真理の影(コロサイ2:16-17)

Scripture(聖書の言葉)


16 そういうわけですから、食べ物や飲み物のことで、あるいはユダヤ教の祭り、新月の儀式、安息日の決まりを守らないなどという問題で、だれにも批評させてはいけません。 17 それらは、キリストが来られる前にだけ有効であった、一時的な存在にすぎないからです。つまり、キリストという本体の影でしかなかったのです。

Observation(観察)


パウロは律法の様々な祭りや儀式、決め事を「キリストという本体の影」と評している。イエス様を予表する儀式に過ぎない、ということだ。イエス様ご自身が来られれば、その影に意味は無くなる。ユダヤ教においては律法の儀式がそれにあたるが、私たち異邦人に取ってはどうだろうか。様々な哲学、多様な宗教、イデオロギーの全てが真理そのものであるイエス様の影に過ぎないのではないだろうか。それにも関わらず相変わらずわたしたちはその影の解釈に追われている。何が正しいか二千年にわたって議論し、戦っている。
わたしたちは真理に立ち返らればならない。その知識や知恵の背後にある真実な方に立ち返られば成らない。


Prayer(祈り)


イエス様、真実に気づいても立ち返ることの難しさを知っています。真実に背をむけているならなおさらです。まずは神を知っている私たちが堂々と神をあかしし、イエス様を伝える者として下さい。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。

内住の神(ピリピ5:27-29)

Scripture(聖書の言葉)


その計画とは、「あなたがたの心の中に住むキリストこそ、栄光にあずかる唯一の希望である」ということです。 28 ですから、私たちはどこへ行っても、耳を傾けるすべての人にキリストを伝え、できるかぎりの手を尽くして、あらゆる人をさとし、教えています。そして、彼ら一人一人を、完全な者として神の前に立たせることができるようにと願っています。 29 これが私の務めです。キリストが私のうちに力強く働いてくださるからこそ、この務めを果たせるのです。

Observation(観察)


神の救いの計画について、パウロは「あなたがたの心の中に住むキリストこそ、栄光にあずかる唯一の希望である」と言っている。律法ではなく儀式でもなく、行いでも無く、ただ私たちの内にキリストが住んでいてくださり、そのお方の故に私たちは神の栄光、すなわち救いにあずかるということだ。私たちは内住のキリスト、すなわち聖霊様が私たちの内におられることをどれだけ意識しているだろうか。困ったときだけ引っ張り出して願いを言う、そんな対象になってはいないだろうか。神が内におられる、私たちの核であるということは、その神にしたがって生きる、ということに他ならない。神を中心にした生き方、それは会堂で祈るときも家で祈るときも、内住の神に祈り、その御思いに従う、という生きかたなのだ。

Application(適用)


不思議なようにこの重大な真理を、私はいつも忘れている。神が内におられるというのは大事件だ。ソロモンの神殿のような荘厳な建物よりもちっぽけな私の心を住処と選ばれたのだ。これほどの奇跡をいつも見失ってしまうことを恥じたい。しかし思い出させられた今は、このことを誇り、喜びたい。

Prayer(祈り)


イエス様、あなたの御霊である聖霊様が私の心に住んでくださっていることを思い出しました。けれどもあなたの声を聞こうとする思いがいつも何故か忘れさせられてしまいます。毎朝、聖霊様に聞く習慣を身につけたいです。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。

平安に生きる秘訣(ピリピ4:6-7)

Scripture(聖書の言葉)


6 何事も心配しないで、どんな時でも神に祈りなさい。そして、祈りに答えてくださる神に感謝しましょう。 7 そうすれば、人間の理解をはるかに超えた、すばらしい神の平安を経験します。キリスト・イエスにあって、その平安はあなたがたの心と思いを静め、安らかにしてくれるのです。

Observation(観察)


人生には、いつも困難やチャレンジがある。その様な中で苦しんで生きるか、喜んで生きるかは私たち一人一人に委ねられている。とはいえ、問題を前にして喜んでいることは難しい。園様な状況の中でも喜ぶ秘訣をパウロは「何事も心配しないで、どんな時でも神に祈りなさい。そして、祈りに答えてくださる神に感謝しましょう。」と言っている。
私は感情のコントロールに関して課題を持っていて、最近あれこれと文献を調べていた。そのなかで重要な発見があった。「人間は二つのことを同時に集中することが出来ない」と言う物だ。つまり、感謝しながら心配することは出来ない、ということだ。
私たちが神に頂いた魂の救いと、今抱えている問題を比べるならどちらが重要だろう。救いを喜ぶか、問題に沈むかは私たちの選択だ。勿論問題解決には苦労がある。しかし同じ苦労をするなら神を喜びながら苦労したい。神を喜ぶ所にはかならず花が咲くように神の祝福がある。それを見ながら生きてゆこう。

Prayer(祈り)


イエス様、労苦は絶えずありますが、喜んで生きるか苦しんで生きるかは選択できます。神に感謝し、平安を得ながら生きてゆきたいです。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。

心からの礼拝(ピリピ3:3)

Scripture(聖書の言葉)


3 肉体の一部を切り取りさえすれば、神の子どもになれるのではありません。霊をもって神を礼拝する者こそ、神の子どもなのです。その礼拝こそが、ただ一つの真の「割礼」です。クリスチャンが誇れることと言ったら、キリスト・イエスがなしてくださったみわざだけです。自分で自分を救うことなどとてもできないと、よく知っているはずです。

Observation(観察)


救いの条件として肉体的な割礼を必須と考えているユダヤの人々の考えに対し、パウロは救いの真の条件は「霊をもって神を礼拝する者」といっている。新改訳では「神の御霊によって礼拝し」と訳されている。すなわち私たちに求められているのは聖霊様による心からの礼拝、聖霊様によって感動された心でイエス様を讃えることなのだ。聖霊様によらない、人間的な考えだけで礼拝を過ごすなら、それは教会堂までの道のりをただ往復したことと変わらない。次の日曜日は自分の悩みや痛みを横に置いて、ただ神を礼拝することに集中しよう。

Application(適用)


霊とまことによる礼拝、と御言葉にあるが、三次元の存在ではない神を礼拝にするには、自分が自分の肉体や、この世の悩みに縛られたままでは、礼拝に至ることは出来ないと思う。逆に礼拝とは、神のおられる次元に行って、神を拝することを許されている機会なのだ、とも言える。「これらは、来たるべきものの影であって、本体はキリストにあります。」とある。現実世界こそが天の御国の本質の影なのだ。日曜日に神に出会う、という見えない世界での出来事が、見える世界を変えてゆくのだ。

Prayer(祈り)


イエス様、聖霊様によって、霊とまことの礼拝を献げる者と変えて下さい。あなたと出会い、私が変えられ、現実の諸問題が変えられてゆく体験をしたいです。あなたに期待します。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。

謙遜に生きる(ピリピ2:3-11)

Scripture(聖書の言葉)


3 自己中心であったり、見栄を張ったりしてはいけません。謙遜になって、他の人を自分よりもすぐれた者と考えなさい。 4 自分のことばかりにとらわれるのではなく、他の人のことにも目を向けなさい。

5 私たちに対するキリスト・イエスの態度を見ならいなさい。 6 キリストは神であられるのに、神としての権利を要求したり、それに執着したりはなさいませんでした。 7 かえって、その偉大な力と栄光を捨てて奴隷の姿をとり、人間と同じになられました。 8 そればかりか、さらに自分を低くし、犯罪人と同じようになって十字架上で死なれたのです。 9 しかし、それゆえに、神はキリストを高く天に引き上げ、最高の名をお与えになりました。 10 それは、その御名のもとに、すべてのものが天でも地でもひざまずき、 11 すべての口が「イエス・キリストは主です」と告白して、父なる神がほめたたえられるためです。

Observation(観察)


「 6 キリストは神であられるのに、神としての権利を要求したり、それに執着したりはなさいませんでした。」とある。これを見習うようにとパウロは諭している。イエス様の生涯は神であるにも関わらず、人として過ごし、そればかりか罪人として十字架につけられ死なれ葬られた。いつでも神としての立場と能力を持って状況を変えられたにも関わらず、である。
私たちも、持っている立場や権利はある。しかし声高にそれを要求するだけではイエス様に倣う生き方とは言えない。むしろ自分の立場より、他人の有り様を尊重し合う事が望まれる生き方だ。私たちはどれだけ隣人の必要を理解し、支えようとしているだろうか。むしろ妬み、奪い取る方向に心が向いていたりしないだろうか。どのようにしたら良いか解らなくなったらイエス様を見上げよう。その生き方を思い出して謙遜の道を歩もう。


Prayer(祈り)

イエス様、謙遜への道を学んでいます。自分を「神以外は何も持っていない」と理解する事から始めたいです。いままで隣人を励ますために生きる事を避けてきました。偽善ではなく心からそれが出来る様に私の心を変えて下さい。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。

霊的洞察力を身につける(エペソ7:9-10)

Scripture(聖書の言葉)

9 私は祈っています。どうか、あなたがたの愛が、もっともっと満ちあふれますように。同時に、霊的な知識と洞察力も、さらに深められますように。 10 それは、あなたがたに、善悪をはっきり見分ける力が備わり、主が来られる日まで、だれからも非難されることなく、心がきよく保たれるよう願うからです。

Observation(観察)

クリスチャンとしての神を愛する心と、神の共同体としての友愛は、イエス様の命じられたとおり、何よりも重要な物だ。同時に霊的な知識と洞察力が加えられることも重要だとパウロは論じている。その目的は「善悪をはっきり見分ける力が備わり、」とある。物事の善悪は時としてわかりにくい。この世のシステムは人々の価値基準を歪め、善悪の境界線を歪ませ、混乱させている。この数十年の間に、どれだけ常識と呼ばれる物が変わっただろうか。この常識に沿って生きるなら、絶えず善悪の基準線を書き直し続けるような生涯になるだろう。それはまるで竜骨の歪んだ船のようだ。それでは真っ直ぐに航海することは出来ない。
私たちはいつの世も変わらない神の基準を見上げ、それを現実の生活に適用しなければならない。背筋をしっかり伸ばしてぐらつかず歩くために、聖書から学び続け、神を知る知識からくる霊的な洞察力を頂こう。


Prayer(祈り)

イエス様、御言葉を人を裁くためではなく、敵の策略を見抜き、知恵深く生きる為に学ばせて下さい。高ぶりではなく謙虚さを身につけさせて下さい。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。

戦いと問題解決(エペソ6:12-18)

Scripture(聖書の言葉)


12 戦う相手は、血肉を持った人間ではなく、肉体のない者たちです。すなわち、目に見えない世界の支配者たち、この世を支配する暗闇の大王たち、それに、天にいる無数の悪霊です。

13 ですから、いつどんな攻撃にも対抗できるように、神のすべての武具を用いなさい。そうすれば、すべてが終わった時も、なおしっかり立てるでしょう。 14 しかし、そのためには、腰に真理の帯をしめ、神の承認という胸当てをつけなければなりません。 15 次に、平和の福音を伝えるために直ちに出発できる、丈夫なくつをはきなさい。 16 どんな戦いにも、守りの盾として必要なのは信仰です。これがあれば、サタンが射かけてくる火矢を消し止めることができます。 17 また、救いのかぶとをかぶり、御霊の下さる剣である神のことばを手にしなさい。

18 どんな時にも祈りなさい。どんなことでも、聖霊の考えにそって神にひたすら願い求めなさい。

Observation(観察)


パウロは、私たちクリスチャンが戦うべき相手は人間ではなく、悪魔であると喝破している。トラブルの中にあるとき、私たちは責める相手を探してしまう。しかし、問題の本質は信仰を引き下げ、人を憎むように仕向ける悪魔の暗躍にある。
パウロは御言葉の約束による武器と防具で完全武装して戦いに臨むよう励ましている。言い換えれば悪魔に相対するには神の約束をしっかりと受け取り、身につけていることが必要だということだ。霊的を攻撃を受けると、最初に御言葉の約束がこぼれ落ちてしまう。しっかりと約束を握りしめ、今が戦いの時であることを忘れてはならない。
最期に、「どんなことでも、聖霊の考えにそって神にひたすら願い求めなさい。」とある。私たちに様々な必要があるのは神はご存じだ。その願いを申し上げる際、「聖霊の考えにそって」祈るようにパウロは命じている。自分の方法で解決を求めるのではなく、聖霊様のお考えによって解決がされるように求めなければならない。自分のやり方を床に置いて、聖霊様が導いてくれる祈りを持って神に願い求めよう。


Prayer(祈り)

イエス様、問題の本質は悪魔による攻撃でありその目的は個人と教会の破壊です。何の武装もなくては打ち負かされてしまいます。御言葉の約束を思い起こさせて下さい。問題の解決の方法はあなたがご存じです。自分の方法は捨てます。あなたがお働き下さい。人の知恵よりあなたの知恵が遙かに優れているからです。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。

主について語り合う(エペソ5:17-20)

Scripture(聖書の言葉)

17 軽率に行動せず、主が望んでおられることを実行しなさい。 18 酒を飲みすぎてはいけません。そこには多くの悪が潜んでいるからです。むしろ、御霊に満たされ、支配していただきなさい。 19 聖なる歌をうたい、心の中で主に向かって賛美しながら、互いに主について語り合いなさい。 20 いつも、あらゆることを、主イエス・キリストの名によって、父なる神に感謝しなさい。

Observation(観察)

互いに主について語り合いなさい、とある。救われた直後は青年会で、あるいは家内と(当時婚約者)、さらには離れて暮らす家族に、イエス様のことを語っていたと思う。神のご計画がなんなのか、私の人生にはどんな希望があるか、神の為に何をしたいのか、外部から見れば気が狂ったようにキリスト一色であった。しかしいまはどうだろう。妻とですら神について話すことは少ない。スモールグループでも神を証する以上に体調の悪さを訴えている始末だ。こんな生涯を送りたかったわけではない。パウロが自身を「キリストに狂えるもの」と評したように、私はそれ以上にキリストに熱狂する者となりたい。


Prayer(祈り)

イエス様、歳を取って、心配事が増え、イエス様の事を考えることに集中することが難しい時があります。それでも全てを神に感謝します。再びキリストに狂えるものとして下さい。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。

全てを満たす方(エペソ4:8-10)

Scripture(聖書の言葉)


8 聖書の詩篇の作者は、こう言っています。

「(キリストは)復活してサタンに打ち勝ち、
勝利を得て天に帰られた時、
人々に惜しみなく賜物をお与えになった。」(詩篇68・18)

9 ここで、キリストが「天に帰られた」という点に注意してください。つまり、最初は天の一番高い所におられたのに、地の一番低い所に下られたことを意味します。 10 この下って来られた方が、天に帰られたのです。それは、キリストが、底辺から頂点に至るまで、あらゆる点であらゆるものを満たすためなのです。

Observation(観察)

イエス様は、天から来られて、33年間地上で過ごされた後、十字架につけられ、三日間黄泉に下り、よみがえられた後、再び天に挙げられた。それはモーセ以前の人類を含む、全ての人が救いのチャンスを受け取るためであった。天に帰られた、とあるのは本来のイエス様の居場所は天の父なる神の右の座であり、今はそこにおられ、私たちをそこに招いていて下さる、ということだ。チャンスは全ての人に満遍なくある。ただ、そのチャンスを伝える役割の人が必要だ。ある国に遣わされている人も、ある民族に遣わされる人も居るだろう。私たちも、伝えるべきある人に遣わされているはずだ。この御言葉が真実であるならば、私たちは必ずその人の前に立つ。そのために備えよう

Prayer(祈り)


イエス様、御言葉の備えをさせて下さい。伝えるべき人に伝えるべき言葉を持っているためです。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。

内面から強くなる(エペソ3:14-19)

Scripture(聖書の言葉)

14-15 神のご計画の深さと広さを思う時、私はひざをかがめて、天上と地上の家族の父である方に祈ります。 16 どうか、父なる神が、その栄光に満ちた無限の富の中から、御霊を通して人を内面から強くする力を、あなたがたに与えてくださいますように。 17 こうしてキリストが、信じるあなたがたの心に住んでくださいますように。 18-19 そして、神の愛がどれほど広く、どれほど高く、どれほど深いかを理解することができますように。さらに、あなたがたがキリストの無限の愛を知って、キリストの愛といのちに満たされますように。


Observation(観察)

パウロの祈りは、私たちが聖霊様によって内面から強くされることだと書かれている。私たちがどれだけ鍛えても、あるいは頑丈な鎧を着込んだとしても、内面の弱さを覚えるときがある。いや、正直にいえば、内面はずっと弱いままだ。理論武装や思い込みで強い振りをすることは出来るが、試練や艱難が来れば簡単に崩れ落ちてしまう。この弱さを受け入れてしまうことが最大の問題だ。
私はもっと自分に対して強くなれる。御言葉に自分を従わせることが出来る。そのことを信じよう。

Prayer(祈り)

イエス様、心身の弱さを覚えています。なにも出来ないという情けなさに沈みそうになります。どうか強くして、引き上げて下さい。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。