本音で神に語る(マルコ12:28-33)

Scripture(聖書の言葉)

28 イエスのそばで、この見事な返答ぶりを聞いていた一人のユダヤ教の教師が、「先生。すべての戒めの中で、どれが一番重要な戒めでしょうか」と尋ねました。

29 「『イスラエルよ、聞け。主なる神こそ、ただひとりの神です。 30 心を尽くし、たましいを尽くし、思いを尽くし、力を尽くして、あなたの主を愛しなさい。』(申命6・4-5)これが最も重要な戒めです。

31 第二は、『自分を愛するように、あなたの隣人を愛しなさい』(レビ19・18)という戒めです。これ以上に重要な戒めはありません。」

32 「先生。あなたは今、神様はおひとりで、ほかに神はいないとおっしゃいましたが、まさにそのとおりです。 33 そして、神殿の祭壇にどんな供え物をささげるよりも、『心を尽くし、思いを尽くし、力を尽くして主を愛し、また隣人を自分と同じように愛する』ことのほうが、ずっと大切です。」

Observation(観察)

イエス様の青年の質問に対し、イエス様は主なる神はただ一人の神であり、その神を愛し、また隣人を愛する事を神は命じられた。この文脈では「神は唯一の神で在る」ことは見逃しがちだが、これが全ての前提で在ることを忘れてはならない。唯一の神を何よりも愛する事を最初の戒めとされた。

ここで、神を愛するとはという事であろうか、神の前に良く出来たことを報告することであろうか、あるいは美しい言葉で讃え続けることだろうか、それとも過酷な奉仕を終えて神の前に汗をかいて倒れ込むことだろうか。

どれも正しく、同時にどれも間違いだ。

神が求められるのは全人格的な交わりだ。正しい言葉も良くない言葉も、不安や不満も、安心も満足も、すべてを神の前に持ってきて共有してほしいのだ。人の前で偽ることはできても、神の前に偽ることほど空しいことは無い。いま、この時間から、本音で神様に語ろう。

Prayer(祈り)

イエス様、ぼくは格好つけるのが好きで、神様の前にも良いところだけ見せようとしていました。あなたは僕の弱いところも全部ご存じです。僕自身がそれを認めないと自分の土台が出来ません。もう一度ありのままの自分を見つめ直し、そこから立ち直ります。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。

宮きよめ(マルコ11:15-17)

Scripture(聖書の言葉)

15 エルサレムに着くと、イエスは宮に入り、境内で商売をしていた者たちを追い出しにかかって、両替人の机や、鳩を売っていた者たちの台をひっくり返されました。 16 また、いろいろな荷物を持って境内を通り抜けることも、お許しになりませんでした。

17 そういう人たちに、イエスは、このように言われました。「聖書には、『わたしの家は、世界中の人たちの祈りの場所と呼ばれる』(イザヤ56・7)と書いてあるではありませんか。それなのに、あなたがたはここを強盗の巣にしてしまったのです。」

Observation(観察)

有名な宮きよめのシーンだ。同時の宮殿の入り口付近は礼拝に献げるものを買うための場所にもなっていた。いまば罪のための献げ物をコンビニ感覚で買っていたのかもしれない。そのような献げ物には何の真心も悔い改めも存在しない。

イエス様は商売しているという行為そのものばかりでは無く、形式化された献げ物にたいしての怒りで有ったのでは無いだろうか。

Prayer(祈り)

イエス様、私の内にも形骸化してしまって心の伴わない教えや戒めが在るかもしれません。真剣にその意味を考えるものになりたいです。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。

離婚(マルコ10:2-8)

Scripture(聖書の言葉)

2 そこへ何人かのパリサイ人たちが来て、イエスに、「あなたは離婚をお認めになりますか」と尋ねました。もちろん、これはわなでした。

3 「モーセは、離婚について何と言いましたか。」反対に、イエスがお尋ねになりました。

4 「離婚してもさしつかえないと言いました。ただその時は、男が女に離縁状を書くのが決まりですが。」

5 「なぜモーセはそう言ったのか、考えてみなさい。あなたがたの心が邪悪で強情だったから、しかたなく認めたのです。 6-7 離婚は神の意思に反します。神は創造の初めから、人を男と女とに造られたのです。ですから、人は両親から離れて、 8 妻と一体となるのです。もはや二人ではなく一人なのです。 9 神が一つにしてくださったものを、だれも引き離してはなりません。」

Observation(観察)

イエス様は結婚は単に男女の関係を意味するのでは無く、「人は両親から離れて、 8 妻と一体となるのです。もはや二人ではなく一人なのです。」と教えられた。結婚は肉的なものばかりでは無く、霊的な結合なのだ、それは日常生活の一致ばかりでは無く、物事の捉えかたの相互理解、霊的一致に至る。そのように結びつかれた人々を、法律が許すからと言って引き剥がすのはその人の人生をボロボロにしてしまう、

Application(適用)

僕は離婚家庭にそだった。片親故に十分な愛情を感じずに成長し、いまでも人格のどこかに足りないものを感じている。母自身も悲しみをずっと抱えて生きていた。かといって神の介入なしではこの離散は食い止められなかった、と思う。そうで無ければ一家心中の二者択一であっった。この時イエス様に頼ることが出来れば、と思うと悔しくて仕方が無い。おなじような悲しみを繰り返さないためにも、少しでも機会を用いてイエス様を紹介しよう。

Prayer(祈り)

イエス様、昔のことを思うと苦しくなります。癒やしてください。おなじ苦しみに遭う人がすこしでも少なくなりますように。あなたのあわれみを求めます。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。

だれにでも仕える人(マルコ9:33-37)

Scripture(聖書の言葉)

33 カペナウムに着き、泊まることになっていた家に入ってしばらくすると、イエスは弟子たちに、「ここへ来る途中、何を言い合っていたのですか」とお尋ねになりました。

34 弟子たちは顔を真っ赤にして、うつむいてしまいました。実は、自分たちの中でだれが一番偉いかと言い合っていたからです。

35 イエスは腰をおろし、弟子たちを回りに呼び寄せると、「だれでも一番偉くなりたい人は、一番小さい者となり、だれにでも仕える者となりなさい」と教えられました。 36 それから、小さな子どもを真ん中に立たせ、腕に抱いて言われました。 37 「見なさい。だれでもわたしの名のゆえに、このような小さい者をも受け入れる人は、わたしを受け入れているのです。そして、わたしを受け入れるなら、わたしを遣わされたわたしの父をも受け入れているのです。」

Observation(観察)

教会に沢山の人が集まるようになると、長く居る人、最近来た人、いろいろな奉仕をしている人、静かな人、若い人、年老いた人、様々な人がやって来る。こころの状態も様々だ。ご機嫌な人、落ち込んで居る人、満足している人、絶望している人。このような人の中で誰が一番偉いか?と聞かれたらどう答えるだろう。僕は間違った選択をしてしまいそうに感じる。イエス様の答えは、一番謙遜で人々に仕える人が一番偉い、と言うことだ。

今の時代、週の内で教会に居られる時間は限られている。せめてその時間だけでも互いに仕え合う関係を築きたい。

また気がつくと人間は自分が一番偉い、という心理が働く。理由は分からないが集団から退いて俯瞰すると、なにか自分が偉くなったような錯覚を持ちがちだ。もっと集まりに近づき交わろう。

Prayer(祈り)

イエス様、相変わらず上手に人と関われない私ですが、せめて高ぶることの無いように助けてください。少しでも人の助けになるような行動が出来ますように。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。

毎日きちんと献げる(民数記28:1-2)

Scripture(聖書の言葉)

28 1-2 主はまた、モーセに告げて言いました。「人々にこう伝えなさい。祭壇で焼いてささげるいけにえは、わたしの食物だから、毎日きちんと、わたしが教えたとおりにささげなさい。わたしはその香りによるささげ物を喜ぶ。

Observation(観察)

祭壇で献げられる献げ物は、特別なとき悔い改めや例祭の時ばかりでは無かった。毎日祭壇で献げるべき生け贄もきちんと決められていた。勿論イエス様が永遠の献げ物となってくださった故に、この生き物をささげることは不要となったが、私たちの心を献げる、という献げ物は変わることは無い。

Application(適用)

昨日は閏日で、各通読プランで2/29分の記述のないものも在るものも在り、大いに迷ったが聖書を読むことを止めてはならないと思い、3/1分の箇所で昨日と今日、二回デボーションをすることになった。どうであれ神の御言葉に触れ、黙想することが私には必要なのだ。願わくばこの献げ物を神様が喜んでくださるように。

Prayer(祈り)

イエス様、貴方は曆を問わず、居てくださるお方です。わたしはイエス様に真実を尽くしたいです。力も頭も足りないものですが御言葉だけは読み、貴方を思うことを続けます。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。

霊と肉(マルコ8:31-36)

Scripture(聖書の言葉)

“それからイエスは、人の子は多くの苦しみを受け、長老たち、祭司長たち、律法学者たちに捨てられ、殺され、三日後によみがえらなければならないと、弟子たちに教え始められた。イエスはこのことをはっきりと話された。するとペテロは、イエスをわきにお連れして、いさめ始めた。

しかし、イエスは振り向いて弟子たちを見ながら、ペテロを叱って言われた。「下がれ、サタン。あなたは神のことを思わないで、人のことを思っている。」

それから、群衆を弟子たちと一緒に呼び寄せて、彼らに言われた。「だれでもわたしに従って来たければ、自分を捨て、自分の十字架を負って、わたしに従って来なさい。自分のいのちを救おうと思う者はそれを失い、わたしと福音のためにいのちを失う者は、それを救うのです。人は、たとえ全世界を手に入れても、自分のいのちを失ったら、何の益があるでしょうか。”

マルコの福音書 8章31~36節 聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会

Observation(観察)

ペテロはこの前の節で、イエス様がキリストである事を告白した。しかし、十字架の死と復活について語られたとたん、イエス様を諌め始めた。

ここでペテロは、イエス様の神性とミッションよりも、人としての、リーダーとしてのイエス様を心配したのだ。

Application(適用)

私たちは霊と肉で出来ている。肉である私は、時としてこの世の心配が先に立ってしまい、神の事を考えることが出来ないこともある。それでも、毎日少しずつ神の事を考える時間、領域を広めていけたらと思う。

Prayer(祈り)

イエス様、あなたは肉に過ぎない私を憐れみ、貴方を信じた霊の部分を尊いとしてくださいます。霊肉合わせての私です。不完全な存在です。でも、イエス様を優先したいです。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。

賜物が尽きた後に(Ⅰコリント13:8-10)

Scripture(聖書の言葉)

8 神からいただいた賜物や能力は、いつかは尽きます。しかし、愛は永遠に続きます。預言すること、異言で語ること、知識などの賜物は、やがて消え去ります。 9 たとえ特別な賜物が与えられていても、いま私たちの知っていること、預言することは、ほんの一部にすぎません。 10 しかし、私たちが完全な存在とされる時、これら不完全な賜物は不要になり、消え去ってしまうのです。

Observation(観察)

御霊の賜物はいつか私たちが完全な存在とされるとき消え去る、とある。同様に、「8 神からいただいた賜物や能力は、いつかは尽きます。」とも書かれている。気力、体力、記憶力、それらですさ私たちは止めておくことは厳しい、若い頃に出来たことが出来なくなってきて、衰えや悲しさを感じることがしばしばだ。

ただ、神を知ることだけは違う。聖書を読み黙想すれば無限の神の知恵が心に注がれ、神の思いが私の思いに変わってゆく。「私たちが完全な存在とされる時」それがいつになるのかは分からない。ただこの道を進んでゆこう。

Application(適用)

逆説的になるが、20代からあれもこれもと奉仕してきたが、結局大きな身を結ぶことはできて居ない。事をなす中身が空っぽだった、という事なのだろう。今になって中身を埋めるように聖書を読んでいる。少しでもイエス様のお考えに近づきたい。

Prayer(祈り)

能力や賜物と感じていたものが小さくなって、私の心の中で、ようやくイエス様がクローズアップされてきました。これが神様の望まれた私のありようなのかは分かりません。ただ神様は賜物を喜ぶのでは無く、神と人を愛することを喜ばれることが分かりました。そのようなものに私を変えて下さい。

イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。

イエス様の話を聞く(マルコ6:1-6)

Scripture(聖書の言葉)

まもなくイエスはその地方を去り、弟子たちを連れて故郷の町ナザレに帰られました。 2-3 次の安息日に、イエスが会堂に出かけて話をされると、聴衆はその教えに驚きました。イエスのことを、自分たちと同じ、ただの田舎者だと思っていたからです。

「あれのどこがおれたちと違うというんだ。ただの大工のせがれじゃないか。母親はマリヤだし、ヤコブやヨセやユダやシモンは兄弟だ。妹たちだって、われわれとこの町に住んでいるじゃないか。」こうして、町の人たちはイエスに背を向けました。 4 そこで、イエスは言われました。「預言者(神に託されたことばを語る人)はどこででも尊敬されます。ただ、自分の故郷、親族、家族の中ではそうではありません。」 5 そのため、わずかの病人に手を置いて治されただけで、そこでは何一つ力あるわざを行うことができませんでした。 6 イエスは、ナザレの人たちの不信仰に驚かれました。

Observation(観察)

イエス様は宣教を始められた故郷のナザレに帰られた。会堂で説教をすると。「聴衆はその教えに驚きました。イエスのことを、自分たちと同じ、ただの田舎者だと思っていたからです。」とある。かつての知り合いが、立派に神の教えを告げている姿に、理解しがたい思いを持ったのだろう。「町の人たちはイエスに背を向けました。」とある。彼らはイエス様のことを聞こうとしなかった。

Application(適用)

「あれのどこがおれたちと違うというんだ。ただの大工のせがれじゃないか。母親はマリヤだし、ヤコブやヨセやユダやシモンは兄弟だ。妹たちだって、われわれとこの町に住んでいるじゃないか。」神を神とするには、信仰が必要だ。ナザレの人々は、イエス様と真剣に向き合うことをせず、イエス様も力ある働きが出来なかった。

わたしたちはどうだろうか、イエス様を、良い教えを説いた人、の枠で片付けてしまっては居ないだろうか。生ける力ある神の子、として心の中心に居てくださることを怠っていないだろうか。イエス様の力ある技を人生を求めるなら、イエス様に聞こう、期待しよう

Prayer(祈り)

イエス様、貴方を中心にして生きたいと願うものですが、なかなかうまく行きません。我が強いもので、あなたに心の中心を明け渡すことを見失います。毎朝こころを新しくして、貴方を礼拝します。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。

長血の女に学ぶ(マルコ5:27-34)

Scripture(聖書の言葉)

27 イエスがこれまでに行ったすばらしい奇跡を耳にした彼女は、人ごみにまぎれて近づき、背後からイエスの着物にさわりました。 28 「せめて、この方の着物にでも手を触れさせていただけば、きっと治る」と考えたのです。 29 さわったとたん、出血が止まり、彼女は病気が治ったと感じました。

30 イエスはすぐ、自分から病気を治す力が出て行ったのに気づき、群衆のほうをふり向いて、「今、わたしにさわったのはだれですか」とお尋ねになりました。 31 「こんなに大ぜいの人がひしめき合っているのです。それなのに、だれがさわったのかと聞かれるのですか。」弟子たちはけげんな顔で答えました。

32 それでもなおイエスは、あたりを見回しておられます。 33 恐ろしくなった女は、自分の身に起こったことを知り、震えながら進み出てイエスの足もとにひれ伏し、ありのままを正直に話しました。 34 イエスは言われました。「娘さん。あなたの信仰があなたを治したのです。もう大丈夫です。いつまでも元気でいるのですよ。」

Observation(観察)

長血を患った女は、イエス様に触れることが出来ると信仰を持って、こっそり近づき、イエス様の着物に触れた。結果彼女は癒やされた。

ここで、イエス様側の反応に注目したい。イエス様は「自分から病気を治す力が出て行ったのに気づき」とあり、癒しの力はイエス様が感覚としてもっておられたことが分かる。

私たちが神に触れるとき、神も触れられていることを認識して下さるのだ。このことでも、信仰は一方通行のものでは無く、人格的な交わりであることが理解できる。今も、私たちがイエス様に心を向け、祈るとき、イエス様は私たちのことを感じ、理解してくださっているのだ。

Application(適用)

先週はひどく体調が悪い中多忙が重なり、心配事も多い日々を過ごした。大きな問題が二つあったが、イエス様に助けを求め祈った後、不思議な方法でどちらも解決された。順調なときには気づかない神の恵みと守りが、ピンチになって改めて分からせて頂いた。平穏な日々であっても、神に守りと癒しを願うものでありたい。

Prayer(祈り)

イエス様、あなたは私たちのことを知っておられます。もはや貴方と私たちの間には隔てがなく、貴方に自由に会いに行けることを感謝します。どうか貴方との人格的な交わりの中に置いてください。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。

耳のある人になろう(マルコ4:9-13)

Scripture(聖書の言葉)

9 聞く耳のある人はよく聞きなさい。」

10 その後、イエスが一人になられると、十二人の弟子とほかの弟子たちが、そろってイエスに尋ねました。「先生。さっきのお話はどういう意味でしょう。」

11 イエスはお答えになりました。「あなたがたには、神の国の真理を知ることが許されていますが、ほかの人には隠されているのです。 12 預言者イザヤが言ったように、『彼らは見もし、聞きもするが、悔い改めて神に立ち返り、その罪を赦していただくことはない』(イザヤ6・9)のです。 13 それにしても、こんな簡単なたとえがわからないのですか。そんなことで、これから話すほかのすべてのたとえは、どうなることでしょう。

Observation(観察)

イエス様は御国の真理を喩えでで話された。一つはパリサイ派や祭司達に訴えの口実を与えないためもあったかもしれないが、「聞く耳のある人」に対して話されていた、という側面もあるのかもしれない。イエス様から直接お話を聞く機会があっても、ぼんやり表面上だけ聞いている人は喩えだけ聞いて首を傾げて去って行ったかもしれない。同様の喩えを聞いても、何を意味しているか真剣に聞く人は悟ってますますイエス様に聞き従うようになったであろう。

Application(適用)

現代でもぼんやりと時々聖書を開き、日曜日にぼんやりメッセージを聞いて過ごしてしまうなら、イエス様の私たちに本当に伝えたいことを聞きそびれてしまう。毎朝の聖書を読む時間、礼拝でメッセージを聞く時間に集中しよう。

また、無意識に理解しないようにしていることもあるかもしれない。心に秘めた負い目があるときには、メッセージが余りに鋭く、まぶしく、受け止めることを避けてしまう。私にもそのような経験がある。まっすぐに聖書に向き合い、イエス様のお話を聞くには、へりくだった、悔いた心が心が必要だ。

Prayer(祈り)

イエス様、自分の心をごまかさず、まっすぐに聖書に向き合う生涯を与えてください。先週は体調が悪くて大変でしたが、それでも聖書だけは離さずに過ごせたことを感謝します。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。