たとえ奇跡がなくても(使徒5:17-21)

Scripture(聖書の言葉)


17 これを知った大祭司と、その一族であるサドカイ派の人たちはみな、激しいねたみにかられ、 18 うむを言わせず使徒たちを逮捕し、留置場に放り込みました。

19 しかし、夜、主の使いが来て、留置場の戸を開け、使徒たちを外に連れ出して言いました。 20 「さあ宮へ行き、このいのちの教えを大胆に語りなさい。」

21 言われたとおり、使徒たちは夜明けごろ宮へ行き、すぐに教え始めました。

Observation(観察)


大祭司達に捕らえられ、留置場に置かれた使徒達は、天使によって不思議な力で解放された。その目的は「さあ宮へ行き、このいのちの教えを大胆に語りなさい。」と天使は語った。困難を打ち破るのは神の力に他ならないが、そこには必ず目的がある。神の働きのためにこそ奇跡は起きるのだ。
私は神の働きのために生きたいと長年願ってきたが、いまだそれは果たされない。過去の罪の故なのか、適性が無いのか、あるいは召しが無いのか、人間である私には分からない。
しかし、そのような状況であっても正しく生きようと努力することが出来る。奇跡は起こらないかもしれない。それでも最大限の誠実を持って神の前に立ち続けよう。

Prayer(祈り)


イエス様、どう祈って良いかわからないときがあります。今がそうです。ただ誠実な生き方を選ぶことが出来ますように。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。

イエス様と一緒に居たから(使徒4:8-13)

Scripture(聖書の言葉)


8 その時、ペテロは聖霊に満たされ、落ち着きはらって答えました。「わが国の名誉ある指導者、ならびに長老の方々。 9 お尋ねの件は、あの足の悪い男のことで、どのようにして彼が治ったかということでしょうか。 10 そのことなら、あなたがた、いやイスラエルのすべての人たちに、はっきりお話ししたいのです。この出来事は、あなたがたが十字架につけ、神様が復活させてくださった、あのメシヤ(救い主)、ナザレのイエスの名と力とによるのです。 11 メシヤのイエスは、まさに『建築士たちの捨てた石が、最も重要な土台石になった』(詩篇118・22)と聖書にある、その石なのです。 12 この方以外には、だれによっても救われません。天下に、人がその名を呼んで救われる名は、ほかにないのです。」

13 あまりにも大胆なペテロとヨハネのことばに、議員たちは驚き、たじたじとなりました。二人は明らかに、教育も受けていなければ、宗教の専門家でもないのです。とうとう、イエスといっしょにいたからそうなったのだ、と認めないわけにはいかなくなりました。

Observation(観察)


足萎えの男をいやしたことで、ペテロ達は大祭司達の尋問にあう。ここでの彼の言葉はイエス様を三度否定したあのペテロのようでは無かった。公然をイエス様を証しし、「この方以外には、だれによっても救われません。天下に、人がその名を呼んで救われる名は、ほかにないのです。」と大胆に宣言した。このようなペテロの理路整然たる証しと堂々たる態度について、大祭司達は「イエスといっしょにいたからそうなったのだ」と結論づけた。
私たちの言動はどうだろうか、はたして「イエスといっしょにいたからそうなったのだ」と言われるような変化を起こしているだろうか。語るべき言葉を与えてくださる聖霊様を求め、私の言葉と態度を一新してくださることを切に望む。

Prayer(祈り)


イエス様、いつか「あいつはイエスといっしょにいたからそうなったのだ」といわれるようになりたいです。それほどにイエス様の近くを歩み、聖霊様によって言葉と知恵を与えられたいです。導いてください。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。

恐るべき神様(出エジプト記19:16-20)

Scripture(聖書の言葉)


16 いよいよ三日目です。朝から恐ろしい嵐になりました。雷は耳をつんざき、いなずまは宙を走ります。厚い雲が山に垂れ込め、雄羊の角笛のような大きな音が長く響き渡りました。あまりの恐ろしさに、人々はみな震え上がりました。 17 神をお迎えしなければなりません。モーセは人々を促して野営地から連れ出し、全員が山のふもとに立ちました。 18 見ると、シナイ山全体が煙に包まれています。主が山の上に、炎に包まれて下ったのです。煙は、まるで炉に燃えさかる火のように空に渦巻き、山全体が強い地震で揺れ動きました。 19 ラッパのような響きがますます大きくなる中で、モーセが語り、神の答える声は天地にとどろき渡るのでした。 20 こうして、主はシナイ山の頂上に降り、モーセを招きました。モーセは主のもとに登って行きました。

Observation(観察)


エジプトから脱出したイスラエルの人々の前に、主が御姿を現そうとされた箇所だ。異常な自然現象も同時に起きたことも書かれている。神という超次元の存在が、この世の三次元に表れようとされたのだから、このような大変な事態になるのもうなずける。私たちは神の臨在を求めるが、求めているのはこのような偉大な、強大な、とてつもない存在である方であることを忘れてはならない。同時にそのような方が共におられるのだから「神もし我らの味方ならば、誰が我らに敵せんや」と自信を持って語って良い。大事なのは、神がともに居続けてくださるようなきよい生活を私たちが続けられるかどうかだ。

Prayer(祈り)


イエス様、恐るべき、また力強い神様を教えてくださり、間に立って下さり感謝します。神と共に歩む生涯を生きたいです。助けて下さい。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。

聖霊様を証する(使徒2:37-39)

Scripture(聖書の言葉)


37 ペテロのことばは、人々の心を強く打ちました。「それでは、私たちはどうすればいいのでしょう。」あちらからもこちらからも、使徒たちへの質問の声があがりました。

38 ペテロは答えました。「一人一人、罪の生活から悔い改めて神に立ち返りなさい。そして、罪を赦していただくために、イエス・キリストの名によってバプテスマ(洗礼)を受けなさい。そうすれば、聖霊という賜物をいただけます。 39 それはキリストが約束してくださったことです。あなたがたは言うまでもなく、あなたがたの子孫、また遠くにいても、私たちの神である主がお招きになったすべての人に与えられるのです。」

Observation(観察)


聖霊様を受けて大胆に変えられたペテロの説教は人々の心を打った。彼らは「それでは、私たちはどうすればいいのでしょう。」と問うた。ペテロの回答は悔い改め洗礼を受けることと答えた。そして結果聖霊様を受け取る事についても言及した。これはこの時エルサレムに居た人ばかりでは無く、その人々の子孫、あるいは遠く離れた人にも等しく与えられる約束だ。

Application(適用)


聖霊様を受けてから30年が経つ。この経験は今も忘れられない。そしてこの経験はエルサレムに始まり、ペテロの言葉通り、世代も場所も越えて起き続けているのだ。いま公然と聖霊様のことを語ることがはばかられる空気があることを残念に思う。

Prayer(祈り)


イエス様、どうか聖霊様を証することの出来る場に置いてください。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。

聖霊様の来られた訳(使徒1:4-8)

Scripture(聖書の言葉)


4 そんなある時のことです。イエスは使徒たちに、こうお命じになりました。「エルサレムから離れてはいけません。前にも言ったように、父が約束を果たしてくださるまで、待っていなさい。 5 バプテスマのヨハネは水でバプテスマ(洗礼)を授けましたが、もうすぐ、あなたがたは聖霊によるバプテスマを受けるからです。」

6 そこで、またイエスが姿を現された時、使徒たちは心躍らせながら、「主よ。今こそイスラエルを解放し、独立国として再興なさるのですか」と尋ねました。

7 「それがいつかは、父がお決めになります。あなたがたが、あれこれ言うことはできません。 8 しかし、聖霊があなたがたに下る時、あなたがたは大きな力を受け、エルサレムからユダヤ全土、そしてサマリヤから地の果てまで、わたしの死と復活を伝える証人となります。」

Observation(観察)


聖霊様が来られる目的について、イエス様は明確に語られている。すなわち、イエス様の証人として世界中に出て行くための力を与えてくださる為、である。事実使徒達は、一人残らず宣教に出、ヨハネの除いて殉教を遂げた。死にまでも従う力を弟子達は得たのだ。

Application(適用)


聖霊様を受けると言うことは、イエス様のために死ぬことを約束することと同義なのだ。生半可な気持ちで受けてはいけないし、受けたならばその力が与えられていることを自覚しよう。

Prayer(祈り)


イエス様、イエス様のためなら死にますと何度も願ったことを思い出しました。時間が経ってこの思いが緩んでしまっていることを思います。覚悟を新たに、イエス様に従います。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。

エマオの途上(ルカ24:28-31)

Scripture(聖書の言葉)


28 そうこうするうち、エマオに近づきましたが、イエスはまだ旅を続ける様子です。 29 二人は、じきに暗くなるから、今晩はここでいっしょに泊まってくださいと熱心に頼みました。それでイエスもいっしょに家に入りました。 30 食卓に着くと、イエスはパンを取り、神に祝福を祈り求め、ちぎって二人に渡しました。 31 その瞬間、二人の目が開かれ、その人がイエスだとわかりました。

Observation(観察)


エマオへの途上で、復活されたイエス様は弟子達の前に現れてくださったが、弟子達は彼がイエス様だとは気がつかなかった。しかし宿に着き、パンをちぎると弟子達の目が開かれ、その人がイエス様だとわかったとある。パンをちぎるとは、人々のために主が身を裂かれるという意味、そして御言葉が増え広がる、すなわち多くの教会が建てあげられるというダブルミーニングである。このイエス様の行為で目が開かれた弟子達は、イエス様の犠牲と、山上の垂訓のシーンを思い起こしたに違いない。
私たちがイエス様を思い起こすのはどのようなときだろう。日常の行動の中でイエス様を思い出すことが出来るのならそれ以上の幸いは無い。御言葉を心に蓄えて、イエス様の言葉をいつも思い出せるようにしたい。

Prayer(祈り)


イエス様、日常の生活に埋もれて、イエス様のことを忘れてしまうことがいつもあります。そうではなく、いつもイエス様を思い出して喜んでいるものに変えて下さい。見る目を、聞く耳を変えて下さい。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。

極限の伝道(ルカ23:39-43)

Scripture(聖書の言葉)


39 イエスの横で十字架につけられていた犯罪人の一人が、「あんたはメシヤなんだってなあ。だったら、自分とおれたちを救ってもよさそうなもんだ。どうなんだ」とののしりました。 40-41 しかし、もう一人の犯罪人は、それをたしなめました。「この期に及んで、まだ神を恐れないのか! おれたちは悪事を働いたんだから、報いを受けるのはあたりまえだ。だが、このお方は悪いことは何もしなかったのだ。」 42 そして、イエスにこう頼みました。「イエス様。御国に入る時、どうぞ私を思い出してください。」 43 イエスはお答えになりました。「あなたは今日、わたしといっしょにパラダイス(天国)に入ります。」

Observation(観察)


イエス様が地上におられたとき、最期に救いを述べられた相手はこの犯罪人だった。この犯罪人は、別のイエス様をののしった犯罪人に対し、神を畏れるべき事、イエス様は何の罪のないのに十字架につけられた事を語った。期せずして彼は仲間の犯罪人に対してイエス様を証ししたのだ。結果彼はギリギリのところで救われ、天国に入ることを約束された。

Application(適用)


どのような局面であっても(たとえ罪人として裁かれている最中であっても)イエス様を証しし、伝道することが出来る。イエス様を神として理解しているのなら、イエス様を伝える事が出来るのだ。この犯罪人にとって、最も大事な瞬間がこの死の間際であった。
私にとってもっとも大事な時はいつになるのだろうか。それはもう過ぎ去ったと考えたくは無い。

Prayer(祈り)


イエス様、この犯罪人のように、どの局面でも人を用いて下さることを知りました。私も用いて下さい。どのような局面でもお従いします。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。

燃え尽きない芝(出エジプト3:1-4)

Scripture(聖書の言葉)


1ある日モーセは、ミデヤンの祭司であるしゅうとイテロ〔別名レウエル〕の羊の群れの番をしていました。砂漠のはずれにある神の山ホレブ(シナイ山)に近い所です。 2 と、突然、柴の燃える炎の中に、主の使いが現れました。よく見ると、柴には火がついているのに、いつまでも燃え尽きません。 3-4 「いったい、どういうことだろう。」不思議に思いながら、そばに近寄りました。その時です。神が燃える柴の中からモーセに呼びかけました。「モーセ、モーセ。」

Observation(観察)


燃える柴にモーセは出会った。乾燥した土地では芝が燃えることは不思議では無い。しかしこの芝は燃え尽きなかった。この時点でモーセはミデヤンに逃げ込んでから40年が経ち、年齢は80歳くらいと言われている。燃え尽きない芝は失われることの無い神の召命を表している。

Application(適用)


もう燃え尽きてしまいそうに思うときも多い。しかし神は年齢を問わず用いようとする物を引き出されるのだ。いつでも用いて下さいと願い続けよう。

Prayer(祈り)


イエス様、燃え尽きない芝のように救霊に対する思いを私に燃え立たせてください。いつでも準備は出来ていますと応答できる自分になれますように。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。

引き出される(出エジプト2:10)

Scripture(聖書の言葉)


10 やがてその子は大きくなり、養子として正式に王女の屋敷へ引き取られました。王女はその子をモーセ〔「引き出す」の意〕と名づけました。水の中から引き出した子だったからです。

Observation(観察)


エジプトでユダヤ人が奴隷となり苦しんでいるとき、エジプトの王はユダヤ人の男子の赤子は殺してしまうように命じた。モーセを手にかけることをためらった母親は、モーセを葦の茂みに置き去りにしたが、その場にやってきたエジプトの王女に見つけられ、彼は王女の養子となり、エジプトで高い教育を受け、出エジプトの備えを知らずに行うことになる。
モーセは「引き出す」という意味であり、ユダヤ人をエジプトから引き出す事を暗喩している。また水の中から引き出すとは水のバプテスマも意味している。死に直面しながらも神の助けによって奇跡的にいのちを救われ、神の偉大な計画のために用いられる。死の危機のような苦難に面しても、希望を失わずに神が手を延べてくださることに期待しよう。

Prayer(祈り)


イエス様、あらゆる危険も困難も神のご計画の為に用い、状況を逆転してくださることに感謝します。神の助けの手を信じて、大胆に生きてゆきます。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。

神の前に皆が生きている(ルカ20:37,38)

Scripture(聖書の言葉)


37-38 しかし、あなたがたがほんとうに聞きたいのは、復活があるかないかということでしょう。モーセ自身は何と書き残していますか。燃えさかる柴の中に現れた神とお会いした時、モーセは神を、『アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神』(出エジプト3・6)と呼びました。主を彼らの神と呼んでいる以上、彼らは生きているはずです。神は死んだ者の神ではありません。神に対して、みなが生きているのです。

Observation(観察)


『アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神』という表現は、「今も存在しているもの」の神という意味が込められている。続けてイエス様は「神に対して、みなが生きているのです。」と言われた。「みな」とはユダヤ人や救われた人々のみを指すものでは無い。人類が生まれてから終末の日までの全ての人類が神の前に立つときが来る、と言われているのだ。祝福と裁きがやがての日にやって来る。

Application(適用)


私はどのように神の前に立つだろう。救われていても果たすべき事を出来なかった、預かったタラントを隠したしもべのようになっては居ないだろうか。出来るならば、成すべき事を全てチャレンジして、喜んで神の前に立てる様になりたい。

Prayer(祈り)


イエス様、神は永遠から永遠まで生きておられ、その霊を受けた人類も滅びであれ祝福であれ、永遠に存在するものと学びました。不完全なものですがあなたの贖いによって救われました。願わくばこの世に居る間、任されたミッションを誠実に成し、やがて晴れ晴れと天に帰るものと成れますように。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。