言葉だけでは無く(1コリント3:18-20)

Scripture(聖書の言葉)


18 「パウロはこちらへ来て話をつけるのがこわいのだ」と、思い上がっている人たちがいるそうですね。 19 しかし、もし主のお許しがあれば、私はすぐにでも行くつもりです。そうすれば、その高慢な人たちが、ただ大きなことを言っているだけか、それとも、ほんとうに神の力を持っているのかがわかるでしょう。 20 神の国は、ことばだけのものではありません。神の力によって生きることなのです。

Observation(観察)


教会に分断を招く人々に関して、パウロはもしもコリントの教会に行くことが出来れば、彼らが言葉だけの人か、神の力によって生きる人か判別出来るであろうと言っている。また神の国は神の力によって生きることであると述べている。

Application(適用)


キリスト教、特にプロテスタントは、聖書を中心とする教派である。すなわち言葉を重要視して御言葉の解釈に重きを置いている。それ自体は間違いでは無いが、ともすると私のような理屈屋の場合、理論の上に理論を重ねて、神の願うところから離れてしまう恐れがある。神の力によって生きるとは、神の望まれる道を生きることと等しい。すなわち神と人を愛する、という事なのだ。理屈を重ねるよりもまず愛する事を優先しよう。

Prayer(祈り)


イエス様、頭でっかちのクリスチャンになりそうでしたが、神の力によって生きると事を教えてくださり感謝します。聖霊様に教えていただきながら、神と人を愛することを実践したいです。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。

天からの真の知恵を受ける(1コリント2:18-20)

Scripture(聖書の言葉)


18 自分をだますのはやめなさい。だれか、「自分は世の知者だ」と、もし考えているのなら、そんな考えは捨てて、愚か者になるほうが身のためです。天からの真の知恵を受ける妨げにならないためです。 19 この世の知恵は、神から見れば愚かだからです。聖書のヨブ記に、「神は人の知恵を、その人を捕らえるわなとして用いられる」(5・13)と書いてあるとおりです。つまり、人は自分の「知恵」につまずいて倒れるのです。 20 また、詩篇には、「主は、人間の考えや判断がどんな程度か、また、それがどんなに愚かしく無益か、よく知っておられる」(94・11)とあります。

Observation(観察)


この世の知恵は、時として真理から人を遠ざける。この世の知恵は人から出ているが故に、神無しの閉じた知識体系を作り出してしまう。人本主義は知らずして神を排除してしまっている。パウロは自らを知恵あるものと考える人に対して「そんな考えは捨てて、愚か者になるほうが身のためです。」と薦めている。この世の知者であると高ぶるよりも、神にあって愚かなものとして謙遜に生きる方がずっと正しい。

Application(適用)


私は時として自分の思索が御言葉よりも優先されてしまうときがある。しかし日々御言葉に帰ることで神に「つなぎ止めていただいている」ように思う。毎日の聖書通読とデボーションによって人本主義の罠から救い出していただいている。神にあって愚かなものであることを学ぼう。

Prayer(祈り)


イエス様、この世に知者と呼ばれる人は多いですが、彼らよりも神の福音を選びます。神と人を愛するという黄金律に生きます。御言葉を読む日々が続けられますように。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。

神のお考えを知る(1コリント2:9-11)

Scripture(聖書の言葉)


9 まさに、聖書の次のことばどおりです。

「人が、これまで見聞きしたことも、
想像したこともないほどすばらしいことを、
神は、ご自分を愛する人々のために
用意してくださった。」(イザヤ64・4、65・17)

10 私たちには、このすばらしいことが何かわかっています。神様がご自分の聖霊を通して知らせてくださったからです。神の霊は、神の最も奥深いお考えを探り出して、それを教えてくださるのです。 11 人が何を考えているか、その人が実際にどんな人間であるか、本人以外にはわかりません。同様に、神の考えを知りうるのは、神の霊以外にありません。

Observation(観察)


この章では聖霊様について多くふれられている。そのなかでこの箇所が印象に残った。イザヤ書にある「すばらしいこと」について、すなわちイエス様の福音について私たちが理解するのは聖霊様によるものである、ということだ。人間には神の考えられていることは元来出来ない。しかし聖霊様によって神の思いとご計画を知ることができるのだ。「神の考えを知りうるのは、神の霊以外にありません。」とあるとおりだ。イエス様の救いを受け、神のご計画に生きるものは聖霊様を受けている。神とのチャネルを実現してくださったのがこの聖霊なる神なのだ。この素晴らしい方と共に神の計画を生きよう。

Prayer(祈り)


イエス様、あなたの贖いによって、また聖霊様が来られたことによって、一人の死ぬべき罪人である私が神のご計画を生きるようにされたことを感謝します。人間の力で理解できないことも多いですが、聖霊様によって一つ一つ、教えてください。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。

いけにえに勝って(詩編40:6-10)

Scripture(聖書の言葉)


6 あなたが真に望んでおられるものは、
いけにえや供え物ではありません。
完全に焼き尽くすいけにえが、
あなたを特別喜ばせるわけではありません。
しかし、生涯を通じてあなたにお仕えしたいという
私の心は、受け入れてくださいました。
7 そこで、私はこう言いました。
「神よ。いま私は、
預言者が言っていたとおりに参りました。
8 あなたのおきてを心に刻んでいる私は、
喜んでご意志に従います。」
9 私は会う人ごとに、
あなたが人の罪を赦してくださるという
うれしい知らせを伝えます。
私が恐れることなくそうしてきたことを、
あなたはよくご存じです。
10 私はこの良い知らせを胸の中にしまい込んだりはせず、
かえって、あなたのいつくしみと真実を
多くの人に伝えて回りました。

Observation(観察)


詩編40編の作者(ダビデ?)は神の前に真に献げるべきものが何であるかを知っていた。それは「生涯を通じてあなたにお仕えしたい」という献身の心だ。これを告白した後「喜んでご意志に従います。」と述べ、罪の赦しについて伝道するものとなった。これが旧約時代に書かれていたことは驚きだ。福音がすでにここに現れている。どの時代、どの場所、どんな境遇の人にも、真に求める人には神は、御教えとさとり、そして伝道への情熱を下さるのだ。いま情熱を失っているなら、神に求めよう。

Prayer(祈り)


イエス様、あなたのことをこの詩編作者は知っているかのように明確に救いについて賛美しました。すでに福音を知っている私があなたを賛美し讃えない理由がどこに在るでしょう。生涯賛美と伝道に仕えるものとさせてください。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。

新しい人(ガラテヤ6:15-16)

Scripture(聖書の言葉)


15 割礼を受けているかいないかは、今は、全く問題ではありません。大切なのは、私たちがほんとうに別の新しい人に造り変えられているかどうか、ということです。 16 どうか、この原則に従って生きる人々、そして真に神のものとなった人々に、神のあわれみと平安がありますように。

Observation(観察)


割礼をガラテヤのクリスチャンに迫る偽教師達に警戒するよう命じた、パウロの結びの言葉がここに在る。「大切なのは、私たちがほんとうに別の新しい人に造り変えられているかどうか、ということです。」クリスチャン達にも様々な背景や主張があり、各教派や教会、あるいは各個人においても信条には異なりがあるのも事実だ。パウロは「新しい人」という言葉を用いて、罪に死にキリストに生きることこそが、個々の主張を問わずクリスチャンが究極的に守るべき事だと結んでいる。

Application(適用)


私は自分の信仰の有り様を主張しすぎていたように思う。具体的にはペンテコステ主義だ。自分の考えに固執し、他の人々の考えを理解しようとしないのは間違いであったと教えられた。詰まるところ新生しているか否かが重要なのだ。

Prayer(祈り)


イエス様、危うく教条主義に陥り、頑なになりかけていたことを悔い改めます。私自身が新しい人として生きることに焦点を置きます。これからも導いてください。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。

聖霊様によって善を選ぶ(ガラテヤ5:16-18)

Scripture(聖書の言葉)


16 あなたがたに勧めます。聖霊の導きに従いなさい。聖霊は、どこへ行くべきか、何をなすべきか教えてくださいます。そうすれば、自分の肉の欲望のおもむくままに走ることはありません。 17 私たちの生まれながらの性質は、聖霊がお命じになることとは正反対の悪を好みます。一方、聖霊の導きに従って歩んでいる時に行いたくなる善は、生まれながらの肉の願望とは正反対のものです。内面のこの二つの力は、どちらも私たちを思いどおりに動かそうと、いつも格闘しています。そして私たちは、この二つの力の板ばさみになって、したいと思うことが自由にできない状態なのです。 18 しかし、本来聖霊に導かれているあなたがたは、もう自分を律法に従わせる必要はありません。

Observation(観察)


肉の性質からでる願望と、聖霊様によって行いたくなる善、私たちはその両面を抱えている。時としてその両方の要求に混乱してしまうこともある。正反対の性質を抱えている人間という存在はなんと不便で悲しい存在だろう。
それでも未だに私たちには選択権がある。聖霊様によってもたらされる善を選ぶことができるのだ。選択は生涯私たちの前に立ちはだかり続ける。聖霊様の助けを得て善を選ぼう。

Prayer(祈り)


イエス様、自分の内面の二つの性質とその葛藤を教えてくださり感謝します。意思を持って、聖霊様の助けを得て、善を選び続ける事が出来ますように。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。

神の子として生きる(ガラテヤ4:5-7)

Scripture(聖書の言葉)


“それは、律法の下にある者を贖い出すためであり、私たちが子としての身分を受けるためでした。そして、あなたがたが子であるので、神は「アバ、父よ」と叫ぶ御子の御霊を、私たちの心に遣わされました。ですから、あなたはもはや奴隷ではなく、子です。子であれば、神による相続人です。”

ガラテヤ人への手紙 4章5~7節
聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会

Observation(観察)


神を親しく「父よ」と呼べるのはひとり子イエス様のみであった。しかし聖霊様はイエス様と同じ霊であられるので、それを受けた私たちもその特権を受け継いでいる。神を父と呼ぶ権利を受けた以上、私たちも神の子と変えられたのだ。子は父の庇護の元で育ち、父の家で暮らす。私たちがその権利を見失ってしまうと、権利を行使することは出来ない。放蕩息子が異邦人の町で落ちぶれ苦労したのと同じだ。悪魔はなんとしても私たちが神の子として生きることを止めさせたいとあらゆる手段を用いてくる。父との関係を日々強めるために、御言葉に触れ、祈り感謝することを続けて行きたい。

Prayer(祈り)


イエス様、聖書を読む習慣、祈る習慣を取り戻すことが出来て感謝します。これからも続けて神の子として父に繋がることが出来ますように。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。

神に立ち返る(ガラテヤ3:2-4)

Scripture(聖書の言葉)


2 一つだけ聞いておきます。あなたがたは、なぜ聖霊をいただくことができたのですか。律法を守ろうと努力したからですか。キリストのことを聞き、その救いを信じて初めて、聖霊はあなたがたのところに来てくださったのです。 3 とすると、信仰生活が聖霊によって始まったのに、どうして、律法を救いの条件とするのですか。 4 あれほどの経験をしたあなたがたが、福音をあっさりと投げ捨ててしまうのですか。とても信じられないことです。

Observation(観察)


信仰が歪められつつあったガラテヤの教会の人々にパウロは、彼らの受けた聖霊体験を思い出すように促す。彼らの体験は律法によるものでは無くイエス様を信じる事から始まったのだ。聖霊様を受けることは「イエス様の贖い以外に救いは無い」と経験することと同義なのだ。

Application(適用)


パウロは、「 あれほどの経験をしたあなたがたが」と嘆いている。私も聖霊様について様々な体験をしているにも関わらず、それを忘れてこの世の快楽に走ってしまった。人間は如何に神の恵みに鈍感で忘れやすい者なのだろうか。しかし、それでもイエス様は再び御自身の道に連れ帰ってくださった。この恵みを今度こそ忘れずに居よう。

Prayer(祈り)


イエス様、多くのものを失い泣いていた私を慰め、連れ帰ってくださり感謝します。あなたと共に生きることにもう一度決めました。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。

救いの条件(ガラテヤ2:19-20)

Scripture(聖書の言葉)


19 というのは、いくら律法に従おうと努力しても――それは失敗以外にないのです――神の恵みは決して受けられないことがわかったからです。キリストを信じて初めて、神に受け入れられることがはっきりわかったのです。 20 私はキリストと共に十字架につけられました。もはや、私自身が生きているのではありません。キリストが、私のうちに生きておられるのです。私のためにご自身をささげてくださった神の御子を信じた結果、今、私のうちにはほんとうのいのちが与えられています。

Observation(観察)


救いの条件は律法を守ることでは無い(律法そのものはパウロ自身が言うとおり有益だが)。救いとは神の内に生きることで、また神を内に持つことに他ならない。救いとは、神と一つになる奥義なのだ。

Prayer(祈り)


イエス様、あなたを心の内に迎え、あなたの内を歩むように導いてくださり感謝します。道を外れる都度引き戻してくださり感謝します。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。

福音を足し引きせずに伝える(ガラテヤ1:9-10)

Scripture(聖書の言葉)


9 もう一度言います。だれであっても、あなたがたが受けた福音(キリストによる救いの知らせ)とは違うものを伝えるなら、神にのろわれるべきです。 10 おわかりでしょうが、私は、甘いことばやおせじで人の歓心を買おうとは思いません。ただ、神に喜ばれようとしているのです。もし私が、今なお人の歓心を買いたがっているとしたら、キリストに仕える者とは言えません。

Observation(観察)


パウロは歪んだ福音を伝える一派から離れるよう強く命じている。そのような人々は神の為では無く人からの歓心を受け取ろうとしているのだとしている。福音はある部分厳しさを伴う。そこを削って口当たりを良くしたものはもはや福音とは言えない。私たちが福音を伝えるとき、神の命じられた全てをきちんと伝えるべきなのだ。たとえば献金、たとえば同性愛に関すること、聖霊様に関すること。どれもショートカットしてはいけない。福音の全容を語らなくては受け取った人々の信仰もしっかりしたものにはならない。伝える事で疎んじられることもあるかもしれない、今風に言えばドン引きされることもあるだろう。けれども正しいことを正しく伝える事が私たちの使命なのだ。

Prayer(祈り)


イエス様、福音の素晴らしさも厳しさも正しく伝える事が出来ますように。妥協したクリスチャンを育成することがありませんように。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。