イエス様とともにいる(使徒4:10-13)

Scripture(聖書の言葉)


この出来事は、あなたがたが十字架につけ、神様が復活させてくださった、あのメシヤ(救い主)、ナザレのイエスの名と力とによるのです。 11 メシヤのイエスは、まさに『建築士たちの捨てた石が、最も重要な土台石になった』(詩篇118・22)と聖書にある、その石なのです。 12 この方以外には、だれによっても救われません。天下に、人がその名を呼んで救われる名は、ほかにないのです。」

13 あまりにも大胆なペテロとヨハネのことばに、議員たちは驚き、たじたじとなりました。二人は明らかに、教育も受けていなければ、宗教の専門家でもないのです。とうとう、イエスといっしょにいたからそうなったのだ、と認めないわけにはいかなくなりました。

Observation(観察)


足萎えの男の事についてユダヤ人指導者達はペテロとヨハネを逮捕し、尋問した。しかしペテロは整然と反論し、議員達を驚かせた。
そして彼らは「イエスといっしょにいたからそうなったのだ」と結論づけざるを得なかった。
イエス様と共にいる事は変化をもたらす。人々を恐れイエス様を否んだペテロがこのような大胆な者と変えられた。教育の機会のなかった彼らがユダヤ人指導者達を驚かせるほどに理路整然とイエス様を証しした。

Application(適用)


私もイエス様とともに歩み、イエス様の働きのために変化されたい。このままの私で留まっていてはならない。サタンの脅かしに屈せず信仰者として立ち続ける者でありたい。

Prayer(祈り)


イエス様、ペテロのように大胆になれますように私を変化させて下さい。人々に対する恐れを取り除いて下さい。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。

足萎えの男(使徒3:7-8)

Scripture(聖書の言葉)


7-8 そう言うなり、ペテロは手を貸して彼を立たせようとしました。すると男は、驚いたことに、足もくるぶしもたちまち強くなり、しっかりと立ち上がったのです。そして、すたすた歩き始めました。ペテロとヨハネが宮に入ると、彼は跳んだりはねたりして、神を賛美しながらついて来ました。

Observation(観察)


美の門に毎日運ばれて物乞いをしていた男にペテロは「ナザレのイエス・キリストの名によって命じる。さあ、立って歩きなさい。」と言って手を貸して立たせた。生まれつきの足なえであったのだから、立ち上がる方法も全く分からなかったはずだ。しかしこの男はイエスの名によって立ったのだ。

Application(適用)


私は足萎えの男のようではないだろうか。正しいことをしたくてもその方法が分からない、その機能がそもそもない。それでもイエス様は私が立ち上がり、正しいことが出来る様に弱った足を立て直し、その方法を心に示して下さる。

Prayer(祈り)


イエス様、私を立たせて下さることを感謝します。イエス様の名にすべての秘訣と力があることを信じ告白します。立ち上がり喜んで賛美します。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。

聖霊様を受け入れる(使徒2:36-39)

Scripture(聖書の言葉)


36 ですから、イスラエルのすべての人に、はっきり言っておきます。神様が主とし、キリスト(ギリシャ語で、救い主)とされたイエスを、あなたがたは十字架につけたのです。」

37 ペテロのことばは、人々の心を強く打ちました。「それでは、私たちはどうすればいいのでしょう。」あちらからもこちらからも、使徒たちへの質問の声があがりました。

38 ペテロは答えました。「一人一人、罪の生活から悔い改めて神に立ち返りなさい。そして、罪を赦していただくために、イエス・キリストの名によってバプテスマ(洗礼)を受けなさい。そうすれば、聖霊という賜物をいただけます。 39 それはキリストが約束してくださったことです。あなたがたは言うまでもなく、あなたがたの子孫、また遠くにいても、私たちの神である主がお招きになったすべての人に与えられるのです。」

Observation(観察)


聖霊様を受けた直後のペテロの燃えるような説教に心を打たれたユダヤの人々は「では、どうすればよいのでしょう」とイエス様を十字架につけたことを悔いて問うた。ペテロの答えは、悔い改めて神に立ち返ること、洗礼を受けることであった。そしてその証明として聖霊様を受ける、とも宣べた。聖霊様を受ける事は全ての信徒にとっての約束なのだ。私たちが聖霊を受けた、と言えるのは何らかの超自然的な賜物を発揮することばかりではない。みことばを心に深く感じ理解すること、また御霊の実と言われる霊性を身につけること、など聖霊様は私たちの霊にも知性にも人格にも働いてイエス様の似姿に近づけ続けて下さるのだ。

Prayer(祈り)


イエス様、聖霊様を私の全人格、全ての知性、霊に於いて受け入れます。これまで中途半端に受け止めていたことをお許し下さい。私の人生を通してお働き下さい。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。

悲しんではならない(ネヘミヤ8:9-10)

Scripture(聖書の言葉)


9 律法がどのように命じているかを理解すると、人々はみな泣きだしました。それで、エズラをはじめ、総督の私や補佐役のレビ人たちは、こう言い聞かせました。「このような日に泣いてはならない。きょうは神である主の聖なる日ではないか。 10 ごちそうを食べてお祝いし、貧しい人には施しをする日なのだ。神である主を喜ぶことこそ、あなたがたの力なのだ。しょんぼりと悲しそうにしていてはいけない。」

Observation(観察)


長い異教の地での捕囚の生活で、イスラエルの人々は神の言葉から離れてしまっていた。エズラが律法を読み、レビ人達がその意味を人々に伝えると彼らは自分の髪から遠く離れた状況を理解し、泣き出した。しかしネヘミヤやレビ人達は彼らに今は泣くべき日ではなく、神を喜び祝うべき日なのだと励ました。
自分の罪に直面し、理解すると自分の罪深さに愕然とし、足から力が抜けてしまうような思いになる。しかし、罪を理解した日は悲しむ日ではなく、神に立ち返って喜ぶべき日なのだ。

Application(適用)


思えばここ数年は憂鬱な顔ばかりしていたように思う。私がすべき選択は憂鬱に沈むことではなく意思を持って神を喜ぶ事なのだ。罪は「私は無価値だ。生きている意味が無い」と一人称で耳打ちし続ける。しかし私は偽りの自分の声よりも真実な神の声に従う。御言葉に約束されている私の存在意義を信じる。

Prayer(祈り)


イエス様、誰の言葉よりもあなたのみことばを選ぶことが信仰であり、私に課せられた戦いであると分かりました。状況よりも、人々の言葉や自分の考えよりも、あなたを選びます。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。

生きておられる方(ルカ24:3-5)

Scripture(聖書の言葉)


3 中へ入って見ると、主イエスの体は影も形もありません。 4 「いったい、どうなってるのかしら。」女たちは途方にくれました。すると突然、まばゆいばかりに輝く衣をまとった人が二人、目の前に現れました。 5 女たちはもう恐ろしくて、地に伏したまま顔も上げられず、わなわな震えていました。その人たちは言いました。「なぜ生きておられる方を、墓の中で捜しているのです。

Observation(観察)


「なぜ生きておられる方を、墓の中で捜しているのです。」と天使はイエス様の姿を探す女達に問う。この言葉は現代の私たちにも当てはまる。まず、イエス様は今生きておられ働かれている、この前提から聖書に向かわなければならない。死なれたイエス様だけを探していては復活の信仰に至ることは出来ない。今共におられるイエス様を体験出来るように求めたい。

Prayer(祈り)


イエス様、今あなたが生きておられる方であることを感謝します。福音はあなたの死で終わるものでは無く、あなたの復活を告げ、そして永遠に続くものと知りました。いつも共におられることを見失わずにいれるように助けて下さい。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。

十字架を負わされる経験(ルカ23:26)

Scripture(聖書の言葉)


26 人々は、イエスを刑場に引いて行く途中、田舎からエルサレムに着いたばかりの、シモンというクレネ人にむりやり十字架を背負わせ、イエスのうしろから運ばせました。

Observation(観察)


クレネ人シモンは、いわば巻き込まれて十字架を背負わされた人であった。エルサレムに巡礼に来ている時たまたま目の前でイエス様が倒れられ、ローマ兵によって十字架を担ぐよう命じられた。当時の彼にっては災難でしか無かっただろう。
しかしマルコの福音書では、このシモンが、アレキサンデルとルポスとの父であると書かれている。そこから考えるとシモンはこのこときっかけにクリスチャンになったのではと考えられる。

Application(適用)


急に降って湧いた災難のような出来事が逆に救いのきっかけになる。人生におけるどんな困難もなにか素晴らしい事柄に繋がってゆくと信じよう。

Prayer(祈り)


イエス様、やって来る困難をいちいち嘆かず、後に来る幸いに心を向けます。シモンの様に苦しい時にイエス様のそばに居ることが出来ますように。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。

短い祈り(ネヘミヤ1:2-6)

Scripture(聖書の言葉)


2私はその時まで、王の前ではいつも明るく振る舞うようにしていました。私はとても怖くなりましたが、こう答えました。 3 「王様、どうして悲しまずにいられましょう。先祖たちの眠る町が廃墟となり、門も焼け落ちたままなのです。」 4-5 「そうか。では何をしてやればよいのか。」私は短く天の神に祈ってから答えました。「もし、王様のお心にかなって、お許しいただけますなら、私をユダに遣わし、先祖たちの町を再建させてください。」 6 「どのくらいかかるのだ。いつ戻って来るのか。」王は私に尋ねました。王のかたわらには王妃が座っていました。王が承諾してくれたので、私はさっそく出発の日取りを決めました。

Observation(観察)


エルサレムの惨状を聞いたヘネミヤは神のあわれみを求め祈った。数ヶ月後に献酌官をしていた彼はペルシャの王から何故悲しんでいるのかと聞かれた。事情を説明し、王に願いを伝える際、ネヘミヤは短く祈ったと書かれている。この短い祈りがエルサレムの運命を変えたのかもしれない。町の再建は、この時の王とネヘミヤの会話で決定づけられた。

Application(適用)


人間は一日に最大三万五千回の決断をしているという。そのうち私は何回祈って決めているだろうか。正直に言えば、殆ど祈り無しに物事を決めていた。逆に考えれば、一日に三万五千回も神の介在されるチャンスがあると言うことだ。判断が必要な時こそ祈りのチャンスと考え、短い祈りを習慣化使用。

Prayer(祈り)


イエス様、祈りから遠のいている私を憐れんで変えて下さい。神に祈ることを習慣化したいです。一日のうちで小さな判断でも神よと祈って決めることが出来ますように。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。

世の終わりを心配しない(ルカ21:29-33)

Scripture(聖書の言葉)


「いちじくの木やほかの木を注意して見ていなさい。 30 葉が出てくれば、ああ、もうすぐ夏だなと思うでしょう。 31 同じように、こうした現象が起こるのを見たら、神の国はもうそこまで来ていると考えなさい。 32 はっきり言いましょう。これらのことが全部起こってから、世の終わりが来るのです。 33 天と地とは消えてなくなります。けれどもわたしのことばは、永遠に真実なものとして残るのです。

Observation(観察)


世の終わりの予兆についてイエス様はお話しされた。今起きていることではないかと思ってしまうが、いつの時代の人にとっても自分が当事者と感じられたのではないかと思う。世の終わりは確実にやって来る。その後残るのはイエス様の御言葉という真実だけだ。

Prayer(祈り)


イエス様、イスラエル関係のニュースを見聞きする度に世の終わりについて考えさせられます。しかし世の有り様よりも、イエス様の御言葉に心を寄せる者であらせて下さい。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。

エズラの出世(エズラ7:27-28)

Scripture(聖書の言葉)


27 ああ、私たちが代々信じてきた神はすばらしい方です。主は王に働きかけ、エルサレムの神殿は美しさを取り戻しました。 28 また、王や七人の議官、王室の実力者の居並ぶ前で、私にあのような栄誉をお与えくださいました。私の神、主が共にいてくださったので、私は高い地位を与えられました。それで、いっしょにエルサレムへ帰ろうと指導者たちを説得することができたのです。

Observation(観察)


エズラはペルシャで高い地位を持ち、それも用いてユダヤ人のエルサレム帰還を説得することが出来た。神は御自身の目的のためにあらゆる事柄を用いられる。ダニエルやエズラの出世もその一つだ。出世はともすれば避けるべきものと思ってしまいがちだが、そうでは無い。神が用いて下さるポジションに居るべきなのだ。そして必要な神の業を進めるために用いて頂こう。

Prayer(祈り)


イエス様、今置かれている立場は高いものではありませんが、この立場で出来ることがあると信じます。神が用いられる場所と時間、状況に備えて待ちます。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。

ろばの子(ルカ19:33-37)

Scripture(聖書の言葉)


33 綱をほどいていると、持ち主が来て、「何をしているのだ。おれたちのろばの子をどうしようというのだ」と聞きただしました。 34 弟子たちは、「主がお入用なのです」と答え、 35 ろばの子を連れて来ました。そして、その背中に自分たちの上着を敷き、イエスをお乗せしました。 36-37 イエスがろばの子に乗って進んで行かれると、大ぜいの人が次々と上着を脱ぎ、道に敷いて並べました。

Observation(観察)


聖書の中には、ピンポイントで重要な働きをする人や生き物がある。僕の好きなクレネ人シモンや、バラムに口をきいたロバ、そしてこのろばの子などだ。人生の中で一瞬だけ神の働きのために用いられるのなら、それだけで生きてきた価値のあるののだと思う。このろばの子はイエス様が乗られた後どうなったかは書かれていない。元の持ち主に返されたのかもしれないし、そうではないかもしれない。それでも彼の働きは二千年にわたって語られ続けている。わたしもイエス様に呼ばれたなら、綱をほどいていつでも駆けつけて用いて頂けるようにしたい。

Prayer(祈り)


イエス様、ろばの子のように大事な瞬間を逃さず立ち会えますように。あなたの働きを近くで目撃したいです。あなたの呼ばれる声を聴き逃すことがありませんように。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。