エル・エロヘ・イスラエル(創世記33:18-20)

Scripture(聖書の言葉)


18 こうして、無事カナンのシェケムに到着し、町の外にテントを張りました。 19 その土地を、ヤコブはシェケムの父ハモルの家から銀貨百枚で買い取り、 20 祭壇を築いて、エル・エロヘ・イスラエル〔「イスラエルの神のための祭壇」の意〕と名づけました。

Observation(観察)


ヤコブの旅は彼の自我を砕く旅であった。自己中心だった彼は叔父ラバンに仕えることをとおして、また恐れていた兄エサウとの和解を通して変えられた。この折り目折り目に神は現れ、あるときは幻を見せ、あるときは格闘された。このような様々な神の表れを通してヤコブは神を理解していったのだろう。「エル・エロヘ・イスラエル」を厳密に訳すると、「イスラエルの神の、神々の為の祭壇」となる。単数形と複数形が共存している。三位一体なる神様の本質をヤコブは人生の旅を通して実感していったのだ。

Application(適用)


私の人生も後半に入って随分経つ。人格的な弱さは相変わらずだ。それでもこの人生という旅を続けさせて下さった神に感謝したい。

Prayer(祈り)


三にして一なる神様、ヤコブのような自己中心的な私です。あなたによって変えられたいと願います。人生の中で苦労するときも多いですが、その時こそあなたが介入して下さったと信じます。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。

カラスの様に養われる(ルカ12:16-24)

Scripture(聖書の言葉)


16 それからイエスは、たとえ話を一つなさいました。「ある金持ちが、良い作物のとれる肥えた畑を持っていました。 17 倉はいっぱいで、収穫物を全部納めきれないほどです。あれこれ考えたあげく、うまい考えを思いつきました。 18 『こうすればいい。あの倉を取りこわして、もっと大きいのを建てる。そうすれば、作物を全部納められる。』 19 ひとり満足した金持ちは、われとわが身に言い聞かせたのです。『もう何も心配はいらないぞ。これから先何年分もの食料がたっぷりある。さあ、食べて、飲んで、楽しくやろう。』 20 しかし神は、こう言われました。『愚か者よ! あなたのいのちは、今夜にもなくなる。そうしたら、ここにある物は、いったいだれのものになるのか。』 21 いいですか。この地上でいくらため込んでも、天国に財産を持っていない者は、愚か者なのです。」

22 それからまた、弟子たちのほうを向き、先を続けられました。「ですから、言っておきましょう。食べ物は十分か、着る物はあるか、といったことでいちいち心配するのはやめなさい。 23 人のいのちは、食べ物や着る物よりどれだけ価値があるか知れないのです。 24 からすを見なさい。種もまかず、刈り入れもせず、倉を持っているわけでもありません。それでもゆうゆうと構えていられるのは、神が養ってくださるからです。神の目には、からすなどより、あなたがたのほうが大切なのです。

Observation(観察)


イエス様は収穫の保存に腐心する金持ちと、悠々と生きるカラスを比較して話された。金持ちは自分の財産の管理をあれこれ悩んだあげく最後には死んでしまうが、カラスは何も所有しなくても神によって生かされている。さらにはイエス様は私たちをカラスよりもずっと大事なものだと話された。人生には心配事がいくらでもある。それに押しつぶされるようにして生きるか、神に信頼して安心することを選ぶか、いつも選択肢は私の前にある。心配事が発生する都度、神に信頼する訓練を受けているのだと考えよう。

Prayer(祈り)


イエス様、心配事に目を向けて悩み苦しむか、神に立ち返って賛美するか、選択は私に委ねられています。人間的な視点で見るか、神の視点で見るか、選ぶことを求められています。私は神を選びます。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。

神との関係(ルカ11:8-9)

Scripture(聖書の言葉)


8 しかし、友達だからというのでは何もしてくれなくても、しつこく戸をたたき続けるなら、その根気に負けて、必要な物を出してくれるでしょう。 9 祈りも同じです。あきらめずに求め続けなさい。そうすれば与えられます。捜し続けなさい。そうすれば見つかります。戸をたたきなさい。そうすれば開けてもらえます。

Observation(観察)


祈りについてのイエス様の教えである。諦めず、辛抱強く続ける事をイエス様は説いている。このたとえでは、深夜にパンを友人に借りようとする男の話だが、イエス様は「しかし、友達だからというのでは何もしてくれなくても、しつこく戸をたたき続けるなら、その根気に負けて、必要な物を出してくれるでしょう。」と言っている。わたしとイエス様の関係は友人以上のものであろうか、神と疎遠になることほどクリスチャンにとって淋しいことは無い。

Prayer(祈り)


イエス様、あなたの近くにいさせて下さい。他の様々なもので満足をえようとしましたが、淋しさ、空しさだけが残りました。イエス様との関わりによって満足するものとなりたいです。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。

御言葉を制限しない(ルカ10:27-29)

Scripture(聖書の言葉)


27 「『心を尽くし、たましいを尽くし、力を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい』(申命6・5)、それに、『自分自身を愛するように、あなたの隣人を愛しなさい』(レビ19・18)とありますが。」 28 「そう、そのとおりにすればいいのです。そうすれば、永遠のいのちを得られます。」 29 しかし律法の専門家は、自分がある人々を愛していないことを正当化しようと、「隣人とはだれのことですか?」と聞き返しました。

Observation(観察)


イエス様の隣人を愛しなさい、という教えに対して、律法の専門家は自己正当化のために例外を認めてもらおうとする。彼らの期待する答えは「隣人とはユダヤ人である、サマリヤ人は対象外だ」というものであっただろう。イエス様が例外を認めるなら、自分たちも例外を設けて良いだろうという考えである。しかしイエス様はそのような身勝手な考えを否定された。隣人とは例外なくあらゆる人々なのだ。

Prayer(祈り)


イエス様、僕も理屈をつけてイエス様の教えを制限して聞いてしまいそうになります。御言葉をそのまま受け取り実行できるものにして下さい。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。

5000人の給食(ルカ9:13-17)

Scripture(聖書の言葉)


13 「いいえ。あなたがたで、みんなに食べ物をあげるのです。」イエスの答えに、弟子たちはあきれ顔で言いました。「手もとには、パンが五つと魚が二匹あるだけです。これだけ大ぜいの人が食べる物を買い出しに行けとおっしゃるのですか。」 14 こう言うのも、むりはありません。男だけでも五千人はいたのですから。しかし、イエスは、「さあ、みんなを五十人ぐらいずつに分けて座らせなさい」と言われます。 15 弟子たちは訳がわからないながらも、そのとおりにしました。

16 そこでイエスは、五つのパンと二匹の魚を取り、天を見上げ、感謝の祈りをささげました。それからパンをちぎり、人々に配るため、弟子たちに手渡されました。 17 みんなが食べて満腹したあと、パン切れを集めると、なんと十二かごにもなりました。

Observation(観察)


民衆への給食のやりとりの中で、イエス様は「いいえ。あなたがたで、みんなに食べ物をあげるのです。」弟子達は勿論食べ物のことと理解したであろう。しかしここには、新たに信じた人々を霊的に養うことを暗喩しているように思う。勿論その源はイエス様が。イエス様が僅かなパンと魚を祝福され、弟子達が配ったとき、大勢の人が食べて満腹したとある。私たちもイエス様に信頼し、人々に仕えるとき奇跡的な業が起き、多くの人が満たされる。

Prayer(祈り)


イエス様、受け取るだけでは無く給仕する側になりたいです。イエス様の奇跡の業をこの目で見たいです。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。

奇跡を拒む人々(ルカ8:34-39)

Scripture(聖書の言葉)


34 びっくりした豚飼いたちは近くの町や村に逃げ込み、この出来事を言いふらしました。 35 まもなく、大ぜいの者が、自分の目で確かめようと集まって来ました。と、どうでしょう。今まで悪霊につかれていた男が、きちんと服を着て、すっかり正気に戻って、イエスの前に座っているではありませんか。みんなは、あっけにとられてしまいました。 36 初めから一部始終を目撃していた人たちが、事細かにその時の状況を説明しました。 37 それを聞くと、人々はますます恐ろしくなり、イエスに、ここから立ちのいて、もうこれ以上かかわり合わないでほしいと頼み始めました。

それで、イエスは舟に戻り、また向こう岸へ帰って行かれました。 38 悪霊の去った男がお伴を願い出ましたが、イエスはお許しになりませんでした。 39 「家族のところへ帰りなさい。神がどんなにすばらしいことをしてくださったかを、話してあげるのです。」こう言われて、男は町中の人に、イエスのすばらしい奇跡を話して回りました。

Observation(観察)


ゲラサ人の地にいた狂人(多くの悪霊につかれた人)をイエス様は解放した。追い出された悪霊達は豚の群れに入り込み、豚の群れは湖に飛び込んで溺れ死んだ。
狂人だった男は正気に戻っていた。ところがこの地のひとびとはこの事態を歓迎せず、「イエスに、ここから立ちのいて、もうこれ以上かかわり合わないでほしいと頼み始めました。」とある。彼らが奇跡を拒絶した背景は分からないが、神の働きを否定する思い、現状維持を良しとする思いがあったのかもしれない。
ただ、解放された元狂人だけは違っていた。彼は「町中の人に、イエスのすばらしい奇跡を話して回りました。」とある。イエス様の奇跡を直接体験したものはイエス様を否定できない。イエス様を伝えるものと変えられたのだ。

Application(適用)


私自身、多くの奇跡的な事象を体験してきた。にもかかわらず現状維持を良しとする思いはいまだに残っている。願わくば大胆にイエス様を伝えるものになりたい。二つの相反する欲求に苛まれている。

Prayer(祈り)


イエス様、受けた奇跡を否定せず、喜んで人々に伝える人になりたいです。世間体とか立場を横に置いて、イエス様を第一にするものとして下さい。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。

誰の権威の元に居るのか(ルカ7:7-10)

Scripture(聖書の言葉)


「先生。わざわざおいでくださいませんように。とてもそんな名誉を受ける資格はございません。自分でお迎えに上がることさえ失礼と存じます。どうぞ今おられる所で、おことばをください。それで十分でございます。そうすれば、召使は必ず治ります。 8 私は上官の権威の下にある者ですが、その私でさえ、部下には権威があります。私が『行け』と命じれば行きますし、『来い』と言えば来ます。また奴隷にも、『あれをやれ』『これをやれ』と言えば、そのとおりにするのです。」 9 これを聞くと、イエスはたいへん驚き、群衆のほうをふり向いて言われました。「皆さん。これほどの信仰を持った人は、イスラエル中でも見たことがありません。」 10 使いの者たちが戻ってみると、召使はすっかり治っていました。

Observation(観察)


ローマの隊長が自分のしもべの病のいやしをイエス様にお願いするくだりである。隊長は自身が権威のものとにあり、また権威を用いることの出来る立場であること、イエス様が権威をもって御言葉を用いれば召使いはいやされることを確信していることを伝えた。
私たちは誰の権威の元に居て、どんな権威を用いることが出来るだろうか、用いるために必要なことは何だろうか。クリスチャンにとって自明なことではあるが、今一度深く考えたい。

Prayer(祈り)


イエス様、私があなたの権威の元にあること、また権威を用いることも許されていることを思い出しました。御言葉を発することが権威を用いる鍵だとも分かりました。積極的に御言葉を用います。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。

自分が量ったはかりで量られる(ルカ6:37-38)

Scripture(聖書の言葉)


37 人のあら捜しをしたり、悪口を言ったりしてはいけません。自分もそうされないためです。人には広い心で接しなさい。そうすれば、彼らも同じようにしてくれるでしょう。 38 与えなさい。そうすれば与えられます。彼らは、量りのますに、押し込んだり、揺すり入れたりしてたっぷり量り、あふれるばかりにして返してくれます。自分が量るそのはかりで、自分も量り返されるのです。」

Observation(観察)


隣人を愛する、ということにはイエス様の示された無私の愛によるものと、同時にこの節で書かれた自分がしたことが跳ね返ってくるから、という動機が書かれている。人間はイエス様の様になることは難しい。ならばせめてこの節をこころに止めて生きてゆこう。今僕が感じている苦しさも、自分が狭量なはかりで人を量った結果なのだ。

Prayer(祈り)


イエス様、批判し、批判される人間関係を改善したいです。他人がどのように僕を量ろうとも、おおらかな気持ちで人に接することが出来ますように。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。

もういちどやってみよう(ルカ5:4-6)

Scripture(聖書の言葉)


4 話が終わると、イエスはシモンに言われました。「さあ、もっと沖へこぎ出して、網をおろしてごらんなさい。」 5 「でも先生。私たちは夜通し一生懸命働きましたが、雑魚一匹とれなかったのです。でも、せっかくのおことばですから、もう一度やってみましょう。」 6 するとどうでしょう。今度は網が破れるほどたくさんの魚がとれたのです。

Observation(観察)


夜通し働いて一匹も魚を捕ることが出来なかったペテロは、イエス様から「沖にこぎ出し、網をおろしなさい」と言われた。プロの漁師であるペテロの経験では今日はもう魚は取れないと考えていたかもしれないし、沖には魚はいないと思ったかもしれない。しかしペテロは、「せっかくのおことばですから、もう一度やってみましょう。」と従った。結果は沢山の魚を獲ることが出来た。大事なのは自分の経験に頼らず、イエス様の言葉に従う心だ。
うまく行かないことは何度も、幾つもある。けれども、もう一度やってみよう、と神を信頼する心を持つことだ。新しい一年、去年挫折したことももう一度挑戦してみよう。

Prayer(祈り)


イエス様、去年挑戦して叶わなかったことも、もう一度挑戦させて下さい。あなたの言葉を頂けたら、いつでも網を下ろします。私の心の願いはあなたが個存知です。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。

約束の地と挫折(創世記11:27-32)

Scripture(聖書の言葉)


27 ハランにはロトという息子が生まれました。 28 しかし、ハランは若くして生まれ故郷のカルデヤのウルで死に、あとには父のテラが残されました。 29 一方、アブラムは腹違いの妹サライと結婚し、ナホルも、ハランが死んで孤児となった姪のミルカを妻にしました。ミルカにはイスカという兄弟がいましたが、二人ともハランの子です。 30 サライは子どもができない体でした。 31 テラは、息子のアブラムと嫁のサライ、ハランの息子で孫に当たるロトを連れてカルデヤのウルを出発し、カナンの地へ向かいました。しかし途中、ハランの町に立ち寄ったまま、そこに住みつき、 32 二百五歳の時、ハランで死にました。

Observation(観察)


セムの子孫でありアブラハムの父であるテラについての記事である。テラはアブラムとテラを連れてカルデヤ(バビロン人の地)を出発し、カナンの地を目指した。しかしテラは目的地であるカナンには辿り着けず、ハランの町で亡くなってしまう。
カルデヤは罪の生活を示唆し、カナンの地は神の約束の地である。テラの挫折は私たちに、救われたものが神の約束を目的として旅を続け、途中で挫折してはいけないと教えている。

Prayer(祈り)


イエス様、テラの決心は偉大でしたが彼は目標点にたどり着くことは出来ませんでした。アブラハムが志を継ぎますが、私はテラのような挫折をしたくありません。目的地、約束の地から目をそらさず、前に向かって進みたいです。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。