神にお会いする日(1コリント13:10-12)

Scripture(聖書の言葉)


10 しかし、私たちが完全な存在とされる時、これら不完全な賜物は不要になり、消え去ってしまうのです。 11 それは、こんなことから説明できるでしょう。子どもの時の私は子どものように話し、子どものように考え、子どものように判断していました。しかし、大人になると考え方も成長し、今では子どもっぽいこととは縁を切りました。 12 同様に、今の私たちの神に対する知識や理解は、そまつな鏡にぼんやり映る姿のようなものです。しかし、やがていつかは、面と向かって神の完全な姿を見るのです。いま私が知っていることは、おぼろげで、ぼんやりしています。しかしその時には、いま神様が私の心を見通しておられるのと同じように、すべてがはっきりわかるでしょう。

Observation(観察)


パウロは賜物について、やがて私たちが完全な者となるときときこれらの賜物は消えてゆくと述べている。逆に述べれば不完全な私たちを聖霊様の賜物は助けて下さると言うことだ。もう一つ、より重要なのは「今の私たちの神に対する知識や理解は、そまつな鏡にぼんやり映る姿のようなものです。しかし、やがていつかは、面と向かって神の完全な姿を見るのです。」私たちの聖書理解、また神についての理解は不完全でぼんやりとしたものに過ぎない。しかしやがての時、完全な者となるとき全ては明らかにされ、神にお会いするときが来るのだ。その時を期待しよう。それまで聖霊様の助けを得、神を追い求めよう。

Prayer(祈り)


イエス様、聖書を繰り返し読んでも、学んでもわからないことが増える一方です。あなたにお会いしたときに教えていただきたいことが沢山有ります。その日を楽しみにして過ごします。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。

内面を変えてゆくために(マルコ7:14-23)

Scripture(聖書の言葉)


14 イエスは、もう一度群衆を呼び寄せて、「さあ、よく聞いて、その意味を考えなさい。 15-16 人は決して外から入る食べ物によって汚されるのではありません。むしろ、内から出て来ることばや思いによって汚されるのです」と言われました。

17 それから群衆と別れ、家に入られました。すると弟子たちが、「さっきのおことばは、どういう意味でしょうか」と尋ねました。

18 イエスはお答えになりました。「あなたがたまでわからないのですか。食べ物は人を汚さないということが、そんなに不思議なのですか。 19 いいですか。食べ物は人の心に入るわけではないでしょう。腹に入って、外へ出るだけではありませんか。」イエスは、あらゆる食べ物がきよいものであることを示し、 20 さらに続けて言われました。「人の内側から出るもの、それが問題です。 21 肉欲、盗み、殺人、姦淫、 22 貪欲、邪悪、あざむき、好色、ねたみ、悪口、高慢、あらゆる愚かさ、それらのものはみな、人の心の中からあふれ出ます。 23 この内側から出て来るものが人を汚し、神にふさわしくない者とするのです。」

Observation(観察)


ユダヤ人のきよめのしきたりに対し、イエス様は表面上のきよめではなく内面から出てくる汚れこそ注意すべき事だと説かれた。神の好まれない思いと行動はいつも人間の内面から湧き出してくる。クリスチャンであろうとそれは同様だ。それらの思いをどのように制し、神の喜ばれる状態に留まれるかが人間に与えられたテーマだと考える。一つの答えは「習慣」では無いだろうか。特定の刺激に対して取る行動を意図して変えてゆくことを繰り返すことで、物事に対する感じ方を変えて行けるのではないかと考える。

Prayer(祈り)


イエス様、これまで同じ失敗を繰り返してきました。物事の感じ方、捉え方をあなたの喜ばれるものに変えて下さい。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。

イエス様にふれる(マルコ5:24-29)

Scripture(聖書の言葉)


24 そこで、イエスはヤイロといっしょに出かけました。群衆は押し合いへし合い、イエスについて行きます。 25 その中に、出血の止まらない病気で十二年間も苦しみ続けてきた女がいました。 26 多くの医者にかかり、さんざん苦しい目に会い、治療代で財産をすっかり使い果たしてしまいましたが、病気はよくなるどころか、悪化する一方でした。 27 イエスがこれまでに行ったすばらしい奇跡を耳にした彼女は、人ごみにまぎれて近づき、背後からイエスの着物にさわりました。 28 「せめて、この方の着物にでも手を触れさせていただけば、きっと治る」と考えたのです。 29 さわったとたん、出血が止まり、彼女は病気が治ったと感じました。

Observation(観察)


有名な長血の女のお話だ。イエス様は様々な病人をいやされたが、この例はとても特殊なケースである。イエス様が気付かれるまえにこの女は背後からイエス様の着物に触った。イエス様がいやしのミニストリーをするまでもなく、自ら近づいて着物にふれるという能動的な行為によって彼女はいやされたのだ。
イエス様に助けて下さいと叫び願うことも信仰のありようだが、この長血の女のように、積極的にイエス様に近づくことも時として必要なのだ。

Prayer(祈り)


イエス様、私には様々な必要があります。あなたのお着物にふれさせてください。そして癒し回復させて下さい。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。

種を成長させる土壌(マルコ4:26-29)

Scripture(聖書の言葉)


ある農夫が畑に種をまいて、 27 家に帰りました。日がたつにつれて、別に何もしなくても、種はどんどん成長しました。 28 土が種を成長させるからです。まず芽が出て、次に穂、そして最後に穂の中に実が入ります。 29 すると、さっそく農夫が刈り取るのです。」

Observation(観察)


この喩えの直前に、イエス様は様々な地に蒔かれた種の事について話された。御言葉を同じように受け取っても、その人が何に基盤を置いているかによって結果が全く違ってしまう、と言う物だ。
この喩えのポイントは「土が種を生長させる」だ。勿論、植物の命そのものはその種の中にあるが、良い土壌におかれて初めて収穫を得ることができる。
私たちは良い畑に植えられているだろうか、あるいは農夫として畑をよく耕しているだろうか。

Prayer(祈り)


イエス様、自分の在りようについて考えることが多くあります。畑を耕す者でありたいと願います。助けて下さい。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。

聖霊様の働きを受け入れる(マルコ3:28-30)

Scripture(聖書の言葉)


28 これは大切なことですから、はっきり言います。人が犯す罪は、どんな罪でも赦してもらえます。たとえ、わたしの父を汚すことばでも。 29 しかし、聖霊を汚す罪だけは、決して赦されません。それは永遠の罪なのです。」 30 こう言われたのは、彼らが、イエスの奇跡を聖霊の力によるものだとは認めず、サタンの力によるのだと言っていたからです。

Observation(観察)


聖霊を汚す罪とはどのような事柄であろうか。この例ではイエス様の奇跡を聖霊様の力と認めず、サタンの力によるものと人々に対するものであった。私たちにもしも奇跡としか思えないことが起きたら、それは聖霊様の力であることを認めなくてはならない。勿論その実ををみわけることが必要であるが、聖霊様の働きは決して否定してはならない。

Prayer(祈り)


イエス様、聖霊様のお働きを良く理解し、受け入れるものとなれますように。あたまごなしに否定するのは簡単です。けれども私はうけいれ理解する事を優先します。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。

新しいぶどう酒(マルコ2:21-22)

Scripture(聖書の言葉)


21 こう言えばわかるでしょう。水洗いしていない新しい布で、古い着物の継ぎ当てをしてごらんなさい。どうなりますか。当て布は縮んで着物を破り、穴はますます大きくなってしまうでしょう。 22 新しいぶどう酒を古い皮袋に入れることもしません。そんなことをしたら、皮袋は張り裂け、ぶどう酒はこぼれ、どちらもだいなしでしょう。新しいぶどう酒には、新しい皮袋が必要なのです。」

Observation(観察)


新しいぶどう酒は発酵が進むと膨らんでしまう。それを保管するには柔軟な新しい皮袋が必要だ。人間もときに固着化した環境、関係から新しくされる必要がある。

Application(適用)


問題なのは私たちがフレッシュな新しいぶどう酒なのかどうか、と言うことだ。あるいは古い熟成の進んだぶどう酒なら、古い皮袋に留まることが正しいのかもしれない。けれども新たな使命やビションが与えられたのなら、新しい皮袋を求めなければならないのかもしれない。

Prayer(祈り)


イエス様、まず自分をしっかりと省みる機会を与えてください。進むべきか、留まるべきか、教えてください。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。

会堂を大事にする(詩編27:4-6)

Scripture(聖書の言葉)


4 私が神にお願いすることは、ただ一つです。
私の求めてやまないものとは、
主の宮で黙想にふけり、
いのちある限り主の前で暮らすこと、
比べようもない、主の麗しさと完全と栄光とを
喜ぶ特権です。
5 悩みの日に、私は宮へ出かけます。
主は私をかくまってくださり、
高い岩の上に座らせて、
6 敵が手出しできないようにしてくださいます。
そのとき、私は主に供え物をささげ、
大喜びで賛美の歌を歌います。

Observation(観察)


主の宮で過ごすことが何にもまして価値ある事であると記者は言っている。私が若い頃は平日、仕事の後も教会を訪れ、神の臨在を熱心に求め、御言葉を読み、祈り、賛美し、何時間も過ごしていた。それに比べ、今の教会生活はどうだろうか。日曜日ぎりぎりに教会に来て礼拝が終わると逃げるようにかえる様なことを繰り返している。勿論会堂にのみ神がおられるわけでは無いが、それでも礼拝に用いられ、祈られている場には何かがあると感じている。私はもっと会堂を大事にしたい。

Prayer(祈り)


イエス様、礼拝の態度を改めます。礼拝後少しでも静まる時をもって、あなたと語り合う時間を持ちたいです。環境的な問題に流されずに神を第一にしたいです。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。

臨在と共に動く(民数記9:15-22)

Scripture(聖書の言葉)


15 幕屋ができたその日、幕屋はすっぽりと雲に覆われました。夕方になると雲は火のように赤くなり、夜通しあかあかと輝いていました。 16 いつも、昼間は雲、夜間は火のようなものが幕屋を覆いました。 17 雲が上ると人々も移動し、雲がとどまると、そこで野営しました。 18 すべて神の命令によって旅を進めたのです。雲がとどまっている間は、人々もとどまりました。 19 雲が長い間とどまるときは、人々も長くとどまり、二、三日のときは、やはり人々も二、三日とどまるといったぐあいでした。 20-21 時には、真っ赤な雲が夜の間だけとどまり、翌朝には動きだすこともありました。昼であろうが夜であろうが、雲が動くと、人々は急いで天幕(テント)をたたみ、雲について行きました。 22 二日でも、一か月でも、一年でも、雲がとどまっている間は人々もとどまり、雲が動くと人々も移動したのです。

Observation(観察)


モーセとイスラエルの民は、幕屋を覆う雲とともに過ごした、雲が移動するとそれについて移動し、雲が留まるとその間、何日でも一年でもその場に留まった。
住む場所であれ職場であれ、あるいは教会であれ、神の導きによって動くことは確かにある。神がここに行けと言われるのなら是非も無い。逆に留まりなさいと神がいわれるのなら何時まででも留まろう。大事なことは神の臨在のあるところに付き従うということだ。

Prayer(祈り)


イエス様、あなたの臨在を求めます。あなたのおられないところに人間的な執着で留まることがありませんように。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。

主は私の羊飼い(詩編23:2-3)

Scripture(聖書の言葉)


主は私を豊かな牧草地にいこわせ、
ゆるやかな流れのほとりに導いて行かれます。
主は傷ついたこの身を生き返らせ、
主の栄光を現すことができるよう、
私を助けてくださいます。

Observation(観察)


詩編記者はこの節でたましいの回復について述べているように思う。「豊かな牧草地」は御言葉による養いを意味し、「流れのほとり」とは祈りの場と理解できる。御言葉と祈りによって傷ついた身を回復し、再び主の働きに出て行くことが出来るよう整えてくださる。
信仰生活を続けていても、様々なことで傷つき疲れ果てることがある。しかしこの御言葉の通り、神は何度でも御言葉と祈りによって回復して下さるのだ。

Prayer(祈り)


イエス様、今の疲れと傷を癒やしてください。再び立ち上がることが出来ますように。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。

パウロの言葉について(使徒26:23-29)

Scripture(聖書の言葉)


23 私が話しているのは、キリストは苦しみを受け、死者の中から最初に復活して、ユダヤ人にも外国人にも光をもたらすということだけです。
24 ここで突然、フェストが大声をあげました。「パウロ、気がおかしくなったか! あまりに学問に身を入れすぎて、おかしくなったのだ。」
25 「何をおっしゃいます、フェスト閣下。気など狂ってはおりません。まじめに真理を語っているだけでございます。 26 アグリッパ王はよくご存じのはずです。そう確信しておりますから、率直に申し上げているのです。これらはみな、どこかの片すみで起こったことではないのですから。 27 アグリッパ王、あなた様は預言者を信じておられますか。もちろん、信じておられるものと確信しておりますが。」
28 アグリッパは、パウロのことばをさえぎりました。「おまえは少しばかり話しただけで、私をクリスチャンにしようというのか。」
29 「お話ししたことが短かろうと長かろうと、そんなことはかまいません。私がひたすら神にお願いするのは、あなた様をはじめ、ここにおられる皆さん全部が、私と同じようになってくださることです。もちろん、この鎖につながれることは別ですが……。」

Observation(観察)


総督フェスト、そしてアグリッパ王の前で弁明をするパウロの言葉は、二度遮られた。一度目はフェスト、二度目はアグリッパ王によってである。パウロの弁明に形を借りた伝道は、権力者達を恐れさせる者であった。彼らにとって一囚人であるパウロがこの国の二大権力者を恐れさせたのだ。このような弁舌をパウロが出来たのは、彼の受けてきた教育によるものばかりでは無い。信仰者になってから体験した全ての困難と奇跡、そして伝道の実を結んできたという確信が彼の言葉をより鋭く研ぎ、人々の心に刺さるようにしたのだ。

Application(適用)


私は自分の経験をもって自分を研いでいるだろうか。漫然とその場しのぎの対応だけをして過ごしては居ないだろうか。残る生涯の一歩一歩を持って神の為に役立てる訓練と、そして実戦としたい。

Prayer(祈り)


イエス様、これまでのいい加減な歩みを止め、一つ一つを神の為に役立てるように歩みます。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。