ヤベツ(1歴代誌4:10)

Scripture(聖書の言葉)

9 ヤベツは兄弟の中で最も重んじられていました。母が彼をヤベツ(「苦しみ」の意)と名づけたのは、出産の時にたいへんな苦しみを味わったからです。

10 ヤベツはイスラエルの神に祈りました。「どうか、私を大いに祝福し、私の働きを助けてください。私が行うすべてのことに御手を添えてください。すべての悪と災いからお守りください。」神はその願いをかなえてくださいました。

Observation(観察)

「ヤベツの祈り」としてよく知られている箇所だ。ヤベツは「苦しみ」という意味の名前を母に与えられた。人生の困難を暗示させるような命名である。しかしヤベツは大胆に主に願った。別の訳では「私の地境を広げてくださいますように。」と書かれている。「地境を移してはならない」と律法にあるにも関わらずである。ヤベツの一族の祝福は与えられた地では足りないほどに増え広がった。そしてヤベツにはこのような願いすらできる神との親密さがあったのだ。

Application(適用)

人生の痛みの経験を繰り返すうち、大胆に求めることを恐れ、自分をルールで縛り消極的になってしまった。ヤベツの祈りについて真剣に調べたのは初めてだ。彼の大胆さに倣い、私も神に大いに求めて行こう。

Prayer(祈り)

イエス様、小さくまとまってしまおうと思っていましたがヤベツの祈りを見て心が新しくなりました。大胆に祝福を求めて行きます「神はその願いをかなえてくださいました。」とあります。私の願いをも聞いて応えてください。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。

弱いときに強い(2コリント12:8-10)

Scripture(聖書の言葉)


8 私は、もとどおりに回復させてくださいと、三度も神にお願いしました。 9 そのつど返ってくる答えは、こうでした。「いや、治すまい。しかし、わたしはあなたと共にいる。それで十分ではないか。わたしの力は弱い人にこそ、最もよく現れるのだから。」だから今では、私は自分の弱さを喜んで誇ります。自分の力や才能を見せびらかすためではなく、喜んでキリストの証人になりたいからです。 10 すべてはキリストのためであることを知っているので、その「とげ」も、侮辱も、苦しみも、迫害も、困難も、大いに喜んでいます。なぜなら、弱い時にこそ、私は強いからです。――無力であればあるほど、それだけ、キリストによりすがるようになるからです。

Observation(観察)


パウロに与えられた「とげ」についてパウロの癒しの願いに対する神の回答は「いや、治すまい。しかし、わたしはあなたと共にいる。それで十分ではないか。わたしの力は弱い人にこそ、最もよく現れるのだから。」出会った。パウロの力強い働きは彼の弱さを神がおおい、パウロの人としての力よりも神の表れが強く働かれた故であった。とげばかりでは無く、彼の通った全ての困難、苦しみを通しても、神はパウロを通して働かれたのだ。

Application(適用)


自分の弱さは自分の影のように離れて行く事は無い。ならばいっそ影から逃げようとするような絶望的な試行錯誤を止め、パウロのように、その弱さを通して神が働いてくれるように願いたい。

Prayer(祈り)


イエス様、自分の弱さに向き合うほど、それは自分の一部であってこの世に居る限り切り離すことは出来ない事が分かりました。神はこの弱さを通しても働いてくださると信じます。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。

弱さを誇る(2コリント11:30-31)

Scripture(聖書の言葉)


“もし誇る必要があるなら、私は自分の弱さのことを誇ります。
主イエスの父である神、とこしえにほめたたえられる方は、私が偽りを言っていないことをご存じです。”
コリント人への手紙 第二 11章30~31節
聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会

Observation(観察)


パウロは「自分の弱さを誇ります」と述べている。続く12章では「わたしの恵みはあなたに十分である。わたしの力は弱さのうちに完全に現れるからである」と続いている。人間的な限界をしり、弱さを自覚し神に委ねたときに初めて神の力は現れるのだ。あたかも器が堅固なままでは内側の灯りが照らさないように、自分の殻が砕かれ、弱くなったときに初めて神の栄光が現れるのだ。

Application(適用)


人生を通して自分の弱さを嫌というほど経験してきた。砕かれてきた、などとは全く言えないが、神が今もこの頑なな私を揺さぶり続けていて下さる事を嬉しく思い、感謝したい。

Prayer(祈り)


イエス様、脆い割に強情な器である私を今も見捨てず関わってくださり感謝します。救いは完了していると同時に進行形のプロセスであり、続いて行く事を思います。日々造り変えて下さい。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。

人を建て上げるための権威(2コリント10:7-8)

Scripture(聖書の言葉)


“あなたがたは、うわべのことだけを見ています。もし自分はキリストに属する者だと確信している人がいるなら、その人は、自分がキリストに属しているように、私たちもキリストに属しているということを、もう一度よく考えなさい。
あなたがたを倒すためにではなく、建てるために主が私たちに与えてくださった権威について、私が多少誇り過ぎることがあっても、恥とはならないでしょう。”
コリント人への手紙 第二 10章7~8節
聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会

Observation(観察)


パウロの持っているキリストの権威は人を倒すためではなく建てるためのものであると述べている。教会における諸問題に対応するためには、時に厳しい処置が必要になることもあるのだろう。しかしあらゆる処置はその人を駄目にするためでは無くその人を建てあげるために行われる。イエス様は私たちを御自身の似姿に至るまで育ててくださるために、教会の指導者に霊的権威を授けられた。

Prayer(祈り)


イエス様、教会が一つの人となって成長してゆく為に建てられた権威に感謝します。建てられたリーダーシップがますます祝福されますように。群れの私たちがリーダーシップの背後にある神のご意志を理解し、従う事が出来ますように。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。

献げるために(2コリント9:10)

Scripture(聖書の言葉)


10 農夫にまく種を与え、そのあと収穫物を与えてくださる神様は、あなたがたにもまく種を備え、それをふやして、あなたがたに義の収穫の実をもっと与えることができるのです。

Observation(観察)


献金の勧めについてパウロは農夫のたとえをしている。蒔くための種も、結果としての収穫も、どちらも神が与えてくださると言う物だ。献金においても、神は私たちが献げるべき収入も備えてくださり、献金の結果としての義の収穫の実、すなわち全人格的なキリスト者としての成長を与えてくださるのだ。
献げるための必要は主から与えられる。恐れを持たずに献げよう。

Prayer(祈り)


イエス様、献げることも神様が与えてくださるから出来ることを感謝します。恐れず喜んでお献げ出来ますように。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。

神の臨在を大切に扱う(1サムエル5:1-6)

Scripture(聖書の言葉)


1-2 ペリシテ人は奪い取った神の箱を、エベン・エゼルの戦場からアシュドデの町へ移し、偶像ダゴンの宮に運び込みました。 3 ところが翌朝、人々が見物に来ると、なんということでしょう。ダゴンが神の箱の前で、うつぶせに倒れているではありませんか。人々はあわてて元どおりに安置しました。 4 ところが、次の日も同じことが起こったのです。ダゴンの像は神の箱の前にうつぶせに倒れ、しかも今度は胴体だけで、頭と両手は切り取られて敷居のあたりに散らばっていました。 5 そういうわけで、ダゴンの祭司も参拝者も、今日に至るまで、アシュドデにあるダゴンの宮の敷居を踏んだことがありません。

6 さらに主は、アシュドデと周囲の村々の住民を腫物で打ち始めました。

Observation(観察)


ユダヤ人から神の箱を奪い取ったペリシテ人はその箱を偶像の宮に運び入れた。神の力か、天使によるものか、そこにあった偶像は倒された。さらに近隣の人々を腫物で苦しめた。
神の臨在をいい加減に扱ってはいけない。モーセ五書には神の箱を如何に慎重に扱うべきか繰り返し述べられている。

Application(適用)


私は神の臨在をどこまで大事にしているだろう。そもそも臨在を真剣に求めているだろうか。私の神への畏れは真実だろうか。なんとなく礼拝に出て、おしゃべりして帰るだけで満足しているならば、クリスチャンとして大事なことを見失ってしまっている事になる。今からでも間に合う。神を求めよう。

Prayer(祈り)


イエス様、神様に真剣に向かっていなかったことを悔い改めます。神の臨在を真実に求めます。教会でも家庭でもあなたの現れを期待します。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。

神から来る悲しみ(2コリント7:10)

Scripture(聖書の言葉)


10 神様は時々、罪を断ち切り、永遠のいのちを求めさせるために、私たちに悲しみを与えます。そのような悲しみを嘆いてはなりません。しかし、この世の人の悲しみは、真の悔い改めに導く悲しみではないので、永遠の死を食い止める力がありません。

Observation(観察)


人生の喜びや悲しみよりも神を求めることはより重要だ。時として神は悲しみをも用いて神に立ち返る機会としてくださる。一方、神から出ていないこの世の悲しみについて、パウロは「真の悔い改めに導く悲しみでは無い」と述べている。神から出た悔い改めの機会としての悲しみと、信仰によって打ち勝つべきこの世の悲しみがあると言うことだ。この二つの違いをしっかりと祈り見極めたい。

Prayer(祈り)


イエス様、この世の悲しみに飲み込まれそうなときも多くあります。そのような事柄よりも悔い改めに導かれる悲しみに心を寄せたいです。神に近づかなかった事を悔やみ、立ち返って神を求めますように。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。

主への忠誠によって承認欲求に勝つ(2コリント6:8-10)

Scripture(聖書の言葉)


8 人に尊敬されようと軽蔑されようと、あるいは非難されようと賞賛されようと、主への忠誠に変わりはありません。人からはうそつきと呼ばれようと、私たちは正直です。 9 この世から無視されても、私たちは神に認められています。死に直面しながらも、このとおり生きています。傷つけられたこともありますが、死を免れてきました。 10 心に痛みがありますが、同時に主の喜びも持っています。貧しいように見えても、霊的に多くの人を富ませています。何も持っていなくても、あらゆるものに満たされています。

Observation(観察)


パウロは人々からの評判の善し悪しにかかわらず神への忠誠は変わらないと述べている。彼の受けた困難の全てが彼の忠誠を証ししている。

Application(適用)


私は出生と生育環境ののせいか、人からの評価を非常に気にする様になってしまった。正直な所、この歳になっても絶えず人からの賞賛を求める気持ちがある。自らの努力を全く怠っているのにかかわらずだ。このような生き方では無く、パウロに倣い、まず神への忠誠を尽くすこと、それによってこの世のことはどうでも良くなり、確信を持って生きられるようになる筈だ。残る人生を持って、このパウロの告白が私のものとなるように慕い。

Prayer(祈り)


イエス様、この世からの評価ばかりを求めて失敗してきました。「主への忠誠」、この言葉を握りしめて最優先に生きてゆきたいです。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。

新しいからだ(2コリント1-5)

Scripture(聖書の言葉)


1私たちがいま住んでいる地上の家が取りこわされても〔すなわち、私たちが死んでこの肉体を離れても〕、天には新しい体、永遠に保証された家があります。それは、人の手ではなく、神の手でつくられた家です。 2 今のこの体は傷み衰えていますが、天で与えられる体を新しい着物のようにまとえる日を、首を長くして待っているのです。 3 それを着れば、体のない霊だけの状態でいることはないからです。 4 この地上の体のために嘆きやうめきがありますが、だからといって、死んで、体のない状態になりたいとは思いません。その新しい体を着たいと願うばかりです。そうすれば、この死ぬべき体が、永遠のいのちにのみ込まれてしまうからです。 5 これこそ、神様が私たちのために用意してくださったことであり、その保証として、御霊を遣わしてくださったのです。

Observation(観察)


クリスチャンの死後は、「新しいからだ」が与えられるとパウロは述べている。また「 それを着れば、体のない霊だけの状態でいることはないからです。」ともあり、私たちが一般に持つ死後の世界=霊の世界という認識は正しくない事を知らされる。さらにこの新しい体の与えられる保証とは、聖霊様であるとも書かれている。

Application(適用)


死後の世界を極端に精神的な次元のみのものと理解するべきでは無い、復活されたイエス様は弟子達に触れ、食事を取られた。そしてそのままの姿で昇天され、天使達によれば、そのままのお姿で再臨されるとある。そう考えれば、イエス様に救われ続く者とされた私たちが同様の肉体を得ることは自然なことだ。救いによって霊が新しくされたのであれば、死によって肉体も新しくされるのだ。

Prayer(祈り)


イエス様、新しい体について、教えてくださって感謝します。やがての日に衰えた体を捨て、新しい体を着せられる時を期待し待ち望みます。地上で成すべき事を精一杯励みます。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。

仕え合う動機(2コリント4:5-6)

Scripture(聖書の言葉)


5 私たちは、自分のことを宣伝しているのではありません。主であるキリスト・イエスを宣べ伝えているのです。私たちはただ、イエスが私たちのために成し遂げてくださったことを知ったので、あなたがたに仕える者となっただけです。 6 「闇の中に光が輝け」(創世1・3)と言われた神様が、私たちに、イエス・キリストの御顔に輝いている、神の栄光の輝きを理解させてくださったからです。

Observation(観察)


パウロの困難な伝道の動機は、ただイエス様の福音を知り、神の栄光を見た事による。そして彼は「あなたがたに仕える者となった」とある。教会の中で互いに仕え合う動機は神を知り、その栄光を体験することに他ならない。人間的な努力では人は仕え合うことは難しい。努力家なら数年頑張れるかもしれない。しかし神無しでの奉仕には限界があるのだ。

Application(適用)


私は日々新しく神を体験したい。それなしでは一歩も奉仕できない状況に置かれている。神にお会いし、仕え合う新しい力が得られますように。

Prayer(祈り)


イエス様、福音を日々思い、人を愛する力が湧き上がりますように。私自身は空っぽであることを認めます。助けて下さい。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。