神の臨在を求める(出エジプト記33:11)

Scripture(聖書の言葉)


11 天幕の中では、まるで親しい友のように、主はモーセに語りました。そのあと、モーセが野営地に帰ると、彼の従者であるヌンの子ヨシュアはそのまま天幕に残りました。

Observation(観察)


神の人モーセは天幕の中で神と話し合った。モーセの従者ヨシュアはその間天幕で待っていたが、モーセが帰った後もヨシュアは天幕に残っていた、とある。
天幕は神が訪れる場所であった。ヨシュアはこの会見の場を大切にしたのだ。神の臨在を熱心に求める者の規範をヨシュアに見ることが出来る。私たちは毎週日曜日の礼拝を、そして会堂(あるいは会場)をどれだけ大事にしているだろうか。この場に神がおられたと信仰を持って留まることがどれだけあっただろうか。

Application(適用)


若く熱心な頃は日曜日は一日中教会に居た。ある時期は教会に住んでいたこともある。困難なことも多くあったが確かに神を中心として生活した時代だった。今、神を大切にするという姿勢から遠ざかって教会の奉仕をシステム的に行っている自分を恥ずかしく思う。
願わくば、当時の情熱を取り戻したい。

Prayer(祈り)


イエス様、あれこれ理由をつけて神の臨在を求めない自分を発見しました。恥ずかしく、悔しく思います。もう一度立ち上がります。御臨在そのものが力だからです。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。

純粋な祈り(出エジプト記30:7-9)

Scripture(聖書の言葉)


7 アロンは毎朝ともしびの芯を切るとき、香の祭壇の上で、香りの高い香をたかなければならない。 8 また夕方、明かりをともすときにも、わたしの前で香をたかなければならない。これは代々守るべきことである。 9 この祭壇の上では、認められていない香や、焼き尽くすいけにえ、穀物のささげ物、注ぎのぶどう酒の供え物をささげてはならない。

Observation(観察)


モーセがシナイ山で命じた事柄の中に、大祭司の行う献げ物などの様々な決め事があった。ここでは香を焚く祭壇について書かれている。朝晩に香を焚かねばならないこと、また焼き尽くす生け贄や注ぎのぶどう酒などの決められた香以外のものを献げてはいけないと書かれている。この香とは特別な神に近づく祈りを意味する。朝晩に献げること、また願いや悔い改めではなく純粋な神の臨在を求める祈りを神は求められている。
私たちの祈りはどれだけ純粋だろうか。願いや悔い改めも勿論重要だが、神そのものを求めることがより重要なのだ。

Prayer(祈り)


イエス様、神様そのものを求める祈りをしてこなかった事を教えられました。畏れ多いことですがあなたの犠牲によって神様に近づくことが出来ると書かれていますので、大胆に祈りを持って求め近づきます。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。

神のために特別に選ばれた者(出エジプト記28:36-38)

Scripture(聖書の言葉)


36 次に、純金のプレートを作り、ちょうど刻印を彫るように、『神のために特別に選ばれた者』と彫りなさい。 37-38 このプレートは、青いひもでアロンのターバンの正面につける。アロンはそれを額につけ、イスラエルの民のささげ物のことで何か過ちがあれば、その罪を負う。主の前に出るときはいつもそれを額につけなければならない。こうして、人々は主に受け入れられ、罪を赦される。

Observation(観察)


祭司の役目は、民の罪を負い、神の前に出、罪の赦しを得ることだ。アロンの装束につけられたように『神のために特別に選ばれた者』として彼は神の前に出ることが許された。私たちの大祭司はイエス様である。アロンとその子孫はいつも民の罪の贖いのため神の前に出て犠牲を捧げる必要があったが、イエス様はただ一度、御自身を捧げることで、全人類の全時代の罪の贖いを完成された。私たちのイエス様に対して持つ第一のイメージは十字架上の救い主だが、それと同様に重要なのが永遠の大祭司としてのイエス様だ。

Prayer(祈り)


イエス様、私の罪を清算してくださり感謝します。父なる神様に受け入れられるようにして下さり感謝します。大祭司としてのイエス様の姿をいつもイメージできますように、イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。

牧師を煩わせないように(使徒6:2-4)

Scripture(聖書の言葉)


2 そこで十二人の使徒は、信者全員を召集し、こう提案しました。「私たち使徒が食料の配給の問題に時間をさくのは、よくありません。何よりも、神のことばを伝えることに専念すべきです。 3 そこで、愛する皆さん。この仕事にふさわしい人、賢明で、聖霊に満たされた人に、いっさいを任せることにしましょう。さあ回りをよく見回して、この人と思う人を七人選んでください。 4 そうすれば私たちは、祈りと説教と教育に打ち込むことができます。」

Observation(観察)


初期の教会は、まだしっかりとした組織ができあがっていなかった。そのようななかでも人数が増え、様々な問題が湧き上がってきた。これらを処理していたのは使徒達であったと思われるが、使徒達の本来の働きに支障が出てきた。そこで7人の執事を選ばせ、使徒達が御言葉に専念できるようにした。
私たち信徒は教職者が御言葉に専念できるようにしているだろうか?かえってあれこれと問題を持ち込み煩わせてはいないだろうか。十分に自戒したい。

Prayer(祈り)


イエス様、私の中にある種の甘えがあるように思います。問題に遭ったときに、自分で解決するか、リーダーや長老に相談するか、あるいは本当に牧師に相談するべきか、正しく判断する心を下さい。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。

たとえ奇跡がなくても(使徒5:17-21)

Scripture(聖書の言葉)


17 これを知った大祭司と、その一族であるサドカイ派の人たちはみな、激しいねたみにかられ、 18 うむを言わせず使徒たちを逮捕し、留置場に放り込みました。

19 しかし、夜、主の使いが来て、留置場の戸を開け、使徒たちを外に連れ出して言いました。 20 「さあ宮へ行き、このいのちの教えを大胆に語りなさい。」

21 言われたとおり、使徒たちは夜明けごろ宮へ行き、すぐに教え始めました。

Observation(観察)


大祭司達に捕らえられ、留置場に置かれた使徒達は、天使によって不思議な力で解放された。その目的は「さあ宮へ行き、このいのちの教えを大胆に語りなさい。」と天使は語った。困難を打ち破るのは神の力に他ならないが、そこには必ず目的がある。神の働きのためにこそ奇跡は起きるのだ。
私は神の働きのために生きたいと長年願ってきたが、いまだそれは果たされない。過去の罪の故なのか、適性が無いのか、あるいは召しが無いのか、人間である私には分からない。
しかし、そのような状況であっても正しく生きようと努力することが出来る。奇跡は起こらないかもしれない。それでも最大限の誠実を持って神の前に立ち続けよう。

Prayer(祈り)


イエス様、どう祈って良いかわからないときがあります。今がそうです。ただ誠実な生き方を選ぶことが出来ますように。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。

イエス様と一緒に居たから(使徒4:8-13)

Scripture(聖書の言葉)


8 その時、ペテロは聖霊に満たされ、落ち着きはらって答えました。「わが国の名誉ある指導者、ならびに長老の方々。 9 お尋ねの件は、あの足の悪い男のことで、どのようにして彼が治ったかということでしょうか。 10 そのことなら、あなたがた、いやイスラエルのすべての人たちに、はっきりお話ししたいのです。この出来事は、あなたがたが十字架につけ、神様が復活させてくださった、あのメシヤ(救い主)、ナザレのイエスの名と力とによるのです。 11 メシヤのイエスは、まさに『建築士たちの捨てた石が、最も重要な土台石になった』(詩篇118・22)と聖書にある、その石なのです。 12 この方以外には、だれによっても救われません。天下に、人がその名を呼んで救われる名は、ほかにないのです。」

13 あまりにも大胆なペテロとヨハネのことばに、議員たちは驚き、たじたじとなりました。二人は明らかに、教育も受けていなければ、宗教の専門家でもないのです。とうとう、イエスといっしょにいたからそうなったのだ、と認めないわけにはいかなくなりました。

Observation(観察)


足萎えの男をいやしたことで、ペテロ達は大祭司達の尋問にあう。ここでの彼の言葉はイエス様を三度否定したあのペテロのようでは無かった。公然をイエス様を証しし、「この方以外には、だれによっても救われません。天下に、人がその名を呼んで救われる名は、ほかにないのです。」と大胆に宣言した。このようなペテロの理路整然たる証しと堂々たる態度について、大祭司達は「イエスといっしょにいたからそうなったのだ」と結論づけた。
私たちの言動はどうだろうか、はたして「イエスといっしょにいたからそうなったのだ」と言われるような変化を起こしているだろうか。語るべき言葉を与えてくださる聖霊様を求め、私の言葉と態度を一新してくださることを切に望む。

Prayer(祈り)


イエス様、いつか「あいつはイエスといっしょにいたからそうなったのだ」といわれるようになりたいです。それほどにイエス様の近くを歩み、聖霊様によって言葉と知恵を与えられたいです。導いてください。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。

恐るべき神様(出エジプト記19:16-20)

Scripture(聖書の言葉)


16 いよいよ三日目です。朝から恐ろしい嵐になりました。雷は耳をつんざき、いなずまは宙を走ります。厚い雲が山に垂れ込め、雄羊の角笛のような大きな音が長く響き渡りました。あまりの恐ろしさに、人々はみな震え上がりました。 17 神をお迎えしなければなりません。モーセは人々を促して野営地から連れ出し、全員が山のふもとに立ちました。 18 見ると、シナイ山全体が煙に包まれています。主が山の上に、炎に包まれて下ったのです。煙は、まるで炉に燃えさかる火のように空に渦巻き、山全体が強い地震で揺れ動きました。 19 ラッパのような響きがますます大きくなる中で、モーセが語り、神の答える声は天地にとどろき渡るのでした。 20 こうして、主はシナイ山の頂上に降り、モーセを招きました。モーセは主のもとに登って行きました。

Observation(観察)


エジプトから脱出したイスラエルの人々の前に、主が御姿を現そうとされた箇所だ。異常な自然現象も同時に起きたことも書かれている。神という超次元の存在が、この世の三次元に表れようとされたのだから、このような大変な事態になるのもうなずける。私たちは神の臨在を求めるが、求めているのはこのような偉大な、強大な、とてつもない存在である方であることを忘れてはならない。同時にそのような方が共におられるのだから「神もし我らの味方ならば、誰が我らに敵せんや」と自信を持って語って良い。大事なのは、神がともに居続けてくださるようなきよい生活を私たちが続けられるかどうかだ。

Prayer(祈り)


イエス様、恐るべき、また力強い神様を教えてくださり、間に立って下さり感謝します。神と共に歩む生涯を生きたいです。助けて下さい。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。

聖霊様を証する(使徒2:37-39)

Scripture(聖書の言葉)


37 ペテロのことばは、人々の心を強く打ちました。「それでは、私たちはどうすればいいのでしょう。」あちらからもこちらからも、使徒たちへの質問の声があがりました。

38 ペテロは答えました。「一人一人、罪の生活から悔い改めて神に立ち返りなさい。そして、罪を赦していただくために、イエス・キリストの名によってバプテスマ(洗礼)を受けなさい。そうすれば、聖霊という賜物をいただけます。 39 それはキリストが約束してくださったことです。あなたがたは言うまでもなく、あなたがたの子孫、また遠くにいても、私たちの神である主がお招きになったすべての人に与えられるのです。」

Observation(観察)


聖霊様を受けて大胆に変えられたペテロの説教は人々の心を打った。彼らは「それでは、私たちはどうすればいいのでしょう。」と問うた。ペテロの回答は悔い改め洗礼を受けることと答えた。そして結果聖霊様を受け取る事についても言及した。これはこの時エルサレムに居た人ばかりでは無く、その人々の子孫、あるいは遠く離れた人にも等しく与えられる約束だ。

Application(適用)


聖霊様を受けてから30年が経つ。この経験は今も忘れられない。そしてこの経験はエルサレムに始まり、ペテロの言葉通り、世代も場所も越えて起き続けているのだ。いま公然と聖霊様のことを語ることがはばかられる空気があることを残念に思う。

Prayer(祈り)


イエス様、どうか聖霊様を証することの出来る場に置いてください。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。

聖霊様の来られた訳(使徒1:4-8)

Scripture(聖書の言葉)


4 そんなある時のことです。イエスは使徒たちに、こうお命じになりました。「エルサレムから離れてはいけません。前にも言ったように、父が約束を果たしてくださるまで、待っていなさい。 5 バプテスマのヨハネは水でバプテスマ(洗礼)を授けましたが、もうすぐ、あなたがたは聖霊によるバプテスマを受けるからです。」

6 そこで、またイエスが姿を現された時、使徒たちは心躍らせながら、「主よ。今こそイスラエルを解放し、独立国として再興なさるのですか」と尋ねました。

7 「それがいつかは、父がお決めになります。あなたがたが、あれこれ言うことはできません。 8 しかし、聖霊があなたがたに下る時、あなたがたは大きな力を受け、エルサレムからユダヤ全土、そしてサマリヤから地の果てまで、わたしの死と復活を伝える証人となります。」

Observation(観察)


聖霊様が来られる目的について、イエス様は明確に語られている。すなわち、イエス様の証人として世界中に出て行くための力を与えてくださる為、である。事実使徒達は、一人残らず宣教に出、ヨハネの除いて殉教を遂げた。死にまでも従う力を弟子達は得たのだ。

Application(適用)


聖霊様を受けると言うことは、イエス様のために死ぬことを約束することと同義なのだ。生半可な気持ちで受けてはいけないし、受けたならばその力が与えられていることを自覚しよう。

Prayer(祈り)


イエス様、イエス様のためなら死にますと何度も願ったことを思い出しました。時間が経ってこの思いが緩んでしまっていることを思います。覚悟を新たに、イエス様に従います。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。

エマオの途上(ルカ24:28-31)

Scripture(聖書の言葉)


28 そうこうするうち、エマオに近づきましたが、イエスはまだ旅を続ける様子です。 29 二人は、じきに暗くなるから、今晩はここでいっしょに泊まってくださいと熱心に頼みました。それでイエスもいっしょに家に入りました。 30 食卓に着くと、イエスはパンを取り、神に祝福を祈り求め、ちぎって二人に渡しました。 31 その瞬間、二人の目が開かれ、その人がイエスだとわかりました。

Observation(観察)


エマオへの途上で、復活されたイエス様は弟子達の前に現れてくださったが、弟子達は彼がイエス様だとは気がつかなかった。しかし宿に着き、パンをちぎると弟子達の目が開かれ、その人がイエス様だとわかったとある。パンをちぎるとは、人々のために主が身を裂かれるという意味、そして御言葉が増え広がる、すなわち多くの教会が建てあげられるというダブルミーニングである。このイエス様の行為で目が開かれた弟子達は、イエス様の犠牲と、山上の垂訓のシーンを思い起こしたに違いない。
私たちがイエス様を思い起こすのはどのようなときだろう。日常の行動の中でイエス様を思い出すことが出来るのならそれ以上の幸いは無い。御言葉を心に蓄えて、イエス様の言葉をいつも思い出せるようにしたい。

Prayer(祈り)


イエス様、日常の生活に埋もれて、イエス様のことを忘れてしまうことがいつもあります。そうではなく、いつもイエス様を思い出して喜んでいるものに変えて下さい。見る目を、聞く耳を変えて下さい。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。