聖霊様によって善を選ぶ(ガラテヤ5:16-18)

Scripture(聖書の言葉)


16 あなたがたに勧めます。聖霊の導きに従いなさい。聖霊は、どこへ行くべきか、何をなすべきか教えてくださいます。そうすれば、自分の肉の欲望のおもむくままに走ることはありません。 17 私たちの生まれながらの性質は、聖霊がお命じになることとは正反対の悪を好みます。一方、聖霊の導きに従って歩んでいる時に行いたくなる善は、生まれながらの肉の願望とは正反対のものです。内面のこの二つの力は、どちらも私たちを思いどおりに動かそうと、いつも格闘しています。そして私たちは、この二つの力の板ばさみになって、したいと思うことが自由にできない状態なのです。 18 しかし、本来聖霊に導かれているあなたがたは、もう自分を律法に従わせる必要はありません。

Observation(観察)


肉の性質からでる願望と、聖霊様によって行いたくなる善、私たちはその両面を抱えている。時としてその両方の要求に混乱してしまうこともある。正反対の性質を抱えている人間という存在はなんと不便で悲しい存在だろう。
それでも未だに私たちには選択権がある。聖霊様によってもたらされる善を選ぶことができるのだ。選択は生涯私たちの前に立ちはだかり続ける。聖霊様の助けを得て善を選ぼう。

Prayer(祈り)


イエス様、自分の内面の二つの性質とその葛藤を教えてくださり感謝します。意思を持って、聖霊様の助けを得て、善を選び続ける事が出来ますように。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。

神の子として生きる(ガラテヤ4:5-7)

Scripture(聖書の言葉)


“それは、律法の下にある者を贖い出すためであり、私たちが子としての身分を受けるためでした。そして、あなたがたが子であるので、神は「アバ、父よ」と叫ぶ御子の御霊を、私たちの心に遣わされました。ですから、あなたはもはや奴隷ではなく、子です。子であれば、神による相続人です。”

ガラテヤ人への手紙 4章5~7節
聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会

Observation(観察)


神を親しく「父よ」と呼べるのはひとり子イエス様のみであった。しかし聖霊様はイエス様と同じ霊であられるので、それを受けた私たちもその特権を受け継いでいる。神を父と呼ぶ権利を受けた以上、私たちも神の子と変えられたのだ。子は父の庇護の元で育ち、父の家で暮らす。私たちがその権利を見失ってしまうと、権利を行使することは出来ない。放蕩息子が異邦人の町で落ちぶれ苦労したのと同じだ。悪魔はなんとしても私たちが神の子として生きることを止めさせたいとあらゆる手段を用いてくる。父との関係を日々強めるために、御言葉に触れ、祈り感謝することを続けて行きたい。

Prayer(祈り)


イエス様、聖書を読む習慣、祈る習慣を取り戻すことが出来て感謝します。これからも続けて神の子として父に繋がることが出来ますように。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。

神に立ち返る(ガラテヤ3:2-4)

Scripture(聖書の言葉)


2 一つだけ聞いておきます。あなたがたは、なぜ聖霊をいただくことができたのですか。律法を守ろうと努力したからですか。キリストのことを聞き、その救いを信じて初めて、聖霊はあなたがたのところに来てくださったのです。 3 とすると、信仰生活が聖霊によって始まったのに、どうして、律法を救いの条件とするのですか。 4 あれほどの経験をしたあなたがたが、福音をあっさりと投げ捨ててしまうのですか。とても信じられないことです。

Observation(観察)


信仰が歪められつつあったガラテヤの教会の人々にパウロは、彼らの受けた聖霊体験を思い出すように促す。彼らの体験は律法によるものでは無くイエス様を信じる事から始まったのだ。聖霊様を受けることは「イエス様の贖い以外に救いは無い」と経験することと同義なのだ。

Application(適用)


パウロは、「 あれほどの経験をしたあなたがたが」と嘆いている。私も聖霊様について様々な体験をしているにも関わらず、それを忘れてこの世の快楽に走ってしまった。人間は如何に神の恵みに鈍感で忘れやすい者なのだろうか。しかし、それでもイエス様は再び御自身の道に連れ帰ってくださった。この恵みを今度こそ忘れずに居よう。

Prayer(祈り)


イエス様、多くのものを失い泣いていた私を慰め、連れ帰ってくださり感謝します。あなたと共に生きることにもう一度決めました。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。

救いの条件(ガラテヤ2:19-20)

Scripture(聖書の言葉)


19 というのは、いくら律法に従おうと努力しても――それは失敗以外にないのです――神の恵みは決して受けられないことがわかったからです。キリストを信じて初めて、神に受け入れられることがはっきりわかったのです。 20 私はキリストと共に十字架につけられました。もはや、私自身が生きているのではありません。キリストが、私のうちに生きておられるのです。私のためにご自身をささげてくださった神の御子を信じた結果、今、私のうちにはほんとうのいのちが与えられています。

Observation(観察)


救いの条件は律法を守ることでは無い(律法そのものはパウロ自身が言うとおり有益だが)。救いとは神の内に生きることで、また神を内に持つことに他ならない。救いとは、神と一つになる奥義なのだ。

Prayer(祈り)


イエス様、あなたを心の内に迎え、あなたの内を歩むように導いてくださり感謝します。道を外れる都度引き戻してくださり感謝します。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。

福音を足し引きせずに伝える(ガラテヤ1:9-10)

Scripture(聖書の言葉)


9 もう一度言います。だれであっても、あなたがたが受けた福音(キリストによる救いの知らせ)とは違うものを伝えるなら、神にのろわれるべきです。 10 おわかりでしょうが、私は、甘いことばやおせじで人の歓心を買おうとは思いません。ただ、神に喜ばれようとしているのです。もし私が、今なお人の歓心を買いたがっているとしたら、キリストに仕える者とは言えません。

Observation(観察)


パウロは歪んだ福音を伝える一派から離れるよう強く命じている。そのような人々は神の為では無く人からの歓心を受け取ろうとしているのだとしている。福音はある部分厳しさを伴う。そこを削って口当たりを良くしたものはもはや福音とは言えない。私たちが福音を伝えるとき、神の命じられた全てをきちんと伝えるべきなのだ。たとえば献金、たとえば同性愛に関すること、聖霊様に関すること。どれもショートカットしてはいけない。福音の全容を語らなくては受け取った人々の信仰もしっかりしたものにはならない。伝える事で疎んじられることもあるかもしれない、今風に言えばドン引きされることもあるだろう。けれども正しいことを正しく伝える事が私たちの使命なのだ。

Prayer(祈り)


イエス様、福音の素晴らしさも厳しさも正しく伝える事が出来ますように。妥協したクリスチャンを育成することがありませんように。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。

伝道と奇跡(マルコ16:15-20)

Scripture(聖書の言葉)


15 それから、こう宣言されました。「全世界に出て行きなさい。すべての人々にこの福音を宣べ伝えるのです。 16 信じてバプテスマ(洗礼)を受ける者は救われます。しかし、信じない者は罪に定められます。 17 信じる人々はわたしの権威によって悪霊を追い出し、新しいことばを語ります。 18 蛇をつかんでも、毒を飲んでも害を受けません。病人に手を置けば病気は治ります。」

19 こう語り終えると、イエスは天に上げられ、神の右の座につかれました。 20 弟子たちは命じられたとおりに出て行き、あらゆる所でこの福音を宣べ伝えました。主が共に働いてくださったので、数々の奇跡が起こり、弟子たちの教えの確かさが証明されました。〕

Observation(観察)


復活されたイエス様は全世界に出て行きなさいと言われた。十字架による贖いと復活について人々を信じさせる為である。伝道によって信じた人々には福音が確かなものである証拠として「 17 信じる人々はわたしの権威によって悪霊を追い出し、新しいことばを語ります。 18 蛇をつかんでも、毒を飲んでも害を受けません。病人に手を置けば病気は治ります。」という約束がある。そして20節では「主が共に働いてくださったので、数々の奇跡が起こり、弟子たちの教えの確かさが証明されました。」と書かれており、奇跡の現れによって福音の確かさが立証された。私たちは奇跡の噂を聞くがそれを目にする機会は極端に少ない。それはなぜだろうか。まず奇跡の目的を私たちが認識することが必要だ。奇跡は「福音の正しさを立証する」ためのものであり、その前提としての伝道が無ければならない。奇跡を見たいと願う人ならば伝道の働きに就くべきだ。教職で有る無しは無関係に、全ての人がこの働きに召されているのだ。

Prayer(祈り)


イエス様、伝道することから随分遠ざかっていました。教会の中で安穏と過ごしていたことを赦してください。今誰に福音を伝えるべきか示してください。お従いします。奇跡を伴い福音の確かさを人々が見るようにして下さい。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。

荒野での生活(申命記8:1-3)

Scripture(聖書の言葉)


私が今日命じることをみな守りなさい。そうすれば生き長らえ、人口が増え、約束の地を占領することができます。 2 主は四十年の間、荒野の旅を続けさせて、あなたがたが謙遜になり、ご自分の戒めにどのように応えるようになるか、はたして心から従うようになるかどうかを試されたのです。 3 ひもじい思いをさせたのも、謙遜を学ばせるためでした。なぜならそのあとで、マナという見たこともない食べ物を下さり、人はただパンだけで生きるのではなく、神の命令を守ることによって真に生きるのだということを教えてくださったからです。

Observation(観察)
Application(適用)

40年間の荒野の旅はイスラエルにとって苦難であった。本来数週間でたどり着くカナンの地に着くまで荒野のあちこちを放浪、宿営を繰り返し、世代が完全に入れ替わるまでそれは続いた。その目的は神に従う民となったかを神が見極め、また旅路を通して謙遜を学ぶためであった。困難なときほど人は神に熱心に願い、従おうとする。逆に豊かになってしまうと傲慢がやってくる。後の節には「12-14 家を持ち、羊や牛も増え、財産ができ、満ち足りるようになったときこそ危ないのです。気をつけないと、主のおかげでそうなったのに、思い上がり、エジプトでの奴隷生活から救い出されたことなど忘れてしまうのです。」とある。私が現にそうであった。この世的に安心して過ごせるようになると神を見失い、物質中心な生活を送るようになる。神のあわれみによって御言葉に引き戻され、再び謙遜を学ぶ日々を送っている。いまはいつ荒野を脱出できるかよりも、神の中に住み続けることのほうが重要になっている。

Prayer(祈り)

イエス様、尊大、傲慢になって神よりも手に入れたものを大事にする生活を神はさばかれ、謙遜への道に帰してくださいました。いまはただ神のそばに居ることを願う日々です。あなたの御言葉を聞いて喜ぶものに変えて下さり感謝します。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。

安息日を大切にする(申命記5:12-15)

Scripture(聖書の言葉)


12 主の定めた安息日を特別の日として守りなさい。 13 すべての仕事は六日のうちにすませなさい。 14 七日目はあなたの神、主の安息の日だから、その日は一日、人も家畜も仕事をしてはならない。外国人も、ここでいっしょに住んでいる限り、この戒めを守る義務がある。すべての人が休むのだ。 15 安息日を守るのは、エジプトで奴隷にされていたあなたを、主であるわたしが力強い手を差し伸べて救い出したことを忘れないためである。

Observation(観察)
Application(適用)


モーセは安息日の重要性について語っている。単なる休みでは無く、エジプトでの奴隷生活からの解放、訪れた安息について決して忘れることが無いように諭している。
私たちにとって安息とは何であろうか。イエス様の贖いによって罪の束縛と死の力から解放された事を記念するものの筈だ。しかし、私が日曜日をそのような心構えで過ごしていたかと言われると正直言葉に詰まってしまう。あれこれと忙しく心を疲れさせ、感謝の思いを見失っていることの方が多い。日曜日の過ごし方をもう一度考え直したい。

Prayer(祈り)


イエス様、日曜日をあなたの贖いと救いを思い出し感謝する日としたいです。いつも見失ってしまっていて申し訳ありません。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。

再臨について(マルコ13:26-28)

Scripture(聖書の言葉)


26 その時すべての人が、メシヤのわたしが大きな力と栄光とを帯びて、雲に乗って来るのを見るでしょう。 27 わたしは天使たちを遣わし、世界中から、まさに天と地の果てから、選ばれた者たちを呼び集めるのです。

28 さて、いちじくの木から教訓を学びなさい。いちじくの葉が出てくれば、夏は間近です。 29 同じように、いま言ったようなことが起これば、わたしはもう戸口まで来ているのです。

Observation(観察)


戦争や災害、大国の横暴、この世の終わりは刻々と近づいているように思う。そのときどのような苦難が私たちにやって来るのかはわからないが、それは同時にイエス様の再臨を目の当たりに出来る光栄でもある。私たちは様々な兆しに目を留めなければならない。注意深く神のご計画を待ち望もう。

Prayer(祈り)


イエス様、あなたが再び見えられるのを2000年間待っています。いまがその時かもしれないと思います。いつでも備えます。おいで下さい。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。

心を尽くして神様を愛する(マルコ12:28-31)

Scripture(聖書の言葉)


28 イエスのそばで、この見事な返答ぶりを聞いていた一人のユダヤ教の教師が、「先生。すべての戒めの中で、どれが一番重要な戒めでしょうか」と尋ねました。

29 「『イスラエルよ、聞け。主なる神こそ、ただひとりの神です。 30 心を尽くし、たましいを尽くし、思いを尽くし、力を尽くして、あなたの主を愛しなさい。』(申命6・4-5)これが最も重要な戒めです。

31 第二は、『自分を愛するように、あなたの隣人を愛しなさい』(レビ19・18)という戒めです。これ以上に重要な戒めはありません。」

Observation(観察)


イエス様は最も重要な戒めとして「心を尽くし、たましいを尽くし、思いを尽くし、力を尽くして、あなたの主を愛しなさい。」と言われた。人間にとって愛する、という気持ちは環境によって醸成されることが殆どだ。子が親を愛すること、夫が妻を愛すること、あるいはペットを愛する事、いずれも瞬間的に与えられるものでは無い。長い間の関わりの中で強く深くなって行くものだ。イエス様は「心をつくし」と言われた。まずは意思が必要だ。意思を持って愛する事を決め、神との相互の関わりの中で私たちの神様への愛は深く強くなって行く。

Application(適用)


私は人を愛することがとても不器用だ。幼い頃の体験のせいか、人の心に入ってゆく事が出来ない。もしかすると神に対しても同じ状況を続けているのかもしれない。もう一度心を尽くして神様を愛することを始めよう。

Prayer(祈り)


イエス様、わたしの魂のいびつなところを癒やしてください。特に人との関係で困難を覚えます。神様を素直に愛する事も上手に出来ません。助けて下さい。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。