神の恵みを数える(箴言20:12)

Scripture(聖書の言葉)

12 目が見え、耳が聞こえるなら、
目と耳を与えてくれた神に感謝しなさい。

Observation(観察)

とてもシンプルな、けれども大事な言葉だ。私たちは持っていない物、手に入れられなかった物を嘆くが、すでに持っている物には関心を失う傾向にある。今持っている物を与えて下さったのは神なのだと御言葉は明言している。健康を失いかけると、症状に一喜一憂し、痛みがあれば大騒ぎして嘆く。自分が持っていない才能や資産を持っている人を見ると何故与えてくれないのかと神に文句を言う。これは神に従う者の姿勢ではない。「数えてみよ主の恵み」という聖歌がある。私たちが今持っている物を数えだしたら、一晩あっても足りないだろう。妻、住居、楽器、聴覚、視覚、親族・・・これを当たり前のものと考えず、元々何一つ持っていなかった私に、神が特別に下さったものと考えるなら、私たちは持っていない物に不満を述べることなど出来ない。

Application(適用)

一つの例として、楽器を弾くこと、がある。正直僕は音楽の才能に乏しく、病気の後遺症もあり、ギターはもう単純なコードしか弾くことが出来ない。腕がこわばってフレット間を移動することが難しいのだ。一緒に奏楽する人々の音楽的素養をうらやんでばかりいた。それでも、今持っている能力を最大限生かして神を賛美することに用いたい。音楽ばかりではない。あらゆる領域で僕は客観的に見たら中途半端な不出来な存在だ。それでも、神は良しとしてくださる。他者がどう見ようと、自分がどう感じようと。それ以上に神が喜んでくださるかどうかが重要なのだ。堂々と半端物でいよう。努力も惜しまないがもしもそれが実を結ばなくても、それでも堂々と神に喜ばれているものと自分を受け入れよう。

Prayer(祈り)

イエス様、元々不完全な僕が、足りないものを嘆くよりも、頂いたものを喜んでいる方が遙かに神が喜ばれる、価値のあることだと分かりました。人をうらやむより神に愛されていることを先にします。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。

赦すことは難しい(ロマ12:17-19)

Scripture(聖書の言葉)

17 悪いことをされても、決して仕返しをしてはいけません。だれが見ても、あなたがたの正直さを認めるように行動しなさい。 18 だれとも争ってはいけません。できる限り、あらゆる人と仲よくしなさい。 19 愛する皆さん。決して自分で復讐してはいけません。復讐は神に任せなさい。なぜなら、神が、「当然報復を受けなければならない人には、わたしが報復する」(申命32・35)と言っておられるからです。

Observation(観察)

パウロは、他の人との接し方について、「善を持って悪に打ち勝ちなさい」と言っている。悪に対する復讐は神の役割であり、私たちが同じ悪の泥仕合に加わってはいけないという事だ。
とはいえ、人の悪意を感じるときには何とも怒りがこみ上げてくる。歳を取ったせいか、軽んじられることに過剰に敏感になっているようにも感じる。人を許すことは簡単ではない。相手が詫びてくれば簡単なのかもしれないが、何事もなかったかのように振る舞う相手に対し、一方的に許すことは並大抵の精神力ではできない。
このような僕だが、今時点で唯一分かるのは、「イエス様は本当に許しがたい人々を許して下さった」事だ。十字架の下では誰一人イエス様に詫びた人は居ない、かえって悪態をつき嘲笑っていた。このような人々のためにイエス様は赦しを祈られたのだ。わたしはイエス様の様にはなれないし、悪意をぶつけてきた人を未だ許すことは出来ない。しかし、イエス様が赦しがたい人々(僕を含む)を赦して下さったという事実の重大さに今更ながら気づかされている。


Prayer(祈り)

イエス様、赦すことの困難さを学ばされています。憎み恨むことの簡単さに比べ、赦すことは辛く苦しいです。イエス様がそれを私のためにして下さったことをただ感謝します。いつか人々を赦せますように。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。

ユダヤ人のために(ロマ11:28-31)

Scripture(聖書の言葉)

28 今のところ、ユダヤ人の多くは福音に敵対し、それを憎んでいます。しかし、そのことはかえって、あなたがたには益となりました。というのは、神がその救いの賜物をあなたがた外国人に与えてくださることになったからです。しかし彼らユダヤ人は、神がアブラハム、イサク、ヤコブにお与えになった約束のゆえに、今でも愛されているのです。 29 神の賜物と招きは決して取り消されないからです。 30 あなたがたは以前は神に逆らっていましたが、ユダヤ人が神の賜物を拒んだので、代わりに神のあわれみを受けることになりました。 31 そして今、ユダヤ人は神に逆らっていますが、いつの日か彼らもまた、あなたがたの受けている慈しみとあわれみを共に受けるようになるのです。

Observation(観察)

この手紙が書かれたのは二千年前だが、ユダヤ人とキリスト教の関係は大きく変わってはいない。今もユダヤ人は来るべきメシアを求め祈っている。パウロは私たち外国人が福音の救いに与ることでユダヤ人の目を覚まし、神に立ち返ることを神は期待されていると述べている。原罪の社会情勢を見るにユダヤの人々はますます頑なになっているように見える。ユダヤ人へのミッションも数多くある。しかしこの領域には特別な神の干渉が必要に感じる。人間的な努力で成し遂げてはいけない、ただ神の栄光を帰すような方法が有るのでは無いだろうか。「神の賜物と招きは決して取り消されない」とパウロは言っている。「エルサエムの平安のために祈れ」ともある。この困難な時期こそエルサレルが神に立ち返るように祈り求めよう。


Prayer(祈り)

イエス様、かつてイスラエルを訪れたときのような平和は失われてしまいました。敵対と破壊、殺人が毎日のように行われています。イスラエルがイエス様に立ち返ることを願います。人間的なアプローチはことごとく失敗しました。ただ神にすがります。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。

伝道を続けよう(ロマ10:16-17)

Scripture(聖書の言葉)

16 しかし、福音(キリストによる救いの知らせ)を耳にした人がみな、喜んで受け入れたわけではありません。預言者イザヤが、「主よ。彼らに語った時、だれが私のことばを信じましたか」(イザヤ53・1)と言っているとおりです。 17 信仰は、キリストについてのことばに耳を傾けることから始まるのです。

Observation(観察)

前節では多くの人々の伝道によって福音が各地に伝えられたことが書かれている。しかし、「福音(キリストによる救いの知らせ)を耳にした人がみな、喜んで受け入れたわけではありません。」とある。現代日本においても福音を聞く機会は探せば幾らでも見つかるだろう。町々には各教派の教会が建ち、観光名所になっているところも多い。私が信仰を持つきっかけは函館のトラピスチヌ修道院を観光に訪れたことにあった。多くの人は一度は福音を聞く機会はあったのではないだろうか。それでも救いの招きに応じる人は少ない。それだけこの世の価値観から神の価値観にジャンプすることは難しいということなのだろう。けれども私たちは同胞を見捨てることは出来ない。もはや物質主義で幸せを求めることは破綻寸前に来ている。魂の救い無くして幸せは訪れない。あらゆる機会を持ってイエス様を伝える事を続けて行こう。


Prayer(祈り)

イエス様、人々がイエス様について耳を傾ける機会を少しでも多く持つことが出来ますように。どのような方法があるか教えて下さい。あなたに呼ばれている人をあなたの元に連れてきたいです。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。

知恵は呼ばわる(箴言9:10-12)

Scripture(聖書の言葉)

10 知恵の基本は、主を恐れ、大切にすることです。
物事がよくわかるようにしたければ、
まず神を知りなさい。
11 「生きがいのある実り多い人生を
送らせてあげよう」と、知恵は勧めます。
12 知恵は知恵ある人を助けます。
知恵をあざけるなら、自分が傷つくだけです。

Observation(観察)

如何に神に誠実に正しく生きるかが、知恵の目的だ。ならばその神がどのような方であるかを知らなくては、私たちの知識や思索は永遠に知恵に結びつかない。ある解釈では神の知恵とは聖霊様であるとしている。聖霊様によって私たちは神を理解し、誠実に、そして豊かに生きることが出来るのだ。「知恵は知恵ある人を助けます」とある。聖霊様無くして私たちは知恵を得ることはない。「知恵のはじめに、知恵を得よ」と聖書は言っている。大胆に神の知恵を、聖霊様を求めよう。


Prayer(祈り)

イエス様、知恵と悟りを求めます。内面にある古い自分の誘惑を避けて神の方を向くには、あなたの言葉と聖霊様の働きかけが必要です。この世のことよりも御言葉を連想する者にして下さい。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメ

聖霊様によって生きる(ローマ8:11-14)

Scripture(聖書の言葉)

11 そして、もしイエスを復活させた神の御霊が、あなたがたのうちに住んでおられるなら、神はこの同じ御霊によって、あなたがたの滅ぶべき体をも生かしてくださるのです
12 ですから、愛する皆さん。あなたがたの古い罪の性質がどんなことを要求しても、それに応じる必要は全くありません。 13 もし古い性質に従い続けるなら、道に迷い、やがて滅びるしかありません。しかし、もし御霊の力によってそれを打ち砕くなら、あなたがたは生きるのです。
14 神の御霊によって導かれる者はだれでも、神の子どもだからです。

Observation(観察)

古い罪の性質、すなわち原罪についてパウロは数章に渡って語っている。生まれ持った性質であり、絶えず私たちに罪を犯すように要求し続けてくる。しかしパウロは「それに応じる必要は全くありません。」そして「もし御霊の力によってそれを打ち砕くなら、あなたがたは生きるのです。」と言っている。原罪の誘惑を打ち砕くのは聖霊様なのだ。そしてその力の大きさは「イエスを復活させた神の御霊」とあるように、死すら打ち破るほどに力あるお方なのだ。罪によって死ぬ者では無く、御霊によって生きる者となろう。

Application(適用)

聖霊様のことをいつの間にか見失ってしまうことがよくある。その様な時は、罪と咎に目を覆われて、見えなくなっているのかもしれない。けれども御言葉はいつも聖霊様を思い起こさせて下さる。如何に大きな力が私たちの内にあるのか、気づかないことは本当に勿体ない、そして申し訳ないことだ。

Prayer(祈り)

イエス様、あなたの御霊である聖霊様を見失うことが多かったように思います。若いことは口癖のように聖霊様のことを語っていたように思います。今一度、その様な者にして下さい。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。

律法の束縛、キリストの自由(ロマ7:2-5)

Scripture(聖書の言葉)

2 一例をあげれば、女性は結婚すると、夫が生きている限り、律法によって夫に束縛されています。しかし夫の死後は、もはや束縛されません。結婚の規定はもう適用されないのです。 3 ほかの男性と結婚したいなら、結婚してかまいません。そのようなことは、夫が生きているうちは罪ですが、夫の死後なら、やましいことは少しもないのです。

4 同様に、かつて律法は、あなたがたの「夫」すなわち主人でした。しかし、あなたがたはキリストと共に十字架上で死んだのですから、律法との婚姻関係は解消されました。もう律法に支配されることはありません。そして、キリストの復活と同時に、あなたがたも復活し、新しい人になりました。今は、死者の中から復活された方と結ばれているのです。それは、神のために良い実を結ぶためです。 5 私たちの古い性質がまだ生きていた時には、欲望が私たちの中で思うままにふるまい、神の命令に逆らって、罪深い行いという死に至る腐った実を結びました。

Observation(観察)

パウロは律法の支配を婚姻に例えている。結婚している間は婚姻にまつわる律法のゆえに妻は夫に支配されるが、夫の死後は妻はそれらの律法から解放される。

私たちはかつては律法に支配されていたが、イエス様の十字架の死によってその支配から解放されているとパウロは言っている。そればかりか、律法と別れた私たちは、復活されたイエス様に結ばれ、神のための良い実を結ぶことができる様になるとされている。かつて原罪に支配されていた時には、「罪深い行いという死に至る腐った実を結んだ」とされている。誤解を恐れずに言えば、主人を変えるということは生み出す実を変えてゆくということだ。これからの生涯、私たちは何を生み出したいか、神の喜ばれる良い御霊の実か、それとも死に至る腐った実か。選択は私たちに委ねられている。

Application(適用)

私たち人間は何かに頼らなければ、よりかからなければ生きていけない弱い存在なのだと学ばされている。しかし何に寄りかかるかを私は真剣に見極めなければならない。朽ちかけた老木のような自分を頼るか、煌びやかに飾った罪の誘惑に自分を委ねるか、それとも神の知恵を求め、みことばをしたいもとめるか、人生の後半にかかりますますその選択は重要になっている。知恵を呼び求め、真剣に神と共に生きる生涯を選びたい。

Prayer(祈り)

イエス様、律法の支配からイエス様の十字架の下に移され、神の愛を生きる道に移してくださり感謝します。パウロも述べている通り律法そのものは悪ではありませんが、そればかりを見ていては罪を想起させそこにフォーカスしてしまいます。むしろイエス様が何をされどのように人々を愛されたかを見て、神の愛を見続ける者になりたいです。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。

御声に応答する者(ロマ6:8-11)

Scripture(聖書の言葉)

8 罪を愛する古い性質がキリストと共に死んだのですから、確かに私たちは、キリストの新しいいのちを共有しているのです。 9 キリストは死者の中から復活されたので、もう二度と死ぬことはありません。死には、もはやキリストを支配する力がないのです。 10 キリストは、罪の力にとどめを刺すために、ただ一度死なれました。しかし今では、神との絶えることのない交わりの中に生きておられます。 11 ですから、あなたがたの古い罪の性質も、罪に対して死んだもの、反応しなくなったものとみなしなさい。そして、その代わりに、私たちの主イエス・キリストに結ばれ、神に対して生きる者、神の御声に敏感に応答する者となりなさい。

Observation(観察)

罪の性質は私たちの生まれながらの性質として、長く私たちの人生に同居していた。あらゆる神の御思いに反逆し、肉の欲望に拘束しようとする者。私の仮面を被り、まるで自分の真の欲求であるかのようにこの世の価値観を押しつける者。この難敵にどれほど私たちは苦しめられていることだろう。しかし、もはや罪は力を失っている。イエス様が「罪の力にとどめを刺すために、ただ一度死なれ」たからだ。罪はもはや拘束力を持っていないことを隠して相変わらず私たちを誘惑し続ける。パウロは「あなたがたの古い罪の性質も、罪に対して死んだもの、反応しなくなったものとみなしなさい。」と言っている私たちの古い性質は、罪の誘惑によって励起される必要のないものなのだ。これに対になることばとして「主イエス・キリストに結ばれ、神に対して生きる者、神の御声に敏感に応答する者となりなさい。」
罪の誘惑ではなく、神の御声に応答する者となるのだ。神の御声を求めよう。罪の呼ぶ声が聞こえなくなるくらい神の御声で満たされよう。

Prayer(祈り)

イエス様、御言葉にはいつも希望があります。困難や罪の誘惑、自分の弱さでへこたれそうになっていても、御言葉はいつも私を励まし、再び立ち上がる力を与えて下さいます。今日も明日も御言葉を頼りに生きます。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。

肉体の死と霊的ないのち(ロマ5:17-19)

Scripture(聖書の言葉)

17 アダム一人の罪により、死はすべての人を支配するようになりましたが、神から、罪の赦しと無罪放免という無償の贈り物をいただく人はみな、イエス・キリスト一人によって、いのちに支配されるようになります。 18 アダムの罪はすべての人に刑罰をもたらしましたが、キリストの義は、人々を神の前に正しい者とするのです。それで、人々は生きることができるのです。 19 神に従わなかったアダムは多くの人を罪人にしましたが、神に従ったキリストは、多くの人を神に受け入れられる者としてくださいました。

Observation(観察)

パウロは、アダムの罪は、人々に肉体の死をもたらした、と言っている。ではアダム以来の人間の罪はどう精算されるのだろうか、それは霊的な死、すなわち地獄にゆく事を意味する。しかし、「神から、罪の赦しと無罪放免という無償の贈り物をいただく人はみな、イエス・キリスト一人によって、いのちに支配されるようになります。」と書かれており、イエス様による贖いを受け入れる物は霊的な死を逃れ、罪の赦しを得ることになる。肉体的にはアダムの子孫である私たちはやがてその肉の死を迎える。しかし霊的ないのちをイエス様から頂いているなら、死は終わりではない。新しい霊的ないのちの始まりなのだ。

Prayer(祈り)

イエス様、神に従わなかったとき、私の霊的な命は死んだ物となって今明日。イエス様を受け入れたとき、それは再び生きた者となったのです。肉の求める欲望ではなく、霊がすることを求める神への捧げ物を生涯を通してして行けますように。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。

神に信頼する物(ローマ4:16-17)

Scripture(聖書の言葉)

16 そういうわけで、神の祝福は、無償の贈り物として、信仰によって与えられるのです。ユダヤ人の慣習に従うか否かに関係なく、アブラハムと同じ信仰を持っているなら、神の祝福を確実にいただけるのです。信仰の面から言えば、アブラハムは、私たちすべての者の父です。 17 聖書に、「神はアブラハムを多くの国民の父とされた」とあるのは、この意味にほかなりません。神はどこの国の人でも、アブラハムと同じように、神に信頼する者をみな受け入れてくださるのです。神ご自身が、すなわち死者を生き返らせ、未来の出来事をすでに実現したかのような確実さでお語りになる神ご自身が、そう約束しておられるのです。

Observation(観察)

信仰義認、すなわち行いによってではなく神に全面的に信頼することで人は正しいと見なされる、というパウロの中心的な教えはこの箇所にも表れている。私たちが今日、なんらかの失敗をしたとしても、悔い改めるなら、神の救いは失われることはない。逆に人間の目には正しい行いを続けていても、神により頼らず、自分が正しいと考えている物には神の救いはない。何かに寄りかかるとき、それがしっかりした物か、倒れてしまわないか確認するだろう。人間は自分自身を支えるほどしっかりしたものでは無い。ちょっとしたアクシデントで崩れ落ちてしまう。むしろ目に見えなくても消して倒れない神に頼ることを私は選び続けたい。


Prayer(祈り)

イエス様、何度となく自分の弱さと失敗を見てきました。本当に自分を頼りにすること、自分を支えることは、心身共に出来ないと昨日も今日も思いました。だからあなたに頼ります。助けて下さい。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。