ステパノの殉教(使徒7:34-35)

Scripture(聖書の言葉)

34 わたしは、エジプトで苦しめられているわたしの民の姿を見、またその叫びを聞いた。わたしは彼らを救い出そうと下って来たのだ。行け。わたしが、あなたをエジプトに遣わす。』 35 こうして神様は、『だれがあなたを、おれたちの支配者や裁判官にしたのか』とユダヤ人たちに退けられたモーセを、もう一度、エジプトに帰らせたのです。モーセは初めて、イスラエル人の支配者、また解放者となったのです。

Observation(観察)

ステパノは、祭司達の糾弾に対し、イスラエルの成り立ちを説明することで応答する。特に、モーセによるエジプトからの脱出について多くの時間を割いている。

一度イスラエルから排斥されたモーセが、神に任命され再びイスラエル人の支配者、解放者となった、とステパノは述べている。これはユダヤ人によって十字架に付けられたイエス様が再び彼らの王として来られることを暗喩している。

このステパノの深い聖書理解はどこから来たのだろうか。市井の人ではここに到達することは出来ないように思う。ただただ、聖霊様による知恵と言うほか無い。

しかし、これらのステパノの言葉を聞いた祭司達は逆上し、ついに彼を石打ちで殺害する。時として霊的真実は人の心を刺す。

Application(適用)

ヨハネ3:34には「神がおつかわしになったかたは、神の言葉を語る。神は聖霊を限りなく賜うからである。」とある。聖霊様によってそのとき、語るべき言葉を与えられるのだ。わたしのことばはどうだろうか、無駄に多弁になっては居ないだろうか。真に語るべき言葉をいつも聖霊様に求めたい。私たち一人一人が歴史の分岐点に立っている。そこで果たすべき事柄を誠実に果たしたい。

Prayer(祈り)

イエス様、ステパノの殉教について学びました。なすべき事をなすべき時に行い、神を見上げて喜ぶ生涯として下さい。長く生きてきて、いままでそう多くのことは出来ませんでした。けれども、これからなすべきその一瞬を逃さずにするべき事を命がけでしたいです。その信仰を下さい。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。

執事を選ぶ(使徒6:2-4)

Scripture(聖書の言葉)

2 そこで十二人の使徒は、信者全員を召集し、こう提案しました。「私たち使徒が食料の配給の問題に時間をさくのは、よくありません。何よりも、神のことばを伝えることに専念すべきです。 3 そこで、愛する皆さん。この仕事にふさわしい人、賢明で、聖霊に満たされた人に、いっさいを任せることにしましょう。さあ回りをよく見回して、この人と思う人を七人選んでください。 4 そうすれば私たちは、祈りと説教と教育に打ち込むことができます。」

Observation(観察)

教会が大きくなるにつれて、様々な立場、グループの人たちが集うようになり、教会の運営に、時として摩擦や不満が出るようになってきた。使徒達が取った行動は、「この仕事にふさわしい人、賢明で、聖霊に満たされた人に、いっさいを任せることにしましょう。さあ回りをよく見回して、この人と思う人を七人選んでください。」とした、七人の執事を選出することにしたのだ。

そして、「4 そうすれば私たちは、祈りと説教と教育に打ち込むことができます。」とある。使徒達が御言葉に集中できるように、愛を持って人々をケアできる人々を選んだのだ。

Application(適用)

私たちは教会でみことばを学ぶだけで無く、その中の人間関係で、互いに優しくし、励まし合う、という使命をもっていると理解している。しかし、教会が大きくなり、各々の持っている責任が大きくなると、どうしても摩擦が生じてしまう。これらの問題を解決するには、できる限り当事者同士が誤解の原因を説くこと、聖霊様に満たされた、適切な助け人が間に立っていてくれることだと思う。ひとつひとつ、軋みを解決してゆこう。そして神様の臨在を持ち運ぶ群れとなろう。

Prayer(祈り)

イエス様、私自身も人間関係に痛みを抱えながら教会に通っています。こう抱えている時期では無いように思います、解決の方法を貴方の知恵で教えて下さい。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。

重要な神様の働き(使徒5:17-20)

Scripture(聖書の言葉)

17 これを知った大祭司と、その一族であるサドカイ派の人たちはみな、激しいねたみにかられ、 18 うむを言わせず使徒たちを逮捕し、留置場に放り込みました。

19 しかし、夜、主の使いが来て、留置場の戸を開け、使徒たちを外に連れ出して言いました。 20 「さあ宮へ行き、このいのちの教えを大胆に語りなさい。」

Observation(観察)

使徒達の起こす奇跡はますますめざましくなり、妬みに駆られた使徒達が捕縛されるのはこれで3度目である。しかしこの三度目でも神は彼らを解放し、イエス様の教えを伝え続けることを励ました。

三度も神の介入があるのに同じ事を繰り返す祭司や議員達もどうかと思うが、神の側からしても、この弟子達がエルサレムで奇跡の業を持って宣教することはとてつもなく重要なポイントだったのだろう。後の時代になって、書物になったことで、私たちは俯瞰的に考察できるが、当時を生きた使徒達は、ただ毎日、命がけで神に従う、それだけであったように思う。仮にそのような時代に生きたとして、そのような生き方をわたしは出来るだろうか。

Application(適用)

その答えは分からない。その人の使命はおかれた時代と神様の必然による。使徒達の命がけの宣教は勿論重要だが、今日僕の起こす何らかのアクション(例えば家族におはようとあいさつする)が、もしかすると歴史を変えるきっかけになるかもしれない。それだから、ひとつひとつの言葉、行動を大事にしよう。神様が喜んで用いて下さいますように。

Prayer(祈り)

イエス様、これまでの言動の乱雑さを悔い改めます。特に言葉を、心の中の恣意を改めて行きたいです。

イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。

イエス様と一緒にいたから(使徒4:13)

Scripture(聖書の言葉)

8 その時、ペテロは聖霊に満たされ、落ち着きはらって答えました。「わが国の名誉ある指導者、ならびに長老の方々。 9 お尋ねの件は、あの足の悪い男のことで、どのようにして彼が治ったかということでしょうか。 10 そのことなら、あなたがた、いやイスラエルのすべての人たちに、はっきりお話ししたいのです。この出来事は、あなたがたが十字架につけ、神様が復活させてくださった、あのメシヤ(救い主)、ナザレのイエスの名と力とによるのです。 11 メシヤのイエスは、まさに『建築士たちの捨てた石が、最も重要な土台石になった』(詩篇118・22)と聖書にある、その石なのです。 12 この方以外には、だれによっても救われません。天下に、人がその名を呼んで救われる名は、ほかにないのです。」

13 あまりにも大胆なペテロとヨハネのことばに、議員たちは驚き、たじたじとなりました。二人は明らかに、教育も受けていなければ、宗教の専門家でもないのです。とうとう、イエスといっしょにいたからそうなったのだ、と認めないわけにはいかなくなりました。

Observation(観察)

足萎えの男の癒しの件で尋問を受けたペテロとヨハネは、聖霊様によって言葉を与えられ、公然と反論する。そして「12 この方以外には、だれによっても救われません。天下に、人がその名を呼んで救われる名は、ほかにないのです。」とはっきりと宣言する。

議員達は驚いた。無学なガリラヤの漁師に過ぎない男達が、力あることばで理路整然と語っている。そしれ彼らの最終的な理解は「イエスといっしょにいたからそうなったのだ」いうことであった。イエス様と共に過ごしたことが彼らの内面を変化させ、さらに聖霊様によって語るべき言葉を与えられたのだ。

Application(適用)

人は人によって育てられる。弟子たちは3年間という短い時間だったかもしれないが、イエス様によって彼らの内面を確実に変化された。

今の私の人格もこれまで関わってきた人々と交わした言葉によって作られたものだ。良い影響を与えてくれた人も多いが、悪い考え方を植え付けて行った人もいる。

今私は、もう一度みことばと聖霊様の語りかけによって、自分を作り直したい。

特に時として現れる卑しい発想や言葉を追い出し、前向きな愛に満ちた言葉を用いるように変えられたい。自ら発した言葉で、私の思想、考え方の癖を神様に喜ばれるものに立てあげてゆきたい。

Prayer(祈り)

イエス様、自分の内面を覗き込むたびに、その醜さ、愚かさを感じます。私は家族のためにも自分自身のためにも変化されなければならないと感じます。毎日一歩ずつ、みことばを受け取って自分を作り上げている言葉を置き換えてゆきたいです。自分はこれで良いと開き直る事をやめます。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。

神の教えに親しむ(出エジプト17:13-16)

Scripture(聖書の言葉)

13 翌日、モーセはいつものように座って、朝から夕方まで人々の間の不平や訴えを聞いていました。 14 全く息つく暇もありません。モーセのあまりの忙しさに驚いたイテロが聞きました。「一日中こんなに大ぜいの人が、あなたに相談しにやって来るとは。どうして、この山のような仕事を一人だけで片づけようとするのか。」

15-16 「それは、難しい問題が起きると、みな私のところへ来て判断を仰ぐからです。裁判官のように、どちらが正しいか、どちらが間違っているかを決めたり、神様が求める生き方はどういうものかを教えたりします。みんなのために神のおきてを実際問題に当てはめて裁くのです。」

Observation(観察)

この箇所では、モーセがイスラエル人一人一人の問題に面談して解決を与えていたことが描かれている。舅のイテロは驚き、民を組織化して小さな問題は自分たちで解決することを提案する。民族の自治の方法としては妥当な方法だ。

一方、注目すべきはこの時点でモーセには十戒が与えられていなかったことだ。神の教えは明文化されておらず、イスラエル人に数百年伝わる伝承が信仰の基準になっていたと考えられる。

それでは人々は自分の考え通りにしか行動しない。神の民を率いるには明確な基準が必要であった。(それでも彼らは言うことを聞かず40年間荒野をさまよったのだが)

新薬の時代はどうであろうか、ヘブル書では「わたしは、わたしの律法を彼らの思いの中に入れ、彼らの心に書きつける。(8:10)」と書かれている。「思い」と「心」感情と理性に神は働きかけて下さるのだ。

Application(適用)

心が乱れたり、悩んでいるときは御言葉が遠くになってしまう事がある。聖句が思い出せなかったり、実際に聖書を開くことが億劫になってしまうことがしばしばだ。しかし、御言葉はこころに書き付けられている。私たちに必要なのはちょっとした行動なのだ。SNSを開く前に通読箇所のブックマークを開く。休憩の時に過去のデボーションを読み返す、どんなことでも良いので神様に一歩近づこう、そうすれば神様も大きな一歩で近づいて下さる。

Prayer(祈り)

イエス様、人間ですので元気のあるときも無いときもあります。でもどんなときでも変わらないのは御言葉です。自分の気持ちよりも御言葉にすがりたいです。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。

聖霊様の働き(使徒2:2-6)

Scripture(聖書の言葉)

2 さて、イエスの死と復活から、七週間が過ぎました。五旬節(ユダヤ教の祭りの一つ)の日のことです。信者たちが一堂に集まっていると、 2 突然、天からものすごい音がしました。まるで、激しい風が吹きつけるような音です。それが、家全体にごうごうと響き渡ったのです。 3 そして、めらめら燃える炎の舌のようなものが現れ、みなの頭上にとどまりました。 4 するとどうでしょう。その場にいた人たちは、みな聖霊に満たされ、知りもしない外国語で話し始めたではありませんか。聖霊が、それだけの力を与えてくださったのです。

5 その日エルサレムには、たくさんの敬虔なユダヤ人が、祭りのために、世界のあちこちから集まっていました。 6 この大音響に、人々はいったい何事かと駆けつけましたが、弟子たちの話していることばを聞いて、すっかり面食らってしまいました。まぎれもなく自分たちの国のことばだったからです。

Observation(観察)

ペンテコステの日、集まっている弟子達の所に炎の舌が下った。「その場にいた人たちは、みな聖霊に満たされ、知りもしない外国語で話し始めたではありませんか。聖霊が、それだけの力を与えてくださったのです。」とある。

聖霊様の働きについては諸派によって全く扱いが違っている。が、わたしは、個人的に聖霊様を体験し、異言で祈ることを覚え、また、日本語を全く分からない人から、異言で日本語での言葉を聞いた経験から、この聖書の箇所を否定することは出来ない。

他国の言葉で語る、という現象は、福音を全世界に持って行くということの現れだ。すなわち、聖霊様の登場によって、キリスト教の舞台は、ユダヤの一地域から全世界に拡大することになる。

Application(適用)

聖霊様を体験することは、今の私を支えている大きな柱だ。いのりのことばを導き、御言葉を示し、どん底に落ちたときに再び立ち上がる力を与えて下さったのは聖霊様に他ならない。苦しい状況に合っても私は一人では無い。もう一度立ち上がろう。

Prayer(祈り)

イエス様、聖霊様を約束どおり送って下さって感謝します。今も望みをもって信仰を守れているのは、聖霊様の働きに他なりません。今、苦しいところを通っていますが、私の心を新しくして、立ち上がることが出来るようにして下さい。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。

聖霊のバプテスマを思い出す(使徒1:4-7)

Scripture(聖書の言葉)

4 そんなある時のことです。イエスは使徒たちに、こうお命じになりました。「エルサレムから離れてはいけません。前にも言ったように、父が約束を果たしてくださるまで、待っていなさい。 5 バプテスマのヨハネは水でバプテスマ(洗礼)を授けましたが、もうすぐ、あなたがたは聖霊によるバプテスマを受けるからです。」

6 そこで、またイエスが姿を現された時、使徒たちは心躍らせながら、「主よ。今こそイスラエルを解放し、独立国として再興なさるのですか」と尋ねました。

7 「それがいつかは、父がお決めになります。あなたがたが、あれこれ言うことはできません。 8 しかし、聖霊があなたがたに下る時、あなたがたは大きな力を受け、エルサレムからユダヤ全土、そしてサマリヤから地の果てまで、わたしの死と復活を伝える証人となります。」

Observation(観察)

イエス様が昇天なさる前、聖霊によるバプテスマについて言及される。「もう一人の助け主」(ヨハネ14:16)として聖霊様による満たしを受ける、ということだ。私たちの受けた洗礼を思い出してみよう。全身をくまなく水に沈め、新しい人生の始まりを記念した。同様に頭の先から足先まで、聖霊様が満たして新しい人として生かして下さると聖書は言っている。

そればかりではない、「エルサレムからユダヤ全土、そしてサマリヤから地の果てまで、わたしの死と復活を伝える証人となります。」とも言われた。聖霊様の力はイエス様を証する力なのだ。もしも聖霊を受けたと主張していながらイエス様を証するのを拒んでいるなら、そこには何らかの欺瞞が有る。もしもまだ力が無いと感じるなら、イエス様に求めよう。イエス様は必ず求めに応じて、聖霊様を注いで、明確に体験として、私たちがバプタイズされたことを理解させて下さる。

Prayer(祈り)

イエス様、聖霊様が注がれた日のことは忘れたことがありません。この日からイエス様を証ししたいという気持ちで生きてきました。この気持ちがぼやけることが決してありませんように。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。

エルサレムに戻る(ルカ24:28-34)

Scripture(聖書の言葉)

28 そうこうするうち、エマオに近づきましたが、イエスはまだ旅を続ける様子です。 29 二人は、じきに暗くなるから、今晩はここでいっしょに泊まってくださいと熱心に頼みました。それでイエスもいっしょに家に入りました。 30 食卓に着くと、イエスはパンを取り、神に祝福を祈り求め、ちぎって二人に渡しました。 31 その瞬間、二人の目が開かれ、その人がイエスだとわかりました。と同時に、イエスの姿はかき消すように見えなくなりました。 32 二人はあっけにとられながらも、「そう言えば、あの方が歩きながら語りかけてくださった時も、聖書のことばを説明してくださった時も、不思議なほど私たちの心が燃えていたではないか」と語り合いました。33-34 そして、すぐエルサレムへ取って返しました。

Observation(観察)

十字架に架けられたイエス様が復活されたという噂を聞きながらも、弟子達はエルサレムを逃れ、エマオへの道を歩いていた。その途上、復活されたイエス様に出会う(しかし彼らはそれと気づかなかった)。宿に着き、パンをちぎって渡した途端、彼がイエス様だと理解した。パンをちぎる行為は、生ける御言葉であるイエス様の身が裂かれる、という意味でもあり、沢山の教会が植えられ(聖餐式がなされ)、御言葉が全世界に広げられるという意味でもある。あるいは弟子が最初に連想したのは、山上の垂訓の際のパンの増殖の奇跡であったのかもしれない。

彼らがイエス様だと気づくとと共に、イエス様のお姿は消えてなくなった。しかし彼らの心に残ったのは寂しさや絶望では無く、御言葉に対する熱い思いであった。彼らは踵を返し、再びエルサレムを目指すのであった。

Application(適用)

失敗したときや、どうしようもない事情で悪い選択をしてしまうとき、私たちには罪悪感が芽生える。あらゆる責任を投げ出して、布団をかぶってやり過ごしたい気分だ。しかしそのようなときでも、ふと心が軽くなる瞬間がある。御言葉を思い出すときもあれば、過去に経験した何か楽しいことの事もある。そのような心を切り替えて下さる瞬間に、イエス様がそばにおられると信じたい。人生はとても長い、重荷は重く、そして苦も楽も沢山ある。けれども、みことばを思い出したなら、私はエマオに逃げるのでは無く、エルサレムに取って帰りたい。仮に苦しみが同じであっても、神の近くに居たいのだ。

Prayer(祈り)

イエス様、悲しみに沈むときは目がかすみ、御言葉も心に留まりません。しかし弟子達に現れて下さったように、思いを再びあなたに向けるチャンスを下さい。

御教えから逃げること、信仰を棄てることも出来たかもしれません。けれども私はあなたにすがります。楽な人生などはじめから有りません、ならばせめて貴方の荷を負いたいのです。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。

どうしてもしなければならない事(ルカ23:50-52)

Scripture(聖書の言葉)

50-52 そのころ、ユダヤの最高議会の議員で、アリマタヤ出身のヨセフという人が、ピラトのもとに行き、イエスの遺体を引き取りたいと願い出ました。彼はメシヤが来るのをひたすら待ち望んでいた神を敬う人物で、他の議員たちの決議や行動には同意していませんでした。 53 ヨセフはイエスの遺体を十字架から降ろし、長い亜麻布に包んで、まだだれも葬ったことのない、岩をくり抜いた新しい墓に納めました。

Observation(観察)

罪人として十字架に付けられたイエス様に積極的に関わろうとする人はもう居なかった。弟子達ですらそうだった。彼らは指導者を失った喪失感で崩れ落ちていたかもしれない。しかし、一人の人物だけがイエス様の葬りの準備を進める。アリマタヤのヨセフである。共観福音書ごとに記述は異なるが、イエス様のシンパであり、信仰深い人物であったようだ。

他のユダヤ人達の狂騒的なイエス様への害意のなかで、彼の行動には非常に危険が伴ったと思う。それでも彼は自分のなすべき事をした。彼の立場も危ういものになったのかもしれないが、どうしてもこの時、彼がすべきことはこれだったのだ。このヨセフのように、ピンポイントで重要な働きをすえう人物が聖書には登場する。(クレネ人シモンや聖骸布のヴェロニカ)

Application(適用)

先日のロバの子の話にも共通するが、歴史にはその瞬間「どうしても起きなくてはならない事柄」があるような気がしてならない。言い換えれば、神の計画は必ず成る、と言うことだ。

もしも私たちがその場に居合わせ、その働きをするよう促されたなら、恐れずにそれをしよう。そのために私たちは生まれてきたのだ。

Prayer(祈り)

イエス様、星々に各々役割があるように、人々にも各々役割があると分かりました。長く光り続ける星もあれば、一瞬夜空を照らす働きの星もあるかもしれません、あるいは何十年もたってから理解される彗星の様な星もあるかもしれません。

私の時、私の役割は分かりませんが、それと分かったとき、命も賭してそれを成し遂げられますように。

イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。

神の働きをする為に(出エジプト記4:11-12)

Scripture(聖書の言葉)

11 「人間の口を造ったのはだれか。神であるわたしではないか。人が話せたり話せなかったり、目が見えたり見えなかったり、耳が聞こえたり聞こえなかったりするのは、だれの力によることか。 12 さあ、ぐずぐず言わず、わたしの言うとおりにしなさい。はっきり話せるように助け、何を話すかも教えよう。」

Observation(観察)

燃える柴の所でエジプトからイスラエル人を救い出す召命を受けたモーセであったが、くちべたであることを理由に断ろうとする。神はこの聖書の箇所のように、人間の能力を強めることも弱めることも神にはお出来になることを告げ、モーセを励ます。

(それでもモーセは譲らず、代わりに兄アロンを代弁者としてもらうようにする)

Application(適用)

私たちが神にあれをしなさい、と明確に示されるとき、自分の実力が明らかに足りないときがある。出来ません、と断ってしまうことも過去にはあった様に思う。

しかし、いまは、多少時間がかかっても、実力が足りない課題でも、まずは分かりました、と答えるようにしている。肯定的な答えから道が拓かれ、必要なリソースが集まることを経験的に知っているからだ。

神は丸投げの神では無い。せよと言ったことにはそれが出来る根拠があり、助けの用意が必ずある。それを信じて神の働きを共に喜ぶか、退いて指をくわえて眺めるか、それは私たちの選択だ。わたしはいつも「はい、やります」と答えたい。

Prayer(祈り)

イエス様、このときのモーセはもう80歳であったと聞いています。心も体もこわばっていたかもしれません。私も若くは無いですが、神様の呼びかけには応えられる様に自分を整えたいです。心身の健康を求めます。病の中に放っておかないで下さい。私はまだ役に立てるものです。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。