福音の報酬(1コリント9:16-17)

Scripture(聖書の言葉)


16 それというのも、福音を宣べ伝えても、別に私の名誉にはならないからです。たとえやめたいと思っても、やめるわけにはいきません。当然、果たすべきこの任務をもしやめたら、全くみじめなことになります。福音を宣べ伝えなかったら、私は災いに会います。 17 もし、自分から進んでこの務めを引き受けたのであれば、主は私に特別な報酬を下さるでしょう。しかし、そうではなかったのです。神様が私を選び出して、この聖なる任務につかせてくださったのであって、選ぶ自由などなかったのです。

Observation(観察)


「福音を宣べ伝えなかったら、私は災いに会います。」とパウロは明言している。それは神からの召命であるが故である。「神様が私を選び出して、この聖なる任務につかせてくださったのであって、選ぶ自由などなかったのです。」ともある。神自らがパウロを選んで、異邦人への伝道のために召し上げた。この働きの対する報酬は救われた人々そのものである。
現代に住む私たちは、どのような働きにも待遇と対価を先ず確認する。しかし福音伝道という働きは全く趣を異にしている。私たちは報酬や立場の為に働くのでは無く、救いの伝達そのものが目的であり報酬なのだ。

Prayer(祈り)


イエス様、伝道の働きに就きたいです。人間的な特性が足りないことは承知しています。それでもこの30年間、思いは変わりません、伝えるべき人に遣わして下さい。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。

愛と配慮(1コリント8:1-3)

Scripture(聖書の言葉)


1次に、偶像に供えられた物を食べることはどうか、という質問に答えましょう。この件については、だれもが自分の判断は正しいと思っています。しかし、自分の知識がどんなに重要に思えても、教会を建て上げるためにほんとうに必要なのは愛です。 2 もし、自分はどんな問題にも答えられると思い上がっている人がいたなら、それは、自らの無知をさらけ出しているにすぎません。 3 しかし、ほんとうに神を愛している人は、神に知られているのです。

Observation(観察)


初期の教会において、偶像にささげられた肉をどう扱うかについて度々議論になっていた。さまざまな意見があり「この件については、だれもが自分の判断は正しいと思っています。」とあるとおり諸子百家の様相を呈していた。現代においても一つの出来事にも様々な解釈があり、情報過多な時代において消化不良を起こすような思いになってしまう。このような混乱が教会にも起きないために、パウロは「教会を建て上げるためにほんとうに必要なのは愛です」と警鐘を鳴らしている。後節では「13 ですから、もし偶像に供えた肉を食べることで兄弟をつまずかせるなら、私は一生それを食べません。」とも述べている。教会の兄弟を自分の強い主張で躓かせることはいとも簡単に起きてしまう。それを避け、教会を建てあげるには「愛による配慮」が必要だ。

Application(適用)


私は時折、話に夢中にある余りに自説を盛り込んでしまう傾向がある。それによってこれまで誰かを躓かせていたとすれば、本当に悔い改めなければならない。相手の意見や立場に配慮して励ます人になりたい。

Prayer(祈り)


イエス様、自分よりも相手を立て、助け励ます人となれますように。自分の考えに固執しすぎないように助けて下さい。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。

占領すべき地(ヨシュア13:1)

Scripture(聖書の言葉)


1 老人となったヨシュアに、主は声をかけました。「あなたは年老いたが、まだまだ占領しなければならない国が多くある。

Observation(観察)


晩年のヨシュアに神はまだ役割があることを告げられた。旧約聖書のモーセの記述に対して、ヨシュアの記述はとても少ない。モーセ五書は民の反抗の記録の様相を呈していたが、ヨシュア記はほぼ淡々とカナンの地の征服が記録され続けている。モーセによってようやく整えられた民が、後を継いだヨシュアのリーダーシップによって、ついに約束の地の獲得に至ったのであろう。

Application(適用)


さて、ヨシュアに神はまだまだ占領すべき地があることを告げられたが、私にとって占領すべき地とはどこだろう。それは私の中の思いの領域であるように感じる。私の中にはいまだ罪を生み出そうとする欲求がある。それを治めることは生涯のテーマだ。もう十分だという慢心を捨てて、生涯謙遜に神に従う生き方を続けよう。

Prayer(祈り)


イエス様、ヨシュアに言われたように私には占領すべき心の領域があります。謙遜になって自分と向き合い、時に戦うことが出来ますように。ヨシュアが主にあって戦いに勝てたように、私にも勝利を下さい。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。

自由と節制(1コリント6:12-13)

Scripture(聖書の言葉)


12 キリストが禁じておられること以外、私には、何でもする自由があります。しかしその中には、自分のためにならないこともあります。たとえ、してよいことであっても、それに捕らえられたら最後、やめようとしても簡単にやめられないことには手を出しません。

13 食べることについて考えてみましょう。神様は、物を食べるために食欲を与え、消化するために胃を備えてくださいました。だからといって、必要以上に食べてよいということにはなりません。食べることが第一だなどと考えてはいけません。なぜなら、いつの日か神様は、胃も食べ物も取り上げられるからです。

Observation(観察)


パウロは自分に与えられた自由を好きなように行使するよりも、自制することを選んだ。食べることをパウロは例に挙げている。食べることは神に与えられている自由だが、食べ過ぎることで体を壊すことは正しいことでは無い。また食欲を満たすことを神を愛することよりも優先してはならないと述べている。
与えられている中で、自由を節度をもって、優先順位を正しく用いることが重要だ。優先順位が壊れてしまうと私のように物欲にまみれて人生が破綻しかけてしまう。神以上に優先すべき方、優先すべき事は無い。

Prayer(祈り)


イエス様、あなたの贖いによって罪からの自由が与えられていることを感謝します。私が二度とこの自由をはき違えることがありませんように。節度をもってあなたの与えてくださる物事を楽しみ、あなたに栄光をお返しできますように。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。

この世で生きる意味(1コリント5:9-11)

Scripture(聖書の言葉)


9 私は以前、あなたがたに手紙で、不品行な者たちと交際しないように書き送りました。 10 しかしそれは、信者でない人で性的な罪を犯している者、強欲な者、どろぼう、偶像を拝む者とは口もきくな、という意味ではありません。そのような人たちから離れていようとすれば、この世から出て行かなければならないからです。 11 私がほんとうに意図したところは、自分はクリスチャンだと公言している者で、しかも性的な罪にふける者、貪欲な者、人をだます者、偶像を拝む者、酒に酔う者、人をそしる者とはつき合うな、ということです。そのような者とは、いっしょに食事をすることもいけません。

Observation(観察)


この世は悪と不品行で満ちている。あらゆるメディアは罪の道へ行く事をそそのかし、そのような状況に陥った人を見ることも多い。パウロはそのような人々から自分を隔絶しろとは言っていない。
(ただし、クリスチャンであることを公言しながら罪を犯し続ける二枚舌の人とは関わるなと警告している。)
この世に生きる限り罪の中にいる人との関わりは避けられない。問題なのはそのような環境の中でクリスチャンとして如何に生きるかと言うことだ。罪に呑まれて世の人と変わらない生き方をするか、あるいは違いを表してキリストを証するのか。選択肢は私の前にある。イエス様に倣う生き方を選ぼう。

Application(適用)


私には貪欲の罪があった。貪欲は傲慢を呼び寄せる。気がつくと自分が何か大層な者であるかの様に錯覚していた。ここから抜け出すのには多大な犠牲が必要だった。けれども自分の弱さを知ることが出来たのは感謝すべき事と思っている。

Prayer(祈り)


イエス様、この世で生きることの目的を教えてくださり感謝します。弱いものですが、あなたの助けを得て、光として、塩として生きてゆくことを願います。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。

言葉だけでは無く(1コリント3:18-20)

Scripture(聖書の言葉)


18 「パウロはこちらへ来て話をつけるのがこわいのだ」と、思い上がっている人たちがいるそうですね。 19 しかし、もし主のお許しがあれば、私はすぐにでも行くつもりです。そうすれば、その高慢な人たちが、ただ大きなことを言っているだけか、それとも、ほんとうに神の力を持っているのかがわかるでしょう。 20 神の国は、ことばだけのものではありません。神の力によって生きることなのです。

Observation(観察)


教会に分断を招く人々に関して、パウロはもしもコリントの教会に行くことが出来れば、彼らが言葉だけの人か、神の力によって生きる人か判別出来るであろうと言っている。また神の国は神の力によって生きることであると述べている。

Application(適用)


キリスト教、特にプロテスタントは、聖書を中心とする教派である。すなわち言葉を重要視して御言葉の解釈に重きを置いている。それ自体は間違いでは無いが、ともすると私のような理屈屋の場合、理論の上に理論を重ねて、神の願うところから離れてしまう恐れがある。神の力によって生きるとは、神の望まれる道を生きることと等しい。すなわち神と人を愛する、という事なのだ。理屈を重ねるよりもまず愛する事を優先しよう。

Prayer(祈り)


イエス様、頭でっかちのクリスチャンになりそうでしたが、神の力によって生きると事を教えてくださり感謝します。聖霊様に教えていただきながら、神と人を愛することを実践したいです。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。

天からの真の知恵を受ける(1コリント2:18-20)

Scripture(聖書の言葉)


18 自分をだますのはやめなさい。だれか、「自分は世の知者だ」と、もし考えているのなら、そんな考えは捨てて、愚か者になるほうが身のためです。天からの真の知恵を受ける妨げにならないためです。 19 この世の知恵は、神から見れば愚かだからです。聖書のヨブ記に、「神は人の知恵を、その人を捕らえるわなとして用いられる」(5・13)と書いてあるとおりです。つまり、人は自分の「知恵」につまずいて倒れるのです。 20 また、詩篇には、「主は、人間の考えや判断がどんな程度か、また、それがどんなに愚かしく無益か、よく知っておられる」(94・11)とあります。

Observation(観察)


この世の知恵は、時として真理から人を遠ざける。この世の知恵は人から出ているが故に、神無しの閉じた知識体系を作り出してしまう。人本主義は知らずして神を排除してしまっている。パウロは自らを知恵あるものと考える人に対して「そんな考えは捨てて、愚か者になるほうが身のためです。」と薦めている。この世の知者であると高ぶるよりも、神にあって愚かなものとして謙遜に生きる方がずっと正しい。

Application(適用)


私は時として自分の思索が御言葉よりも優先されてしまうときがある。しかし日々御言葉に帰ることで神に「つなぎ止めていただいている」ように思う。毎日の聖書通読とデボーションによって人本主義の罠から救い出していただいている。神にあって愚かなものであることを学ぼう。

Prayer(祈り)


イエス様、この世に知者と呼ばれる人は多いですが、彼らよりも神の福音を選びます。神と人を愛するという黄金律に生きます。御言葉を読む日々が続けられますように。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。

神のお考えを知る(1コリント2:9-11)

Scripture(聖書の言葉)


9 まさに、聖書の次のことばどおりです。

「人が、これまで見聞きしたことも、
想像したこともないほどすばらしいことを、
神は、ご自分を愛する人々のために
用意してくださった。」(イザヤ64・4、65・17)

10 私たちには、このすばらしいことが何かわかっています。神様がご自分の聖霊を通して知らせてくださったからです。神の霊は、神の最も奥深いお考えを探り出して、それを教えてくださるのです。 11 人が何を考えているか、その人が実際にどんな人間であるか、本人以外にはわかりません。同様に、神の考えを知りうるのは、神の霊以外にありません。

Observation(観察)


この章では聖霊様について多くふれられている。そのなかでこの箇所が印象に残った。イザヤ書にある「すばらしいこと」について、すなわちイエス様の福音について私たちが理解するのは聖霊様によるものである、ということだ。人間には神の考えられていることは元来出来ない。しかし聖霊様によって神の思いとご計画を知ることができるのだ。「神の考えを知りうるのは、神の霊以外にありません。」とあるとおりだ。イエス様の救いを受け、神のご計画に生きるものは聖霊様を受けている。神とのチャネルを実現してくださったのがこの聖霊なる神なのだ。この素晴らしい方と共に神の計画を生きよう。

Prayer(祈り)


イエス様、あなたの贖いによって、また聖霊様が来られたことによって、一人の死ぬべき罪人である私が神のご計画を生きるようにされたことを感謝します。人間の力で理解できないことも多いですが、聖霊様によって一つ一つ、教えてください。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。

いけにえに勝って(詩編40:6-10)

Scripture(聖書の言葉)


6 あなたが真に望んでおられるものは、
いけにえや供え物ではありません。
完全に焼き尽くすいけにえが、
あなたを特別喜ばせるわけではありません。
しかし、生涯を通じてあなたにお仕えしたいという
私の心は、受け入れてくださいました。
7 そこで、私はこう言いました。
「神よ。いま私は、
預言者が言っていたとおりに参りました。
8 あなたのおきてを心に刻んでいる私は、
喜んでご意志に従います。」
9 私は会う人ごとに、
あなたが人の罪を赦してくださるという
うれしい知らせを伝えます。
私が恐れることなくそうしてきたことを、
あなたはよくご存じです。
10 私はこの良い知らせを胸の中にしまい込んだりはせず、
かえって、あなたのいつくしみと真実を
多くの人に伝えて回りました。

Observation(観察)


詩編40編の作者(ダビデ?)は神の前に真に献げるべきものが何であるかを知っていた。それは「生涯を通じてあなたにお仕えしたい」という献身の心だ。これを告白した後「喜んでご意志に従います。」と述べ、罪の赦しについて伝道するものとなった。これが旧約時代に書かれていたことは驚きだ。福音がすでにここに現れている。どの時代、どの場所、どんな境遇の人にも、真に求める人には神は、御教えとさとり、そして伝道への情熱を下さるのだ。いま情熱を失っているなら、神に求めよう。

Prayer(祈り)


イエス様、あなたのことをこの詩編作者は知っているかのように明確に救いについて賛美しました。すでに福音を知っている私があなたを賛美し讃えない理由がどこに在るでしょう。生涯賛美と伝道に仕えるものとさせてください。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。

新しい人(ガラテヤ6:15-16)

Scripture(聖書の言葉)


15 割礼を受けているかいないかは、今は、全く問題ではありません。大切なのは、私たちがほんとうに別の新しい人に造り変えられているかどうか、ということです。 16 どうか、この原則に従って生きる人々、そして真に神のものとなった人々に、神のあわれみと平安がありますように。

Observation(観察)


割礼をガラテヤのクリスチャンに迫る偽教師達に警戒するよう命じた、パウロの結びの言葉がここに在る。「大切なのは、私たちがほんとうに別の新しい人に造り変えられているかどうか、ということです。」クリスチャン達にも様々な背景や主張があり、各教派や教会、あるいは各個人においても信条には異なりがあるのも事実だ。パウロは「新しい人」という言葉を用いて、罪に死にキリストに生きることこそが、個々の主張を問わずクリスチャンが究極的に守るべき事だと結んでいる。

Application(適用)


私は自分の信仰の有り様を主張しすぎていたように思う。具体的にはペンテコステ主義だ。自分の考えに固執し、他の人々の考えを理解しようとしないのは間違いであったと教えられた。詰まるところ新生しているか否かが重要なのだ。

Prayer(祈り)


イエス様、危うく教条主義に陥り、頑なになりかけていたことを悔い改めます。私自身が新しい人として生きることに焦点を置きます。これからも導いてください。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。