5000人の給食(ルカ9:13-17)

Scripture(聖書の言葉)


13 「いいえ。あなたがたで、みんなに食べ物をあげるのです。」イエスの答えに、弟子たちはあきれ顔で言いました。「手もとには、パンが五つと魚が二匹あるだけです。これだけ大ぜいの人が食べる物を買い出しに行けとおっしゃるのですか。」 14 こう言うのも、むりはありません。男だけでも五千人はいたのですから。しかし、イエスは、「さあ、みんなを五十人ぐらいずつに分けて座らせなさい」と言われます。 15 弟子たちは訳がわからないながらも、そのとおりにしました。

16 そこでイエスは、五つのパンと二匹の魚を取り、天を見上げ、感謝の祈りをささげました。それからパンをちぎり、人々に配るため、弟子たちに手渡されました。 17 みんなが食べて満腹したあと、パン切れを集めると、なんと十二かごにもなりました。

Observation(観察)


民衆への給食のやりとりの中で、イエス様は「いいえ。あなたがたで、みんなに食べ物をあげるのです。」弟子達は勿論食べ物のことと理解したであろう。しかしここには、新たに信じた人々を霊的に養うことを暗喩しているように思う。勿論その源はイエス様が。イエス様が僅かなパンと魚を祝福され、弟子達が配ったとき、大勢の人が食べて満腹したとある。私たちもイエス様に信頼し、人々に仕えるとき奇跡的な業が起き、多くの人が満たされる。

Prayer(祈り)


イエス様、受け取るだけでは無く給仕する側になりたいです。イエス様の奇跡の業をこの目で見たいです。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。

奇跡を拒む人々(ルカ8:34-39)

Scripture(聖書の言葉)


34 びっくりした豚飼いたちは近くの町や村に逃げ込み、この出来事を言いふらしました。 35 まもなく、大ぜいの者が、自分の目で確かめようと集まって来ました。と、どうでしょう。今まで悪霊につかれていた男が、きちんと服を着て、すっかり正気に戻って、イエスの前に座っているではありませんか。みんなは、あっけにとられてしまいました。 36 初めから一部始終を目撃していた人たちが、事細かにその時の状況を説明しました。 37 それを聞くと、人々はますます恐ろしくなり、イエスに、ここから立ちのいて、もうこれ以上かかわり合わないでほしいと頼み始めました。

それで、イエスは舟に戻り、また向こう岸へ帰って行かれました。 38 悪霊の去った男がお伴を願い出ましたが、イエスはお許しになりませんでした。 39 「家族のところへ帰りなさい。神がどんなにすばらしいことをしてくださったかを、話してあげるのです。」こう言われて、男は町中の人に、イエスのすばらしい奇跡を話して回りました。

Observation(観察)


ゲラサ人の地にいた狂人(多くの悪霊につかれた人)をイエス様は解放した。追い出された悪霊達は豚の群れに入り込み、豚の群れは湖に飛び込んで溺れ死んだ。
狂人だった男は正気に戻っていた。ところがこの地のひとびとはこの事態を歓迎せず、「イエスに、ここから立ちのいて、もうこれ以上かかわり合わないでほしいと頼み始めました。」とある。彼らが奇跡を拒絶した背景は分からないが、神の働きを否定する思い、現状維持を良しとする思いがあったのかもしれない。
ただ、解放された元狂人だけは違っていた。彼は「町中の人に、イエスのすばらしい奇跡を話して回りました。」とある。イエス様の奇跡を直接体験したものはイエス様を否定できない。イエス様を伝えるものと変えられたのだ。

Application(適用)


私自身、多くの奇跡的な事象を体験してきた。にもかかわらず現状維持を良しとする思いはいまだに残っている。願わくば大胆にイエス様を伝えるものになりたい。二つの相反する欲求に苛まれている。

Prayer(祈り)


イエス様、受けた奇跡を否定せず、喜んで人々に伝える人になりたいです。世間体とか立場を横に置いて、イエス様を第一にするものとして下さい。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。

誰の権威の元に居るのか(ルカ7:7-10)

Scripture(聖書の言葉)


「先生。わざわざおいでくださいませんように。とてもそんな名誉を受ける資格はございません。自分でお迎えに上がることさえ失礼と存じます。どうぞ今おられる所で、おことばをください。それで十分でございます。そうすれば、召使は必ず治ります。 8 私は上官の権威の下にある者ですが、その私でさえ、部下には権威があります。私が『行け』と命じれば行きますし、『来い』と言えば来ます。また奴隷にも、『あれをやれ』『これをやれ』と言えば、そのとおりにするのです。」 9 これを聞くと、イエスはたいへん驚き、群衆のほうをふり向いて言われました。「皆さん。これほどの信仰を持った人は、イスラエル中でも見たことがありません。」 10 使いの者たちが戻ってみると、召使はすっかり治っていました。

Observation(観察)


ローマの隊長が自分のしもべの病のいやしをイエス様にお願いするくだりである。隊長は自身が権威のものとにあり、また権威を用いることの出来る立場であること、イエス様が権威をもって御言葉を用いれば召使いはいやされることを確信していることを伝えた。
私たちは誰の権威の元に居て、どんな権威を用いることが出来るだろうか、用いるために必要なことは何だろうか。クリスチャンにとって自明なことではあるが、今一度深く考えたい。

Prayer(祈り)


イエス様、私があなたの権威の元にあること、また権威を用いることも許されていることを思い出しました。御言葉を発することが権威を用いる鍵だとも分かりました。積極的に御言葉を用います。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。

自分が量ったはかりで量られる(ルカ6:37-38)

Scripture(聖書の言葉)


37 人のあら捜しをしたり、悪口を言ったりしてはいけません。自分もそうされないためです。人には広い心で接しなさい。そうすれば、彼らも同じようにしてくれるでしょう。 38 与えなさい。そうすれば与えられます。彼らは、量りのますに、押し込んだり、揺すり入れたりしてたっぷり量り、あふれるばかりにして返してくれます。自分が量るそのはかりで、自分も量り返されるのです。」

Observation(観察)


隣人を愛する、ということにはイエス様の示された無私の愛によるものと、同時にこの節で書かれた自分がしたことが跳ね返ってくるから、という動機が書かれている。人間はイエス様の様になることは難しい。ならばせめてこの節をこころに止めて生きてゆこう。今僕が感じている苦しさも、自分が狭量なはかりで人を量った結果なのだ。

Prayer(祈り)


イエス様、批判し、批判される人間関係を改善したいです。他人がどのように僕を量ろうとも、おおらかな気持ちで人に接することが出来ますように。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。

もういちどやってみよう(ルカ5:4-6)

Scripture(聖書の言葉)


4 話が終わると、イエスはシモンに言われました。「さあ、もっと沖へこぎ出して、網をおろしてごらんなさい。」 5 「でも先生。私たちは夜通し一生懸命働きましたが、雑魚一匹とれなかったのです。でも、せっかくのおことばですから、もう一度やってみましょう。」 6 するとどうでしょう。今度は網が破れるほどたくさんの魚がとれたのです。

Observation(観察)


夜通し働いて一匹も魚を捕ることが出来なかったペテロは、イエス様から「沖にこぎ出し、網をおろしなさい」と言われた。プロの漁師であるペテロの経験では今日はもう魚は取れないと考えていたかもしれないし、沖には魚はいないと思ったかもしれない。しかしペテロは、「せっかくのおことばですから、もう一度やってみましょう。」と従った。結果は沢山の魚を獲ることが出来た。大事なのは自分の経験に頼らず、イエス様の言葉に従う心だ。
うまく行かないことは何度も、幾つもある。けれども、もう一度やってみよう、と神を信頼する心を持つことだ。新しい一年、去年挫折したことももう一度挑戦してみよう。

Prayer(祈り)


イエス様、去年挑戦して叶わなかったことも、もう一度挑戦させて下さい。あなたの言葉を頂けたら、いつでも網を下ろします。私の心の願いはあなたが個存知です。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。

約束の地と挫折(創世記11:27-32)

Scripture(聖書の言葉)


27 ハランにはロトという息子が生まれました。 28 しかし、ハランは若くして生まれ故郷のカルデヤのウルで死に、あとには父のテラが残されました。 29 一方、アブラムは腹違いの妹サライと結婚し、ナホルも、ハランが死んで孤児となった姪のミルカを妻にしました。ミルカにはイスカという兄弟がいましたが、二人ともハランの子です。 30 サライは子どもができない体でした。 31 テラは、息子のアブラムと嫁のサライ、ハランの息子で孫に当たるロトを連れてカルデヤのウルを出発し、カナンの地へ向かいました。しかし途中、ハランの町に立ち寄ったまま、そこに住みつき、 32 二百五歳の時、ハランで死にました。

Observation(観察)


セムの子孫でありアブラハムの父であるテラについての記事である。テラはアブラムとテラを連れてカルデヤ(バビロン人の地)を出発し、カナンの地を目指した。しかしテラは目的地であるカナンには辿り着けず、ハランの町で亡くなってしまう。
カルデヤは罪の生活を示唆し、カナンの地は神の約束の地である。テラの挫折は私たちに、救われたものが神の約束を目的として旅を続け、途中で挫折してはいけないと教えている。

Prayer(祈り)


イエス様、テラの決心は偉大でしたが彼は目標点にたどり着くことは出来ませんでした。アブラハムが志を継ぎますが、私はテラのような挫折をしたくありません。目的地、約束の地から目をそらさず、前に向かって進みたいです。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。

水のバプテスマ(ルカ3:3)

Scripture(聖書の言葉)


3 ヨハネはヨルダン川周辺をくまなく歩き、罪が赦されるために、今までの生活を悔い改めて、神に立ち返ったことを表明するバプテスマ(洗礼)を受けるようにと、教えを説き始めました。

Observation(観察)


バプテスマのヨハネの活動はヨルダン川周辺であった。川で洗礼を授けるためだ。洗礼には死と復活の意味合いもあるが、同時に罪汚れを川に洗い流すことも意味している。罪のきよめという大きな神の恵みは、川で表現されている。バプテスマの定義は「罪が赦されるために、今までの生活を悔い改めて、神に立ち返ったことを表明する」とある。洗礼のまえに悔い改めというプロセスがある。悔い改めず、儀式的な事だけ求めて洗礼を受けても、罪は洗い清められない。
私たちが罪の力から逃れようとするとき、必要なのはまず悔い改めだ。罪と咎、汚れが自分の身から離れてゆく事をイメージして、熱心に神の恵みを求めよう。

Application(適用)


私たちが神に何かを求める以上に、神は私たちの清めを期待しておられる。自分の生活の求め以上に、清めを求めるものでありたい。

Prayer(祈り)


イエス様、罪を赦して、洗い流して清くして下さり感謝します。日々の生活の中で繰り返してしまう悪い考えなどの習慣を変えてゆきたいです。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。

人と地に対する呪い(創世記3:17-19)

Scripture(聖書の言葉)


17 最後に神はアダムに言いました。「あれほど食べてはいけないと言ったのに、あなたはそれを食べたので、土地はのろわれたものとなった。あなたは生きるために、一生あくせく働かなければならない。 18 土地にはいばらとあざみが生え、あなたは野草を食べるようになる。 19 死ぬまで汗水流して土地を耕し、働いて糧を得、そしてついに死に、再び土に帰る。土から造られたのだから、また土に帰らなければならないのだ。」

Observation(観察)


聖書の最初の三章目にて、人は呪われたものとなってしまう。蛇の誘惑により善悪を知る木の実を食し、原罪が人類に入り込んだからだ。呪われたのは人だけではない、彼らが追放された先の地も呪われてしまった。聖書のテーマは人類の罪の性質と、そこからの救いだ。神の祝福が川のように流れると思いきや、人類の罪によって全地は呪われたものとなってしまった。イエス様が来られるまで聖書の登場人物はこの罪と呪いの問題に苦しむこととなる。

Application(適用)


救われたクリスチャンだからとって、この章から目を背けることは出来ない。私たちは原罪を持ちながらも神によって救われた存在なのだ。私もいつも自分の罪の属性を見失う。見失っているときは自分が罪の中に入り込んでしまっている状態なのではないだろうか。逆に敬虔とは、自分の罪の属性を見失なわず、神の救いに感謝の思いを持ち続けることなのだと思う。

Prayer(祈り)


イエス様、地は呪われてしまいましたがあなたの救いが私たちに与えられていることを感謝します。どうか人々の働きを祝福して下さいますように。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。

川というモチーフ(創世記2:10-14)

Scripture(聖書の言葉)


10 さて、エデンの地からは一つの川が流れ出て園を潤し、それはやがて四つの流れに分かれていきます。 11-12 その一つピション川は、ハビラ地方全域を蛇行していました。その地方からは、純度の高い金と美しいブドラフ(香りの良い樹脂を出す木)や、しまめのうが取れます。 13 第二の川はギホンと呼ばれ、クシュの全域を流れる川です。 14 第三がティグリス川で、アシュルの町の東側を流れていました。そして第四がユーフラテス川です。

Observation(観察)


創世記から黙示録まで、聖書の要所要所に「川」についての記述がある。ここでは4つの川がエデンの地から各地に流れ出していることが書かれている。神の祝福がエデンに留まらず、広がってゆく事の表現とみることが出来る。この新しい一年、特に「川」にまつわる記述に注目して聖書を読んで行きたい。

Prayer(祈り)


イエス様、エデンの園から川が流れ出すように、あなたの恵みはいまも滾々と流れています。そこからすくって飲むものとして下さい。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。

子羊の婚宴(黙示録19:7-9)

Scripture(聖書の言葉)


7 さあ、大いに喜び楽しみ、神をほめたたえよう。小羊の結婚の時が来て、花嫁のしたくも整った。 8 花嫁は、輝くばかりの、きよく真っ白な麻布の衣を着せられた。」この麻布は、クリスチャンの正しい行いを表しているのです。 9 天使は、次のことばを書きとめるよう促しました。「小羊の婚宴に招かれた人は幸いです。」天使はまた、こう付け加えました。「これは神の口から出たことばです。」

Observation(観察)


ここで言う子羊はイエス様、花嫁は教会を表すと一般に理解されている。花嫁のまとう麻布は、クリスチャンの正しい行いを表しているとある。黙示録のクライマックスはイエス様と教会の結合である。男女の婚姻はキリストと教会の関係の型なのだ。
この婚姻の時まで、教会は整えられなければならない。いま世界の教会は、イエス様の花嫁としてふさわしいだろうか。私たち一人一人はふさわしく考え、また振る舞っているだろうか。

Prayer(祈り)


イエス様、教会があなたの花嫁として整えられますように。世の花嫁も様々な支度をして備えます。教会もそれ以上に備えなければなりません。私自身も備えます。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。