困難な時こそ(詩編25:14)

Scripture(聖書の言葉)


神との親密な関係は、
主を敬う者にしか持つことはできません。
神はそのような人とだけ、
秘密の約束をかわされます。

Observation(観察)


困難の中にあった詩編25編の著者は、そのようななかでも神に信頼し、自身が主の守りのなかにあることを告白している。このような状況から救いだして下さる主を賛美し、神への敬愛を繰り返し言葉にしている。
困難なときは誰にでも訪れる。そのようなときに誰に頼るか、何によって安心を得るかでその人の人生は決められてゆく。

Prayer(祈り)


イエス様、今ある困難において、神を褒め称えます。あなたの救いを信じます。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。

ミッションを抱く(使徒21:10-15)

Scripture(聖書の言葉)


10-11 数日そこに世話になっているあいだに、やはり預言する力のあるアガボという人の訪問を受けました。この人は、わざわざユダヤから来たのです。アガボはパウロの帯を取り、それで自分の手足を縛ってから言いました。「聖霊が告げられました。『この帯の持ち主は、エルサレムでユダヤ人からこのように縛り上げられ、ローマ人に引き渡される。』」 12 これを聞いた者はみな、この町のクリスチャンも、同行していた私たちも、声をそろえてパウロに、エルサレムへは行かないでほしいと涙ながらに訴えました。

13 しかし、パウロは言いました。「なぜ泣いたり、私の心をくじいたりするのですか。私は主イエスのためなら、エルサレムで投獄されてもかまわないと、いや、殺されてもいいとさえ覚悟しています。」 14 もうこれ以上何を言ってもむだで、私たちは、「主のお心のままに」と言って、黙るほかありませんでした。

15 しばらくして私たちは、荷物をまとめてエルサレムへ出発しました。

Observation(観察)


パウロがエルサレムに向かうことを、様々な人が止めようとした。使徒行伝の著者であるルカすらも「行かないでほしいと涙ながらに訴えた」と記している。けれどもパウロは自身の重大な決意を改めて述べ、エルサレム行きを止めることは無かった。
パウロにとって自身に任されたミッションは自分の命以上に重要な物であった。私たちは自分の命以上に重要な物を幾つ持っているだろう。逆に考えればパウロは自分の命以上に価値のあるものを持っている、と言い換えることができる。これはどれほど豊かな事だろうか。

Application(適用)


自分の役割を探し続けてしばらくになる。いまだ五里霧中といった体だが、ミッションの存在が人を力づけ、生き続ける動機になることがわかった。なんとか自分の生きる道を見つけ出したい。

Prayer(祈り)


イエス様、いまだに心が定まりません。私に下さるミッションを明らかにして下さい。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。

真理を曲げない(使徒20:28-31)

Scripture(聖書の言葉)


28 注意しなさい。あなたがたは、神の羊たち〔神がキリストのいのちと引き替えに買い取った教会〕を養い育てる立場にあるのです。このことをしっかり肝に銘じておきなさい。いいですか、聖霊があなたがたに、監督者としての責任をお与えになったのです。 29 私が去ったあと、狂暴な狼のような偽教師たちが忍び込み、群れを荒らし回るでしょう。 30 それだけではありません。あなたがたの中からも、弟子を自分の側に引き込みたいばかりに真理を曲げる者が出るでしょう。 31 だから、よく見張っていなさい。私といっしょに過ごした三年間を忘れてはいけません。昼も夜も目を離さず、あなたがたのために流してきた私の涙を思い出してください。

Observation(観察)


エペソの教会の長老達への別れの言葉の箇所である。ここには偽教師が教会を荒らすこと、そればかりでは無く長老達自身の中から教えを曲げるものがでると書かれている。併読箇所のレビ記では神の前にきよく在ることの重要さが繰り返して書かれている。特に性的な罪については神は多くの節で強く戒めている。
現代は特に性的な問題について正面から取り組まず、御言葉を曲げてでも正当化しようとするグループもある。今一度きよさについてしっかりと学び、世の中の風潮に流されないものでありたい。

Prayer(祈り)


イエス様、自分の中できよさについて妥協している部分を悔い改めます。あなたが聖だから聖でありたいです。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。

信じた時聖霊を受けましたか(使徒19:1-7)

Scripture(聖書の言葉)

1アポロがコリントにいる間に、パウロはトルコを通ってエペソに来ました。そこで会った何人かの弟子たちに、パウロは尋ねました。 2 「ところで、信じた時、聖霊を受けましたか。」「いったい何のことでしょう。聖霊のことなど聞いたこともありません。」

3 「では、バプテスマ(洗礼)を受けた時、どんな信仰告白をしたのですか?」「バプテスマのヨハネの教えた……。」

4 これを聞いたパウロは、ヨハネのバプテスマは、罪を離れて神に立ち返る決意を表すものだから、それを受けた者が、ヨハネの証言どおり、あとから来られたイエスを信じるのは当然のことだと説明しました。 5 彼らはすぐ、主イエスの名によってバプテスマを受けました。 6 そして、パウロが彼らの頭に手を置くと、聖霊が下りました。すると彼らは、外国語で話したり、預言したりし始めたのです。 7 みなで十二名ほどでした。

Observation(観察)

エペソの弟子達は聖霊様のことを知らなかった。そのような弟子達に対して「では、バプテスマ(洗礼)を受けた時、どんな信仰告白をしたのですか?」と尋ねている。使徒の時代では、信仰告白と聖霊様を受けることは同義であった。現代の教会では聖霊様に関してオープンに話さないことも多い。しかし使徒の時代と現代は繋がっており、同じ信仰告白、同じバプテスマを私たちは行っているはずだ。であれば聖霊様の働きを前面に出さないことは道理に合わない。ペンテコステ・カリスマの教派に留まらず、聖霊様の働きが広がり、信仰者にとって受け取るべきものとして解釈されることを強く望む。

Prayer(祈り)

イエス様、使徒の時代と同じ信仰告白、おなじ洗礼、同じ聖霊様によって教会が前進しますように。聖霊様のことを後ろに置くような風潮が変えられますように。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。

働き人に求められる資質(使徒18:24-26)

Scripture(聖書の言葉)


24 そのころ、すばらしい聖書教師で、説教者としても有能なアポロというユダヤ人が、エジプトのアレキサンドリヤからエペソに来ました。 25-26 アポロはエジプトにいたころ、バプテスマのヨハネのことと、ヨハネがイエスについて語ったことを聞いた以外、何も知りませんでした。それでも大胆に、また熱心に、「メシヤ(救い主)がもうすぐ来られます。お迎えの準備をしなさい」と会堂で説教しました。プリスキラとアクラも、その力強い説教を聞きました。二人はあとでアポロに面会を求め、ヨハネの預言以後、イエスの身に起こったことと、その意味を正確に説明しました。

Observation(観察)


アポロはイエス様のことをバプテスマのヨハネからの情報として断片的に聞いていただけであったが、大胆に説教をしていたとある。このように聖書全体を読み把握していなくても、神に対して熱心に働くことができるのだ。
この節を読むといつも思い出すのは、迫害下にある中国の地下教会の話だ。地下教会の働き人には聖書が行き渡っておらず、彼らは聖句の断片を写したメモだけを持って働きに出て行き、多くの実を結んでいる。

Application(適用)


不便や困難な状況でも献身と熱心をもって神に仕え、神のご計画に生きることができるのだ。今の恵まれた私の環境で、何の働きにも出ないことは怠惰を通り越して傲慢であるとすら思う。

Prayer(祈り)


イエス様、これほど恵まれた環境に居るにもかかわらず不平ばかり言い、怠惰に過ごしていました。許してください。神の働きに加えてください。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。

神の中に生きる(使徒17:26-28)

Scripture(聖書の言葉)


26 神様は全人類を、一人の人間アダムから造り、すべての国民を全世界に散らされました。あらかじめ、どの国が興り、どの国が滅びるか、いつそうなるか、何もかも決め、国々の境界をもお定めになったのです。

27 これもみな、人々が神を求め、神を探し出すためでした。事実、神様は私たちから遠く離れておられるのではありません。 28 私たちは神の中に生き、動き、存在しているのです。

Observation(観察)


偶像に満ちたアテネにおけるパウロの伝道は、迫害もない代わりに、人々の反応は冷笑的なものであった。そのような状況であってもパウロは堂々と真理を語り、イエス様がキリストであることを論証した。
その中でも重要なのは「これもみな、人々が神を求め、神を探し出すためでした。事実、神様は私たちから遠く離れておられるのではありません。私たちは神の中に生き、動き、存在しているのです。」の節である。この世の森羅万象は人々が真の神を求めるために計画され、神は偶像の中に宿るのでは無く、私たちが神の中に存在していることを発見することを目的としているとパウロは述べている。

Application(適用)


時として自分が神から切り離され、とてつもなく孤独になっていると感じることがある。そのようなときは、私が神から隔絶しているのではなく、神の内に在ることを見失っていたと感じる。
この御言葉は私にとってとても重要だ。神の中に生きることを理解する事でこそ、生きる意味を再び見いだすことができるはずだ。

Prayer(祈り)


イエス様、いつも神様を見失いそうになります。そのようなときは神では無く自分を見ているのだと思います。私が三位の神の内に生きている事を思い起こすことが出来ますように。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。

Divine Appointment(使徒16:11-14)

Scripture(聖書の言葉)


11 私たちは、トロアスから船でサモトラケに直航し、翌日ネアポリスに着きました。 12 そしてついに、マケドニヤの国境から少し入った、ローマの植民地ピリピに到着し、数日の間そこにいました。

13 安息日に、私たちは郊外に出て、人々が祈りに来ると思われる川岸に行きました。やがて数人の婦人が集まってきたので、聖書のことばを教えました。 14 その中に、テアテラ市から来た紫布の商人ルデヤがいました。以前から神をあがめていた婦人です。このルデヤがパウロたちの話に耳を傾けていた時、神様は彼女の心を開き、パウロの語ることをみな信じさせたのです。

Observation(観察)


マケドニア人の幻を見たパウロは針路をアジアからヨーロッパに変え、ピリピにまでたどり着いた。
ここで「川」が出てくる。この地でも川は祈りの場であった。ここでルデヤという女性が登場する。パウロの話を聞いた彼女の心を神は開き、福音を受け入れる整えをされた。
彼女はパウロ一行を彼女の家に留まるように強く願い、彼女の家はこの地での伝道の拠点となった。
重要なのは信仰によって出て行く時、神が必要な出会いを与えてくださるという事だ。これはパウロにとっても、ルデヤにとってもそうである。パウロは幻に導かれてピリピについた。神を崇めていたルデヤは祈りのために川岸に出て行き、パウロに出会った。神は双方に働きかけて御自身を御業を進めてくださるのだ。

Application(適用)


信仰を持ってからの私の人生を形成するのは、まさに神が会わせてくださった人々との出会いによってだと感じる。これからも沢山の新たな出会いが待っていると信じる。幻と信仰を持って出かけてゆきたい。

Prayer(祈り)


イエス様、神のご計画は一人一人が引き寄せられて織り成され、形作られると学びました。人との関わりを恐れず、神様のご計画の前身のために、人々と関わってゆきます。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。

聖霊様による認証(使徒15:7-9)

Scripture(聖書の言葉)

7 激しい論争が続いたあと、ペテロが立ち上がり、意見を述べました。「皆さん、お忘れですか。ずっと以前、外国人も福音のことばを聞いて信じるために、神様が私をお選びになったことを。 8 人の心の中をご存じの神様は、ご自分が外国人をも受け入れておられることをわからせようと、私たちと同じように、彼らにも聖霊を与えてくださったのではありませんか。 9 神様は、外国人とユダヤ人を少しも差別なさいません。だからこそ、私たちと同じように、信仰によって彼らの心もきよめてくださったのです。

Observation(観察)

エルサレム会議でのペテロの発言である。この発言が異邦人クリスチャン(すなわち私たち)とユダヤ人との信仰に必要なことには差異が無いことを決定づけた。パリサイ派からクリスチャンになった人々からの、異邦人クリスチャンもユダヤ教の慣習を守るべきと言う主張は覆えさせられた。その論拠はただ一つ、同じ聖霊様が与えられたという点である。聖霊様の目的は私たちをルールで縛ることでは無く、かえってルールに対する自由を与え、御言葉に対する理解を与えることだ。

Application(適用)

逆に言えば聖霊様なくしては私たちはクリスチャンとして認証されることは無く、罪の中に取り残されたものになってしまうことを意味する。私たちが受け取った聖霊様がそれほどに重要であることを受け止め、感謝しよう。

Prayer(祈り)

イエス様、聖霊様によって救いと臨在の印を与えてくださり感謝します。聖霊様による知恵と御言葉に対する理解を感謝します。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。

聖なる火(レビ記6:13)

Scripture(聖書の言葉)


13 祭壇の火は絶やしてはならない。

Observation(観察)


この表現はレビ記6章にのみ用いられる表現とのことだ。祭壇の火は神の聖さを表すと共に、聖霊様による内面の聖めを意味している。またこの火はどこからか来たのかについては、レビ記9章23~24節に書かれている。
「23 ついでモーセとアロンは会見の天幕に入り、それから出て来ると、民を祝福した。すると主の栄光が民全体に現れ、
24 主の前から火が出て来て、祭壇の上の全焼のいけにえと脂肪とを焼き尽くしたので、民はみな、これを見て、叫び、ひれ伏した。」
つまり、祭壇の火は人によるものでは無く、神御自身がもたらして下さったものなのだ。神の聖さは焼き尽くす火だ。私たちが受け取っている聖霊様も内面の汚れを聖め、焼き尽くしてくださる。恐れず神の前に進み出、罪汚れをきよめて頂こう。全焼の生け贄は神の喜ばれる香りの献げ物だ。自らが神に喜ばれるものとなれるよう、励んで悔い改め、聖霊様によって変えて頂こう。

Prayer(祈り)


イエス様、神に喜ばれるものとなりたいです。私の思いと行動を変えて下さい。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。

贖罪の血(レビ1:1-5)

Scripture(聖書の言葉)


1 さて主は、幕屋(主がイスラエル人と会う天幕、聖所)からモーセに語りました。 2-3 「イスラエルの民に次のような指示を与えなさい。主にいけにえをささげるときは、自分の群れの牛か羊を使いなさい。雄牛を焼き尽くすいけにえとしてささげるときは、体に傷のないものでなければならない。まず、いけにえ用の雄牛を幕屋の入口へ引いて来る。そこで、祭司がそのささげ物を受け取る。 4 いけにえをささげる人は、その雄牛の頭に手を置く。そうすることで、身代わりのいけにえと認められる。本人が自分の罪の刑罰として死ぬ代わりにその動物が死ぬことを、わたしは認めよう。 5 わたしの前で、自ら手を下していけにえを殺しなさい。祭司であるアロンの子たちが、その雄牛の血をわたしにささげる。幕屋の入口で、祭壇の回りに血を振りかけるのだ。

Observation(観察)


レビ記の冒頭、神はモーセに生け贄についての規定を命じられた。特に重要なのは罪の身代わりとしてささげられる全焼の生け贄だ。自分の群れの牛あるいは羊を自ら屠り、大祭司がその血を祭壇の回りに振りかける。見方によってはとても残酷な行為に見える。しかし、これはイエス様の死と贖罪の型なのだ。ユダヤ人が自ら生け贄を屠るようにイエス様の磔刑を望んだのだ。併読箇所の使徒13章27節には「 エルサレムにいるユダヤ人とその指導者たちは、イエスを処刑することで、皮肉にも、預言を実現させたのです。」とある。レビ記の最も重要な箇所はユダヤ人自身によってその意味するところを成就した。
だからといって、ユダヤ人だけを責めるのは間違っている。イエス様は全ての人の罪のために死なれたのだから、イエス様の死刑に賛成した人々の中には私の顔も混じっているはずだ。十字架で罵声を浴びせた民衆の中には、私も居たはずだ。そのような私を救ってくれたイエス様になんと感謝しよう。初代のクリスチャン達が命を顧みず伝道に邁進したのは、自らの許された罪の大きさを知っていたからではないか。わたしはまだ罪の認識が薄いのであろう。自分を直視することを誤魔化していてはいけない。

Prayer(祈り)


イエス様、あなた御自身が贖罪の血を流されました。自分の罪のことすらまだよくわかっていない私のためにです。もしかしたら人間はどこまでも自分の罪のことをわからないのかもしれません。ただ出来ることはあなたに感謝することばかりです。許してください。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。