献げるために(2コリント9:10)

Scripture(聖書の言葉)


10 農夫にまく種を与え、そのあと収穫物を与えてくださる神様は、あなたがたにもまく種を備え、それをふやして、あなたがたに義の収穫の実をもっと与えることができるのです。

Observation(観察)


献金の勧めについてパウロは農夫のたとえをしている。蒔くための種も、結果としての収穫も、どちらも神が与えてくださると言う物だ。献金においても、神は私たちが献げるべき収入も備えてくださり、献金の結果としての義の収穫の実、すなわち全人格的なキリスト者としての成長を与えてくださるのだ。
献げるための必要は主から与えられる。恐れを持たずに献げよう。

Prayer(祈り)


イエス様、献げることも神様が与えてくださるから出来ることを感謝します。恐れず喜んでお献げ出来ますように。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。

神の臨在を大切に扱う(1サムエル5:1-6)

Scripture(聖書の言葉)


1-2 ペリシテ人は奪い取った神の箱を、エベン・エゼルの戦場からアシュドデの町へ移し、偶像ダゴンの宮に運び込みました。 3 ところが翌朝、人々が見物に来ると、なんということでしょう。ダゴンが神の箱の前で、うつぶせに倒れているではありませんか。人々はあわてて元どおりに安置しました。 4 ところが、次の日も同じことが起こったのです。ダゴンの像は神の箱の前にうつぶせに倒れ、しかも今度は胴体だけで、頭と両手は切り取られて敷居のあたりに散らばっていました。 5 そういうわけで、ダゴンの祭司も参拝者も、今日に至るまで、アシュドデにあるダゴンの宮の敷居を踏んだことがありません。

6 さらに主は、アシュドデと周囲の村々の住民を腫物で打ち始めました。

Observation(観察)


ユダヤ人から神の箱を奪い取ったペリシテ人はその箱を偶像の宮に運び入れた。神の力か、天使によるものか、そこにあった偶像は倒された。さらに近隣の人々を腫物で苦しめた。
神の臨在をいい加減に扱ってはいけない。モーセ五書には神の箱を如何に慎重に扱うべきか繰り返し述べられている。

Application(適用)


私は神の臨在をどこまで大事にしているだろう。そもそも臨在を真剣に求めているだろうか。私の神への畏れは真実だろうか。なんとなく礼拝に出て、おしゃべりして帰るだけで満足しているならば、クリスチャンとして大事なことを見失ってしまっている事になる。今からでも間に合う。神を求めよう。

Prayer(祈り)


イエス様、神様に真剣に向かっていなかったことを悔い改めます。神の臨在を真実に求めます。教会でも家庭でもあなたの現れを期待します。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。

神から来る悲しみ(2コリント7:10)

Scripture(聖書の言葉)


10 神様は時々、罪を断ち切り、永遠のいのちを求めさせるために、私たちに悲しみを与えます。そのような悲しみを嘆いてはなりません。しかし、この世の人の悲しみは、真の悔い改めに導く悲しみではないので、永遠の死を食い止める力がありません。

Observation(観察)


人生の喜びや悲しみよりも神を求めることはより重要だ。時として神は悲しみをも用いて神に立ち返る機会としてくださる。一方、神から出ていないこの世の悲しみについて、パウロは「真の悔い改めに導く悲しみでは無い」と述べている。神から出た悔い改めの機会としての悲しみと、信仰によって打ち勝つべきこの世の悲しみがあると言うことだ。この二つの違いをしっかりと祈り見極めたい。

Prayer(祈り)


イエス様、この世の悲しみに飲み込まれそうなときも多くあります。そのような事柄よりも悔い改めに導かれる悲しみに心を寄せたいです。神に近づかなかった事を悔やみ、立ち返って神を求めますように。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。

主への忠誠によって承認欲求に勝つ(2コリント6:8-10)

Scripture(聖書の言葉)


8 人に尊敬されようと軽蔑されようと、あるいは非難されようと賞賛されようと、主への忠誠に変わりはありません。人からはうそつきと呼ばれようと、私たちは正直です。 9 この世から無視されても、私たちは神に認められています。死に直面しながらも、このとおり生きています。傷つけられたこともありますが、死を免れてきました。 10 心に痛みがありますが、同時に主の喜びも持っています。貧しいように見えても、霊的に多くの人を富ませています。何も持っていなくても、あらゆるものに満たされています。

Observation(観察)


パウロは人々からの評判の善し悪しにかかわらず神への忠誠は変わらないと述べている。彼の受けた困難の全てが彼の忠誠を証ししている。

Application(適用)


私は出生と生育環境ののせいか、人からの評価を非常に気にする様になってしまった。正直な所、この歳になっても絶えず人からの賞賛を求める気持ちがある。自らの努力を全く怠っているのにかかわらずだ。このような生き方では無く、パウロに倣い、まず神への忠誠を尽くすこと、それによってこの世のことはどうでも良くなり、確信を持って生きられるようになる筈だ。残る人生を持って、このパウロの告白が私のものとなるように慕い。

Prayer(祈り)


イエス様、この世からの評価ばかりを求めて失敗してきました。「主への忠誠」、この言葉を握りしめて最優先に生きてゆきたいです。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。

新しいからだ(2コリント1-5)

Scripture(聖書の言葉)


1私たちがいま住んでいる地上の家が取りこわされても〔すなわち、私たちが死んでこの肉体を離れても〕、天には新しい体、永遠に保証された家があります。それは、人の手ではなく、神の手でつくられた家です。 2 今のこの体は傷み衰えていますが、天で与えられる体を新しい着物のようにまとえる日を、首を長くして待っているのです。 3 それを着れば、体のない霊だけの状態でいることはないからです。 4 この地上の体のために嘆きやうめきがありますが、だからといって、死んで、体のない状態になりたいとは思いません。その新しい体を着たいと願うばかりです。そうすれば、この死ぬべき体が、永遠のいのちにのみ込まれてしまうからです。 5 これこそ、神様が私たちのために用意してくださったことであり、その保証として、御霊を遣わしてくださったのです。

Observation(観察)


クリスチャンの死後は、「新しいからだ」が与えられるとパウロは述べている。また「 それを着れば、体のない霊だけの状態でいることはないからです。」ともあり、私たちが一般に持つ死後の世界=霊の世界という認識は正しくない事を知らされる。さらにこの新しい体の与えられる保証とは、聖霊様であるとも書かれている。

Application(適用)


死後の世界を極端に精神的な次元のみのものと理解するべきでは無い、復活されたイエス様は弟子達に触れ、食事を取られた。そしてそのままの姿で昇天され、天使達によれば、そのままのお姿で再臨されるとある。そう考えれば、イエス様に救われ続く者とされた私たちが同様の肉体を得ることは自然なことだ。救いによって霊が新しくされたのであれば、死によって肉体も新しくされるのだ。

Prayer(祈り)


イエス様、新しい体について、教えてくださって感謝します。やがての日に衰えた体を捨て、新しい体を着せられる時を期待し待ち望みます。地上で成すべき事を精一杯励みます。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。

仕え合う動機(2コリント4:5-6)

Scripture(聖書の言葉)


5 私たちは、自分のことを宣伝しているのではありません。主であるキリスト・イエスを宣べ伝えているのです。私たちはただ、イエスが私たちのために成し遂げてくださったことを知ったので、あなたがたに仕える者となっただけです。 6 「闇の中に光が輝け」(創世1・3)と言われた神様が、私たちに、イエス・キリストの御顔に輝いている、神の栄光の輝きを理解させてくださったからです。

Observation(観察)


パウロの困難な伝道の動機は、ただイエス様の福音を知り、神の栄光を見た事による。そして彼は「あなたがたに仕える者となった」とある。教会の中で互いに仕え合う動機は神を知り、その栄光を体験することに他ならない。人間的な努力では人は仕え合うことは難しい。努力家なら数年頑張れるかもしれない。しかし神無しでの奉仕には限界があるのだ。

Application(適用)


私は日々新しく神を体験したい。それなしでは一歩も奉仕できない状況に置かれている。神にお会いし、仕え合う新しい力が得られますように。

Prayer(祈り)


イエス様、福音を日々思い、人を愛する力が湧き上がりますように。私自身は空っぽであることを認めます。助けて下さい。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。

生きた推薦状(2コリント3:2-3)

Scripture(聖書の言葉)


2 私たちの推薦状は、あなたがた自身です。あなたがたの心の、そのすばらしい変わりようを見れば、だれにも、私たちの良い働きは一目瞭然です。 3 あなたがたそのものが、私たちが書いた「キリストからの手紙」であり、それはペンとインクではなく、生ける神の御霊によって書かれ、石の板にではなく、人の心に刻み込まれた手紙です。

Observation(観察)


パウロは、パウロ自身を立証する推薦状は私たちであると述べている。私たちの良い変化が彼の働きの正しさを物語るものと自信を持って書かれている。
また、私たちの心には御霊によって書かれた神の手紙が記されているという。これはパウロ自身の働きの証明でもあり福音そのものが心に刻まれていることを意味していると感じた。

Application(適用)


一方パウロの賞賛したような「そのすばらしい変わりよう」は私に起きているだろうか。神に近づこうとすればするほど、新たな自分の問題点が見つかり、がっかりすることを繰り返している。しかし見方を変えれば、問題点の発見によって日々謙遜を学んでいることが、神の栄光を表すことになるのかもしれない。なにか立派なことを言ったりすることは出来ないが、自分の弱さと助けてくれたキリストのことを証することは出来る。まだ自分に出来ることは残っているのだ。

Prayer(祈り)


イエス様、謙遜の道は自分の罪深さを知り続け、神の恵みの深さ、イエス様の贖いの素晴らしさを知り続ける道であると知りました。人に誉められたり、威張ったり出来るような者ではないことを感謝します。低くなって生きることの恵みを学びます。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。

キリストの香り(2コリント2:14-15)

Scripture(聖書の言葉)


14 しかし、神に感謝します。神様は、キリストの働きのゆえに、私たちを勝利の行進に加えてくださいました。今、神様は私たちを通して、キリストの福音の香りを放ってくださいます。 15 私たちの生活には、かぐわしい香りが漂っています。それは、私たちのうちにあるキリストの香りであって、救われる人々にも、滅びる人々にも、一つの香りなのです。

Observation(観察)


「 私たちの生活には、かぐわしい香りが漂っています。」とある。キリストを中心とした生活にキリストの香りが伴う。これはどのような香りなのだろうか、パウロは「キリストの福音の香り」と述べている。わたしたちがキリスト者として生きているか否かは、福音をどれだけ意識し、念頭に置いて生活するかなのだ。

Application(適用)


気がつくと、福音をこころのどこか奥の方に置いてしまっているときがある。ほかの雑多な考えに押し込まれて、福音が心の真ん中から遠く離れたところに言ってしまう。しかし感謝するべきは私たちには聖書というリマインダーがある。繰り返し聖書を読むことで福音が思い出され、再び心の中心に据えられる。

Prayer(祈り)


イエス様、何度も福音を見失ってしまいます。忙しさや、心配事に負けていました。今日福音を心の中心に据えることが出来て感謝します。私の生活を通してキリストの福音の香りが放たれますように。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。

神のものとなった証拠の印(2コリント1:22)

Scripture(聖書の言葉)


22 また、神のものとなった証拠の印を私たちに押し、私たちの心に御霊を遣わしてくださったのも神様です。御霊は、私たちが神のものであることの保証であり、また、神が下さる最初の贈り物です。

Observation(観察)


パウロは聖霊様を「私たちが神のものであることの保証」と述べている。聖霊様を受けることがどのようなことであるか、これは各教派で意見が分かれているが、私は聖書に書かれているとおりの事と受け取っている。すなわち、異言、預言を伴う神の霊の圧倒的な傾注である。また時に叶って適切な御言葉を想起させてくださるのも聖霊様のお働きであり、人間的な知恵を超えて神のみ思いを理解させてくださるのも聖霊様である。ほかにも信仰生活において聖霊様の働かれている領域は多岐にわたる。むしろ聖霊様無しに出来ることなどないのではないかと思う。ペンテコステに属さない人々に対しても聖霊様は変わらず働いている。願わくばこの方の存在を大きく捉えてほしい。

Prayer(祈り)


イエス様、聖霊様のお働きによって信仰は支えられてきました、これからも聖霊様に導かれて進んでゆきます。三位一体の真理を体験します。聖霊様の導きはあなた御自身の導きでもあります。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。

霊的な危険(1コリント16:14)

Scripture(聖書の言葉)


13 目を覚まして、霊的な危険に身構えていなさい。いつも主に忠実でありなさい。男らしく行動し、強くありなさい。 14 すべての点で、親切と愛から出た行動をとりなさい。

Observation(観察)


パウロのコリントの教会に宛てた手紙の結びの章である。「 目を覚まして、霊的な危険に身構えていなさい。」とある。私たちは霊的な危険、すなわち悪魔の攻撃に絶えず晒されていることを知らなければならない。危険は無い、と思った時が最も危険な状態なのだ。

Application(適用)


私のケースは実に巧妙な方法であった。転職、病気などの人生のイベントに巧妙に入り込み、神無しで生きるように、傲慢に生きるように仕向けられた(教会に毎週通っていても、である)。神から離れた人間は罪に対して本当にもろい。ほんの数年で人生は破壊されかけてしまった。ボロボロになってようやく神の元に返ってきて現在に至る。今この瞬間も悪魔は機会を狙っていることを忘れてはいけない。

Prayer(祈り)


イエス様、敵の策略に気付かなかった愚かさを赦してください。謙遜になって頭を低くして神に従います。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。