賛美を選択する(詩編42:1-5)

Scripture(聖書の言葉)


1ああ神よ。鹿が水をあえぎ求めるように、
私はあなたを慕い求めます。
2 焼けつくような渇きを覚えながら、
私は、生きておられる神を求めています。
どこへ行けば、お目にかかれるのでしょうか。
3 昼も夜も涙にむせびながら、
神の助けを祈っています。
かたわらでは敵が、
「おまえの神はどこへ行った」とあざけるのです。
4-5 さあ、私のたましいよ、元気を出せ。
あの日のことを思い出すのだ。
まさか忘れてはいないだろう。
あの祭りの日、多くの人の先頭に立って神の宮に上り、
喜びに満たされて賛美の歌を歌ったことを。
どうしてそのように沈み込む必要があるのか。
どうして悲しげにふさぎ込んでいるのか。
神に望みを託すがよい。
そうだ、助けを信じて、
もう一度神をほめたたえよう。

Observation(観察)


クリスチャンが神を求めることは生き物が水を求めるのと同様に、あるいはそれ以上に切実なものだ。まして困難の中にあるとき、神への渇望は命がけのものとなる。嘆き悲しんでいた著者は、自らを鼓舞し神を賛美することを選んだ。賛美は気分で行うものでは無く神の介入を信じる覚悟の表明なのだ。心を奮い立てて、命がけで神を讃えよう。

Prayer(祈り)


イエス様、がっかりして賛美する気持ちになれないことも度々あります。けれども気がつくと歌っていることもしばしばです。私のこわばった唇を動かしてくださり感謝します。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。

主の勇士(士師6:12-14)

Scripture(聖書の言葉)


12 主の使いはギデオンの前に立ち、「勇士よ、主はあなたとともにおられる」と告げました。

13 ギデオンは答えました。「初めてお目にかかりますが、どうか教えてくれませんか。主が共におられるのなら、なぜ、こんなことが次から次へと起こるのですか。先祖から聞かされました。主がエジプトから導き出してくださった時には、驚くべきみわざがたくさん行われたと。なのに、今はどうです。そんなみわざのかけらもないではありませんか。もう主は私たちを見捨てて、ミデヤン人にしたい放題をさせ、踏みつけられるに任せておられるのです。」

14 すると主は、ギデオンに向かって言いました。「わたしがあなたを強くする。行きなさい。イスラエルをミデヤン人から救い出すのだ。わたしがあなたを遣わす。」

Observation(観察)


イスラエルは偶像礼拝の罪によりミデヤン人に抑圧されていた。そのような中でギデオンは神によってイスラエルを解放する士師として選ばれる。それと知らずギデオンは神の使いに対し、神の奇跡はもう起きず、イスラエルは見捨てられてしまったとなじるのであった。対して神は「わたしがあなたを遣わす。」と伝え神のわざが彼を通して行われる事を告げるのだった。

Application(適用)


今、神の奇跡について聞くことは多くはない。だからといって神が神で無くなったわけでは無い。神はいまも、神の民のために働くものを見つけようとされている。私たち一人一人が勇士として力強く神の為に働く決意を持とう。神はそれを祝福しギデオンの戦いのように奇跡を持って応じてくださる。

Prayer(祈り)


イエス様、ギデオンのように怯え神に文句を言うような私でしたが、神の福音を伝えようとするときに勇士のように大胆に変えて下さい。そして奇跡を持って共におられることをお示し下さい。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。

神のお姿をやがて見る(1コリント13:12)

Scripture(聖書の言葉)


12 同様に、今の私たちの神に対する知識や理解は、そまつな鏡にぼんやり映る姿のようなものです。しかし、やがていつかは、面と向かって神の完全な姿を見るのです。いま私が知っていることは、おぼろげで、ぼんやりしています。しかしその時には、いま神様が私の心を見通しておられるのと同じように、すべてがはっきりわかるでしょう。

Observation(観察)


ここは私の大好きな箇所で、なんども取り上げてしまう。私たちは今、不完全な状態であり、神の御心を完全に知ることが出来ない。また神がどのようなお方かも、全容を知ることが出来ない。まるで粗末な鏡に映る姿を見るようにしか、私たちは神を認識できない。しかし一方神は私たちの心を完全に見通しておられる。神は私たちを理解され、霊的、物質的な必要な全てを満たしてくださる。
天の御国に入るときいままでぼんやりとしか見えなかった神のお姿、み思いが完全に明らかになる。その日を楽しみに今日を生きよう。

Application(適用)


この30年間、神を理解しようと必死になってきた。しかし考えれば考えるほど、超越者である神のことは限定された存在である人間には理解する事は出来ない。ただ分かるのは神はこのような矮小な存在である私を未だ愛していて下さると言うことだ。なぜかは分からない。ただ神がそうしたいから、そうなのだ。

Prayer(祈り)


イエス様、あなたの贖いが無ければ私は神について、永遠について考えることも無かったでしょう。神を感じることもなく空しく生きていたことだろうと思います。あなたの恵みに感謝します。永遠への思いを下さりありがとうございます。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。

体の一部として生きる(1コリント12:12-16)

Scripture(聖書の言葉)


12 人体には多くの部分がありますが、その各部分が結び合わされて、一つの体が成り立っています。キリストの体についても同じことが言えます。 13 私たちはそれぞれ、キリストの体の一部です。ある者はユダヤ人、ある者は外国人、ある者は奴隷、ある者は自由人です。しかし聖霊は、私たちをみな結び合わせて、一体としてくださいました。私たちは、ただひとりの聖霊によって、キリストの体に結び合わされるバプテスマ(洗礼)を受け、みな同じ神の霊を与えられているのです。 14 確かに、体はただ一つの部分からではなく、多くの部分から成り立っています。 15 たとえ足が、「私は手ではないから、体の一部ではない」と言いはったところで、体の一部でなくなるわけではありません。 16 また、もし耳が、「私は耳で、目ではないから、体の一部ではない」などと言っても、耳が体から離れることができますか。

Observation(観察)


教会は様々な賜物を持つ人、様々な役割を持つ人によって出来ている。一人一人の出自や背景は異なっても、神が一つの教会に集め、キリストの体を構成するように私たちを組み入れてくださったのだ。教会が一つの生き物として機能するためには同じ神の霊によって導かれなければならない。弱い私たちが離ればなれにならないためには、同じ御霊によって導かれるように願い求めなければならない。

Application(適用)


教会には華々しい働きをする人も居る。私は時としてそれをうらやましく思い、自分の賜物の無さに悔しさを覚えることもしばしばあり、自分が教会にとって邪魔者なのではないかとすら思った。これは「私は手ではないから、体の一部ではない」という喩えと同じ事だ。たとえ目立たなくても、賞賛を得られることがなくても、自分が教会にとって必要不可欠なものと理解し、誠実に働きにつこう。

Prayer(祈り)


イエス様、教会の一部として生きることを選びます。迷うとき今日の御言葉を思い出させてください。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。

神の栄光のために行動する(1コリント10:31)

Scripture(聖書の言葉)


31 しかし、食べるにも、飲むにも、何をするにも、ただ神の栄光を現すためにしなさい。 32 相手がユダヤ人であれ、外国人であれ、教会であれ、だれもつまずかせてはいけません。 33 これは私の生活の原則でもあり、何をするにも、私はすべての人に喜んでもらおうと努めています。だから、自分のしたいことや、つごうの良いことをするのでなく、人々が救われるのに最善のことをするのです。

Observation(観察)


市場で売られている、あるいはご馳走された肉に関してパウロはそれが偶像に献げられたものかどうかを尋ねること無く食べるように薦めている。しかし敢えてそれについて説明する人が居るなら、その人の良心のために、適切に対処するようにも薦めている。このような行動は、自分の行動の見た目上の一貫性よりも、他の人の救いのためにすべてをフォーカスしての行動だ。だれもつまずかせず、すこしでもイエス様に皆が近づけるように、最大限の知恵と配慮を持ってパウロは行動している。

Application(適用)


わたしはどうだろうか、と考えるときに、自分のこだわりの強さが人々の躓きになっていてはいないかと考える。どのような言動にも人々の救いのため、という一貫した理念をもとに行動すべきだ。しかし一朝一夕で身につくものでは無い。やはり内面の変革が必要だ、きょうも聖書を読み、祈り黙想し、神に一歩でも近づいて歩けるよう励んでゆこう。

Prayer(祈り)


イエス様、よかれと思った言動が思いがけず誰かの躓きになっていたのかもしれません。深い考えなく行動してしまい申し訳ありません。何をするにしても神の為、そして目の前にいる人のために最大限の知恵を持って行うことが出来ますように。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。

福音の報酬(1コリント9:16-17)

Scripture(聖書の言葉)


16 それというのも、福音を宣べ伝えても、別に私の名誉にはならないからです。たとえやめたいと思っても、やめるわけにはいきません。当然、果たすべきこの任務をもしやめたら、全くみじめなことになります。福音を宣べ伝えなかったら、私は災いに会います。 17 もし、自分から進んでこの務めを引き受けたのであれば、主は私に特別な報酬を下さるでしょう。しかし、そうではなかったのです。神様が私を選び出して、この聖なる任務につかせてくださったのであって、選ぶ自由などなかったのです。

Observation(観察)


「福音を宣べ伝えなかったら、私は災いに会います。」とパウロは明言している。それは神からの召命であるが故である。「神様が私を選び出して、この聖なる任務につかせてくださったのであって、選ぶ自由などなかったのです。」ともある。神自らがパウロを選んで、異邦人への伝道のために召し上げた。この働きの対する報酬は救われた人々そのものである。
現代に住む私たちは、どのような働きにも待遇と対価を先ず確認する。しかし福音伝道という働きは全く趣を異にしている。私たちは報酬や立場の為に働くのでは無く、救いの伝達そのものが目的であり報酬なのだ。

Prayer(祈り)


イエス様、伝道の働きに就きたいです。人間的な特性が足りないことは承知しています。それでもこの30年間、思いは変わりません、伝えるべき人に遣わして下さい。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。

愛と配慮(1コリント8:1-3)

Scripture(聖書の言葉)


1次に、偶像に供えられた物を食べることはどうか、という質問に答えましょう。この件については、だれもが自分の判断は正しいと思っています。しかし、自分の知識がどんなに重要に思えても、教会を建て上げるためにほんとうに必要なのは愛です。 2 もし、自分はどんな問題にも答えられると思い上がっている人がいたなら、それは、自らの無知をさらけ出しているにすぎません。 3 しかし、ほんとうに神を愛している人は、神に知られているのです。

Observation(観察)


初期の教会において、偶像にささげられた肉をどう扱うかについて度々議論になっていた。さまざまな意見があり「この件については、だれもが自分の判断は正しいと思っています。」とあるとおり諸子百家の様相を呈していた。現代においても一つの出来事にも様々な解釈があり、情報過多な時代において消化不良を起こすような思いになってしまう。このような混乱が教会にも起きないために、パウロは「教会を建て上げるためにほんとうに必要なのは愛です」と警鐘を鳴らしている。後節では「13 ですから、もし偶像に供えた肉を食べることで兄弟をつまずかせるなら、私は一生それを食べません。」とも述べている。教会の兄弟を自分の強い主張で躓かせることはいとも簡単に起きてしまう。それを避け、教会を建てあげるには「愛による配慮」が必要だ。

Application(適用)


私は時折、話に夢中にある余りに自説を盛り込んでしまう傾向がある。それによってこれまで誰かを躓かせていたとすれば、本当に悔い改めなければならない。相手の意見や立場に配慮して励ます人になりたい。

Prayer(祈り)


イエス様、自分よりも相手を立て、助け励ます人となれますように。自分の考えに固執しすぎないように助けて下さい。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。

占領すべき地(ヨシュア13:1)

Scripture(聖書の言葉)


1 老人となったヨシュアに、主は声をかけました。「あなたは年老いたが、まだまだ占領しなければならない国が多くある。

Observation(観察)


晩年のヨシュアに神はまだ役割があることを告げられた。旧約聖書のモーセの記述に対して、ヨシュアの記述はとても少ない。モーセ五書は民の反抗の記録の様相を呈していたが、ヨシュア記はほぼ淡々とカナンの地の征服が記録され続けている。モーセによってようやく整えられた民が、後を継いだヨシュアのリーダーシップによって、ついに約束の地の獲得に至ったのであろう。

Application(適用)


さて、ヨシュアに神はまだまだ占領すべき地があることを告げられたが、私にとって占領すべき地とはどこだろう。それは私の中の思いの領域であるように感じる。私の中にはいまだ罪を生み出そうとする欲求がある。それを治めることは生涯のテーマだ。もう十分だという慢心を捨てて、生涯謙遜に神に従う生き方を続けよう。

Prayer(祈り)


イエス様、ヨシュアに言われたように私には占領すべき心の領域があります。謙遜になって自分と向き合い、時に戦うことが出来ますように。ヨシュアが主にあって戦いに勝てたように、私にも勝利を下さい。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。

自由と節制(1コリント6:12-13)

Scripture(聖書の言葉)


12 キリストが禁じておられること以外、私には、何でもする自由があります。しかしその中には、自分のためにならないこともあります。たとえ、してよいことであっても、それに捕らえられたら最後、やめようとしても簡単にやめられないことには手を出しません。

13 食べることについて考えてみましょう。神様は、物を食べるために食欲を与え、消化するために胃を備えてくださいました。だからといって、必要以上に食べてよいということにはなりません。食べることが第一だなどと考えてはいけません。なぜなら、いつの日か神様は、胃も食べ物も取り上げられるからです。

Observation(観察)


パウロは自分に与えられた自由を好きなように行使するよりも、自制することを選んだ。食べることをパウロは例に挙げている。食べることは神に与えられている自由だが、食べ過ぎることで体を壊すことは正しいことでは無い。また食欲を満たすことを神を愛することよりも優先してはならないと述べている。
与えられている中で、自由を節度をもって、優先順位を正しく用いることが重要だ。優先順位が壊れてしまうと私のように物欲にまみれて人生が破綻しかけてしまう。神以上に優先すべき方、優先すべき事は無い。

Prayer(祈り)


イエス様、あなたの贖いによって罪からの自由が与えられていることを感謝します。私が二度とこの自由をはき違えることがありませんように。節度をもってあなたの与えてくださる物事を楽しみ、あなたに栄光をお返しできますように。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。

この世で生きる意味(1コリント5:9-11)

Scripture(聖書の言葉)


9 私は以前、あなたがたに手紙で、不品行な者たちと交際しないように書き送りました。 10 しかしそれは、信者でない人で性的な罪を犯している者、強欲な者、どろぼう、偶像を拝む者とは口もきくな、という意味ではありません。そのような人たちから離れていようとすれば、この世から出て行かなければならないからです。 11 私がほんとうに意図したところは、自分はクリスチャンだと公言している者で、しかも性的な罪にふける者、貪欲な者、人をだます者、偶像を拝む者、酒に酔う者、人をそしる者とはつき合うな、ということです。そのような者とは、いっしょに食事をすることもいけません。

Observation(観察)


この世は悪と不品行で満ちている。あらゆるメディアは罪の道へ行く事をそそのかし、そのような状況に陥った人を見ることも多い。パウロはそのような人々から自分を隔絶しろとは言っていない。
(ただし、クリスチャンであることを公言しながら罪を犯し続ける二枚舌の人とは関わるなと警告している。)
この世に生きる限り罪の中にいる人との関わりは避けられない。問題なのはそのような環境の中でクリスチャンとして如何に生きるかと言うことだ。罪に呑まれて世の人と変わらない生き方をするか、あるいは違いを表してキリストを証するのか。選択肢は私の前にある。イエス様に倣う生き方を選ぼう。

Application(適用)


私には貪欲の罪があった。貪欲は傲慢を呼び寄せる。気がつくと自分が何か大層な者であるかの様に錯覚していた。ここから抜け出すのには多大な犠牲が必要だった。けれども自分の弱さを知ることが出来たのは感謝すべき事と思っている。

Prayer(祈り)


イエス様、この世で生きることの目的を教えてくださり感謝します。弱いものですが、あなたの助けを得て、光として、塩として生きてゆくことを願います。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。