破れ口に立つ(創世記18:17-25)

Scripture(聖書の言葉)

17 その時、主は考えました。「わたしの計画をアブラハムに隠しておいていいだろうか。 18 アブラハムの子孫は大きな国になるのだし、世界中の国々が彼のおかげで祝福を受けるのだ。 19 わたしは彼を選んで、主を敬う、正しく善良な者たちを彼の子孫から起こそうとしている。その約束は果たさなければならない。」

20 そこで主は、アブラハムに打ち明けました。「ソドムとゴモラの住民は、すっかり悪に染まってしまったという。ずいぶんひどいことをしているようだ。 21 今、その知らせがほんとうかどうか調べに行くところなのだ。向こうに着けばはっきりわかるだろう。」

22-23 ほかの二人は、そのままソドムへ向かいましたが、アブラハムはなお主の前に立っていました。彼は恐る恐る神に近づいて言いました。「お尋ねしてもよろしいでしょうか。あなたは正しい人も悪人も同じように殺してしまうおつもりですか。 24 もしあの町に正しい人が五十人いたとしても、それでも滅ぼされますか。その人たちのために町を救おうとはなさらないのですか。 25 だとしたら、正義はどこにあるのでしょう。悪人も正しい人もいっしょに殺してしまうなどということを、あなたがなさるはずはありません。もしも、もしもそんなことをされるなら、正しい人も悪人も全く同じ扱いをされることになってしまいます。あなたは決してそんなことはなさらないでしょう。全地をさばかれる方は、公平でなければならないのですから。」

Observation(観察)

悪徳と背徳の町であったソドムとゴモラを滅ぼそうとする神のご計画について知ったアブラハムは僅かにいるであろう正しい人のために執り成しを続ける。神を前にしての交渉は恐ろしい事では無かっただろうか。

神との契約があったとは言え、神に対して異を唱えることの恐ろしさは、最も神を畏れる者であったアブラハムにとってどれほど大変なことであったか。

しかしそれでもアブラハムは退かず、懸命に交渉を続ける。彼をそれほどまでに駆り立てるのは、単に甥ロトのためばかりでは無く、世と神のギャップを埋める、執り成し手としての使命に出会ったのかもしれない。その使命の故に神は、あえてアブラハムに神のご計画を告げたのかもしれない。

この世と神のギャップを埋める、破れ口に立つという行為は、イエス様の十字架の予表の一つでもある。

同時に、私たちにも同様に執り成しの働きが期待されていることを忘れてはならない、

Application(適用)

クリスチャンになってしばらくは、この世から離れることが正しいことだと思っていた。逆にある時期はこの世的に成功しつつ人間的な弱さをオープンにするクリスチャンが正しいあり方だ、とも思っていた。

どちらも今は間違いだと感じる。弱さは神に告白し、謙遜に神に本気で従い、この世と人々のために真剣に祈り執り成す事が神に求められている姿と思う。同時に自分の至らなさを悔い改める日々だ。

Prayer(祈り)

イエス様、足りない者ですが、執り成しの働きに加えてください。イエス様が人々を愛され、救おうとして下さっているからです。

イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。

アブラハム契約(創世記15:17-18)

Scripture(聖書の言葉)

“日が沈んで暗くなったとき、見よ、煙の立つかまどと、燃えているたいまつが、切り裂かれた物の間を通り過ぎた。

その日、主はアブラムと契約を結んで言われた。「あなたの子孫に、わたしはこの地を与える。エジプトの川から、あの大河ユーフラテス川まで。”

創世記 15章17~18節

聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会

Observation(観察)

アブラハム契約と呼ばれる箇所である。契約の準備として、献げ物を二つに割き、向かい合わせに並べることを主はアブラムに命じられた。本来ならば、契約を結ぶ双方が献げ物の間を通ることで対等な関係としての契約が成立するが、主なる神はその様にせず、アブラムを深い眠りにつかせ、お一人で契約を成立された。これは、アブラム側には何の条件もつけず、神お一人が一方的に祝福を約束される契約であることを意味している。

そしてこれは、無条件の救いを下さるイエス様の十字架の契約の雛形である。

重要なのは祝福に先立って、その後ろ盾として契約が存在することだ。

私たちが苦しい時、神の祝福を求めるが、その時どの様な契約の故に祝福が約束されているのか、思い起こさなければならない。

神の祝福は、神様側、イエス様側100%の好意による一方的な契約によって与えられ、私たち側の努力や熱心による物ではない。唯一私たちがすべきなのは契約を結んでくださった神への感謝である。

Application(適用)

物事がうまくいかないと、「このことで神が怒っているのかも」「これこれが不足しているから祝福が届かないのかも」と思ってしまいがちになる。一方で物事が順調だと神の方に心を向けず、自分が努力したからだ、と思いたくなってしまう。どちらも間違いだ。神を信じた私がすべきことは、あらゆる時に、全てを神からのものと受け取り、契約を信じ、神を賛美し喜ぶことなのだ。

Prayer(祈り)

イエス様、自分が足りないと思うことも、自分が正しいと思うことも、自分を神よりも上と思う高ぶりから来るものと知りました。

どの様な状況でも、ただ神を讃え、喜び続けるものと変えて下さい。

イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。

神の国に住む(ルカ6:20-23)

Scripture(聖書の言葉)

20 それからイエスは、弟子たちのほうをふり向き、話し始められました。「あなたがた貧しい人は幸福です。神の国はあなたがたのものだからです。 21 いま空腹な人は幸福です。やがて十分満足するようになるからです。泣いている人は幸福です。もうすぐ笑うようになるからです。 22 わたしの弟子だというので、憎まれたり、追い出されたり、悪口を言われたりするなら、なんと幸いなことでしょう。 23 そんなことになったら、心から喜びなさい。躍り上がって喜びなさい。やがて天国で、目をみはるばかりの報いがいただけるからです。そして、同じような扱いを受けた、昔の預言者たちの仲間入りができるのです。

Observation(観察)

山上の垂訓について、解釈はさまざまあるが、まっすぐに読むなら、報いはすべて永遠の天の御国、神の国にある、と言う物だ。

現世での利益、繁栄について語るキリスト教諸派も多くあるが、イエス様の語られた本質は、あくまで「神の国」であり、この世での癒しも繁栄も、イエス様のあわれみによるギフトである。それは喜んで受け、求めるべき物だが、それでも神の国の素晴らしさに勝る物では無い。

迫害に遭った多くのクリスチャン達は、この世での自身の繁栄をみて迫害に耐えたであろうか?そうではない、天を見上げて喜んだのだ。

イエス様の時代、医療も栄養も十分でなく、ローマの属国でも有った。このような時代に生きる人々にとって死は現代に比べてとても身近な物だっただろう。だからこそ、隣り合っている死に誠実に向き合ったのだ。

Application(適用)

私はどうであろうか、お金のことで一喜一憂し、病気になれば嘆きあちこちに愚痴り、誤解されれば怒り心頭で告発して歩く。。神の国を思うことなど一日に一度もあるだろうか。

私はこれを変えなければならない。日々天のことを思い、天の父なる神を想う者と変えられたい。そうすれば、イエス様の言われたとおり「もうすぐ笑うようになるからです。」という物になれるはずだ。

Prayer(祈り)

イエス様、神の国にふさわしい物に変えて下さい。今この瞬間から神の国の住民にならせてください。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。

神を礼拝する旅路(創世記12:7-9)

Scripture(聖書の言葉)

7 その時、主がアブラムに現れ、「この地をあなたの子孫に与えよう」と約束されました。アブラムは喜んで、主とお会いした記念に、そこに祭壇を築きました。 8 彼はそれからさらに南へ向かい、西のベテルと東のアイにはさまれた丘陵地帯に来ました。アブラムは野営をし、主のために祭壇を築いて祈りました。 9 そのあとはまた、時々休みながらゆっくりと南のネゲブへ向けて旅を続けました。

Observation(観察)

アブラムは75才の時に神の語りかけを受け、住み慣れた土地を出発した。宿営した地で主が表れ「この地をあなたの子孫に与えよう」と言われた。アブラムは喜んで、主とお会いした記念に、そこに祭壇を築いた、とある。また旅を続けながら祭壇を築きつつ南に向けて旅を続けた、とある。

Application(適用)

短い節だが、アブラハム(アブラム)と神との関係が垣間見える箇所だ。高齢であてどなく出発したアブラムではあったが、神の語りかけによって正しい方向に向かい祝福されていることを知り、記念に祭壇を気づき、次の目的地に進んでいった。

私ももう、若い、と言われる年齢をとうにこしている。そしてどこに向かっているのか見当が付かない。歩むには神の語りかけが必要だ。道を誤ったら反省し引き返し、正しい道とわかったら喜んで祈りの祭壇を築き神をたたえよう。行く先がどこであれ神をたたえる生涯となりたい。

Prayer(祈り)

イエス様、いまだ迷っている出来の悪いしもべです。一歩一歩「これが道だ、これにすすめ」と教えて下さい。あなたを喜んでその旅路を行く者として下さい。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。

(写真はベテルの祭壇と言われる建物)

神の国を求める(ルカ4:42-43)

Scripture(聖書の言葉)

42 翌朝早く、イエスはただ一人、人気のない寂しい所へ行かれました。人々はあちこち捜し回り、やっとのことでイエスを見つけ出すと、もうどこへも行かないように頼みました。 43 しかし、イエスはお答えになりました。「ほかの町々にも、神の福音(救いの知らせ)を伝えなければならないのです。そのために、わたしは来たのですから。」 44 こうしてイエスは、ユダヤ中を旅し、各地の会堂で教えられました。

Observation(観察)

カペナウムでの奇跡の後、イエス様は翌朝、人気の無いところに行かれた、祈るためであっただろうか。奇跡に沸く民衆から離れたかったのかもしれない。案の定人々はイエス様を見つけ出し、ここに留まってくれるよう頼んだ。しかしイエス様の答えは「ほかの町々にも、神の福音(救いの知らせ)を伝えなければならないのです。そのために、わたしは来たのですから。」イエス様の目的は奇跡では無く福音を伝えることであった。人々に様々な必要があることはイエス様は勿論知っていた。けれどもそれ以上に福音は重要な物なのだ。

Application(適用)

生きていれば怪我もするし病気もする、人間関係も煩わしさになやむこともあれば自分の心の問題に悩むことも多い。イエス様に助けてと願うこともしょっちゅうだ。しかし、イエス様の優先順位は福音を伝えることにある。癒しや回復を求めると同時に、神の国を第一に求めよう。苦しいときには難しいかもしれないが、ことしはそれをしてみようと思う。

Prayer(祈り)

イエス様、弱ったときにはあなたに頼りますが、そのときでも神の国を求めるものであろうと思います。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。

罪の性質(創世記4:10-16)

Scripture(聖書の言葉)

10 「あなたの弟の血が、大地からわたしを呼んでいる。あなたはなんということをしてしまったのか。 11 弟の血で大地を汚すとは。あなたはもう、ここに住むことはできない。 12 これからは、いくら働いても、大地はあなたのために作物を実らせない。この先あなたは放浪者となり、当てもなくさすらうのだ。」

13 カインは言いました。「そのような罰は重すぎて、とても負いきれません。 14 この地から追い出され、神様の前からも追い払われて、放浪者にまで落ちぶれるなどとは。私を見たら、だれでも私を殺そうとするでしょう。」

15 「心配しなくてよい。あなたを殺させたりはしない。そんなことをする者は、あなたの被るものの七倍の復讐を受けることになる。」こう約束すると神は、彼が殺されないように、カインに一つのしるしを与えました。

16 こうして、カインは神のもとを去り、エデンの東、ノデの地に住みついたのです。

Observation(観察)

妬みからカインは弟のアベルを殺してしまった。アダムとエバ、そしてこの兄弟だけが人類であったのに、一人が殺人者、ひとりがその被害者になってしまう。

アダム以来の人類の罪の性質は今も原罪として引き継がれている。

カインはアダムに次いで神の前から追放される。罪の結果は神との深刻な断絶だ。

(それでもカインが殺されないように、神は哀れみを示している)

罪の性質を持った素の人間のままでは、神の前に帰ってくることは出来ない。

だから仲介者であり弁護して下さるイエス様が必要なのだ。

Prayer(祈り)

イエス様、罪の性質は今もふとしたときに頭をもたげます。

すぐにそれに気づくことが出来ますように。

イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。

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3齋藤 寧敏、古村 明子、他1人

種まきと収穫(創世記8:20-22)

Scripture(聖書の言葉)

20 ノアはそこに主への祭壇を築き、神から指定された動物や鳥をささげ物としてささげました。 21 神はそれを喜び、こう心に誓われました。「もう二度とこのようなことはしない。人間は子どもの時から悪い性質を持っていて、悪い考えを抱くものだ。わたしはもう、大地をのろって生き物を滅ぼすようなことは絶対にしない。 22 大地がある限り、春の種まきと秋の収穫、暑さと寒さ、冬と夏、昼と夜とが、年ごとにくり返されるだろう。」

Observation(観察)

洪水の後、箱船によって助かったノアとその一族は、水が引いた後の地上(アララテ山頂?)に立ち、ノアは主なる神への祭壇を築き献げ物をささげ、神を礼拝した。

それを喜ばれた神は、人間の原罪、限界をおぼえ、「大地をのろって生き物を滅ぼすようなことは絶対にしない。 22 大地がある限り、春の種まきと秋の収穫、暑さと寒さ、冬と夏、昼と夜とが、年ごとにくり返されるだろう。」と言われた。

人間の弱さや失敗を受け入れられ、人間のいとなみ、四季の移り変わり、それをもたらす天体の運行を続けられることを定められた。

Application(適用)

人間の弱さ、不完全さを知るにつけ、その欠けた部分をどう埋めて生きてゆくのか不安になる。その欠損を開き直っていきるという選択肢もあるが、私はそこを神によって補っていただきたい。神は人をもう滅ぼすまいと言われた。この一年、いろいろあるだろうが、神に頼りつつ、一歩ずつ進もう。

Prayer(祈り)

イエス様、今年も始まり、新しい四季が用意されています。一年を通して用意されている祝福や苦労を、あなたを頼りに精一杯生きて、礼拝し、あなたに喜ばれる一年にしたいです。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。

罪の性質(創世記4:10-16)

Scripture(聖書の言葉)

10 「あなたの弟の血が、大地からわたしを呼んでいる。あなたはなんということをしてしまったのか。 11 弟の血で大地を汚すとは。あなたはもう、ここに住むことはできない。 12 これからは、いくら働いても、大地はあなたのために作物を実らせない。この先あなたは放浪者となり、当てもなくさすらうのだ。」

13 カインは言いました。「そのような罰は重すぎて、とても負いきれません。 14 この地から追い出され、神様の前からも追い払われて、放浪者にまで落ちぶれるなどとは。私を見たら、だれでも私を殺そうとするでしょう。」

15 「心配しなくてよい。あなたを殺させたりはしない。そんなことをする者は、あなたの被るものの七倍の復讐を受けることになる。」こう約束すると神は、彼が殺されないように、カインに一つのしるしを与えました。

16 こうして、カインは神のもとを去り、エデンの東、ノデの地に住みついたのです。

Observation(観察)

妬みからカインは弟のアベルを殺してしまった。アダムとエバ、そしてこの兄弟だけが人類であったのに、一人が殺人者、ひとりがその被害者になってしまう。

アダム以来の人類の罪の性質は今も原罪として引き継がれている。

カインはアダムに次いで神の前から追放される。罪の結果は神との深刻な断絶だ。

(それでもカインが殺されないように、神は哀れみを示している)

罪の性質を持った素の人間のままでは、神の前に帰ってくることは出来ない。

だから仲介者であり弁護して下さるイエス様が必要なのだ。

Application(適用)

Prayer(祈り)

イエス様、罪の性質は今もふとしたときに頭をもたげます。

すぐにそれに気づくことが出来ますように。

イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。

神のことばを信じよう(ルカ1:45)

Scripture(聖書の言葉)

“主によって語られたことは必ず実現すると信じた人は、幸いです。」”

ルカの福音書 1章45節

聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会

Observation(観察)

ルカの一章では、二人の人物の対比が書かれている。洗礼者ヨハネの父であるザカリヤと、イエス様の母であるマリアである。

ともに天使の来訪を受け、子が与えられることを伝えられるが、ザカリヤはそれを信じようとせず、あるときまで口がきけなくなってしまう。

一方でマリヤは、「ご覧ください。私は主のはしためです。どうぞ、あなたのおことばどおり、この身になりますように。」と天使に返答し、従順の姿勢をとった。

どちらの赤子も無事出産され、洗礼者ヨハネとイエス様として、神の働きを進めてゆく。

信じたマリヤにも、疑ったザカリアにも神の計画は成った。ならば御言葉のとおり、神の約束を信じ疑わず、「幸いな人」として生きるべきでは無いだろうか。

Application(適用)

新しい一年を、疑念と落胆で生きるのか、確信と感謝で生きるのか、選択肢は私にある。私がどのような態度や思いを持ったとしても、神の計画は前進する。ならば、わたしは神の方に付き、神の計画を全面的に信じる物になろう。全ては神の御手にあると神を賛美しよう。

私には足りない物も弱さもあるが、それ以上に神がおられる、ということはその全てのマイナスを吹き飛ばして余りある。主こそ神ですと礼拝する一年でありたい。

Prayer(祈り)

イエス様、新しい一年です。ことしも御言葉をひたすら求める年となりますように。

私の内面を形づくり、あなたの望むことの出来るわたしにして下さい。

イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。

大淫婦バビロン(黙示録17:1-6)

Scripture(聖書の言葉)

Observation(観察)

創世記の獣、そしてバビロンに象徴される物は何か、世界中でさまざまな議論や研究がされているが見解が分かれている。執筆された地代ではローマの権威に関する何か、と考えられるが。現代では特定の国家の集合体とその権威者、と見る人もいる。聖書はこれ以上語っては無い。とすれば私たちがこれを見て心に何を映すかが重要だ。

Application(適用)

正直、難解な箇所で何を書いて良いか分からない。

私は、バビロンとは経済システムそのものであるように感じている。経済はイデオロギーの違う国間をつなぎ、時には戦争の原因となり、あるいは和解のためにも用いられる。一方で経済は社会を支配し、為政者はこれを用いて国民の世話をし、逆に取り立ててもいる。

私たちは貯金の代償に一喜一憂し、お金の扱いに失敗したら悲惨な人生が待っている。

いま、経済システムが世界的に崩壊したらなにが起きるだろうか。私には全く想像できない。それほどに経済は正解中を血液のように巡っている。陰謀論者は特定のグループがこの経済全てを握っていると言っているがそれが出来る人類は存在しない。

しかし黙示録の中でバビロンが倒れる、ということはこれまで当たり前のように思っていた(悪しき)社会のシステムが覆る、と言うことかもしれない。

マクロな意味で経済という人間に制御不可能な力に私たちの人生が支配されていることは恐ろしいことだ。だからといって貨幣経済を捨てて生きてゆくことは出来無い。

そんな中にあっても、私たちは価値基準の順番を間違えてはいけない。イエス様を信じた者はイエス様と神の国を第一に求め、神と人を愛することを最優先に、そのために経済を用いコントロールしなくてはならない。富んでいる人も貧しい人も、経済に支配されてはならない。私たちを支配できるのは天の父なる神だけなのだ。

Prayer(祈り)

イエス様、やがての日に起きることはまだ隠されていて私には分かりません。ただ、三位の神様のみを見上げて、最優先で生きてゆきたいです。経済、病気、他様々な事柄が私を拘束しようとします。しかしいま御言葉に触れている間、魂は自由です。いつも御言葉を思うものとさせて下さい。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。