聖霊様を証する(使徒2:37-39)

Scripture(聖書の言葉)


37 ペテロのことばは、人々の心を強く打ちました。「それでは、私たちはどうすればいいのでしょう。」あちらからもこちらからも、使徒たちへの質問の声があがりました。

38 ペテロは答えました。「一人一人、罪の生活から悔い改めて神に立ち返りなさい。そして、罪を赦していただくために、イエス・キリストの名によってバプテスマ(洗礼)を受けなさい。そうすれば、聖霊という賜物をいただけます。 39 それはキリストが約束してくださったことです。あなたがたは言うまでもなく、あなたがたの子孫、また遠くにいても、私たちの神である主がお招きになったすべての人に与えられるのです。」

Observation(観察)


聖霊様を受けて大胆に変えられたペテロの説教は人々の心を打った。彼らは「それでは、私たちはどうすればいいのでしょう。」と問うた。ペテロの回答は悔い改め洗礼を受けることと答えた。そして結果聖霊様を受け取る事についても言及した。これはこの時エルサレムに居た人ばかりでは無く、その人々の子孫、あるいは遠く離れた人にも等しく与えられる約束だ。

Application(適用)


聖霊様を受けてから30年が経つ。この経験は今も忘れられない。そしてこの経験はエルサレムに始まり、ペテロの言葉通り、世代も場所も越えて起き続けているのだ。いま公然と聖霊様のことを語ることがはばかられる空気があることを残念に思う。

Prayer(祈り)


イエス様、どうか聖霊様を証することの出来る場に置いてください。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。

聖霊様の来られた訳(使徒1:4-8)

Scripture(聖書の言葉)


4 そんなある時のことです。イエスは使徒たちに、こうお命じになりました。「エルサレムから離れてはいけません。前にも言ったように、父が約束を果たしてくださるまで、待っていなさい。 5 バプテスマのヨハネは水でバプテスマ(洗礼)を授けましたが、もうすぐ、あなたがたは聖霊によるバプテスマを受けるからです。」

6 そこで、またイエスが姿を現された時、使徒たちは心躍らせながら、「主よ。今こそイスラエルを解放し、独立国として再興なさるのですか」と尋ねました。

7 「それがいつかは、父がお決めになります。あなたがたが、あれこれ言うことはできません。 8 しかし、聖霊があなたがたに下る時、あなたがたは大きな力を受け、エルサレムからユダヤ全土、そしてサマリヤから地の果てまで、わたしの死と復活を伝える証人となります。」

Observation(観察)


聖霊様が来られる目的について、イエス様は明確に語られている。すなわち、イエス様の証人として世界中に出て行くための力を与えてくださる為、である。事実使徒達は、一人残らず宣教に出、ヨハネの除いて殉教を遂げた。死にまでも従う力を弟子達は得たのだ。

Application(適用)


聖霊様を受けると言うことは、イエス様のために死ぬことを約束することと同義なのだ。生半可な気持ちで受けてはいけないし、受けたならばその力が与えられていることを自覚しよう。

Prayer(祈り)


イエス様、イエス様のためなら死にますと何度も願ったことを思い出しました。時間が経ってこの思いが緩んでしまっていることを思います。覚悟を新たに、イエス様に従います。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。

エマオの途上(ルカ24:28-31)

Scripture(聖書の言葉)


28 そうこうするうち、エマオに近づきましたが、イエスはまだ旅を続ける様子です。 29 二人は、じきに暗くなるから、今晩はここでいっしょに泊まってくださいと熱心に頼みました。それでイエスもいっしょに家に入りました。 30 食卓に着くと、イエスはパンを取り、神に祝福を祈り求め、ちぎって二人に渡しました。 31 その瞬間、二人の目が開かれ、その人がイエスだとわかりました。

Observation(観察)


エマオへの途上で、復活されたイエス様は弟子達の前に現れてくださったが、弟子達は彼がイエス様だとは気がつかなかった。しかし宿に着き、パンをちぎると弟子達の目が開かれ、その人がイエス様だとわかったとある。パンをちぎるとは、人々のために主が身を裂かれるという意味、そして御言葉が増え広がる、すなわち多くの教会が建てあげられるというダブルミーニングである。このイエス様の行為で目が開かれた弟子達は、イエス様の犠牲と、山上の垂訓のシーンを思い起こしたに違いない。
私たちがイエス様を思い起こすのはどのようなときだろう。日常の行動の中でイエス様を思い出すことが出来るのならそれ以上の幸いは無い。御言葉を心に蓄えて、イエス様の言葉をいつも思い出せるようにしたい。

Prayer(祈り)


イエス様、日常の生活に埋もれて、イエス様のことを忘れてしまうことがいつもあります。そうではなく、いつもイエス様を思い出して喜んでいるものに変えて下さい。見る目を、聞く耳を変えて下さい。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。

極限の伝道(ルカ23:39-43)

Scripture(聖書の言葉)


39 イエスの横で十字架につけられていた犯罪人の一人が、「あんたはメシヤなんだってなあ。だったら、自分とおれたちを救ってもよさそうなもんだ。どうなんだ」とののしりました。 40-41 しかし、もう一人の犯罪人は、それをたしなめました。「この期に及んで、まだ神を恐れないのか! おれたちは悪事を働いたんだから、報いを受けるのはあたりまえだ。だが、このお方は悪いことは何もしなかったのだ。」 42 そして、イエスにこう頼みました。「イエス様。御国に入る時、どうぞ私を思い出してください。」 43 イエスはお答えになりました。「あなたは今日、わたしといっしょにパラダイス(天国)に入ります。」

Observation(観察)


イエス様が地上におられたとき、最期に救いを述べられた相手はこの犯罪人だった。この犯罪人は、別のイエス様をののしった犯罪人に対し、神を畏れるべき事、イエス様は何の罪のないのに十字架につけられた事を語った。期せずして彼は仲間の犯罪人に対してイエス様を証ししたのだ。結果彼はギリギリのところで救われ、天国に入ることを約束された。

Application(適用)


どのような局面であっても(たとえ罪人として裁かれている最中であっても)イエス様を証しし、伝道することが出来る。イエス様を神として理解しているのなら、イエス様を伝える事が出来るのだ。この犯罪人にとって、最も大事な瞬間がこの死の間際であった。
私にとってもっとも大事な時はいつになるのだろうか。それはもう過ぎ去ったと考えたくは無い。

Prayer(祈り)


イエス様、この犯罪人のように、どの局面でも人を用いて下さることを知りました。私も用いて下さい。どのような局面でもお従いします。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。

燃え尽きない芝(出エジプト3:1-4)

Scripture(聖書の言葉)


1ある日モーセは、ミデヤンの祭司であるしゅうとイテロ〔別名レウエル〕の羊の群れの番をしていました。砂漠のはずれにある神の山ホレブ(シナイ山)に近い所です。 2 と、突然、柴の燃える炎の中に、主の使いが現れました。よく見ると、柴には火がついているのに、いつまでも燃え尽きません。 3-4 「いったい、どういうことだろう。」不思議に思いながら、そばに近寄りました。その時です。神が燃える柴の中からモーセに呼びかけました。「モーセ、モーセ。」

Observation(観察)


燃える柴にモーセは出会った。乾燥した土地では芝が燃えることは不思議では無い。しかしこの芝は燃え尽きなかった。この時点でモーセはミデヤンに逃げ込んでから40年が経ち、年齢は80歳くらいと言われている。燃え尽きない芝は失われることの無い神の召命を表している。

Application(適用)


もう燃え尽きてしまいそうに思うときも多い。しかし神は年齢を問わず用いようとする物を引き出されるのだ。いつでも用いて下さいと願い続けよう。

Prayer(祈り)


イエス様、燃え尽きない芝のように救霊に対する思いを私に燃え立たせてください。いつでも準備は出来ていますと応答できる自分になれますように。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。

引き出される(出エジプト2:10)

Scripture(聖書の言葉)


10 やがてその子は大きくなり、養子として正式に王女の屋敷へ引き取られました。王女はその子をモーセ〔「引き出す」の意〕と名づけました。水の中から引き出した子だったからです。

Observation(観察)


エジプトでユダヤ人が奴隷となり苦しんでいるとき、エジプトの王はユダヤ人の男子の赤子は殺してしまうように命じた。モーセを手にかけることをためらった母親は、モーセを葦の茂みに置き去りにしたが、その場にやってきたエジプトの王女に見つけられ、彼は王女の養子となり、エジプトで高い教育を受け、出エジプトの備えを知らずに行うことになる。
モーセは「引き出す」という意味であり、ユダヤ人をエジプトから引き出す事を暗喩している。また水の中から引き出すとは水のバプテスマも意味している。死に直面しながらも神の助けによって奇跡的にいのちを救われ、神の偉大な計画のために用いられる。死の危機のような苦難に面しても、希望を失わずに神が手を延べてくださることに期待しよう。

Prayer(祈り)


イエス様、あらゆる危険も困難も神のご計画の為に用い、状況を逆転してくださることに感謝します。神の助けの手を信じて、大胆に生きてゆきます。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。

神の前に皆が生きている(ルカ20:37,38)

Scripture(聖書の言葉)


37-38 しかし、あなたがたがほんとうに聞きたいのは、復活があるかないかということでしょう。モーセ自身は何と書き残していますか。燃えさかる柴の中に現れた神とお会いした時、モーセは神を、『アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神』(出エジプト3・6)と呼びました。主を彼らの神と呼んでいる以上、彼らは生きているはずです。神は死んだ者の神ではありません。神に対して、みなが生きているのです。

Observation(観察)


『アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神』という表現は、「今も存在しているもの」の神という意味が込められている。続けてイエス様は「神に対して、みなが生きているのです。」と言われた。「みな」とはユダヤ人や救われた人々のみを指すものでは無い。人類が生まれてから終末の日までの全ての人類が神の前に立つときが来る、と言われているのだ。祝福と裁きがやがての日にやって来る。

Application(適用)


私はどのように神の前に立つだろう。救われていても果たすべき事を出来なかった、預かったタラントを隠したしもべのようになっては居ないだろうか。出来るならば、成すべき事を全てチャレンジして、喜んで神の前に立てる様になりたい。

Prayer(祈り)


イエス様、神は永遠から永遠まで生きておられ、その霊を受けた人類も滅びであれ祝福であれ、永遠に存在するものと学びました。不完全なものですがあなたの贖いによって救われました。願わくばこの世に居る間、任されたミッションを誠実に成し、やがて晴れ晴れと天に帰るものと成れますように。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。

ねじれの解消(創世記48:12-19)

Scripture(聖書の言葉)


12-13 ヨセフはもう一度、二人の息子の手を取り、ていねいにおじぎをしてから、彼らを祖父の前に進ませました。イスラエルから見て、エフライムが左側、マナセが右側です。 14 ところが頭に手を置く時、イスラエルは伸ばした手をわざわざ交差させました。右手を弟エフライムの頭に、左手を兄マナセの頭に置いたのです。

15 次に、イスラエルはヨセフを祝福しました。「祖父アブラハム、父イサクの神様。羊飼いのように、私を生涯守ってくださった神様。 16 どうぞこの子どもたちを大いに祝福してください。神様は私をあらゆる危険から守ってくださいました。この子どもたちが、私やアブラハム、イサクの名を汚すことなく、一族の名を上げてくれますように。彼らが大きな国となりますように。」

17 しかし、父が右手をエフライムの頭に置いたのがヨセフには納得いかず、それで父の手を取り、マナセの頭に置こうとしました。 18 「違いますよ、お父さん。手の置き方が反対です。こちらが長男です。右手はこの子に置いてください。」

19 「いや、ちゃんとわかっている。マナセも大きな国になる。だが弟のほうがもっと強くなるのだ。」

Observation(観察)


晩年のヤコブは孫であるマナセとエフライムを祝福する際、手を交差し兄弟を逆にして弟エフライムをより祝福した。
ヤコブは双子であり、双子の兄エソウを出し抜くことで神の祝福を受けようとした。結果彼は様々なトラブルを負うことになったのだ。神との格闘を経て悔い改めたヤコブあったが、それでも自分の引き起こした事の結果としてのトラブルが続いた。ヨセフを失いかけたこともその一つだ。
ヤコブの交差した腕は、エソウとの競争に起因する「ねじれ」の解消を象徴しているのでは無いだろうか。

Application(適用)


歳を取ってからも片付けなければならないことはつぎつぎと起きてくる。神様は原因に対して結果の刈り取りを私たちにお命じになることがある。神の国の民として必要な後片付けは正しく行い、神に喜ばれる晩年を迎えたい。

Prayer(祈り)


イエス様、若いときの考え方や失敗の後片付けが必要でしたら、示してください。また今私に命じておられる事も、忠実に果たして行けますように。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。

エリコの盲人の様に(ルカ18:35-43)

Scripture(聖書の言葉)


35 ほどなくエリコという町に近づくと、盲人が一人、道ばたに座り込み、通りがかりの人に物ごいをしていました。 36 大ぜいの人があわただしく通り過ぎ、あたりの様子がざわついてきたので、いったいどうしたのかと思った盲人は、そばにいた人をつかまえて尋ねました。 37 すると、ナザレのイエスがお通りになると言います。 38 盲人は、この時とばかり大声で訴えました。「イエス様! ダビデ王の子よ! どうぞ、私にあわれみを!」 39 イエスの前を進んで来た人たちが黙らせようとしましたが、そうすればするほど、ますます大声で叫び立てます。「ダビデ王の子よ! あわれみを!」 40 その時、イエスは足を止め、「あの人を連れて来なさい」と言われました。 41 それから、彼にお尋ねになりました。「わたしにどうしてほしいのですか。」「主よ。見えるようになりたいのです!」 42 「さあ、見えるようになりなさい。あなたの信仰があなたを治したのです。」 43 その瞬間、彼の目は見えるようになりました。そして、心から神をほめたたえながら、イエスについて行きました。この出来事を見ていた人たちもみな、神を賛美しました。

Observation(観察)


エリコの盲人はイエス様が来られると聞くやいなや、大声でイエス様に叫んだ。制止されても叫び続け、ついにイエス様の足を止めた。彼の願いは明確であった。イエス様に問われると即座に「主よ。見えるようになりたいのです!」と彼は回答した。

Application(適用)


ここ数年、静かな信仰に沈み込んでしまっているような感覚を持っている。内省するにはよいが、そこは信仰を発動する意欲を失わせてしまうのでは無いだろうか。声が枯れるまで祈り賛美したい。何かを掴むまで会堂から出ない。そんな熱かった信仰を再び燃え立たせたい。

Prayer(祈り)


イエス様、信仰のありようについて悩んでいます。今のスタイルは少々私には合っていないような気がします。もっとオープンに証しし、大胆に祈る姿勢でクリスチャン生活を続けたいです。助けて下さい。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。

神の国(ルカ17:20-21)

Scripture(聖書の言葉)


20 ある日、パリサイ人たちがイエスに尋ねました。「神の国はいったい、いつ来るのですか。」イエスは答えて言われました。「神の国は、目に見える形では来ません。 21 『ここに来た』とか、『あそこに来た』とか言えるものではないのです。はっきり言いましょう。神の国は、あなたがたの中にあるのです。」

Observation(観察)


イエス様の説く神の国について尋ねる弟子達に対し、イエス様は「神の国は、あなたがたの中にあるのです。」と答えられた。別な訳では「あなたがたのただ中に」と訳されている。この言葉は、私たちの内面に神の国がある、というよりも私たち同士の関係性の中に神の国がある、というニュアンスに受け取れる。クリスチャンが人々と関わるときに、神の国が現れるのだ。

Prayer(祈り)


イエス様、個人やクリスチャン同士の閉じた中では無く、人々と関わるときにあなたの栄光が現れ、皆が神様に向き直ることが出来ますように。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。