真理から逃げない(マタイ11:16-19)

Scripture(聖書の言葉)

16 あなたがたイスラエル人のことを、何と言えばいいでしょう。まるで小さな子どものようです。あなたがたは友達同士で遊びながら、こう責めているのです。 17 『結婚式ごっこをして遊ぼうと言ったのに、ちっともうれしがってくれなかった。だから葬式ごっこにしたのに、今度は悲しがってくれなかった。』 18 つまり、バプテスマのヨハネが酒も飲まず、また何度も断食していると、『あいつは気が変になっている』とけなし、 19 メシヤのわたしがごちそうを食べていると、『大食いの大酒飲み、最もたちの悪い罪人の仲間だ』とののしります。もっとも、賢いあなたがたのことですから、うまくつじつまを合わせるでしょうが、知恵が正しいかどうかは、行いによって証明されるのです。」

Observation(観察)

イエス様は、真理に近づこうとしないイスラエルの人々に対し、「あなたがたは友達同士で遊びながら、こう責めているのです。 17 『結婚式ごっこをして遊ぼうと言ったのに、ちっともうれしがってくれなかった。だから葬式ごっこにしたのに、今度は悲しがってくれなかった。』」と評された。

彼らは洗礼者ヨハネの言動を見ては批判し、イエス様が現れるとその言動を批判した。彼らはヨハネやイエス様をみて真理を理解しようとせず、ただ批判して悔い改めることから逃げていたのだ。

「知恵が正しいかどうかは、行いによって証明されるのです。」はダブルミーニングである。イスラエルの人々の知恵は、イエス様を十字架につけるという結果を招いた。一方でイエス様の知恵は、十字架で人々の罪を購い、復活されることで永遠のいのちを保証された。どちらの知恵が正しいかは明らかだ。

私たちは真理から逃げるイスラエルの人々の様でなく、イエス様が示された知恵に従う者であろう。

Prayer(祈り)

イエス様、聖書全体があなたの知恵を示しています。時としてそこから逃げてしまいそうになりますが、その都度引き戻して下さり感謝します。イエス様の知恵と真理をいつも喜んでいられますように。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。

イエス様に明け渡す(マタイ9:39)

Scripture(聖書の言葉)

39 自分のいのちを一生懸命守ろうとする者は、それを失いますが、わたしのためにいのちを捨てる者は、それを自分のものとします。

Observation(観察)

自分のいのちを自分自身のための物として享受し守ろうとするなら、やがてそれは破綻し、最終的に失われてしまう。しかし、自分のいのちをイエス様のために生きると決めたなら、イエス様がその命を養って下さり、豊かに保って下さる。「わたしが来たのは、羊がいのちを得、またそれを豊かに持つためです。(新改訳第三版ヨハネ10:10)」とある通りだ。

詰まるところ、人間は自分のたましいを十分に面倒をみて、長らえさせることは出来ないのだ。霊的な意味で上位の存在を認め、それに頼る事でしか、たましいを本来の有り様で保つことは出来ない。
人間は物質的な意味では生態系のほぼ頂点にあるが、心の領域に置いてはそうでは無いことを認めなければならない。イエス様を離れては、途端にたましいは迷い、サタンという捕食者の餌食になってしまうかもしれない。

自分は個として独立した物だという驕りを捨て、謙虚になってイエス様の庇護の元に居よう。

Prayer(祈り)

イエス様、毎日あなたを見上げなければ私は簡単に迷いだしてしまいそうになります。今回も守って下さり感謝します。デボーションの必要性を本当に感じます。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。

新しい皮袋(マタイ8:16-17)

Scripture(聖書の言葉)

16 水洗いしていない新しい布で、古い着物に継ぎ当てをする人がいるでしょうか。そんなことをしたら、当て布は縮んで着物を破り、穴はもっと大きくなるでしょう。 17 また、新しいぶどう酒を貯蔵するのに、古い皮袋を使う人がいるでしょうか。そんなことをしたら、古い皮袋は新しいぶどう酒の圧力で張り裂け、ぶどう酒はこぼれ、どちらもだいなしになってしまいます。新しいぶどう酒を貯蔵するには、新しい皮袋を使います。そうすれば両方とも長持ちするのです。」

Observation(観察)

イエス様に対して、何故バプテスマのヨハネのように断食しないのか、という問いに対して、イエス様は古い服に新しい当て布を使うことの愚、古い革袋に新しい葡萄酒を貯蔵する愚を例えとして応えられた。新しい訪れには古い観念、様式は噛み合わない事を述べられたのだ。

イエス様の死と復活という奇跡によって罪許され永遠の救いを得る、ということは当時の人々の発想には全くないものであった。イエス様は新しい時代の訪れに新しい考え、行き方で備えるように言われたのだ。

これは救いを受けた私たちにも当てはまる。救われ聖霊様を受けた私たちが相変わらず罪の生活を続けるなら、古い革袋のように整合がなくなり破綻してしまうだろう。そうならないように救いにふさわしく歩もうとする心が必要だ。古い慣習、思考パターンは私たちを引き戻そうと絶えずチャンスを伺っている。けれどももうそこには戻らないと決心して進もう。

Prayer(祈り)

イエス様、今日も古い自分が顔を出して元に戻ろうと誘惑してきました。けれども新しい選択をします。罪と憎しみの中に生きる人生と決別します。イエス様がこの決断を助けて下さい。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。

イエス様の権威を認める(マタイ8:5-9)

Scripture(聖書の言葉)

5-6 イエスがカペナウムの町に入られると、ローマ軍の隊長がやって来て、「先生。うちの若い召使が中風で苦しんでおります。とてもひどく、起き上がることもできません。どうか治してやってください。お願いします」としきりに頼みました。

7 「わかりました。では、行って治してあげましょう」とイエスは承知されました。

8 ところが、隊長の返事はこうでした。「先生。私には、あなたを家にお迎えするだけの資格はありません。わざわざ来ていただかなくても、ただこの場で、『治れ』と言ってくださるだけでけっこうです。そうすれば、召使は必ず治ります。 9 と申しますのは、私も上官に仕える身ですが、私の下にも部下が大ぜいおります。その一人に私が『行け』と言えば行きますし、『来い』と言えば来ます。また奴隷に『あれをやれ。これをやれ』と命じると、そのとおりにします。私にさえそんな権威があるのですから、先生の権威で、病気に『出て行け』とお命じになれば、必ず治るはずです。」

Observation(観察)

ローマ軍の隊長は、病に苦しむ召使いのために、イエス様に癒しを願った。通常と違うのは、イエス様に来ていただくことではなく、その場で病気に出て行けと命じてくれるだけでよい、と言うことだった。

隊長は権威というものを良く理解していた。権威の上にある者の命令を下にある者は実行する義務がある。隊長は自らの立場と経験でその事をよく知っていた。そればかりではなく、イエス様は病ばかりか全ての物事、被造物の上に立つ権威があることを理解していた。

私たちはイエス様の権威をどれほど理解しているだろうか、困難が起こる度に悲しみ嘆いてばかりいないだろうか。今、イエス様の権威を認めて、全ての困難に「出て行け!」と命じていただこう。

Prayer(祈り)

イエス様、あなたの権威を認めます。今あるすべての困難の上にイエス様がおられ、それを追い出す力があることを認めます。いまこれらの困難に対し、あなたが「出て行け」と命じて下さい。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。

神の栄光(マタイ7:7-8)

Scripture(聖書の言葉)

7 求めなさい。そうすれば与えられます。捜しなさい。そうすれば見つかります。戸をたたきなさい。そうすれば開けてもらえます。 8 求める人はだれでも与えられ、捜す人はだれでも見つけ出します。戸をたたきさえすれば開けてもらえるのです。

Observation(観察)

ここでイエス様が言われた、「与えられます」「見つかります」「開けてもらえます」とは、何を指しているだろうか。この世的な私たちの願い、例えば働き口とか配偶者とかではない。これは神の国を指しておられると理解した。

「神の国」とは神の栄光、そして神の権威、支配が現れる事を意味する。私たちの生活に神の栄光と権威が現れるならどれだけ素晴らしいことだろう。箇々の生活のみならず、私たちの住む日本に、あるいは中東情勢に、そして世界に神の栄光が現れるなら世界は一変する。人々がそれを求め、探し、戸をたたくなら、である。

まずは一人一人が神の国を求めることが最初のステップだ。

Application(適用)

悲しいかな私は今日までこの箇所を自分の求め、必要を神様が満たされると理解していた。しかし前章からのコンテキストを読むならば、これは神の国を指すことが分かってきた。

神の栄光と権威の表れを望むと言いながら、言葉だけであったことを悔い改めた。今私の生活に、日本に、世界に神の栄光が必要だ。

Prayer(祈り)

イエス様、神様の栄光と権威、ご支配を求めます。探します、開けて下さいとたたきます。どうか私の人生に現れて下さい。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。

貪欲につけ込まれる前に(マタイ6:31-34)

Scripture(聖書の言葉)

31 ですから、食べ物や着物のことは、何も心配しなくていいのです。 32 ほんとうの神を信じない人たちのまねをしてはいけません。彼らは、それらがたくさんあることを鼻にかけ、そうした物に心を奪われています。しかし天の父は、それらがあなたがたに必要なことをよくご存じです。 33 神を第一とし、神が望まれるとおりの生活をしなさい。そうすれば、必要なものは、神が与えてくださいます。

34 明日のことを心配するのはやめなさい。神は明日のことも心にかけてくださるのですから、一日一日を力いっぱい生きなさい。

Observation(観察)

イエス様は日々の生活の心配をしてばかりいる人々のことを「ほんとうの神を信じない人」の様だと評された。また生活に心を奪われている、とも言われた。神が全てを備えて下さるのだから心配してはならない。それよりも神中心の生活にフォーカスしなさい、と私たちに命じられている。

この世で生きるためにはお金はどうしても必要だし、食べなければ死んでしまうが、それが第一になってはいけない。先ず神を第一に、みことばと隣人を愛する事を中心に生活を構築出来たら素晴らしいことだ。

この世の支配者は私たちが貪欲に物質を求めるよう、欲望を満たし続ける様、あらゆる方法で誘惑してくる。私たちはそれにNoを言わなければならない。私たちが貪欲につけ込まれる前に、聖霊様に満たされよう。

Prayer(祈り)

イエス様、神を第一に生きる決断をしました。この世には沢山の必要と誘惑があふれていますが、それを押しのけて神様を選びました。どうかそれを誠実に続けられますように。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。

心の貧しさを知るために(マタイ5:3-5)

Scripture(聖書の言葉)

3 「心の貧しさを知る謙遜な人は幸いです。神の国はそういう人に与えられるからです。 4 悲しみ嘆いている人は幸いです。そういう人は慰められるからです。 5 柔和で高ぶらない人は幸いです。全世界はそういう人のものだからです。

Observation(観察)

新改訳では、「心の貧しい人は幸いです」と書かれていた、ともすると精神性の貧しい、心が飢えている人、と読んでしまう。この訳では「心の貧しさを知る謙遜な人」とされている。自分の心の不十分さを知り、神の前に謙遜な人、と読み替えて良いだろう。

慢心や失敗を通して、自分の至らなさを知り、神の前に自分の弱さを悔いている人こそ、神の国は与えられる。だから失敗したことや出来なかったことはマイナスではない。それを通して神の前にやって来ることができるなら、全てはプラスになるのだ。

Application(適用)

失敗を通してでしか学べないことが確かにある。同時に失敗しても学ばなければ、何度も同じ失敗することになる。人間が謙遜を学ぶというのは、なんと難しいことだろう。

「成功するには自信をもって、強い態度で」と教えられてきた。しかしクリスチャンの成功は世の成功とは違う。謙遜に柔和に、時に自分の至らなさに悲しみ嘆く、そのような人に神は御国での成功を与えて下さるのだ。

Prayer(祈り)

イエス様、この世の成功を追い求めて失敗してきました。どうしてもこの世の価値観から抜け出せません。どうかいつも御国を思う信仰を下さい。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。

罪の誘惑(マタイ4:1-4)

Scripture(聖書の言葉)

それからイエスは、聖霊に導かれて荒野に出て行かれました。悪魔に試されるためでした。 2 イエスはそこで、まる四十日間、何一つ口にされなかったので、空腹を覚えられました。 3 悪魔が誘いかけてきたのは、その時です。「ここに転がっている石をパンに変えてみたらどうだ。そうすれば、あなたが神の子だということがわかる。」

4 しかしイエスは、お答えになりました。「いいえ。聖書には、『人はただパンだけで生きるのではなく、神の口から出る一つ一つのことばによる』(申命8・3)と書いてある。わたしたちは、神のすべてのことばに従うべきなのです。」

Observation(観察)

荒野で40日間、断食をされたイエス様は、その極限状況の中で悪魔の試みを受ける。イエス様は空腹を覚えられた、と書かれている。その状況の中で、悪魔の誘いは巧妙だ。「ここに転がっている石をパンに変えてみたらどうだ。そうすれば、あなたが神の子だということがわかる。」パンにして食べなさい、ではなく、神の子と証明してみろと動機のすり替えを図っている。

神の子である証明であればイエス様の立場、役割から正当な行為に見えるだろう。そうすれば食欲に負けて石をパンにしたという事にはならない。一見理屈には合っているが、欲望に引きずり込むための罠だ。

それを食べさせようとする悪魔に対し、イエス様は御言葉で反論した『人はただパンだけで生きるのではなく、神の口から出る一つ一つのことばによる』悪魔の巧妙な誘いを打ち破るのは御言葉しかない。一つでも多くの御言葉を心に蓄え、悪魔の誘惑に備えよう。

Application(適用)

悪魔の誘いは、一見理屈に合う、やましいところの無いものから始まって、徐々に深く、暗い、罪の世界に引き込んで抜け出せないようにしてくる。なんとかして傷の浅いうちに脱出しなければならない。私自身、とことん深い罪の中に落とし込まれて、ようやく正気に戻った経験がある。予防する道はただ御言葉を読み覚え、イエス様に日々助けを祈る。このことに尽きるのだ。

Prayer(祈り)

イエス様、かつて悪魔の誘いに乗り、ひどい目に遭いました。いまも別な方法で狙っていることを感じます。謙遜になり、頭を低くして攻撃を避けます。御言葉で心を守ります。日々あなたに助けを祈ります。どうかお守り下さい。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。

引き際(Ⅱサムエル18:9-16)

Scripture(聖書の言葉)

9 この時から、王の目は、ねたみを帯びてダビデに注がれるようになりました。

10 翌日から、神からの災いの霊がサウル王を襲うようになり、彼は錯乱状態に陥りました。そんな王の心を静めようと、ダビデはいつものとおり竪琴を奏でました。ところが王は手に持っていた槍を、 11-12 いきなりダビデめがけて投げつけました。ダビデを壁に突き刺そうと思ったのです。しかし、さっと身をかわしたダビデは難を逃れました。一度ならず二度もそんなことがあったのです。それほど王はダビデを恐れ、激しい嫉妬に駆られていました。これもみな、主がサウル王を離れて、ダビデとともにいたからです。 13 王はダビデを恐れ、自分から遠ざけることにし、職務も千人隊の長にまで格下げしました。しかし王の懸念をよそに、ダビデはますます人々の注目を集めるようになっていきました。

14 ダビデはその行く所どこででも勝利を収めました。主がともにいたからです。 15-16 サウル王はますますダビデを恐れるようになりました。イスラエルとユダの人々はみな、ダビデを支持しました。ダビデが民の側に立っていたからです。

Observation(観察)

(今日は実験的に、生成AIに文章をクリーンアップしてもらいました)

神は既にサウルを王から退け、ダビデを新しい王とすることを決めていました。ダビデは勢いを増し、戦果を挙げていきました。しかし、サウルは妬みを抱いていました。不当な人事で格下げされても、ダビデは活躍を止めることはありませんでした。イスラエルとユダの人々もダビデを支持するようになりました。サウルは妬みの感情を露わにし、二度にわたりダビデに槍を投げつけたと記されています。

今日はサウルの行動に着目したいと思います。私たちは生きている限り、必ず衰える時が訪れ、世代交代が起こります。その際、私たちがどのような姿勢を取るかは神に見られていると思います。譲るべき時には後進に譲り、その活躍を祝福する心で若い人たちを見守りたいです。まだまだできると思っていても、その時が来たら、若い人たちの祝福と後ろ盾になれる存在でありたいと願っています。

Application(適用)

もう、若いとは言えない年齢になってしまいました。若い人たちの活躍を見て、時折うらやましく感じることがあります。その年代に自分は何をしていただろうと、悔やむ瞬間もあります。妬みは、ときに自分自身への後悔から生まれることもあるように思います。しかし、後ろを振り返りながら前進することはできません。まだまだ先は長いです。前を向いて歩んでいきましょう。

Prayer(祈り)

イエス様、今日はサウルから学びました。退くときには潔く退き、それまでは精一杯あなたにお仕えしたいと思います。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。

そのままの姿で立ち向かおう(Ⅱサムエル17:38-40,45-46)

Scripture(聖書の言葉)

38-39 サウルは、自分の青銅のかぶととよろいをダビデに与えました。ダビデはそれをまとい、剣を持ち、試しに一、二歩、歩いてみました。そんなものを身に着けたことがなかったのです。しかし、「これじゃ、身動きがとれません」と言うや、脱ぎ、 40 川からなめらかな石を五つ拾って来ると、羊飼いが使う袋に入れました。そして、羊飼いの杖と石投げだけを持って、ゴリヤテに向かって行ったのです。

45 ダビデも負けずに答えました。「おまえは剣と槍で立ち向かって来るが、私は天地の主であり、おまえがばかにしたイスラエルの主のお名前によって立ち向かうのだ。 46 今日、主がおまえを打ち負かしてくださる。

Observation(観察)

ダビデはサウルに下賜された武具を断り、杖と石投げ、そして拾ってきた石だけをもってゴリアテに向かった。

彼にとっては重たい青銅の鎧兜よりも、使い慣れた道具の方がしっくりきた。そして何より道具に頼るのではなく、神に頼る事の方が遙かに勝っていることをダビデは知っていた。

私たちもともすると自分を不慣れな考えや行動で固めて、問題解決を図ろうとしてしまう。しかし問題は自分が何を装うかではなく神に信頼できるかにある。不慣れな理論武装やライフハックよりも普段着の自分でそのまま神に頼る方がずっと良い。今日、主がわたしたちの問題を打ち負かして下さるのだ。

Application(適用)

一時期、洋服や靴に凝り、違った見た目になろうと努力していた時期があった。はたしてそれは失敗に終わり、滑稽な姿になってしまったように思う。自分の有り様をそのまま受け入れることが出来ないことがその根にあることに最近になって気づいた。まず自分を受け入れることが必要だと感じる。

Prayer(祈り)

イエス様、僕は僕以外の何かになることは出来ません、僕のままで問題に立ち向かいます。イスラエルの主のお名前によって敵に立ち向かいます。河原の石がゴリアテを倒したように、今私が持っている物を用いて下さい。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。