自分の心を見張る(ヘブル3:12-15)

Scripture(聖書の言葉)

12 皆さん。心が悪に染まって信仰をなくし、生ける神から離れることがないように、自分の心を見張りなさい。 13 まだ時間があるうちに、日々、互いにこのことを確かめ合いなさい。そうすれば、罪に惑わされて神に心を閉ざす人は一人も出ないでしょう。 14 もし私たちが、初めてキリストを信じた時と同じ気持ちで神に信頼し、最後まで忠実であれば、キリストにある祝福を受けることができるのです。 15 ですから、今この時がかんじんなのです。次の警告を、片時も忘れてはなりません。「今日、語られる神の声を聞いたなら、神の怒りを招いた時のように、心をかたくなにしてはいけない。」

Observation(観察)

罪の最も恐ろしいところは、神に心を向けなくなる事だ。アダムは知恵の木の実を食べた後、神から隠れた。もしも私たちの中に悔い改めていない罪があるなら、心が頑なになり、神の方を向かず、ますます罪に沈んで行く。ヘブル書では「罪に惑わされて神に心を閉ざす人」と表現されている。ヘブル書記者は「12心が悪に染まって信仰をなくし、生ける神から離れることがないように、自分の心を見張りなさい。 13 まだ時間があるうちに、日々、互いにこのことを確かめ合いなさい。」と呼びかけている。自分の心の状態をチェックすることと、互いに確かめ合うことで、神に対してオープンな心の状態を維持することが出来る。神に喜んで顔を向けることが出来る様、いま心を点検しよう。

Prayer(祈り)

イエス様、罪の中にいると心が暗くなり、どの方向を探してもあなたが見つからないような気がしたことを思い出します。悔い改めたときに初めて光が差したように感じました。いつでも悔い改める柔らかい心でいられますように。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。

いまも共におられるイエス様(ヘブル2:16-18)

Scripture(聖書の言葉)

16 私たちは、イエスが天使としてではなく、一人の人間、一人のユダヤ人として来られたことを知っています。 17 イエスは、あらゆる点で、兄弟である私たちと同じになることが必要だったのです。そうして初めて、イエスは、私たちにとってはあわれみ深く、神にとっては忠実な大祭司として、私たちの罪を取り除くことができたのです。 18 自ら試練と非常な苦しみを体験された主イエスだからこそ、試練にあえいでいる私たちを助けることがおできになるのです。

Observation(観察)

イエス様は人間としてこられた。人間としての弱さを持ちつつも神に従い抜く模範を示して下さったのだ。また人間として私たちの罪を身代わりとして受け取り、十字架にかかることで罪を購って下さったのだ。そのようなイエス様だからこそ今も試練の内にある私たちを気にかけて下さり、助けの手を延べて下さる。今困難や痛みの内にあるなら、イエス様に大胆に求めよう。

Prayer(祈り)

イエス様、あなたは今も私たちを憐れみ、気遣ってくださる方だと知りました。今の困難をイエス様に助けを乞います。痛いところも癒しを求めます。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。

神のご意志(ヘブル1:1-2)

Scripture(聖書の言葉)


神は昔、幻や夢や、時には直接の啓示などいろいろな方法で、預言者を通してご自分の計画を少しずつ明らかになさいました。 2 しかし今の時代には、ご自分の御子(イエス・キリスト)を通して語っておられます。

Observation(観察)


旧約の時代、神の意志は預言者を通して断片的に明らかにされてきた。しかし新約の時代はイエス様ご自身の存在、そしてイエス様が語られた言葉、さらにイエス様の御霊である聖霊様が神の意志を表して下さる。

Application(適用)


今この時代だからこそ、この三つの方法すべてで神の意志が表されている。しかし受け取る側がそれを無視したり、曲解したりしては台無しになってしまう。御言葉を正しく受け取れるよう祈ろう。

Prayer(祈り)


イエス様、御言葉を通して神様のご意志がどのようなものなのか知ることが出来ますように。わたしに知恵を増し加えて下さい。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。

目が開かれるために(イザヤ1:8-10)

Scripture(聖書の言葉)


8 続いて主の声がしました。「だれをわたしの民への使いとしよう。だれが行ってくれるだろうか。」

「主よ、私が行きます。私を使いに出してください。」

9 「では行って、こう言うのだ。

『おまえたちは、わたしのことばを何度も聞くが、
悟ることがない。わたしが奇跡を行うのを何度見ても、
それが何を意味するのか理解することができない。』
10 彼らの理解力をにぶらせ、耳を閉じ、
目を見えないようにしなさい。
彼らには、見たり聞いたり悟ったり、
また病気を治してもらったりするために、
わたしのもとに戻ってほしくないのだ。」

Observation(観察)


イザヤに告げられた民への宣告は、神の意図を理解しようとしない民の態度をみて、霊的な耳と目を閉じてしまうというものであった。捕囚になって牽かれて行くまで民の目は開かれなかった。
時として神はご自身を気づかせるために荒療治をされる。逆にそこまでされなければ解らないほど、私たちの目は霞み、耳は遠くなってしまう事がある。

Application(適用)


私個人は2年前、本当に心身共に打ちのめされる経験を経て、ようやく神の元に返ってきた(礼拝には出ていたし奉仕もしていたが、神が第一の生活ではなかった)。いまは神に愛されることを受け入れ神を愛するものとなった。人生を通して体験する痛みは消して無駄ではない。傷つく度もっと神を愛し、神に愛されるものになろう。

Prayer(祈り)


イエス様、いまだ足りないものですが、それでも愛されていることを感謝します。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。

生活の土台に信仰を置く(ユダ20-23)

Scripture(聖書の言葉)


20 しかし、愛する人たち。あなたがたは、今のきよい信仰を土台として、自分の生活をしっかり打ち立てなければなりません。そして、聖霊の力と励ましを受けて祈り、 21 いつも神の愛のうちにいなさい。そうすれば、神から祝福がいただけます。永遠のいのちに至らせる、主イエス・キリストの恵みを待ち望みなさい。 22 偽教師の惑わしに悩まされ、神の真理を疑う人々を心にかけなさい。 23 そういう人々を、地獄の火から奪い取って救い出しなさい。あるいは、親切にして、彼らが主を見いだすよう助けてあげなさい。しかし、彼らの罪に引きずられてはなりません。罪人である彼らに心はかけても、罪そのものは憎みなさい。

Observation(観察)


聖書は私たちが神の祝福を得るために、私たちの生活を信仰を土台とすること、聖霊様の力と励ましを受けて祈ること、神の愛に留まることを命じている。信仰を土台にする生活とは何であろうか。それはイエス様の示された愛を受け入れ、またイエス様の命じられたように神と人を愛する生き方だ。私たちがこの世の基準で生きようとすれば、この土台は簡単に覆ってしまう。すでに私たちはこの世から切り離された存在だと理解しなければならない。私たちはこの世のものでは無く、神のものなのだ。

Prayer(祈り)


イエス様、神と人を愛するために、イエス様が模範を示してくださいました。イエス様について行くものでありたいです。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。

神の愛に生きる(テトス3:5-7)

Scripture(聖書の言葉)


5 神は、私たちの罪のよごれを洗い落とし、心に聖霊を遣わして、新しい喜びで満たし、以前の悲惨な生活から救い出してくださいました。それは、私たちに救われる資格があったからではなく、ただ、神のあわれみによるのです。 6 神は、私たちの心にこの聖霊を豊かに注いでくださいました。これは、救い主イエス・キリストが成し遂げてくださった救いがあるからこそ実現したのです。 7 こうして神は、私たちを、ご自分の目にかなった正しい者と宣言してくださったのです。これは、神の恵み以外の何ものでもありません。私たちは今、永遠のいのちを受け継ぐことを認められ、実際にそれをいただく日を、心から待ち望んでいるのです。

Observation(観察)


イエス様の救いがあってこそ、神は私たちに聖霊様を注いでくださった。今の私たちがあるのは三位の神が私たちを愛してくださっているからなのだ。ともすれば私たちはその様な資格はありませんと言ってしまいたくなるかもしれない。けれども神の愛は私たちの否定も拒絶も関係なく、ただ一方的に愛を注ぎ続けてくださる。そればかりか「ご自分の目にかなった正しい者と宣言してくださった」のである。クリスチャンであるということは神に愛されているものと宣言されているのと同義だ。何をもってしてもこの愛にお返しをする事などできない。ただその愛を受け入れ、その愛の中に留まろう。

Prayer(祈り)


イエス様、もはや多くの言葉はありません。ただあなたの愛の中に済、育まれ、変化される私でありますように、イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。

いびつなクリスチャン(2テトス2:11-13)

Scripture(聖書の言葉)


11 というのも、永遠の救いという神からの一方的な恵みは、だれにでも提供されているからです。 12 しかも、この恵みをいただくと同時に、神が私たちに望んでおられることも実現するのです。それは、神を認めない生き方と罪にまみれた快楽とを捨て去って、日々神を敬う正しい生活を送ることであり、 13 偉大な神と救い主イエス・キリストとの栄光が現れる日を待ち望むようになることです。

Observation(観察)


神の救いを受け取ると同時に、神は私たちに望んでおられることを実現する。それは
1)神を認めない生き方と罪にまみれた快楽とを捨て
2)日々神を敬う正しい生活を送る
3)偉大な神と救い主イエス・キリストとの栄光が現れる日を待ち望むようになる
とある。救われた瞬間に全てが実現することは難しいが、教会の中での正しい教えと御言葉を日々読んで黙想することで、何年もかけ、少しづつ形になって行く物なのだろう。僕自身はどうかと聞かれれば随分凸凹した姿勢になっていると思う。生涯かけて矯正されて丸くなって行くのかなと思う。

Prayer(祈り)

イエス様、私の信仰のいびつさを知りました。バランスの取れた、円満なクリスチャンになれますように。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。

御言葉で変えられる(テトス1:1-4)

Scripture(聖書の言葉)


1 1-4 神のしもべであり、イエス・キリストの使徒であるパウロから、同じ信仰によって、私の真実の子となった愛するテトスへ。どうか、父なる神と救い主キリスト・イエスが、あなたに祝福と平安とを注いでくださいますように。私は、神に選ばれた人たちを信仰に導き、真理を教えるために遣わされた者です。神のことばの真理には、信じる人の生活を全く変える力と、永遠のいのちを与える力があります。これは、世界が造られる前からの神の約束です。神は、偽りを言うことがないお方です。それで今、約束どおり最善の時を選んで、この良い知らせを公表し、すべての人に告げ知らせる特権を私にゆだねられたのです。

Observation(観察)


訳によってニュアンスは異なるが、このリビングバイブルでは「神のことばの真理には、信じる人の生活を全く変える力と、永遠のいのちを与える力があります。」と表現されている。神の言葉は私たちの生活を変える力があるのだ。
では神の力はどう働くだろうか、先ず御言葉を読まなければ始まらない。読んだ御言葉を正しく解釈し、自分のものとして心に取り込まねばならない。自分勝手な解釈にならないためには聖霊様の知恵と、先人達の積み重ねてきた知識が必要だ。また食事と同じように、毎日きちんと、バランス良く受け取らねば、好みの御言葉だけを食べ続けて栄養失調になってしまう。だからこそ、計画的な通読が必要なのだ。御言葉を通して継続的な霊的成長を果たそう。

Prayer(祈り)


イエス様、御言葉を日々読むとき、私の心に変化を起こしてください。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。

神の言葉をしっかり伝える(2テモテ4:2-4)

Scripture(聖書の言葉)


2 どんな時にも、神のことばを熱心に伝えなさい。機会があろうとなかろうと、つごうが良かろうと悪かろうと、しっかりやりなさい。過ちを犯している人には忠告して、正しい道に引き戻しなさい。そして善を行うよう励まし、神のことばを教え続けなさい。 3 なぜなら、人々が真理のことばを耳ざわりだと敬遠し、自分につごうの良い話をする教師を求めて歩き回る時代が来るからです。 4 彼らは聖書の教えに耳を傾けようとせず、まちがった教えにしっぽを振ってついて行くのです。

Observation(観察)


正しい教えに対し人々が「耳障りだ」背を向け、自分に都合の良い話をする教師の方に向かってしまう時が来る、とパウロは継承している。現代こそが福音が世の中によって歪められている時代だと言える。カソリックを始め多くの教派が世の中の風潮に妥協している。けれどもパウロの訓戒は二千年前から「つごうが良かろうと悪かろうと、しっかりやりなさい。」である。正しく伝えるためには私たち自身が正しく御言葉を真っ直ぐに理解する事が必要だ。世に惑わされず、愚直に福音を受け取ろう。

Prayer(祈り)


イエス様、この10年の間にも、世の中の価値観は大きく変わってしまいました、これに追従する教会も多くあります。わたしはただ御言葉に立ちます。日々教えてください。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。

正しく生きる力である御言葉(2テモテ3:16-17)

Scripture(聖書の言葉)


16 神の霊感によって書かれた聖書は、何が真理であり、何が悪であるかをよく教えてくれます。また、私たちの生活をまっすぐにし、正しいことを行う力を与えてくれます。 17 こうして神は、私たちをあらゆる点で整え、どんな良い働きをも行う力を、十分に与えてくださるのです。

Observation(観察)


聖書は、何が神の喜ばれることか、そして何が神が悲しみ、憎まれることかを教えてくれる。私たち人間にも善悪の区別(と思っている)はあるが、とても主観的で曖昧なものだ。聖書は、そのいい加減なところを補完してくれる。また、「私たちの生活をまっすぐにし、正しいことを行う力を与えてくれます。」とある。人間が歩く姿勢を例に取れば、姿勢が崩れていたら、長い距離を痛みなく歩くことは出来ない。あちこちが痛み出し、目的地にたどり着くことは出来ないだろう。聖書は、私たちの霊的姿勢を正し、神のなさりたいことを共になす力を与えてくださる。日々御言葉を読み、黙想することで心を姿勢を正そう。


Prayer(祈り)

イエス様、この世では様々なプレッシャーや歪んだ価値観があり、私の霊的姿勢が崩れていることを感じます。背骨が曲がってしまったように真っ直ぐ歩けません。御言葉を通して正しさを教えてください。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。