大淫婦バビロン(黙示録18:1-5)

Scripture(聖書の言葉)


これらのことの後、私はもう一人の天使が、大きな権威を授けられて、天から下って来るのを見ました。地上は、その輝きで明るくなりました。 2 彼は大声で叫びました。「バビロンが倒れた。あの大いなるバビロンが倒れた。そこは悪魔の巣窟、悪霊やあらゆる汚れた霊のたまり場であった。 3 あらゆる国の人々が、彼女のみだらな毒ぶどう酒に酔いしれたからだ。また、地上の支配者たちは彼女と快楽にふけり、地上の商人たちは、彼女のぜいたくな浪費のおかげで大もうけをしたからだ。」

4 それから私は、天から別の声を聞きました。

「クリスチャンよ。あの女から遠ざかりなさい。その罪に連なってはなりません。そうでないと、いっしょに罰を受けることになります。 5 あの女の罪は数えきれず、それは積み上げられて天にまで達したので、神の罰がいよいよ下るのです。

Observation(観察)


大淫婦バビロンの終焉が描かれている。バビロンは浪費と放蕩を意味しており、現代の経済システムも示唆しているように思える。神の手を離れ人間の欲を原動力に肥大化する経済はやがて破綻する。私たちは慎ましく節度を持って、神を喜んで生きることを学ばなければならないのではないだろうか。

Prayer(祈り)


イエス様、全てのものは過ぎ去ります。人間の手によるもので失われないものはありません。
バビロンに象徴されるような貪欲な生き方を辞め、神に祈り委ねて日々を生きるものにして下さい。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。

伝道をおろそかにしない(黙示録10:8-11)

Scripture(聖書の言葉)


8 すると、再び天からの声が語りかけました。「さあ行って、海と陸地をまたいで立つ強い天使から、開かれた巻物を受け取りなさい。」 9 そこで私は、その天使に近寄って、「巻物をいただきたいのです」と頼みました。すると彼は、「よろしい。さあ、この巻物を取って食べなさい。初めは蜜のように甘いが、飲み下すと、腹の中で苦くなります」と言いました。 10 そこで私は、巻物を受け取って食べました。すると言われたとおり、口の中では甘かったのに、飲み下すと苦くなり、腹が痛くなりました。 11 その時、彼はこう言いました。「あなたは、多くの人々、国民、民族、王について、もっと預言しなければなりません。」

Observation(観察)


ヨハネが御使いから受け取った巻物を食べると、口には甘かったが腹には苦かったとある。謎めいた表現だが10節と11節を関連付けて考えると、受け取った御言葉をそのままにせず、人々に伝えなければならない、と解釈することが出来る。漫然と受け取るだけのクリスチャン生活をしていないだろうか。受け取ったものを自ら伝えて、拡げて行く者でありたい。

Prayer(祈り)


イエス様、受け取るだけのクリスチャン生活を辞めて、伝道するクリスチャンになりたいと思います。私の意識を変えます。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。

失望せず祈る(黙示録5:7-8)

Scripture(聖書の言葉)


7 小羊は前に進み出て、王座に座っておられる方の右手から巻物を受け取りました。 8 その時、四つの生き物と二十四人の長老は、それぞれハープと香のたちこめる金の鉢とを手にして、小羊の前にひれ伏しました。この香は、神の民の祈りです。

Observation(観察)


ヨハネの見た幻のなかで、金の鉢をイエス様の前に献げるくだりだ。この鉢に入れられている香は、神の民の祈りだと書かれている。私たちの祈りは神の前に積まれ、決して無駄に終わることはない。

Prayer(祈り)


イエス様、失望せず祈ることを教えてくださって感謝します。結果を得ることを焦らず、根気よく祈ります。イエス様のお名前によって祈ります。アーメン。

マンネリを脱する(黙示録3:15-19)

Scripture(聖書の言葉)


15 「わたしは、あなたをよく知っています。あなたは冷たくもなく熱くもありません。むしろ、冷たいか熱いかの、どちらかであってほしいのです。 16 しかし、なまぬるいだけなので、わたしは口から吐き出します。 17 あなたは、『私は金持ちだ。ほしいものは何でも手に入るし、もうこれ以上望むものはない』とうそぶいています。しかし、そんなあなたは、ほんとうにあわれで、みじめで、貧しくて、盲目で、おまけに裸同然であることに気づいていないのです。 18 忠告しておきます。真に豊かな者になるために、火で精錬された純金をわたしから買いなさい。また、裸の恥をさらさないために、しみ一つない清潔な白い衣をわたしから買いなさい。また、見えるようになるために、わたしから目につける薬を買いなさい。 19 わたしは愛する者を絶えず訓練し、しかったり、懲らしめたりします。ですから、もし神に対して熱い心を持たなければ、わたしの罰を受けることになります。

Observation(観察)


ラオデキヤの教会に対してイエス様は、「冷たいか熱いかの、どちらかであってほしいのです。」と表現された。漫然としたクリスチャン生活に対する一喝と私は捉えた。教会生活が長くなると、大体のことが分かったような気がして、無気力になってしまう。

Application(適用)


けれどもその理解はあくまで人間の視点からのものであり、神は教会にも、私にも、新しいことをするということを忘れてはならない。先ず自分は何も知らないことを理解しよう。そうすれば今まで見逃していた神の働きが見えるようになる。

Prayer(祈り)


イエス様、私から怠惰な思いを除いて下さい。かつてのように新しいことに期待し、喜んでいるわたしになれますように。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。

御言葉を愛する(詩編119:92-93)

Scripture(聖書の言葉)


92 あなたのおきてが、
心の底からわき上がる喜びになっていなかったら、
私は失望の果てに滅んでいたことでしょう。
93 どんなことがあろうと、戒めだけは手放しません。
その教えによって、
喜びと健康を回復していただいたからです。

Observation(観察)


詩編記者(ダビデ?)は神のおきてが自分を失望から救い、また喜びと健康をもたらしたと書いている。それほどまでに御言葉を愛する事が出来れば素晴らしいと思う。

Prayer(祈り)


イエス様、御言葉を愛し従うものとなりたいです。御言葉の力を実感したいです。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。

兄弟を愛する(1ヨハネ2:3-8)

Scripture(聖書の言葉)


3 私たちが神に属していることを、どうすれば確かめられるでしょう。それは、神の命令を守っているかどうかです。 4 ある人が、「私はクリスチャンだ。キリストを知っている」と言っても、もしその人がキリストの命令に従っていなければ、うそをついているのです。 5 キリストのみことばを実行している人は、ますます神を愛します。それによって、キリストにつながっている人であるかどうかがわかります。

6 自分はクリスチャンだと言う人は、キリストと同じ生き方をすべきです。

7 愛する人たち。私は今、新しい戒め(神のおきて)をつくり出しているのではありません。これは、初めからある古い戒めであり、すでに何度も聞いているみことばです。 8 しかしこの戒めは、古くて常に新しいのです。キリストにおいても、あなたがたにとっても真理なのです。「互いに愛し合いなさい」という戒めを守る時、私たちの生活から暗闇は消え去り、新しいいのちの光が輝きます。

Observation(観察)


クリスチャンであることの証明は、神の命令である「互いに愛し合いなさい」を実践しているかどうかにある。逆をいえば、兄弟を愛せないものはクリスチャンでは無い、と言うことになる。これは厳しい言葉だ。相手がどんな人であれ愛する、という条件ならば時としてその実現は難しくなる。

Prayer(祈り)


イエス様、真剣に御言葉をとらえるなら、それを行うことは容易ではないことが分かります。わたしは上手に人を愛せないし、愛されにくい部分もあることは確かです。それでもあなたの戒めには従いたいと願います。人間の愛では人を愛せません。あなたの愛を私に下さい。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。

見なくても信じる者(ヨハネ20:24-29)

Scripture(聖書の言葉)


24 十二弟子の一人のトマスは、その時、その場に居合わせませんでした。 25 それでみんなが、「ほんとうだ。主にお会いしたんだ」と口をすっぱくして話しましたが、本気にしません。頑としてこう言いはるばかりです。「主の御手に釘あとを見、この指をそこに差し入れ、この手を主のわき腹に差し入れてみなければ、信じない。」

26 八日たちました。その日も、弟子たちは集まっていました。今度はトマスもいっしょです。戸にはかぎがかかっていましたが、突然、前の時と同じようにイエスが一同の中に立ち、「平安があるように」とあいさつなさいました。 27 それからイエスは、トマスにおっしゃいました。「さあ、あなたの指をこの手に当ててみなさい。あなたの手をこのわき腹に差し入れてみなさい。いつまでも疑っていないで信じなさい。」 28 「ああ、わが主、わが神よ!」感きわまって、トマスは叫びました。 29 「わたしを見たから信じたのですか。しかし、見なくても信じる者は幸いです。」

Observation(観察)


「疑いのトマス」の有名なエピソードだ。復活されたイエス様を目撃していなかった彼は、「主の御手に釘あとを見、この指をそこに差し入れ、この手を主のわき腹に差し入れてみなければ、信じない。」と言い張った。弟子達の言葉を信用出来ないほどに、彼にとってイエス様の死の衝撃は大きかったのだろう。そのトマスの前にイエス様は立たれ、復活を目にしてついに信じたトマスに対し、イエス様は「わたしを見たから信じたのですか。しかし、見なくても信じる者は幸いです。」と言われる。
現代においてイエス様を肉眼で見た人はいない。三次元のこの世界に生きている私たちは自分の五感を当てにして生きている。しかし主は霊的な次元の存在なので、五感で感じることは出来ない。私たちがイエス様を感じることが出来るのは私たちの霊が感じているからだ。逆に言えば、霊が鈍くなるとイエス様を感じることが出来なくなってしまう。トマスと同じく復活を疑う人になってしまうのだ。どのようにして霊的な感覚を鋭敏にできるのか、それは御言葉を読むこと、罪から遠ざかること、聖霊様を歓迎することだ。私はこれらのことをしっかりと身につけ、見てはいないけれどもイエス様を力強く証する証人に成りたい。

Prayer(祈り)


イエス様、トマスのように疑ってしまうことの多いものです。イエス様をもっと近く感じたいです。今できることを一歩ずつやり直します。どうかお語り下さい。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。

イエス様の中に生きる(ヨハネ15:4-5)

Scripture(聖書の言葉)


4 ですから、わたしのうちに生きるよう心がけなさい。またわたしが、あなたがたのうちに生きられるようにしなさい。枝は幹につながっていなければ、実を結べないでしょう。同じようにあなたがたも、わたしから離れたら、実を結ぶことはできません。 5 わたしはぶどうの木で、あなたがたはその枝です。人がわたしのうちに生き、わたしもその人のうちに生きているなら、その人は多くの実を結びます。わたしを離れては何もできません。

Observation(観察)


私たちがイエス様の中に生き、イエス様が私たちの中に生きて下さるという教えは、ヨハネ福音書に繰り返し表れる表現だ。私たちがイエス様に繋がり、そのように生きるなら、多くの実を結ぶと書かれている。実とは直接伝道して魂を獲得することもあるが、自らの生涯が証しとなり、人々を福音に触れるきっかけになることでもある。健康や経済、諸々含めた祝福もイエス様を信じて生きた実と呼べるだろう。

Application(適用)


自分の人生にあてはめるならば、いまだ自分勝手に生きていて、いびつな実しか成らせていないように思う。もう一度イエス様にしっかり繋がって良い実を結ぶものになりたい。

Prayer(祈り)


イエス様、残る生涯をもう一度イエス様に繋がって良い実を結ぶものになりたいです。神と人を愛することから始めます。助けて下さい。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。

イエス様が住んで下さる(ヨハネ14:22-24)

Scripture(聖書の言葉)


22 ユダ(イスカリオテ・ユダではなく、同名の他の弟子)がイエスに、不思議そうに尋ねました。「先生。私たち弟子にだけご自分を現そうとなさって、世の人に現そうとなさらないのはどうしてですか。」 23 イエスはお答えになりました。「わたしを愛し、わたしのことばを守る人にだけ、わたしは自分を現すのです。父もまた、そういう人を愛してくださいます。わたしたちはその人のところに来て、その人といっしょに住みます。 24 わたしのことばを守らない人は、わたしを愛していないのです。わたしは、自分で考え出したことを話しているのではありません。わたしをお遣わしになった父が教えてくださったことを話しているのです。

Observation(観察)


熱心党ユダのなぜ世に御自身を顕さないのか、と言う問いに、イエス様は別な角度からお答えになった。イエス様が現れるのは、イエス様を愛し御言葉を守り実践した人を通してである、とのお答えであった。逆に「わたしのことばを守らない人は、わたしを愛していないのです。」とも言われている。イエス様を愛するというのなら、イエス様の言葉を守ろう。「父もまた、そういう人を愛してくださいます。わたしたちはその人のところに来て、その人といっしょに住みます。」とある。御言葉を守る人のところに父なる神とイエス様は来て下さる。

Prayer(祈り)


イエス様、あなたを愛しますといいながら御言葉を守ることが出来ないことが度々あります。特に隣人を愛する事は本当に難しいです。私の心を変えて下さい。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。

結論ありきの行動(ヨハネ9:18-24)

Scripture(聖書の言葉)


18 しかし、ユダヤ人の指導者たちは、盲目だった男が見えるようになったことを、どうしても信じようとはしません。とうとう両親まで呼び出し、 19 確かめることにしました。「この男は息子だな。ほんとうに生まれつき目が見えなかったのか。だったら、どうして見えるようになったのだ。」 20 両親は答えました。「はい、確かに息子でございます。この子は生まれつき目が見えませんでした。 21 けれども、どうして見えるようになったのか、どなたがこれの目を開けてくださったのかは、少しも存じません。どうぞ本人からじかに聞いてみてください。もう一人前の大人ですから、自分で説明できるでしょう。」 22-23 こう言ったのは、ユダヤ人の指導者たちがこわかったからです。指導者たちはすでに、イエスをキリストと告白する者は、だれかれの区別なく会堂から追放すると公表していたのです。

24 指導者たちは、男をもう一度呼び寄せ、きつく言い渡しました。「イエスなどではなく、神をあがめなさい。あいつは悪党だ。」

Observation(観察)


イエス様による、生まれつき盲目の男の目を開けた奇跡に対し、ユダヤ人指導者は先ずイエス様を否定する立場から、この奇跡を理解しようとして奇妙な行動を取る。盲目だった男に何度も経緯を説明させたり、両親を呼んで見えるようになった理由を問いただしたりした。イエス様を否定しながら、奇跡を解釈しようとするとどうしても辻褄が合わなくなってしまう。最終的に指導者達は完全に誤った方法で矛盾を解決しようとする。それはイエス様の磔刑である。しかしこの企みも失敗に終わる。イエス様の復活と昇天、聖霊様の来臨による教会の成立によって、イエス様の計画の完成を成し遂げた。

Application(適用)


私が気をつけなければならないのは、先入観や決めつけをもって物事をみてしまいがちな事だ。正直、自分の狭い枠の中だけで世の中を解釈するのは簡単な方法だ。広い視野を持つには自己の利害にこだわらない心と、深い知識と理解が必要だ。このユダヤ人指導者達のように、結論ありきて行動して自己矛盾に縛られることの無いようにしたい。

Prayer(祈り)


イエス様、世の有り様はとても複雑で、どの側面から見るかで善にも悪にもなってしまいます。私の直面する物事について、どうしたらよいかをいつもあなたに尋ね求めることが出来ますように。決して思い込みや過去の経験に囚われて物事を結論づけることがないように助けて下さい。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。