新しい契約(エレミヤ31:33)

Scripture(聖書の言葉)


33 新しい契約とはこうだ。わたしは、わたしのおきてを彼らの心に刻みつける。そのため彼らは、わたしをあがめたいという気持ちになる。こうして、彼らは文字どおりわたしの民となり、わたしは彼らの神となる。

Observation(観察)


バビロン捕囚に対し、神はエレミヤを通してやがて結ばれる新しい契約について語られる。石や紙に書かれた律法ではなく、新しいおきては心に刻みつけられ、人々は心から神を崇めたいという気持ちになる、とある。

Application(適用)


私は心から神を崇めたいという願いを持っているだろうか、日々の忙しさに流されて、神との時間を十分に持っていないのではないだろうか。聖書通読、デボーションを続けているが、わたしの心はもっと変えられたいという欲求を持っている。若い頃の、あらゆる出来事を神に問い、結果の全てを神の栄光に帰す生活に戻りたい。

Prayer(祈り)


イエス様、歳を経るにつれ抱える物が多くなり、心を配らなくてはならないものも多くなりました。そんな中でも、いつも神を見上げるものでありたいです。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。

神の良い計画(エレミヤ29:10-14)

Scripture(聖書の言葉)


10 実際、おまえたちは七十年間バビロンにいることになる。そののち私は、おまえたちに約束しておいたすべての祝福を与え、故国に連れ戻す。 11 わたしは、おまえたちのために立てた計画をよく知っている。それは災いではなく祝福を与える計画で、将来と希望を約束する。 12 その時になったら、わたしはおまえたちの祈りに耳を傾ける。 13 真剣に探し求めるなら、おまえたちはわたしを見つけることができる。 14 そうだ。わたしはおまえたちに見つけられる。わたしはおまえたちを奴隷の身分から解放し、財産を回復し、追いやられた国々から集め、再び故国の土を踏ませる。

Observation(観察)


エレミヤ29:11も有名な聖書箇所で、この言葉から希望を得る人も多い。この箇所にも前提がある。それはバビロンでの70年間の捕囚である。エレミヤ書の中で神はその期間捕囚の民を守られるとある。またこの期間にも絶望せず生活を続け、子孫を持つように言われている。
神の祝福と民族の罪からの回復には十分に長い期間を神は設けられた。
私たちはインスタントに祝福を求める傾向がある。今日明日神が祈りに応えられるかを心配するよりも、長い年月を通して神はご自身の良い計画を成し遂げて下さる事を信じたい。

Prayer(祈り)


イエス様、私はいつもすぐに答えを求める祈りばかりをしています。今日神の計画はとても長く、入念な物だと知りました。目先のことに焦らず、神に信頼します。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。

この世の誘惑(1ヨハネ2:15-17)

Scripture(聖書の言葉)


15 この世と、この世のすべてのものに、心を奪われてはなりません。もし、それらを愛するなら、神を愛していないのです。 16 すべての世に属するもの――罪の性質から起こる欲望、性的な欲望、暮らし向きの虚栄心――は、神から出たものではなく、みな、この世の生み出したものです。 17 この世は、やがて滅び去ります。同時に、これらの禁じられた欲望も消滅します。しかし、常に神に従って歩む者は永遠に生きるのです。

Observation(観察)


この世に魅了されてはいけないとヨハネは警告する。この世の提供する魅力的な物事に心を奪われている時、私たちの心は神の方を向いていない。生活に必要な物を手にすることは勿論行うべきだが、欲望をかき立てるような物事に目を留めるべきではない。
この世はやがて滅び去る。全ての誘惑も消え去ってゆくのだ。しかし神に従う者はこの世が滅んだ後も神と共に生き続ける。言い換えれば神と共に生きる練習をこの世で行っているのかもしれない。

Prayer(祈り)


イエス様、この世の誘惑は激しいです。目に入る物殆どが欲望をかき立て、虜にしようとします。この世に生きることの難しさも感じますが、神のご計画に従いたいと願います。助けて下さい。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。

光を見つめる(1ヨハネ1:5-7)

Scripture(聖書の言葉)


5 神は光であられ、そのうちには少しも暗い部分がありません。これが、神が私たちにゆだねられた、あなたがたへの知らせです。 6 神と交わりがあると言いながら、暗闇の中で生活しているなら、私たちはうそをついているのです。 7 しかし、神の光の中におられるキリストにならって、私たちも光の中で生活すれば、互いにすばらしい交わりを持ち、神の子イエスの血が私たちをすべての罪からきよめるのです。

Observation(観察)


神は光であられる、とヨハネは明言している。光そのものには暗闇は存在しない。光源である神を見つめるなら私たちは暗闇を見ることはない。「神の子イエスの血が私たちをすべての罪からきよめるのです。」とは有名な聖句だが、この聖句には前提がある。「私たちも光の中で生活すれば、」である。神に近づき続けるなら、そこに罪のきよめがある。更にヨハネは「互いにすばらしい交わりを持ち、」と書続けている。お互いが神の方を向いていてこそ、人間関係は互いに仕えあうものとなり祝福されるのだ。

Prayer(祈り)


イエス様、暗闇を覗き込もうとする習性が人間にはあります。意思を持って光の方を見続けたいです。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。

それぞれの召し(ヨハネ21:18-22)

Scripture(聖書の言葉)


18 あなたは若い時にはしたいことをし、行きたい所に行きました。だが、年をとると、そうはいかなくなります。あなたは自分の手を伸ばして差し出し、だれかほかの人が、行きたくもない所へあなたを引っぱって行くのです。」 19 こう言われたのには訳がありました。ペテロがどんな死に方をして、神の栄光を現すかを知らせようとなさったのです。それから、「わたしについて来なさい」と言われました。 20 ペテロがふり向くと、イエスに愛された弟子(使徒ヨハネ)がついて来るのを見ました。最後の夕食の席で、イエスに寄りかかって、「主よ。裏切る者はだれですか」と尋ねたあの弟子です。 21 すると、ペテロの好奇心が頭をもたげました。「主よ。彼はどうなんです? どういう死に方をするのですか。」 22 「もう一度戻って来るまで、彼に生きていてほしいとわたしが思ったとしても、あなたとは何の関係もないでしょう。人のことは気にしないで、ただわたしについて来ればいいのです。」

Observation(観察)


ガリラヤ湖畔でペテロはイエス様に彼の最期について告げつつ「わたしについて来なさい」と語られた。一方ヨハネについてはどうなのかとペテロが尋ねると、人のことは気にしないで「あなたは、わたしに従いなさい(新改訳)」と答えられた。
実際ペテロは殉死し、ヨハネは使徒達の中で唯一生き延びるのだが、本質はそこではない。重要なのは一人一人にユニークな召しが有る、ということだ。実際同じ教会でも国籍も出自も違う人々が集まっている。それらの人々をみて羨んだり、逆に優越感を持ったりすることは私たち各々の神の召しとは無関係であり、かえってイエス様に従うことの邪魔になりかねない。横や後ろをみて躊躇するのではなく、「わたしに従いなさい」と招いて下さるイエス様について行こう。

Prayer(祈り)


イエス様、人生の目的や現在の状況について考える時に、つい人と比較してしまいます。そのような思いよりもイエス様に集中できるように助けて下さい。今一度「従いなさい」と声をかけて下さい。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。

平安を下さるイエス様(ヨハネ20:19-20)

Scripture(聖書の言葉)


19 同じ日曜日の夕方のことです。弟子たちは、ユダヤ人を恐れて戸にしっかりかぎをかけ、肩を寄せ合うようにして集まっていました。その時、突然イエスが一同の中にお立ちになったのです。「平安があるように。」イエスはまず、こうあいさつされてから、 20 手とわき腹をお見せになりました。主を見た弟子たちの喜びは、どれほどだったでしょう。

Observation(観察)


イエス様の十字架の死後、弟子達はユダヤ人に対する恐れに襲われていた。リーダーであるイエス様を失ったことと、イエス様を磔刑にしたユダヤ人達の矛先が、次に彼らに向くのではないかという恐怖だ。しかしそこにイエス様が突然現れる。そこで言われたのは「平安があるように。」というお言葉だった。それを見た弟子達は喜んだとある。

イエス様のいないクリスチャンとはどんな存在だろう。罪の贖いを信じながらもイエス様の復活を信じず、感じることが出来ないなら、この弟子達のようにこの世に対する恐れでいっぱいになって生きてゆくしかない。
私たちはイエス様がいまもおられ、私たちと共にいる事を信じている。「平安があるように。」と今もイエス様は私たちの心の波風を静めて下さるのだ。今日もイエス様の復活と臨在を告白しよう。

Prayer(祈り)


イエス様、あなたの下さる平安はこの世のものでは無い、というあなたの御言葉を思い出します。この世の有り様は平安を奪い取ろうとしますが、私たちにはイエス様がともにおられるので、この平安はこの世の生涯ばかりではなく、永遠に続くことを覚えます。復活、そして昇天を感謝します。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。

私たちの王とは(ヨハネ19:14-16)

Scripture(聖書の言葉)


「さあ、おまえたちの王だ。」 15 「殺せ、殺せ。十字架につけろ!」「なに? おまえたちの王をか?」「カイザルのほかに王はない!」祭司長たちは、むきになって叫び返します。 16 これでは、しかたがありません。ついにピラトもあきらめ、十字架につけるため、イエスをユダヤ人に引き渡しました。

Observation(観察)


祭司長達はピラトに対し、なんと「カイザルのほかに王はない!」と言い、イエス様ばかりか、自分のユダヤ人としてのアイデンティティまでも否定してしまった。
神を神とせず自分の立場にしがみつくならば、自分の有り様も失ってしまうのかもしれない。

Prayer(祈り)


イエス様、祭司長達のようではなく、幼子のように神の国を受け入れる者と私を変えて下さい。柔らかい心も持ち、何が真理で、何が罪なのか教えられやすい心を下さい。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。

ピラトの姿勢(ヨハネ18:36-38)

Scripture(聖書の言葉)


36 「わたしは地上の王ではありません。もし地上の王であったら、逮捕された時、弟子たちは戦いをいどんだでしょう。わたしの国はこの世のものではないのです。」 37 「なんだと、それじゃあ、やっぱりおまえは王なんだな!」「いかにもそのとおりです。わたしは、この世に真理を伝えるために生まれたのです。真理を愛する者はみな、わたしに従うのです。」 38 「真理だと? 真理とは何だ。」ピラトは吐き捨てるように言うと、またユダヤ人たちのところへ行き、こう提案しました。「あの男は無罪だ。

Observation(観察)


ピラトの詰問に対しイエス様は、ご自身がやがて来る世の王であることを答えられ、真理を愛する者はイエス様に従う様になると言われた。ピラトはイエス様が死罪に当たるようなことは何もしてないことを確信すると共に、「真理とは何だ」と言い捨てた。ピラトの有り様はイエス様を否定しないが、信じることも選ばないこの世の多くの人の姿勢を表している。イエス様の語られた言葉を受け入れることは、心の姿勢を大きく飛躍しなければならない。同時に自分を低くする謙遜さを持たなければならない。大きくジャンプするには一度深くしゃがみ込むことが必要なのだ。

Prayer(祈り)


イエス様、あなたの生涯を通して謙遜を教えて下さり感謝します。あなたの道に従い、謙遜に生きることを選びたいです。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。

栄光(ヨハネ17:10)

Scripture(聖書の言葉)


10 彼らはみな、わたしのもの、また、あなたのものです。あなたは彼らを、他のすべてのものといっしょにわたしに下さいました。ですから、彼らはわたしの栄光なのです。

Observation(観察)


聖書の中のわかりにくい概念に「栄光」がある。「栄光をお返しします」「主に栄光」とクリスチャン用語として慣用的に使っているが、この言葉の意味は「目に見えない神の輝かしい臨在」のことを指す。神の臨在、そして目には見えなくても感じるその輝き、と言い換えても良いかもしれない。この節では、弟子達を指してイエス様は「彼らはわたしの栄光なのです。」と言われた。その理由は父なる神が「彼らを、他のすべてのものといっしょにわたしに下さいました。」殻である。

私たちが神のものであり続けるなら、私たちの存在は神の臨在とその輝きとなる。私たちが神の臨在そのものとなれるのであればそれ以上の光栄はない。神の元を離れず神に属する者であり続けよう。

Prayer(祈り)


イエス様、あなたの栄光で居られるづけることが出来ますように。御言葉を大切にしてあなたから心を離しません。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。

聖霊様(ヨハネ16:7-11)

Scripture(聖書の言葉)


7 しかし、わたしが行くことは、あなたがたにとって一番よいことなのです。わたしが行かなければ、助け手である聖霊はおいでになりません。行けば必ずおいでになります。それというのも、わたしがその方を遣わすからです。 8 その方が来られると、世の人に誤りを認めさせます。罪、心の正しさ、神との正しい関係、さばきからの救いについて、人々は考え違いをしているのです。 9 まず、罪とはわたしを信じないことです。 10 正しい心を持ち、神と正しい関係を結べるのは、わたしが父のもとに行き、もはやわたしを見なくなるからです。 11 さばきから救われるのは、この世の支配者がすでにさばかれたからです。

Observation(観察)


イエス様が聖霊様について重要な教えを語られている箇所である。まず、聖霊様はイエス様によって遣わされ、来られるということ。聖霊様が来られると、人々の真理についての思い違いを正される、ということだ。私たちが聖霊様のバプテスマを受けるなら、何が正しいことで何が誤りで、罪であるのか、どのように生きることが神の喜ばれることなのかを理解できるようにされる。

Application(適用)


かつては聖霊様が来られると瞬間的に人間は変えられると考えていた。しかしそれはメッキにも似たもので、何か外的刺激があるとボロボロと崩れてしまうことを身をもって経験した。
重要なのは日々を御言葉と祈りを聖霊様によって導かれることを願うことなのだ。インスタントに物事を完成することは出来ない。自分の頑なな心ならばなおさらのことだ。毎日少しずつ、思い込みや熱狂ではなく、誠実と真実を持って、聖霊様と歩もう。

Prayer(祈り)


イエス様、あなたが約束して下さった助け主である聖霊様を歓迎します。日々思いを変えて下さり、御言葉によって導いて下さる事を感謝します。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。