父なる神様(マタイ6:9)

Scripture(聖書の言葉)


9 ですから、こう祈りなさい。

『天におられるお父様。
あなたのきよい御名があがめられますように。

Observation(観察)


主の祈りの冒頭、祈りは神に呼びかけることから始まる。父なる神、と言う言葉は私にとって長い間実感の伴わない者であった。幼い頃に父を失ったことに原因があるのかもしれないが、父性というものに不信感を持ち続けていた。何もしてくれないのではないか、見捨てるのではないか、大事にしている物を奪うのではないだろうか・・いずれも私が経験したことだ。

イエス様が父なる神、と言われるとき、いつもイエス様にとっての父、あるいは三位一体の最上位としての「イエス様からの呼びかけ」に用いる呼称の様に思っていた。
しかし今日になってこの箇所の「お父様」という言葉が、イエス様が「父なる神」を「私の父」としてくださっている事に気がついた。まだまだギクシャクしているが父なる神を「お父様」と呼んでみたいと思う。

Prayer(祈り)


イエス様、あなたの十字架の目的は子を父の元に戻すことだと知りました。既に神様との間の隔ては取り去られていることを実感しました。神様に親しく近づこうと思います。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。

人を愛すること(マタイ5:43-48)

Scripture(聖書の言葉)

43 『隣人を愛し、敵を憎め』とは、よく言われることです。 44 しかし、わたしは言います。敵を愛し、迫害する人のために祈りなさい。 45 それこそ、天の父の子どもであるあなたがたに、ふさわしいことです。天の父は、悪人にも善人にも太陽の光を注ぎ、正しい人にも正しくない人にも分け隔てなく雨を降らせてくださいます。 46 自分を愛してくれる人だけを愛したからといって、取り立てて自慢できるでしょうか。悪人でも、そのくらいのことはしています。 47 気の合う友達とだけ親しくしたところで、ほかの人とどこが違うと言えるでしょう。神を信じなくても、そのくらいのことはだれでもします。 48 ですから、あなたがたは、天の父が完全であるように完全でありなさい。

Observation(観察)

山上の垂訓で、イエス様は隣人を愛する事について教えられた。愛すべき隣人とは、むしろ自分を愛してくれない人、さらには敵対する人であると言うことだ。正直困難さを覚える。善人の振りをして表面だけで愛している風を装うことは簡単だ。しかしイエス様の求めていることは違う。仲間同士で仲良くしている人に対して「神を信じなくても、そのくらいのことはだれでもします。 」と断じている。神を信じることが愛せない隣人を愛する事ができる秘訣なのだろうか。全能の神は頑なな私の心を変えることができるお方だ。自分の弱さを素直に認め、神に従おう。

Prayer(祈り)

イエス様、聖書に正直に向き合おうとすると自分の弱さに直面します。神様にしか私を変えることは出来ません。私の思いと行動を変えて下さり、イエス様の教えられたことを実践出来ますように。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。

イエス様のいやし(マタイ4:23-25)

Scripture(聖書の言葉)


23 イエスはガリラヤ中を旅して、ユダヤ人の会堂で教え、あらゆる場所で福音(イエス・キリストによる救いの知らせ)を宣べ伝え、さらに、あらゆる病気や苦しみをいやされました。 24 このイエスの奇跡の評判は、ガリラヤの外にまで広がったので、シリヤのような遠方からも、人々は病人を連れてやって来ました。悪霊につかれた人、てんかんの人、中風(脳の出血などによる半身不随、手足のまひ等の症状)の人など、その病気や苦しみがどのようなものであろうと、一人残らず治るのです。 25 こうして、イエスがどこに行かれても、たいへんな数の群衆があとをついて行きました。

Observation(観察)


イエス様の福音宣教と癒しの働きは不可分であった。あらゆる病気、患いを一人残らずいやされた働きは、医療の発達していない当時の人々にとって、どれほど大きな希望だっただろう。癒しの働きは、福音と神の国の訪れを担保するものであった。いやされた人々、いやしを目撃した人々は福音を信じ、イエス様について行く人々になった。

Application(適用)


6年前、頸髄症の手術を受け、半身不随の危機から守られたが、後遺症で不完全頸髄損傷となり、左手の痛みに苦しめられた。長く辛い時期を過ごしたが、今年になって、ふと気付くと痛みは消えていた。神はいやしの働きを続けておられる。時には何年もかかることがあっても、神を信じよう。

Prayer(祈り)


イエス様、いやしを感謝します。左手のことを書きましたが、他にも回復した病気は沢山有ります。その一つ一つに神のみこころがあり、必要なプロセスを経て、癒しが行われたと信じます。いやしていただきたい病は他にもありますが、イエス様が気にかけてくださっていることを感謝します。みこころに叶うようにして下さい。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。

悔い改めにふさわしい実(マタイ3:7-9)

Scripture(聖書の言葉)


7 ところが、パリサイ派(特に律法を守ることに熱心なユダヤ教の一派)やサドカイ派(神殿を支配していた祭司階級。ユダヤ教の主流派)の人々が大ぜい、バプテスマを受けに来たのを見て、ヨハネは彼らをきびしく責めました。「まむしの子たち! だれがおまえたちに、もうすぐ来る神のさばきから逃れられると言ったのか。 8 バプテスマを受ける前に、悔い改めにふさわしいことをしなさい。 9 『私はユダヤ人だから、アブラハムの子孫だから大丈夫』などと思ってはいけない。そんなことは何の役にも立たない。神はこんな石ころからでも、今すぐアブラハムの子孫をお造りになれるのだ。

Observation(観察)


立場のあるパリサイ派やサドカイ派の人々がバプテスマのヨハネの元で洗礼を受けようとしたのは何故だったのか。「悔い改めたきよい者です」と人々にアピールしたかったのかもしれない。あるいは預言者として人々に尊敬されていたヨハネからの認証を得たかったのかもしれない。いずれにせよ彼らの動機は神では無く人であった。ヨハネは「バプテスマを受ける前に、悔い改めにふさわしいことをしなさい。 」と彼らを非難した。彼らの悔い改めには内面の変化が伴わず、行動という実に表れることも無かった。

Application(適用)


私はどうだろう。人々に自分を信仰的と見せたいという欲求が膨らんでいないだろうか。人に評価されたり誉められたりするための行動になってはいないだろうか。親密な神との関係には第三者が入り込む余地はないはずだ。もっと密接に神に付くものとなりたい。

Prayer(祈り)


イエス様、私の行動原理について探られました。人の歓心を得ようと一生懸命になっていたように思います。同じ事をするにしても神への愛によって行いたいです。私を変えて下さい。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。

神のご計画だけが成る(1サムエル17:46-51)

Scripture(聖書の言葉)


すべての国々は、イスラエルに神様がおられることを知るのだ。 47 そしてイスラエルは、主が武器に頼らずにご計画を実現なさるということ、神様のなさることは人間の企てとは無関係だということを学ぶのだ。主はおまえたちを、私たちの手に渡してくださる。」

48-49 近づいて来るゴリヤテめがけて、ダビデは駆け寄りました。そして、袋から石を一つ取り出すと、石投げでビュンとそれを放ちました。石はゴリヤテの額にみごと命中し、額に食い込み、ゴリヤテの巨体は揺らいで、うつぶせに倒れました。

50-51 ダビデは石投げと石一つで、このペリシテ人の大男をしとめたのです。

Observation(観察)


ダビデによる巨人ゴリヤテに対する宣戦布告だ。この中にはこの戦いを通して神がイスラエルに何を教えるのかについて述べている。「47 そしてイスラエルは、主が武器に頼らずにご計画を実現なさるということ、神様のなさることは人間の企てとは無関係だということを学ぶのだ。」とある。人間は様々なことを心配し、その対策をあれこれ企画する。しかしそれは神のご計画の大きさには遠く及ばない。私は心配するのを止め、神にお任せする習慣を持ちたい。

Prayer(祈り)


イエス様、私は絶えず心配し、あれこれ準備しますが、神にお任せする方が確かで安心だと学びました。心配するのが癖になっているようにも思います。困難なときほど神に祈り期待するものにして下さい。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。

心を見られる神(1サムエル16:6-7)

Scripture(聖書の言葉)


6 彼らが来た時、サムエルはそのうちの一人、エリアブをひと目見るなり、「この人こそ、主がお選びになった人に違いない」と思いました。 7 しかし、主は言いました。「容貌や背の高さで判断してはいけない。彼ではない。わたしの選び方は、あなたの選び方とは違う。人は外見によって判断するが、わたしは心と思いを見るからだ。」

Observation(観察)


サウル王に代わり、エッサイの子を新しく油注ぐように神に命じられたサムエルは、エッサイの子達を見て、どの子か判別しようとする。長男エリアブを見たサムエルに対し、神は見た目では判断しないのだとサムエルに言われた。

Application(適用)


神は外見では無く心と思いを見られる。世の中には見た目が優れた人、能力の高い人が沢山居て、時にはコンプレックスに襲われることもある。けれども神は思いをみられる。私の思いはどうなっているだろうか。神の喜ばれる心で居るだろうか。人を羨み妬む思いにいっぱいになってはいないだろうか。
自らを飾り背伸びすることを止め、神の喜ばれる心と思いとで居続けることに集中したい。

Prayer(祈り)


イエス様、私たちを救うために貧しくなられ、見た目の麗しさ全てを捨てられ御心に従われたあなたに倣うものとなりたいです。見た目の優劣に慢心したり落ち込んだりすることを止め、神にのみ興味を持つものとさせてください。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。

ヤベツ(1歴代誌4:10)

Scripture(聖書の言葉)

9 ヤベツは兄弟の中で最も重んじられていました。母が彼をヤベツ(「苦しみ」の意)と名づけたのは、出産の時にたいへんな苦しみを味わったからです。

10 ヤベツはイスラエルの神に祈りました。「どうか、私を大いに祝福し、私の働きを助けてください。私が行うすべてのことに御手を添えてください。すべての悪と災いからお守りください。」神はその願いをかなえてくださいました。

Observation(観察)

「ヤベツの祈り」としてよく知られている箇所だ。ヤベツは「苦しみ」という意味の名前を母に与えられた。人生の困難を暗示させるような命名である。しかしヤベツは大胆に主に願った。別の訳では「私の地境を広げてくださいますように。」と書かれている。「地境を移してはならない」と律法にあるにも関わらずである。ヤベツの一族の祝福は与えられた地では足りないほどに増え広がった。そしてヤベツにはこのような願いすらできる神との親密さがあったのだ。

Application(適用)

人生の痛みの経験を繰り返すうち、大胆に求めることを恐れ、自分をルールで縛り消極的になってしまった。ヤベツの祈りについて真剣に調べたのは初めてだ。彼の大胆さに倣い、私も神に大いに求めて行こう。

Prayer(祈り)

イエス様、小さくまとまってしまおうと思っていましたがヤベツの祈りを見て心が新しくなりました。大胆に祝福を求めて行きます「神はその願いをかなえてくださいました。」とあります。私の願いをも聞いて応えてください。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。

弱いときに強い(2コリント12:8-10)

Scripture(聖書の言葉)


8 私は、もとどおりに回復させてくださいと、三度も神にお願いしました。 9 そのつど返ってくる答えは、こうでした。「いや、治すまい。しかし、わたしはあなたと共にいる。それで十分ではないか。わたしの力は弱い人にこそ、最もよく現れるのだから。」だから今では、私は自分の弱さを喜んで誇ります。自分の力や才能を見せびらかすためではなく、喜んでキリストの証人になりたいからです。 10 すべてはキリストのためであることを知っているので、その「とげ」も、侮辱も、苦しみも、迫害も、困難も、大いに喜んでいます。なぜなら、弱い時にこそ、私は強いからです。――無力であればあるほど、それだけ、キリストによりすがるようになるからです。

Observation(観察)


パウロに与えられた「とげ」についてパウロの癒しの願いに対する神の回答は「いや、治すまい。しかし、わたしはあなたと共にいる。それで十分ではないか。わたしの力は弱い人にこそ、最もよく現れるのだから。」出会った。パウロの力強い働きは彼の弱さを神がおおい、パウロの人としての力よりも神の表れが強く働かれた故であった。とげばかりでは無く、彼の通った全ての困難、苦しみを通しても、神はパウロを通して働かれたのだ。

Application(適用)


自分の弱さは自分の影のように離れて行く事は無い。ならばいっそ影から逃げようとするような絶望的な試行錯誤を止め、パウロのように、その弱さを通して神が働いてくれるように願いたい。

Prayer(祈り)


イエス様、自分の弱さに向き合うほど、それは自分の一部であってこの世に居る限り切り離すことは出来ない事が分かりました。神はこの弱さを通しても働いてくださると信じます。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。

弱さを誇る(2コリント11:30-31)

Scripture(聖書の言葉)


“もし誇る必要があるなら、私は自分の弱さのことを誇ります。
主イエスの父である神、とこしえにほめたたえられる方は、私が偽りを言っていないことをご存じです。”
コリント人への手紙 第二 11章30~31節
聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会

Observation(観察)


パウロは「自分の弱さを誇ります」と述べている。続く12章では「わたしの恵みはあなたに十分である。わたしの力は弱さのうちに完全に現れるからである」と続いている。人間的な限界をしり、弱さを自覚し神に委ねたときに初めて神の力は現れるのだ。あたかも器が堅固なままでは内側の灯りが照らさないように、自分の殻が砕かれ、弱くなったときに初めて神の栄光が現れるのだ。

Application(適用)


人生を通して自分の弱さを嫌というほど経験してきた。砕かれてきた、などとは全く言えないが、神が今もこの頑なな私を揺さぶり続けていて下さる事を嬉しく思い、感謝したい。

Prayer(祈り)


イエス様、脆い割に強情な器である私を今も見捨てず関わってくださり感謝します。救いは完了していると同時に進行形のプロセスであり、続いて行く事を思います。日々造り変えて下さい。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。

人を建て上げるための権威(2コリント10:7-8)

Scripture(聖書の言葉)


“あなたがたは、うわべのことだけを見ています。もし自分はキリストに属する者だと確信している人がいるなら、その人は、自分がキリストに属しているように、私たちもキリストに属しているということを、もう一度よく考えなさい。
あなたがたを倒すためにではなく、建てるために主が私たちに与えてくださった権威について、私が多少誇り過ぎることがあっても、恥とはならないでしょう。”
コリント人への手紙 第二 10章7~8節
聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会

Observation(観察)


パウロの持っているキリストの権威は人を倒すためではなく建てるためのものであると述べている。教会における諸問題に対応するためには、時に厳しい処置が必要になることもあるのだろう。しかしあらゆる処置はその人を駄目にするためでは無くその人を建てあげるために行われる。イエス様は私たちを御自身の似姿に至るまで育ててくださるために、教会の指導者に霊的権威を授けられた。

Prayer(祈り)


イエス様、教会が一つの人となって成長してゆく為に建てられた権威に感謝します。建てられたリーダーシップがますます祝福されますように。群れの私たちがリーダーシップの背後にある神のご意志を理解し、従う事が出来ますように。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。