新しい生活(エペソ2:8-10)

Scripture(聖書の言葉)

8 あなたがたは、恵みにより、キリストを信じることによって救われたのです。しかも、そのキリストを信じることすらも、あなたがたから自発的に出たことではありません。それもまた、神からの賜物(贈り物)です。 9 救いは、私たちの良い行いに対する報酬ではありません。ですから、だれ一人、それを誇ることはできません。 10 私たちをこのように造り変え、キリスト・イエスによる新しい生活に入れてくださったのは神です。この新しい生活は、神がずっと以前から計画してくださったものであり、私たちが互いに助け合って過ごすためでした。

Observation(観察)

キリストを信じて救われた者は、神によって「新しい生活に入れて下さった」とある。その目的は「私たちが互いに助け合って過ごすため」と書かれている。パウロが述べているのは霊的な共同体である。かつて隔てられていたユダヤ人と異邦人は、教会という大きな家族となったのだ。イエス様が打ち壊して下さったのは律法という隔てだけではなくユダヤ人と異邦人の間の差別と憎しみである。今日も国家間の争いは絶えない。イスラエルは建国以来、殆どの期間を紛争の当事者として過ごしている。あるいは多くの国は移民の問題を抱えている。さらには個人の問題として他人とのわかり合えない悩みがある。隔ての板垣は国籍や文化だけではない。個人の利益や感情を優先するほど人間は孤立して行く。イエス様の望まれている生き方からどれほど離れてしまっていることだろう。

Application(適用)

いま自分に出来ることは何だろうか。自分の利益や立場に固執することを捨てて、他人を利することに思いを変えてみることではないだろうか。感情に痛みはあるかもしれないが、これまで通りの方法では、これまで通りの結果しか出ない。孤立と孤独の生涯の方向を、協同と和解の人生に変えてゆきたい。

Prayer(祈り)

イエス様、わかり合えない事を理由に孤独を選んでいました。今はすこしでも他者を解ろうと努めます。これまでの考えの癖が邪魔し的ます。助けて下さい。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。

聖霊様(エペソ1:13-14)

Scripture(聖書の言葉)

13 このキリストによって、あなたがたも救いを約束する福音を聞き、キリストを信じるようになりました。そして、キリストに属する者であるという証印を、聖霊によって押していただきました。 14 私たちのうちに住まわれる聖霊は、神が約束のものをほんとうに与えてくださるという保証です。私たちに押された聖霊の証印は、神がすでに私たちを買い取り、ご自分のもとに引き取ってくださっていることを保証するのです。これが、栄光の神をほめたたえる、もう一つの理由です。

Observation(観察)

パウロは「聖霊は、神が約束のものをほんとうに与えてくださるという保証です」と述べている。この文章は「信仰とはいったい何でしょう。それは、望んでいることが必ずかなえられるという確信です。」に類似している。またパウロは使徒19:2でこのエペソの人たちに「信じたとき、聖霊を受けましたか」と聞いていた。当時エペソの人たちは聖霊様のことを知らなかった。誰も教える人が居なかったからである。
聖霊様の実在は、体験することで理解される。しかし誰かがこの方を紹介することが必要であった。私たちは聖霊様を体験するとき、聖書の約束は真実であると都度確認し、約束のものを与えて下さる事を信頼するのだ。
教会によっては聖霊様について多く語る所もあれば、ほとんど語らないところもある。それでも聖書66巻を信じるというのであれば聖霊様の存在を否定することは出来ない。

Application(適用)

僕は信仰を持って最初の一年間ほど、聖霊様を求めて呻いていた。三日間の断食を持って望んだある集会で、祈りの中で心の中で何かが爆発し、異言が口を衝いて止まらなくなった。心の中の信仰と口が一体になった様な感覚だった。それから30年以上、信仰的なときも不信仰な時も聖霊様は僕を離れる事は無い。祈りを助け、御言葉の理解を与え、苦しむときも支えて下さっている。一信徒に過ぎない私が聖霊論について語ることは出来ないが、支えられて信仰生活を続けてきたという事実がある。もしも問われることがあればいつでも証ししたいと思う。

Prayer(祈り)

イエス様、あなたの御霊である聖霊様を送って下さり感謝します。聖霊様無しでは信仰生活はありませんでした。もっと歓迎し、もっと手をしっかり握って、この世の生活を信仰を持って過ごしたいです。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。

偽りを見破る(ロマ16:17-19)

Scripture(聖書の言葉)

17 この手紙を終える前に、もう一つ言っておきたいことがあります。キリストについて今まで学んできたことに反することを教えて、分裂を引き起こし、人々の信仰をくつがえすような人たちから離れなさい。 18 そのような教師たちは、主イエスのために働いているのではなく、自分の利益を求めているのです。彼らは口が達者なので、純朴な人たちはしばしばだまされるのです。 19 しかし、あなたがたが忠実であり、また真実であることは、だれもが知っています。ほんとうにうれしいことです。私は、あなたがたがいつも、何が正しいかについては鋭敏で、一方、いかなる悪にもうとい者であってほしいと願っています。

Observation(観察)

時として教会には、異なった教えを持ってくる人が訪れることがある。その様な人は、はじめは一般的な信仰者の様なふりをして近づいてくるが、徐々に異なった教えを伝え始め、がん細胞の様に教会の機能を分裂させ、破壊して行く。重要なのは早い段階でそれを見抜いて、取り込まれる人を起こさない事だ。彼らは成果を上げられなければ次の場所を求めて去って行く。クリスチャンの美徳である謙遜さや受け入れる心を悪用されることのないように、一人一人が祈り深くある必要がある。また教会全体を見渡して、異状が無いか見守る人も必要だ。パウロは「何が正しいかについては鋭敏で、一方、いかなる悪にもうとい者であってほしい」と言っている。悪に詳しいことは良いことではないが、正しさに鋭敏であることは良いことだと思う。
教会が間違った教えに侵食されないように、御言葉をしっかりと心に植え、聖霊様にいつも知恵を求めよう。

Prayer(祈り)

イエス様、正しい教えをいつも思う心を与えて下さい。歪んだ教えや考えがが来たときすぐに分かるためにです。あなたの道をまっすぐに歩んで行けますように。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。

砕かれた者になろう(箴言25:15)

Scripture(聖書の言葉)

15 小さな水のしずくでも、
長い間には堅い岩をけずります。
同じように、じっと忍耐していれば、
やわらかい舌が堅い骨を砕くことになるのです。

Observation(観察)

この数ヶ月、自分の心の頑なさを感じることが多い。他者の小さな悪意の言葉をどうしても赦すことが出来ないのだ。もしもこの頑なさが年齢によるものだったら、状況はどんどん悪化するかもしれない。なんとかこれを避けなければならない。そのような中、この御言葉は慰めになった。「やわらかい舌が堅い骨を砕くことになるのです。」私の頑な思い、許せない思いも御言葉が砕いてくださる。許せないあの人もこの人も、私の思いが変えられて許せる日が来る。そのためにも毎日御言葉に触れよう。砕かれた人になろう。


Prayer(祈り)

イエス様、こんな歳になって自分の頑なさに直面するとは思いませんでした。もしかしたらメッキが剥げただけなのかもしれません。私は砕かれることが必要です。謙虚な、低くなった者に変えて下さい。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。

多様な価値観の中で生きる(ロマ14:6-7)

Scripture(聖書の言葉)

6 もし、主を礼拝するために特別な日を守っているなら、主をあがめようとしてすることなので、良いことなのです。偶像に供えた肉を食べる人についても、同じことが言えます。彼はその肉のことで主に感謝しているのですから、正しいのです。そんな肉には触れようともしない人もまた、主に喜んでいただこうと願うからそうするのであって、感謝しているのです。

7 私たちは、自分のために存在しているのではなく、主のために存在しているのです。

Observation(観察)

私たちクリスチャンは、各々の状況に応じ、様々な教会、群れに集っているが、教会の中であっても経験やバックグラウンド、習慣の異なる人たちが集まっており、結果として様々な価値観を持つ人たちの集団になっている。そうなると当然いろいろな摩擦が起きてくる。よかれと思って行ったことが別の人にとっては過去の傷を抉るようなことであったり、摩擦をさけてかえって希薄な人間関係の中に埋没してしまう人もいる。言い換えればどのような行動も全ての人が一様に満足できるようなことは出来ないということだ。他者を尊重しようと努力しても自ずと限界がある。互いに不完全な人間が集まっているのだから当然の帰結と言えるのかもしれない。
ただ、御言葉はどう教えているか、この事にフォーカスすることが人間関係に疲れ切らない秘訣があるような気がする。「7 私たちは、自分のために存在しているのではなく、主のために存在しているのです。」私自身の存在は私のためではない。私を嫌な目に合わせた彼、彼女も彼らのために存在しているのではない、ただ神の為に存在するのだ。だから私は私の存在を否定できないし、気の合わない人々を否定することもすべきではない。ただ神を肯定する事だけが私が群れの中でポジティブに生きて行く道だと感じる。


Prayer(祈り)

イエス様、何度も他者を否定し、逃げ、新しいところでやり直そうとしては失敗してきました。今回はそうではない道を選びたいです。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。

神の恵みを数える(箴言20:12)

Scripture(聖書の言葉)

12 目が見え、耳が聞こえるなら、
目と耳を与えてくれた神に感謝しなさい。

Observation(観察)

とてもシンプルな、けれども大事な言葉だ。私たちは持っていない物、手に入れられなかった物を嘆くが、すでに持っている物には関心を失う傾向にある。今持っている物を与えて下さったのは神なのだと御言葉は明言している。健康を失いかけると、症状に一喜一憂し、痛みがあれば大騒ぎして嘆く。自分が持っていない才能や資産を持っている人を見ると何故与えてくれないのかと神に文句を言う。これは神に従う者の姿勢ではない。「数えてみよ主の恵み」という聖歌がある。私たちが今持っている物を数えだしたら、一晩あっても足りないだろう。妻、住居、楽器、聴覚、視覚、親族・・・これを当たり前のものと考えず、元々何一つ持っていなかった私に、神が特別に下さったものと考えるなら、私たちは持っていない物に不満を述べることなど出来ない。

Application(適用)

一つの例として、楽器を弾くこと、がある。正直僕は音楽の才能に乏しく、病気の後遺症もあり、ギターはもう単純なコードしか弾くことが出来ない。腕がこわばってフレット間を移動することが難しいのだ。一緒に奏楽する人々の音楽的素養をうらやんでばかりいた。それでも、今持っている能力を最大限生かして神を賛美することに用いたい。音楽ばかりではない。あらゆる領域で僕は客観的に見たら中途半端な不出来な存在だ。それでも、神は良しとしてくださる。他者がどう見ようと、自分がどう感じようと。それ以上に神が喜んでくださるかどうかが重要なのだ。堂々と半端物でいよう。努力も惜しまないがもしもそれが実を結ばなくても、それでも堂々と神に喜ばれているものと自分を受け入れよう。

Prayer(祈り)

イエス様、元々不完全な僕が、足りないものを嘆くよりも、頂いたものを喜んでいる方が遙かに神が喜ばれる、価値のあることだと分かりました。人をうらやむより神に愛されていることを先にします。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。

赦すことは難しい(ロマ12:17-19)

Scripture(聖書の言葉)

17 悪いことをされても、決して仕返しをしてはいけません。だれが見ても、あなたがたの正直さを認めるように行動しなさい。 18 だれとも争ってはいけません。できる限り、あらゆる人と仲よくしなさい。 19 愛する皆さん。決して自分で復讐してはいけません。復讐は神に任せなさい。なぜなら、神が、「当然報復を受けなければならない人には、わたしが報復する」(申命32・35)と言っておられるからです。

Observation(観察)

パウロは、他の人との接し方について、「善を持って悪に打ち勝ちなさい」と言っている。悪に対する復讐は神の役割であり、私たちが同じ悪の泥仕合に加わってはいけないという事だ。
とはいえ、人の悪意を感じるときには何とも怒りがこみ上げてくる。歳を取ったせいか、軽んじられることに過剰に敏感になっているようにも感じる。人を許すことは簡単ではない。相手が詫びてくれば簡単なのかもしれないが、何事もなかったかのように振る舞う相手に対し、一方的に許すことは並大抵の精神力ではできない。
このような僕だが、今時点で唯一分かるのは、「イエス様は本当に許しがたい人々を許して下さった」事だ。十字架の下では誰一人イエス様に詫びた人は居ない、かえって悪態をつき嘲笑っていた。このような人々のためにイエス様は赦しを祈られたのだ。わたしはイエス様の様にはなれないし、悪意をぶつけてきた人を未だ許すことは出来ない。しかし、イエス様が赦しがたい人々(僕を含む)を赦して下さったという事実の重大さに今更ながら気づかされている。


Prayer(祈り)

イエス様、赦すことの困難さを学ばされています。憎み恨むことの簡単さに比べ、赦すことは辛く苦しいです。イエス様がそれを私のためにして下さったことをただ感謝します。いつか人々を赦せますように。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。

ユダヤ人のために(ロマ11:28-31)

Scripture(聖書の言葉)

28 今のところ、ユダヤ人の多くは福音に敵対し、それを憎んでいます。しかし、そのことはかえって、あなたがたには益となりました。というのは、神がその救いの賜物をあなたがた外国人に与えてくださることになったからです。しかし彼らユダヤ人は、神がアブラハム、イサク、ヤコブにお与えになった約束のゆえに、今でも愛されているのです。 29 神の賜物と招きは決して取り消されないからです。 30 あなたがたは以前は神に逆らっていましたが、ユダヤ人が神の賜物を拒んだので、代わりに神のあわれみを受けることになりました。 31 そして今、ユダヤ人は神に逆らっていますが、いつの日か彼らもまた、あなたがたの受けている慈しみとあわれみを共に受けるようになるのです。

Observation(観察)

この手紙が書かれたのは二千年前だが、ユダヤ人とキリスト教の関係は大きく変わってはいない。今もユダヤ人は来るべきメシアを求め祈っている。パウロは私たち外国人が福音の救いに与ることでユダヤ人の目を覚まし、神に立ち返ることを神は期待されていると述べている。原罪の社会情勢を見るにユダヤの人々はますます頑なになっているように見える。ユダヤ人へのミッションも数多くある。しかしこの領域には特別な神の干渉が必要に感じる。人間的な努力で成し遂げてはいけない、ただ神の栄光を帰すような方法が有るのでは無いだろうか。「神の賜物と招きは決して取り消されない」とパウロは言っている。「エルサエムの平安のために祈れ」ともある。この困難な時期こそエルサレルが神に立ち返るように祈り求めよう。


Prayer(祈り)

イエス様、かつてイスラエルを訪れたときのような平和は失われてしまいました。敵対と破壊、殺人が毎日のように行われています。イスラエルがイエス様に立ち返ることを願います。人間的なアプローチはことごとく失敗しました。ただ神にすがります。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。

伝道を続けよう(ロマ10:16-17)

Scripture(聖書の言葉)

16 しかし、福音(キリストによる救いの知らせ)を耳にした人がみな、喜んで受け入れたわけではありません。預言者イザヤが、「主よ。彼らに語った時、だれが私のことばを信じましたか」(イザヤ53・1)と言っているとおりです。 17 信仰は、キリストについてのことばに耳を傾けることから始まるのです。

Observation(観察)

前節では多くの人々の伝道によって福音が各地に伝えられたことが書かれている。しかし、「福音(キリストによる救いの知らせ)を耳にした人がみな、喜んで受け入れたわけではありません。」とある。現代日本においても福音を聞く機会は探せば幾らでも見つかるだろう。町々には各教派の教会が建ち、観光名所になっているところも多い。私が信仰を持つきっかけは函館のトラピスチヌ修道院を観光に訪れたことにあった。多くの人は一度は福音を聞く機会はあったのではないだろうか。それでも救いの招きに応じる人は少ない。それだけこの世の価値観から神の価値観にジャンプすることは難しいということなのだろう。けれども私たちは同胞を見捨てることは出来ない。もはや物質主義で幸せを求めることは破綻寸前に来ている。魂の救い無くして幸せは訪れない。あらゆる機会を持ってイエス様を伝える事を続けて行こう。


Prayer(祈り)

イエス様、人々がイエス様について耳を傾ける機会を少しでも多く持つことが出来ますように。どのような方法があるか教えて下さい。あなたに呼ばれている人をあなたの元に連れてきたいです。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。

知恵は呼ばわる(箴言9:10-12)

Scripture(聖書の言葉)

10 知恵の基本は、主を恐れ、大切にすることです。
物事がよくわかるようにしたければ、
まず神を知りなさい。
11 「生きがいのある実り多い人生を
送らせてあげよう」と、知恵は勧めます。
12 知恵は知恵ある人を助けます。
知恵をあざけるなら、自分が傷つくだけです。

Observation(観察)

如何に神に誠実に正しく生きるかが、知恵の目的だ。ならばその神がどのような方であるかを知らなくては、私たちの知識や思索は永遠に知恵に結びつかない。ある解釈では神の知恵とは聖霊様であるとしている。聖霊様によって私たちは神を理解し、誠実に、そして豊かに生きることが出来るのだ。「知恵は知恵ある人を助けます」とある。聖霊様無くして私たちは知恵を得ることはない。「知恵のはじめに、知恵を得よ」と聖書は言っている。大胆に神の知恵を、聖霊様を求めよう。


Prayer(祈り)

イエス様、知恵と悟りを求めます。内面にある古い自分の誘惑を避けて神の方を向くには、あなたの言葉と聖霊様の働きかけが必要です。この世のことよりも御言葉を連想する者にして下さい。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメ