、現代でもその仕組みは大きく変わらない。イエス様は「 43 しかし、あなたがたの間では違います。偉くなりたければ、みなに仕える者となりなさい。」と言われた。クリスチャンは世の権力階層とは別な次元の価値観で生きるべきと教えている。それは仕えることを尊いことと考えることだ。それはクリスチャン同士に限った話ではない。イエス様はまだイエス様の知らない全ての人のために仕えられ、死なれ復活された。イエス様に倣い、自分の価値観を改めたい。

Prayer(祈り)


イエス様、仕えることを価値あることと感じられるものにして下さい。良いものを食べたり着たり、より高いサービスを受けることを価値あることとばかり考えてしまいます。イエス様の御言葉を実践するにはどうしたらよいか、教えて下さい。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。

内側から出る悪(マルコ7:14-23)

Scripture(聖書の言葉)


14 イエスは、もう一度群衆を呼び寄せて、「さあ、よく聞いて、その意味を考えなさい。 15-16 人は決して外から入る食べ物によって汚されるのではありません。むしろ、内から出て来ることばや思いによって汚されるのです」と言われました。

17 それから群衆と別れ、家に入られました。すると弟子たちが、「さっきのおことばは、どういう意味でしょうか」と尋ねました。

18 イエスはお答えになりました。「あなたがたまでわからないのですか。食べ物は人を汚さないということが、そんなに不思議なのですか。 19 いいですか。食べ物は人の心に入るわけではないでしょう。腹に入って、外へ出るだけではありませんか。」イエスは、あらゆる食べ物がきよいものであることを示し、 20 さらに続けて言われました。「人の内側から出るもの、それが問題です。 21 肉欲、盗み、殺人、姦淫、 22 貪欲、邪悪、あざむき、好色、ねたみ、悪口、高慢、あらゆる愚かさ、それらのものはみな、人の心の中からあふれ出ます。 23 この内側から出て来るものが人を汚し、神にふさわしくない者とするのです。」

Observation(観察)


パリサイ人達から洗いの儀式に関して批判されたイエス様は、彼らのしきたりが如何に本質を欠いたものか明確に反論する。そのうえで「人は決して外から入る食べ物によって汚されるのではありません。むしろ、内から出て来ることばや思いによって汚されるのです」と教えられた。人を汚すのは食べ物などではなくその人の思いなのだと言われた。食べ物が罪を伝染させるものでは無い。人の悪意がその人を汚し、言葉によって周りの人々を影響し、罪と悪意が広がってゆく。私たちはそのようなものであってはならない。かえって善意を広げて行く者であろう。

Prayer(祈り)


イエス様、罪を生み出すのは私の内面にあると教えられました。そればかりかその悪意は人に伝染させうるものと分かりました。このようなことを避け、善意を広めて行く者となりたいです。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。

預言者の受ける報い(マルコ6:1-6)

Scripture(聖書の言葉)


まもなくイエスはその地方を去り、弟子たちを連れて故郷の町ナザレに帰られました。 2-3 次の安息日に、イエスが会堂に出かけて話をされると、聴衆はその教えに驚きました。イエスのことを、自分たちと同じ、ただの田舎者だと思っていたからです。

「あれのどこがおれたちと違うというんだ。ただの大工のせがれじゃないか。母親はマリヤだし、ヤコブやヨセやユダやシモンは兄弟だ。妹たちだって、われわれとこの町に住んでいるじゃないか。」こうして、町の人たちはイエスに背を向けました。 4 そこで、イエスは言われました。「預言者(神に託されたことばを語る人)はどこででも尊敬されます。ただ、自分の故郷、親族、家族の中ではそうではありません。」 5 そのため、わずかの病人に手を置いて治されただけで、そこでは何一つ力あるわざを行うことができませんでした。 6 イエスは、ナザレの人たちの不信仰に驚かれました。

Observation(観察)


イエス様の故郷のナザレでは、イエス様のことや実家をよく知る人々がいた。イエス様の噂を聞いても、彼らはイエス様を尊敬することはなかった。結果としてイエス様は「そこでは何一つ力あるわざを行うことができませんでした。」とある。預言者を預言者として、神を神として尊敬する姿勢のないところには神は働かれない。「預言者を預言者だからということで受け入れる人は、預言者の受ける報いを受けます。」とマタイ10章41節にあるとおりだ。
イエス様の奇跡に期待するのなら、まずイエス様を神として受け入れ続けることをおろそかにしてはならない。信じたり信じなかったり、忘れたり時々思い出したり、ではイエス様は働かれない。

Prayer(祈り)


イエス様、24時間あなたを信じます。どうか私の人生にあなたの業を成してください。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。