機会を逃さない(使徒3:12-15)

Scripture(聖書の言葉)


12 絶好の機会です。ペテロはすかさず話し始めました。「皆さん。どうして、そんなに驚くのですか? なぜ、私たちが自分の力や信仰深さによって、この人を歩かせたかのように、私たちを見つめるのですか。 13 この奇跡は、アブラハム、イサク、ヤコブの神様、つまり私たちの先祖の神様が、そのしもべイエスに栄光を与えるためになさったことです。その方を、あなたがたはピラトの面前で、はっきりと拒否しました。ピラトがあれほど釈放しようとしたにもかかわらず。 14 このきよく正しい方を自由にしようと考えるどころか、反対に人殺しの男を釈放しろと要求したのです。 15 こうして、とうとう、いのちの源である方を殺してしまいました。しかし神様は、この方を復活させてくださいました。

Observation(観察)


美しの門での足萎えの男のいやしをみて、多くの人々が殺到した。ペテロはこのチャンスを逃さなかった。あらゆる機会を用いて福音を証する姿勢を私たちは学ばなければならない。まるで柔道の寝技の達人の様に、あらゆる状況から自身の得意な状況に持ち込んでゆく。そのためにはいつも福音に触れ続けることが必要だ。金太郎飴のように、どこを切っても福音が出てくるような私になりたい。

Prayer(祈り)


イエス様、あらゆる機会を用いて福音を証しする者になりたいです。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。

救いと聖霊様(使徒2:37-39)

Scripture(聖書の言葉)


37 ペテロのことばは、人々の心を強く打ちました。「それでは、私たちはどうすればいいのでしょう。」あちらからもこちらからも、使徒たちへの質問の声があがりました。

38 ペテロは答えました。「一人一人、罪の生活から悔い改めて神に立ち返りなさい。そして、罪を赦していただくために、イエス・キリストの名によってバプテスマ(洗礼)を受けなさい。そうすれば、聖霊という賜物をいただけます。 39 それはキリストが約束してくださったことです。あなたがたは言うまでもなく、あなたがたの子孫、また遠くにいても、私たちの神である主がお招きになったすべての人に与えられるのです。」

Observation(観察)


ペテロの説教は単純明快であった。罪から離れ、洗礼を受ける、と言う物だ。ここで重要なのは救いを受けることと聖霊様を受けることがほぼ同義で語られていることだ。聖霊のバプテスマは必ずしも異言を伴うものでは無いが、何らかの聖霊様による感動、変化、聖書理解が救いの時にもたらされることは間違いない。

Application(適用)


私が聖霊のバプテスマを受けたのは救われてから半年くらい経ってからと覚えている。当時の私は真剣に聖霊様を渇望していた。今の私はどうだろう。おなじ渇きを持っているだろうか。当時の私に立ち戻りたい。

Prayer(祈り)


イエス様、聖霊様を受けていながらもいい加減に過ごしていることを赦してください。神が内におられるということの重大さをよく認識してあなたにお仕えできますように。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。

イエス様とともに働く(使徒1:8-11)

Scripture(聖書の言葉)


8 しかし、聖霊があなたがたに下る時、あなたがたは大きな力を受け、エルサレムからユダヤ全土、そしてサマリヤから地の果てまで、わたしの死と復活を伝える証人となります。」

9 こうお答えになると、イエスは、見守る使徒たちの目の前で天に上げられ、たちまち雲の中に姿を消されました。 10 彼らがなおも目をこらして見上げていると、突然、白い衣を着た人が二人、そばに立って言いました。

11 「ガリラヤの人たちよ。なぜ空ばかり見上げているのですか。イエスは天にのぼりましたが、いつかまた、今と同じようにして地上へ帰って来られるのです。」

Observation(観察)


イエス様が天に上げられた後、弟子達は空を見上げていた。それは絶望であったか、希望であった、悲しみであったかは分からない。しかし天使は弟子達を励ました。「ガリラヤの人たちよ。なぜ空ばかり見上げているのですか。イエスは天にのぼりましたが、いつかまた、今と同じようにして地上へ帰って来られるのです。」これまでのイエス様の約束は違うことはなかった様に、やがて再臨なさるという約束も必ず果たされるのだ。

Application(適用)


イエス様の働きはその始まりから現在に至るまでダイナミックなものだ。御自身が「昨日も今日も進んでゆきます」と言われたとおりだ。だから墓をみて留まったり、天をみて立ちすくむのは止めよう。いまこの瞬間イエス様とともに居るのだという思いを持ち続けよう。

Prayer(祈り)


イエス様、あなたは留まることなく動き続けられる方です。あなたについて一緒に動きます。どうか連れ出して下さい。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。

イエス様を探す(ルカ24:5-7)

Scripture(聖書の言葉)


5 女たちはもう恐ろしくて、地に伏したまま顔も上げられず、わなわな震えていました。その人たちは言いました。「なぜ生きておられる方を、墓の中で捜しているのです。 6-7 あの方はここにはおられません。復活なさったのです。まだガリラヤにおられたころ、何と言われましたか。メシヤは悪者たちの手に売り渡され、十字架につけられ、それから三日目に復活する、と言われたではありませんか。」

Observation(観察)


イエス様の墓を訪れた女達はイエス様の遺体が無いことに気付く。そして天使が現れ、「なぜ生きておられる方を、墓の中で捜しているのです。 」と告げる。死を打ち破られたイエス様は栄光の体を持ち、遍在される方となった。エマオの途上にも、エルサレムにも同時に現れた。私たちはイエス様を人間的に限定して捉えてしまってはいないだろうか。復活され後のイエス様は、もともとお持ちの神性をお用いになり、地上におられたときの約束をことごとく実現される。私たちはイエス様の物語を墓で終わらせてはならない。復活されてからのイエス様が真の働きを私たちにされるのだ。

Prayer(祈り)


イエス様、あなたを人間的な視点で捉えてしまいがちになります。赦してください。あなたが神であることをしっかりと心に捉え、生きる者と変えて下さい。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。

イエス様の執り成し(ルカ23:34-35)

Scripture(聖書の言葉)


34 その時、イエスはこう言われました。「父よ。彼らをお赦しください。彼らは、自分たちが何をしているのかわかっていないのです。」兵士たちがさいころを投げて、イエスの着物を分け合うのを、 35 民衆はそばに立ってながめていました。一方、ユダヤ人の指導者たちもイエスをあざけり、「他人ばかり助けて、このざまは何だ。ほんとうに神に選ばれたメシヤなら、自分を救ってみろ!」と言いました。

Observation(観察)


嘲られ、辱めを受け、十字架に着けられたイエス様は「父よ。彼らをお赦しください。彼らは、自分たちが何をしているのかわかっていないのです。」と言われた。自分をひどい目にあわせている人々をゆるすよう神に願われた。私たちも知らずにどれほどイエス様の心を痛めているだろう。そのような私たちに関してもイエス様は「ゆるしてあげて下さい」と神に執り成されているのだ。どのようにしてこの恵みに報いることが出来るだろう。

Prayer(祈り)


イエス様、およそ人間の働きではあなたの恵みに報いることは出来ません。出来ることはただあなたを信じ付き従うことだけです。感謝します。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。

わたしはある(出エジプト3:14-15)

Scripture(聖書の言葉)


14 「わたしは『わたしはある』(「永遠に生ける神、創造者」の意で、イスラエルの神の名。「主」のもともとの意味)という者だ。『「わたしはある」という方から遣わされた』と言えばよい。 15 そして、『あなたがたの先祖アブラハム、イサク、ヤコブの神、主が私を遣わした』と言いなさい。これが永遠に変わらないわたしの名だ。」

Observation(観察)


「わたしは在りて在る者」、存在の根源であると神はモーセに言われた。私たちはこの世界を現実の物と受け止めているが、それ以上の現実、真実が神にはある。神の国の現れとは神の真実が私たちの心にやって来ることだ。主よ来て下さい、と願おう。

Prayer(祈り)


イエス様、あなたの存在は私が現実と思っているこの世の全てよりも勝って現実であり真実です。この世の全ては価値を失いますが替わってあなたの栄光が輝きます。あなたの御国が来ますように。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。

水から引き出される(出エジプト2:10)

Scripture(聖書の言葉)


10 やがてその子は大きくなり、養子として正式に王女の屋敷へ引き取られました。王女はその子をモーセ〔「引き出す」の意〕と名づけました。水の中から引き出した子だったからです。

Observation(観察)


ファラオの命令で、川に投げ込まれるしかなかった赤子は、葦で出来た籠に入れられ川辺の茂み置かれた。不思議な神の導きで赤子は王女の養子となり、モーセと名付けられた。「引き出す」という意味であると聖書にある。水から引き出される、という表現は私たちが受けた洗礼に通じる。霊的な死から新しいいのちに。絶望から神からの新しい召命に、私たちは水の中を通って変えられた。なればこそ、私たちもモーセのように神に従い通す生涯を歩みたい。

Prayer(祈り)


イエス様、洗礼を受けた日を思い出します。若く、血気盛んな若者でした。けれどもあなたにお仕えしたい情熱は今も変わりません。どうぞ呼んでください。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。

死と復活(ルカ20:37-40)

Scripture(聖書の言葉)


37-38 しかし、あなたがたがほんとうに聞きたいのは、復活があるかないかということでしょう。モーセ自身は何と書き残していますか。燃えさかる柴の中に現れた神とお会いした時、モーセは神を、『アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神』(出エジプト3・6)と呼びました。主を彼らの神と呼んでいる以上、彼らは生きているはずです。神は死んだ者の神ではありません。神に対して、みなが生きているのです。」 39 その場にいた律法の専門家たちは、「先生。非の打ちどころのないお答えです」と言い、 40 それ以上、尋ねようとはしませんでした。

Observation(観察)


神は生きている者の神、そして神の前で(既にこの世を去った人裳)全ての人は生きている、とイエス様は言われた。肉体の死は神の前では何の効力も無く、神に着く私たちにとっても同様だ。ちょうど服を着替えるように、肉体という衣を脱いで栄光の体を着る、という事に等しい。私たちはもはや死を恐れる必要は無い。この世で成すべき事をやがての日まで誠実に働こう。

Prayer(祈り)


イエス様、死への恐れを取り除いて下さって感謝します。後の世の憂い無く今を精一杯生きます。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。

エリコのザアカイ(ルカ19:1-5)

Scripture(聖書の言葉)


1-2 それからイエスはエリコに入り、町をお通りになりました。この町には、ローマに収める税金を取り立てる仕事をしているザアカイという男がいました。取税人の中でもとりわけ権力をふるっていた大金持ちでした。 3 このザアカイも、ひと目イエスを見ようと思いましたが、背が低かったので、いくら背伸びをしても、人垣のうしろからは何も見えません。 4 そこで、ずっと先のほうに走って行き、道ばたにあったいちじく桑の木によじ登って、見下ろしていました。 5 やがて、そこへ差しかかったイエスは足を止め、ザアカイを見上げると、「ザアカイ。早く降りてきなさい。今晩はあなたの家に泊めてもらうつもりでいますから」と言われました。

Observation(観察)


イエス様はエリコでザアカイという取税人に出会った。エリコという土地はヨシュアが城塞を破った場所だ。ザアカイは取税人という立場で嫌われ疎まれ、私利私欲に起きる人だった。彼の人生に福音が届くには、エリコの城塞のように強固な自我が邪魔したかもしれない。彼はイエス様に興味を持ったが、背が低くて見ることが出来ない。そんな彼にイエス様は声をかけられた。エリコの城塞を破ったヨシュア達の勝ち鬨の声のように、イエス様のことばは彼の心のバリケードを打ち破った。どのような立場の人にもイエス様は必要だ。私たちに課せられた重要な使命は、イエス様のことばを人々に届けることだ。

Prayer(祈り)


イエス様、あなたのお声かけによって私は救われました。一人でも多くの人にイエス様の声を届けたいです。用いて下さい。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。

金持ち青年の救い(ルカ18:22-27)

Scripture(聖書の言葉)


22 「でも、あなたには一つだけ欠けたところがあります。財産を全部売り払って、貧しい人たちに分けてあげなさい。天に宝をたくわえるのです。それから、わたしについて来なさい。」 23 このイエスのことばに、その人は肩を落として立ち去りました。たいへんな金持ちだったからです。 24 そのうしろ姿を見つめていたイエスは、弟子たちに言われました。「金持ちが神の国に入るのは、なんとむずかしいことでしょう。 25 それよりは、らくだが針の穴を通るほうが、よほどやさしいのです。」 26 これには弟子たちも驚き、思わずことばを返しました。「そんなにむずかしいのですか。だとしたら、救われる人などいるでしょうか。」 27 「人にはできません。だが、神にはできるのです。」

Observation(観察)


律法を守ることに熱心な金持ち青年がイエス様に永遠の命に入るにはどうすればよいかを尋ねた。しかしイエス様の答えは全財産を貧しい人に分け与えなさいと言う、彼にとって困難なことであった。当時のユダヤの社会では金持ちは神に祝福された人、と見なされていた。その事が彼にとって分け与えることがより難しく感じさせたのかもしれない。ではどんな人なら救われるのか、という弟子達の問いに対してイエス様は、「人には出来ません」と明言された。人間は自分の行いで自分を救うことは出来ない、とイエス様は言われたのだ。「だが、神にはできるのです。」神にとって不可能な事は無い。金持ち青年も分け与えることができない不完全な自分のまま、神の前に救いを求めるならば救いを得られただろう。
私たちにとって重要なのは何が出来るか出来ないかではなく、どれだけ神に信頼し頼る事が出来るか、なのだ。

Prayer(祈り)


イエス様、私がどれだけ欠けがある人間か、あなたがご存じです。この姿のままあなたの前に救いを求めます。助けて下さい。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。